第五話:友
「う゛ー‥寒い寒い。」
目が覚めるような鮮やかな紅葉も終わり、心も体も凍えそうな風が吹く秋の夕暮れ。
そんな中一人、ショッピングモールの駐車場で震えてたのは、加藤さんだ。
その人は二十代半ばの女性で、信治の集金先のお客さんであった。
「あれ?加藤さん。何してるんですか?」
その日休みだった信治は、たまたまそこで出くわしたのだった。
「あっ、伊藤さん。今日休み?」
「そうですよ。日曜日ですもん。」
「いいなぁ、こっちはむしろ忙しいっつうのに。」
「ハハハ、稼ぎ時ですもんね。今仕事終わったとこですか?」
「そうなんだけど、迎えが来ないんだよねー。まったく、何やってんだか!」
「旦那さんですか?」
「そう!約束の時間過ぎてるのに来ないし!ケイタイとまってるから連絡つかないし!こんなに寒いのに!あーイライラするわ!」
「それはお気の毒に‥でも、イライラしててもしょうがないから、プラス思考でいたらいいんじゃないですか?」
「こんな状況で、どうプラスに考えんのよ!」
「そうですねぇ‥例えば、空を見るとか。なかなかゆっくり空を眺める時間なんて無いじゃないですか?この白い雲がゆっくり流れていく様子とか見てると、意外と心地よかったりしますよ‥なんてね。」
「‥ありがとう。考えとくわ。」
「ではまた。」
「うん。」
信治がいなくなった後、加藤は空を眺めてみた。
「空ねぇ‥‥‥‥空って、こんなキレイなものだったかしら‥‥。」
それはどこまでも青く、どこまでも広く、まるでイヤなこと全て吸い込んでくれたかのように、心を和ませたのだった。
信治が仕事で廻る学校に、信治のメッチャクチャタイプの女性がいた。
名前は、松本恵子。
顔は小さいが目が大きい。
体は小さいが胸が大きい。
‥完璧だった。その学校で会う度、二人はよく会話をしていたのだが、ある日話が弾んで、今度二人で食事に行こう!なんてことになったのだった。
信治にとってはまたとないチャンス!しかし相手がどう思っているのかは、全くわからない。
信治は悩んだ。
(初めての食事会だ。変な事は言わず、普通に楽しもう。‥いや、せっかくのチャンスだ。せめてメールアドレスくらい訊いとこう!‥いやいや、こんな機会もう無いかもしれない。思い切って告ってしまえ!!‥‥‥どうしよう?)
そんなとき、こんなとき、持つべき者はヤッパリ友達だ!
「で、いつ会うんだ?」
克也はいつものように、信治のアパートで酒を飲んでいた。
もちろん信治もだ。
「今週の日曜日。」
二人とも金に余裕がない為、いつも通り安い酒と、簡単なつまみだけでの宅飲み。
それでも十分だった。
「告っちゃえば?」
「そう簡単に言うなよ。二人きりでメシ食うだけでも緊張するだろうし。」
「でも好きなんだろ?」
「‥うん。」
「人生いつどうなるかわからないし、やらないで後悔するより、やって後悔しろ!ってな。自分から動かなきゃ、始まらないものもあるんじゃないか?」
その言葉は、信治のくすぶっていた心に、強い真っ赤な意志の炎を燃え上がらせたのだった。
決戦の朝。信治は持っている服の中で最高の組み合わせを選び、車へと乗り込んだ。
途中で例の彼女を乗せ、その時点ですでに、信治の緊張は最高潮に達していたのだった。
そして‥‥‥
「僕と、付き合って下さい!」
意外とすんなり言うことができた。
彼女は突然の告白に驚いていたが‥‥
「で?どうなった?うまくいったのか?フラレタのか??」
電話の向こうの克也は大興奮だ。
「‥ダメだった‥‥。」
「‥そうか。」
一気に興奮が冷めた克也。
それを確認して信治が一言。
「ウッソだよーん!」
「はぁ!?なに?じゃあ付き合えたのか?」
「そう!」
「んだよ!いらなくヘコんだじゃねーかよ!ふざけんな!」
「ハハハ。まぁ克也の励ましのおかげかな?」
「そりゃそうだろ!今度なんかおごれ!」
「いいよ。」
「で、彼女に会わせろ!」
「いいよ。」
電話越しにテンションが上がる二人。
しかし、その二人の約束は、叶わなかった‥。
「はぁ!?東京に行くって!?いつよ。」
「明日。」
「明日!?」
信治が驚くのもムリはない。あの電話から一週間も経っていないのだ。
その日も電話で、結局会うこともないまま、克也は東京に行ってしまった‥‥。
「毎度様です!」
「やぁ、いらっしゃい。」
鈴木のおじいさんはいつものように、定期積金の証書とお金を持って来た。
「‥‥よし、と。はい、どうぞ。」
信治がパパッと仕事を済ませると、鈴木さんは妙に信治の顔を眺めていた。
「あれ?なんかついてます?」
「いやいや、いつもより表情が明るいと思ってね。これは‥女ができたな。」
さすが、長く生きているだけあってか、鈴木さんは見事に言い当てたのだった。
「え‥わかります?」
「はっはっは、何となくな。まぁいいじゃないか。隠すことでもないだろう。」
「はい‥。」
「でも慎重にな。」
「何を、ですか?」
「『幸せは女から、不幸も女から』って言ってな、幸せも不幸も女房しだいってことだ!」
「まだ結婚するって決めたわけじゃないですよ。どこのことわざですか?」
「アルジェリアだよ。」
「へぇー、いろいろあるんですね。」
「それからな、『女心は南風』って言ってな‥‥」
と、女に関することわざをさんざん聞かされ‥
(まだ付き合ったばかりなんですけど‥‥。)
なんだか頭が痛い信治であった。
「ごめんくださーい。」
「あら、シンちゃん。いらっしゃい。」
佐藤のおばぁさんは、当たり前のように昼ご飯を出してくれる。
「いただきます!」
信治は喜んでそれを頂いた。
「シンちゃん、なんか良いことあった?」
「‥わかります?」
「顔に書いてあるよ。」
「実は最近彼女ができまして。」
「ふふふ、やっぱりね。」
(‥‥やべー‥バレバレだ‥ちっと気合い入れてこ。)
しかし次の家でも。
「あら、風信さん。なんか良いことでもありました?」
(はりゃ???)
信治の心境は読みやすいらしい‥‥。
「ふーん‥。」
電話越しの克也の声はなんだか暗い。
「そしたら、アザラシがケイちゃんの側から離れなくなってさぁ!」
対して信治のテンションは高い。
「へぇー‥。」
「アザラシも可愛かったけど、その時のケイちゃんの顔は、マジ、可愛かったなぁ。」
「ほぉー‥。」
「‥なんだよ!さっきから適当な返事ばっかしやがって!」
「そりゃあ信治のノロケ話ばっか聞かされたら、返事も適当になるわい!」
「そうか‥‥素直にゴメン。」
「‥‥謝られてもなぁ‥。」
克也が東京に行ってから、二人は今まで以上に電話やメールをするようになった。
いつもそんなんだと、全然遠くにいる気がしないもんである。
「ところで、そっちはどうよ?」
「どうっても‥別に‥。」
「言葉が通じなかったりとか、ないの?」
「あー!それはあるある!」
「どんなん?」
「普通マンガ本は『マンガほん』だろ?」
「そりゃあ『マンガほん』だわな。」
「違うんだよ!『マンガぼん』なんだよ!」
「なにー!?いや、『マンガほん』でしょ!」
「違うんだって!『マンガぼん』なんだって!」
いつも気付けば長電話。今日は信治からかけたから、もちろんその分電話代がかさむ。
ギリギリ生活の信治にとって、それはけっこうな痛手であった。
最近『ケイちゃん』と呼べるようになった彼女と、水族館に行ったのも痛い。
でも信治はそれでいいと思っていた。親友との話。彼女とのデート。これ以上ない贅沢な時間に金を使っているのだから。
「では、伊藤君。お疲れ様です!」
「お疲れ様です!」
と乾杯して、伊藤と寺道はビールを飲む。
だいたい二週間に一度は、こうやって二人で飲みに来ていた。
「どう?彼女ができて。やっぱ楽しい?」
「はい、そりゃもう。」
「そうかぁ、いいなぁ。僕にも誰か紹介してよ。」
「うーん‥誰かいい人いるかなぁ‥どんな人がいいんですか?」
「僕より一個か二個年下たで、かわいければ誰でもいいよ。」
「寺道さんの一個か二個年下ってことは‥二十八、九ですか‥‥知り合いにいるかな?」
「期待してます!」
「うーん‥‥‥。」
いつも割り勘。たまに寺道がおごってくれる。
だがこの日だけは、信治のおごりだった。二人でパチンコ屋に行って、信治だけ勝ったからだ。
「伊藤君、スロット強いよね。目押しもうまくなったし。」
「たまたまいい台に座っただけですよ。」
寺道によく誘われるので、信治もすっかりパチンコやスロットに詳しくなってしまった。
「関係無い話だけどさ、伊藤君、そろそろ二十歳だっけ?」
「はい、あと三カ月ですね。」
「二十歳になったら、金借りれるよ。」
「いや、怖いから借りないですよ。」
「便利だよ。いざというときの為に作っておけばいいのに。」
「えー!?イヤですよ。」
「簡単にできるんだよ。ほら、新町の電気屋の近くにいっぱいあるじゃん。あのハコに入って、三十分もあれば‥」
「作りませんって!」
寺道はすぐ変なことを教えてくる。
それでも信治は寺道を慕っていた。友達でもない、兄弟でもない。だが二人の間には、互いを助け合い、励まし合って生まれた堅い絆があった。目には決して見えない、絆というもので繋がっている‥少なくても信治は、そう信じていたのだった。
早いもので、克也が東京に行ってから、もうすぐ一年が経つ。
結局、ゴールデンウイークもお盆も、克也は帰って来なかった。
それでも、二人の関係が壊れる事はなかった。むしろ、離れていても常に連絡を取り合っていると、逆に結束力が強まった気がした。
そんなある日‥‥
いつものように、仕事が終わってから克也の電話。
いつものように、陽気に電話に出る信治。
しかし、電話の向こうの克也は、いつもとは様子が違っていた。
「信治ー!どうしよう?助けてくれ!」
「な、なに?どうした?」
「ハァー‥‥信治ー‥人ひいちまった。」
「はっ!?車で!?」
「ああ‥。」
「それで?」
「とりあえず示談で済んだんだが、その、金が‥。」
「‥いくらよ。」
「三十万。」
「三十!?‥‥さすがに、それは‥‥」
「無理だよなぁ。」
「‥うん‥‥‥‥待てよ?」
信治は思い出していた。寺道が言っていたこと。金の借り方を‥。
「克也!いつまでだ?」
「明後日。」
「‥‥‥よし、わかった!俺が何とかする!何とかすからな!待ってろよ!」
次の日。
信治はさっそく、寺道が言っていた『ハコ』の前へやって来た。
「なんか‥緊張するなぁ‥。」
なんだか『入ってはいけない』オーラが出ているのを感じながら、それでも信治は足を踏み入れた。
当たり前かもしれないが、中には誰もいない。機械と、用紙と、ペンがあるだけ。
信治はホッとした。
機械の言うとおりに、用紙に記入、簡単な機械の打ち込み、そして免許証のコピーをした。
やがて審査が終わり、カードが出てきた。
本当に、三十分足らずで出来てしまった。
カードには、三十万の申込みだったのに、五十万までの限度額がついてきた。
しかも、それを今すぐ、全部引き下ろすことができてしまうのだ。
「なんて便利!‥‥じゃねーよな。なんて恐ろしいんだ。全く!‥‥‥ハァ、借りてしまった‥。」
人生が一段階悪い方へ進んだ。そんな気分になった。
「‥ってことで、送っといたからな!」
「マジで!?いやーホント、わりーなー。」
「いいんだよ。困ったときはお互い様、俺ら親友だろ?」
「ああ、ありがとな。必ず返すから。毎月少しずつでも、必ず返すからな!」
電話をする信治の隣には、惠子がいた。
彼女には隠し事はしたくない。
信治は借金をしたことも、そのワケも、ちゃんと彼女に伝えていた。
「でも大丈夫?三十万なんて大金、返ってこなかったらどうするの?」
「大丈夫だよ。あいつは親友なんだ。ちゃんと返してくれるさ。」
「でも、金の貸し借りで友情が壊れる事って、けっこうあるみたいよ。」
「‥‥大丈夫。金なんかで僕らの友情は壊れやしないよ。金なんかで‥。」
金‥‥正直、信治は自信がなかった。しかし、幼い頃から知っている克也なら、きっと大丈夫。きっと大丈夫だと信じていた。
ギリギリ生活の信治に、さらに毎月の利息を払う余裕なんて、あるワケがない。
ならどうする?
答えは簡単。まだ残っている限度額、二十万から少し下ろして払えばいい。
だが、そうやって払っていれば、もちろん借金は増えていく。
あっという間に、五十万手前まできてしまった。
信治が金を貸して、次の月も、その次の月も、さらに次の月も、克也からの入金はなかった。
それどころか、メールも返ってこない。電話にも出ない。
そうしてさらに三カ月が過ぎた。
「克也‥‥何やってるんだ!?」
信治はダメもとで、もう一度克也に電話をかけたのだった。
「‥おかけになった電話は、現在使われておりません。番号を確認のうえ、もう一度‥‥‥」
それは、東京のどこにいるかもわからない克也に、連絡を取る方法が全くなくなった事を意味していた。
信治はそこで、そこでようやく気付いた。
金の返ってくる可能性が、限りなくゼロに近づいたことを。
「‥‥‥なんでだよ‥‥‥なんでたよ!克也ーー!!」
そして、信治の心の闇は、これを機に、さらに加速して広がることになるのだった。