第六話:絆
いつもの職場。
いつもの顔。
ただ一ついつもと違うのは、寺道がやけにニコニコしていることだった。
「‥寺道さん、なんかありました?」
「ん?いや、別に。後で話すよ。」
(‥はてな?)
信治が不思議がっていると、木村係長がこっそり教えてくれた。
「寺道な、彼女ができたらしいぞ。」
「なーるほど、どうりで‥。」
(‥そうか、僕も彼女ができた頃、あんな感じになってたんだな。うーん‥恥ずかしい‥。)
寺道は、バカみたいにハイテンションだった。
「伊藤君。僕にもついに、彼女ができたよ!」
「おめでとうございます。」
「なんだ。もっと驚くかと思ったのに。」
「実は係長からチラッと聞いて‥。」
「そうなんだ。」
「そうなんです。でも大事にしないとダメですよ。寺道さんにはこんなチャンス、二度とないですからねぇ。」
「なんだとぉ!」
と、信治をこちょがして笑う寺道。
「ねぇ、伊藤君。今度伊藤君と彼女と、僕と僕の彼女と四人で、どこか旅館にでも泊まりに行かない?」
「いいですね!ゴールデンウイークも近いし。あれ?寺道さんの彼女って、なにしてるんですか?」
「ん、フリーターだよ。」
「じゃあその時なら、みんな休みですよ!」
「じゃあ決まりだな。」
でも信治には心配事が一つあった。金の事だ。
なんとか利息を増やさないでやってきたのだが、こうなったら仕方ない。信治はあることを決めた。もう一枚、カードを作ることを‥。
「伊藤君。ちょっと来て。」
沢井代理に呼ばれると、何もしていなくても、怒られたような気分になって、胃が痛くなる。
「‥はい。」
沢井は信治に、ある紙を渡した。
「いいか、これに名前が載っている人は、みんなローンの延滞先だ。今から行って回収して来い!」
「今から‥ですか?」
時計は夕方の五時を回っていた。
「日中に回れって言っても、どうせ回りきれないだろ?」
「はい‥行きます。」
確かに沢井の言うことは正しいかもしれない‥‥が、そう決めつけられてるのもやっぱ、ムカつく!
しぶしぶ信治は外へ出た。
雪は消えても、まだ暗くなると冷え込む時期だ。
「ううう‥早く回って終わらせよ。」
まず一軒目。
「ごめんくださーい。風信ですが。」
「あぁ‥ローンの事だろ?」
「はい。」
「いやーすいませんね。今週ちょっと使う用が出来て‥‥来週には払いますんで、それまで待ってくれませんか?」
「わかりました。来週ですね。」
二軒目。
「ごめんくださーい!」
しーーーん‥‥
「こんばんは!」
しーーーーーん‥‥
(いない?留守?電気はついてるけど??まっ、いっか。)
三軒目。
「ごめんくださーい。」
「はいよ。」
そう言って出てきたのは、田村さん。白髪でヨボヨボのおじぃちゃんだ。
「あっ、風信ですが、ローンの支払いをお願いしに来ました。」
「‥そうか。ふー‥見ての通り、年寄りが一人暮らしているだけ。家もボロボロ、食うのもままならね。今払うのは無理だの。」
田村の言うとおり、家は地震でもきたら潰れそうだ。家の中を見ても、金目になりそうな物は一つもない。
「では、いつなら払えますか?」
「年金が入るまで待ってくれんか?」
「すると‥来月ですかね。」
「そうだの。」
タタッと何かが走る音がして、信治が振り向くと、そこには全身真っ白なネコがいた。
「田村さんのネコですか?」
「ああ。今では唯一の家族だの。」
「かわいいですね。来い来い!」
ニャー、とネコは信治の元へやってきた。
ネコのあごの下を撫でてやる信治。
よく見れば、ネコの毛は汚れていた。白ネコのハズが黄土色に見えた。
「じゃあ、また来月来ます。」
信治は、それから数軒回って会社へと戻った。
「なにー!?一つも回収できなかったのか!!」
「はい。みんな金が無いようで。」
「はぁー‥それじゃあいつまで経っても回収できないだろ?」
「‥はい。」
「それをなんとか回収してくるのが、お前の仕事じゃないのか。そうだろ?」
「‥はい。」
「じゃあ明日、また行って来い!」
「‥でも田村さんは、年金が入るまで無理みたいですよ。」
「あのおじいちゃんか。」
「はい。」
「じゃあどうやって飯食ってんだ?」
「‥?」
「確かネコも飼ってたよな。」
「はい。かわいいネコがいました。」
「ネコ飼う余裕があるのに、ローン払えないのはおかしいと思わないか?」
(いや、ネコだってガラガラだったし‥おかしいなんて思わないけどな。)
「いいか、ネコと、自分と、飯食う金があるなら、それをよこせと言ってこい!」
(それじゃあ生きていけないじゃん!)
「わかったのか!?」
「‥‥はい。」
次の日も、信治は延滞先を歩かされた。
「‥というワケなんで、延滞分払って頂けますでしょうか。」
「まったく!あんたらは、金貸す時はあんないい顔して、ちょっと払えなくなるとすぐ取り立てに来る!ふざけんじゃないわよ!」
「‥‥すいません。」
「はー‥‥さて次は‥田村さんか‥。」
「こんばんは。」
「あれ、また来たのか。来月まで払えんと、言ったハズだがの。」
「そうなんですが、その‥‥‥‥あの、どうやって飯食ってってますか?」
「は?」
「あ、飯食っていく金があるなら、それを貰おうかと‥。」
「じゃあワシらに死ねと!死んでも払えと言うのか!」
「いや、そう言うワケでは‥。」
「帰って頂けますか!」
「‥‥。」
トボトボと帰る信治。
「なに!?もらえなかったじゃないだろ?延滞するヤツはそうやって、ずっと延滞してくんだよ!払うまで毎日行って来い!」
「‥‥。」
沢井の言葉が、信治の心にさらに追い討ちをかけてくる。
「毎度様です。」
「‥おや?なんだか元気がないな。なんかあったな。」
鈴木のおじいさんは、まるで人の心が読めているかのようだった。
「‥いや、大した事ないんです。」
「‥‥スリランカのことわざでな、『小川はけっして海にはならない』というのがある。小さなものは大きくならない。頑張ってもどうしようもないこともある。だから小さな悩みにクヨクヨしても仕方がないってことだ。」
「頑張ってもどうしようもないこともある、ですか‥‥ありがとうございます。」
何も知らないハズの鈴木の言葉は、信治の中のモヤモヤを、ほんの少しだけ取り除いたのだった。
でもそのほんの少しのおかげで、その後の仕事は明るく回ることができた。
さて、五時を回り‥
「ごめんください。」
田村の家だ。
「君か‥まぁ入りなさい。」
田村は初めて、信治を玄関より中へ入れた。
「昨日は悪かったの。追い帰したりして。」
「いや、こちらこそすいません。失礼な事を言って。」
「君ら、上の指示で動いている者に、文句を言うのは間違いだ。それくらい、わかってはおるんだがの。」
「‥‥あの、なんで借金なんかしたんですか?」
「息子の借金だ。」
「え?」
「息子の連帯保証人になったのはいいんだが、払えなくなってどこか行ってしまった。」
「どこにいるかも、わからないんですか?」
「そうだの。」
「‥。」
「息子がいなくなり、やがてワシも働けなくなり、残ったのは借金だけ。自分の子供の事だ。仕方ない事だの。」
「そんな‥。」
「もう働くこともできんし、飯食う金ももってかれるなら、もう‥クビでも吊るしかないの。」
「やっ、そんな、そんな事言わないで下さい!なんとか延ばせるように話して来ますから!そんな悲しいこと、言わないで下さいよ!!」
「‥お前さんは、いい人だの。明日、またこの時間に来なさい。待っとるよ。」
次の日、約束の時間。
信治は田村の家の前にやって来た。
だが、信治の足はそこで止まってしまった。
本当にクビを吊っていたら‥‥そんな事が、頭から離れなかったからである。
「ごめんください。」
恐る恐る、信治は玄関のドアを開けた。
「やぁ、待ってたよ。」
田村の声を聞いて、ホッ‥と力が抜けた。
「ほら、これで足りるじゃろ。」
田村が差し出したのは、金だった。
「‥足ります‥足りますけど、どうやって?」
「お前さんに言われて、恥を覚悟で近所の家を回っての。なんとか借りる事ができたんじゃ。」
「そうなんですか‥‥良かったぁ。僕は本当にクビ吊りでもしてるかと思って、本当に心配したんですよ。」
「お前さんのような若い人に、そんな嫌な思いはさせんよ。人間、その気になれば、なんとかなるもんだの。」
田村はそう言って笑った。
ネコも近づいてきて、笑ってるように見えた。
信治も笑って‥少し泣いた‥。
「わー、着いたね。」
「いい所ですね。」
「景色きれい。」
「ホテル大きいねぇ。」
信治と惠子、そして寺道と、その彼女の良江は、四人で泊まりがけの旅行に来たのだ。
ゴールデンウイークの為か道が混んでいて、けっこうな時間を要した。
そんな中現れたこの景色、四人の疲れを一気に吹き飛ばすほどだった。
青々とした木々のざわめき。澄んだ川の流れ。遠くに見下ろす街並み。ほんのり冷たい空気を運ぶそよ風‥とにかく絶景と呼ぶにふさわしい場所であった。
さて、夕食はバイキング。
寿司やステーキ、刺身、タラバガニ、スパゲティやチャーハン等々‥どれも高級そうで、どれも美味しそうな食べ物が、全部食べ放題!
みんなのテンションは一気に上がった!
そんな中、信治が大量に持ってきたのは、なぜかゆで卵‥
(こんな高級そうな食べ物に囲まれてるんだ。きっとゆで卵も、超美味しいハズ‥。)
そう思ったのである。
しかし‥
(‥‥‥やべぇ‥‥超普通だ‥‥‥。)
ゆで卵で腹が一杯になり、他に手が出せなくなる信治であった。
さてさて、夕食が終わり、みんなは風呂へ。
これまた景色が最高の大浴場で、それぞれテンションが上がる一方だった。
夜は四人集まって酒を飲んだ。
とにかく寺道が上機嫌で、惠子も、良江も、みんな楽しそうだ。
やがて女性二人が寝てしまうと、信治と寺道は窓辺のイスに座り、二人だけで酒を交わした。
「‥寺道さん。仕事、辞めたいと思った事はありますか?」
「僕なんか、しょっちゅうヘマして怒られるからね。その度に辞めたいって思うよ‥‥なんかあったのかい?」
「なんか、仕事っていうことが、よくわからなくなりました。俺、仕事は人の為になることだと思ってたんです。人と人が助け合って生きていく。そういうことだと‥‥。
でも最近は、そうは感じない。金持ちにペコペコして、金が無い人に取り立てに行って‥そんなの、ただ会社の為にしかならないじゃないですか!!結局、金の無い人は苦しいままじゃないですか!!金持ちばかり偉そうで、そんなんじゃ、世の中良くならないじゃないですか!!‥‥俺は、そんなの嫌です‥。」
「‥‥確かに、金持ちは偉そうなのが多いね。でも、中にはそうじゃない人もいる。金持ちでも、すごく優しい人もいるし、貧乏でも、コツコツお金を貯めて、風信さんのおかげで助かったって、そう言ってくれる人もいる。
僕はそういう人がいるから、まだ辞めないで頑張れるのかもしれない。でもね、伊藤君が辞めたいなら、辞めればいい。まだ若いし、いろんな経験をする事は、とても大事だと思う。自分で選んだ道に、間違いなんてないんだから。どの道を選ぶかは自分次第。後悔しても、失敗しても、自分で選んだなら納得できる。そしたらまた、次の道を探せばいいさ。」
街を見下ろす高い部屋。夜景がとてもきれいだ。信治の目に映る夜景は、光がにじんで、やがては見えなくなった。
いつからか目が覚めていた惠子は、二人の会話をコッソリ聞いていた。盗み聞きしていたワケではない。ただ、二人の邪魔をしたくなかっただけだった。
朝、四人は帰り支度をしてロビーに降りた。
「ねぇ、コレ買ってよー。あと、コレも欲しいなぁ。ねぇ、お願い。」
良江が、売店で何か欲しいものを見つけたようだ。
「わかったよ。しょうがないなぁ。」
寺道は、言われたもの全てを買ってあげていた。
信治は感じていた。イヤな予感を‥。
「いやぁ、この前は楽しかったね。」
「また行きたいですね。」
旅の思い出話は、何年経っても楽しいものである。
寺道と信治は、久しぶりに二人で飲んでいた。
最近付き合いが悪くなった寺道。毎週一度はやっていた飲み会も、今は月に一度有るか無いかである。
「‥ねぇ、伊藤君。お金に余裕ないよね?」
「え?あるわけないじゃないですか。」
「だよねー‥。」
「んー‥。」
信治が目を覚ますと、もう昼の二時だ。ひどい二日酔いの中、なんとか起き上がった信治は、隣にいるハズの寺道の姿が無いことに気が付いた。
「あれー‥寺道さん?」
どこにもいない。そして、なぜか信治のキャッシュカードがテーブルの上に置いてあった。
まさか!
信治は急いで電話をかけた。相手はもちろん寺道だ。
(そういえば、やたらカードの残高を訊いてきていた。酔った勢いで暗証番号も教えた気がする。でもまさか‥‥そんなハズないよね?寺道さん‥。)
「もしもし?」
「‥‥‥伊藤君‥ごめん。」
その瞬間、信治は理解した。同時に、心がバキバキと音をたてて砕けるのを感じた。
その後寺道が言った言葉。信治はあまり覚えていなかった。
彼女がどうしても、東京に行きたがっていると言った事。
そのため、アパートを借りる資金が必要だったと言った事。
ちゃんと相談したかったけど、言えなかったと言った事。
絶対返すから、と言った事。
本当にごめんと、何度も謝っていた事‥
信治には、もうどうでもよかった。ただ自分で、最後に口にした言葉は覚えていた。
「いいですよ。前にもそんな事あったんで。返さなくてもいいです。あげますよ。ただもう二度と電話しないで下さい。メールもしないで下さい。‥‥‥‥‥‥さようなら。」
ピッ、と電話を切ると、早速寺道からの電話を着信拒否にした。
アドレスも変えてしまった。
寺道が勝手に持っていった金は、三十万。
カードは一気に限度額近くまでいった。
それでも信治は焦らなかった。
また新しくカードを作ればいい‥‥
ただ、そう思ったのだった。