第三話:命
「なぁ、幽霊って信じるか?」
「さぁ‥いるんじゃないの?わかんねぇけど。見たことないし。」
「もし、目の前に超美人の幽霊が現れたらどうする?」
「どうするって‥ヤっちゃう?誰にもバレないし、子供もできないからヤりほうだい!ってか。」
「お前はすぐそういう方に考えるもんな。マジメにさ。」
「悪かったよ。‥‥美人でも幽霊じゃあな。怖いから逃げちゃうかもな。」
「やっぱ‥そうだよな。そんなもんだよな。」
「何だよいきなり。」
「いや、気にしないでくれ。ちょっと訊いてみたかっただけだから。」
信治と友人の克也は、信治のアパートで遊んでいた。
「信治吸わないんだっけ?」
克也はタバコに火をつける。
「吸えるけど、吸わないの。吸えるのに吸わない。なんかカッコ良くねぇ?」
「‥そうかぁ?ってか吸えねーだろ!」
「吸えるって!」
「じゃあ、吸ってみな。」
克也は自分のタバコを一本取り出し、信治へと渡す。
「‥‥。」
信治はまるで吸い慣れているかのように、タバコをサッとくわえ、ライターを片手でシュッとつけ、もう片方の手で火を囲み、目を閉じ、大きく煙を吸い込んだ。
「ゲホ!ゲホッ!‥ガハッ!オエッ!‥‥ゲホゲホ!‥‥‥‥‥フゥー‥ほら余裕!」
「どこがよ!!」
久しぶりに会った友達とのクダラナイような時間。でもこのクダラナイ時間は、なんでこんなにも楽しいのだろう‥。
山がハデな衣装に衣替えするこの季節。
ついに信治は、外に繰り出されることになった。つまり預金係から、渉外係に変わったのである。
男はやはり外の係にまわされるものらしい。
そのやり方を教えてくれたのは、パチンコも教えてくれた長谷川さんだ。
そして渉外係は、信治、長谷川さん、そして木村係長の三人になる。もともとこの地区は三人で歩いていたらしい。
長谷川さんは見た目に似合わず、とても愛想が良くて客に慕われていた。
木村係長はその上を行くほど慕われている。
仕事も真面目で、金を借りたい客もガンガン見つけ出し、この駅前支店に貢献している。
背が高く、メガネがとても似合う人だ。
でも痩せてる割にかなりの大食いだったりする。しかも早い。
普通に食べているようにしか見えないのに、気づけば信治が半分食べる前に食い終わっていたりする。
いつの間に‥‥う〜ん‥‥不思議だ。
預金係は信治が抜けて三人。
話が好きで誰とでも仲が良い木下さん。
もちろん野田さんとも仲が良い。
野田さんは好き嫌いが激しいと思われる。が、上司にはとても愛想が良い。
それは関係ない感じで、なんだか木村係長と親しげだ。
そして預金係をまとめているのが立花代理。
この人も、良い人で面白い人だが、たまに困る時がある。
「伊藤!倉庫から伝票持ってきてくれ!あれあれ、あのヤツ‥‥‥‥。」
そして何処かへ行ってしまう。
(え!!!?なになに??何の伝票???)
伊藤はチョクチョクそんな感じで、パニックに陥っているのである。
融資係は草野さんと永井次長の二人。
草野さんは補助的な感じで、預金の方も手伝っている。
永井次長はとにかく優しい人で、とにかく甘党だ。ホント糖尿病にならないか心配になる。
草野さんにもよく注意されている。
この二人は親子のように仲が良い。
そして全体を後ろから見守っているのが、柳田支店長。
いつもただ新聞を読んだり、どっかの社長さんと話をしたり‥なんだか楽そうだ。
でもこの支店の最高責任者なんだから、きっと何かと大変なんだろうと思っていたが、
「支店長なんてヒマなもんなんだよ。」
っていつだか言ってた。
(ホントにヒマなんだ‥‥‥。)
なんとなくガッカリ。
でもこうも言っていた。
「支店長は楽そうにしてた方がいいんだ。そしたらみんな支店長になりたい!って頑張るだろ。」
なるほど‥‥確かに‥‥納得した。
さて、外勤になると自分の分は、自分で合わせなきゃならない。
朝持っていったお金、客から預かったお金、本当はダメだが客が払い出したお金、そういうものを合計してもちろん一円でも合わなければ、自分は当然、みんな帰れなくなる。それはマズい。
とはいえ慎重になりすぎると時間がかかり、そんなんじゃ今日行く予定の家や会社は全部は回りきれない。
雨が降っても傘なんかさしてられない。
あー忙しい!!
「忙しいんだって!」
「そうか‥大変そうだな。」
電話越しに克也にグチる信治。
「でも中にいるより気楽なんじゃないか?」
「まぁそうだね‥だいぶね。」
「じゃあいいじゃん。頑張れよ!」
「おう!そっちもな!」
携帯ってヤツは便利だと思う。いつでも聞きたい人の声が聞けるのだから。
「毎度様でーす!風信です!今月から代わりました、私伊藤と申します。」
そう言って名刺を渡すのも、もう慣れたもんだ。
「はぁ!?風信さん!?前の人はどこさか行ったんだか!?」
相手は田子さん。田に子で、『たご』と読むらしい。
だいぶ年配の、おばぁちゃんだ。ここは月に一度、定期積金の入金の為に寄る。
信治はこの日初めて来たのだが‥そういえば係長が、
「田子のおばぁちゃんには、気をつけろよ!」って言っていた。
(こんなおばぁちゃん相手に、何を気をつけろって言ったんだろう??)
とにかく仕事をせねば。
「ではあのぉ‥毎月の入金のヤツを‥」
「まぁまぁ、お茶煎れるから、飲んでけ。あれ若ぇもんだして、コーヒーの方がええがな?」
「いや、お茶でいいです。」
「はいよ。」
と言っておばあちゃんは奥へと消えた。
そして持ってきたのは、コーヒーであった。
「‥‥‥ありがとうございます。」
「おめぇみてぇな若ぇもん見でれば思いだすのぉ‥ワイ達が若い頃はな、食うもんも、着るもんも無ぐてな、こんなコーヒーなんて無がったんだよ。」
「はい‥。」
「あの頃は、真っ白いご飯があるだけで贅沢でなぁ、米粒一つ残すだけでも、そらぁ怒られたんだ。今の若ぇもんはすぐ残して捨てるべ。ワイ達はそういう時代を生きてきたから、絶っ対残さねぇんだ。」
「はい‥‥。」
「今の若ぇもんは恵まれてる。ワイ達が若い頃はな、食うもんも、着るもんも無ぐてな、こんなコーヒーなんて無がったんだよ。」
「はい‥‥‥。」
(あれ?なんか話が堂々巡りしてる??)
「あのぉ、忘れない内に入金しときましょうか。」
「んだのぉ‥昔はこうやって預ける金も無ぐてなぁ、米粒一つ残すだけでも、そらぁ怒られたんだ。今の若ぇもんはすぐ残して捨てるべ。ワイ達はそういう時代を生きてきたから、絶っ対残さねぇんだ。」
(いやいや、待て待て!)
「そうですか、じゃあ入金のお金と証書をお願いします。」
するとおばあちゃんは、ようやくそれを取りに立ち上がった。
(あぶねぇあぶねぇ、危うくバァチャンワールドにハマるとこだった。)
やがて戻ってきたおばあちゃんが一言。
「‥ワイ達が若い頃はな、食うもんも、着るもんも無ぐてな、こんなコーヒーなんて‥‥」
(おーーーーーい!!)
‥‥二時間後。
「おっ、無事帰ってきたな。」
「‥係長が、気をつけろ!って言った意味、わかりました‥。」
「ははは、これからはそういう時に、うまく逃げる方法も考えていかなきゃな。」
この日信治の夢に、あのおばあちゃんが出てきたことは、言うまでもない。
信治はバスに揺られ、とある場所へ向かっていた。
その日仕事は休み。毎週土日が休みなのは、風信の唯一いいところかもしれない。
信治が向かう先は、信治のおじさんの家。そこで妹が世話になっているのだ。
両親が死んで、信治はすぐ仕事に就きアパートを借りたが、まだ学生の妹は、おじさんが面倒を見てくれている。
信治は箱菓子を片手にチャイムを押す。
「はーい!」
と明るい声で出迎えてくれたのは、妹の春奈だった。
「おっ、久しぶりだな!元気か?」
「うん。お兄ちゃんは仕事どう?」
「うん‥‥まぁまぁかな?」
「ふふふ、とりあえず中へどうぞ。」
おじさんの家は、そんなに遠くはない。
だが車を持っていない信治は、なかなか簡単に来る事ができなかった。
いや、本当は妹に会うのが怖かったのかもしれない。お互いどうしても、両親の事を思い出してしまうからだ。
信治の不安はよそに、妹は全然平気そうに見える。優しい妹は気を使って、そう見せているだけかもしれないが‥。
「おじさん、お久しぶりです。」
「おう信治、元気そうだな!」
「はい、おかげさまで。あの、いつも妹がお世話になってます。」
信治は買ってきた箱菓子を手渡した。
「そんなのいいのに、むしろ春奈が家事をしてくれて、助かっっているくらいだからね。今日はどうやってここまで?」
「バスで。」
「そうか‥バスだと大変だろ、金もかかるし‥‥‥‥よし。信治、車を買ってやろう!」
「え!?」
「とは言っても、ローンを組んでやるだけだ。支払いは自分でやりな。それでも良ければだが‥」
「ありがとうございます!助かります!」
おじさんは、春奈の学費も全部払ってくれている。
信治のアパートの敷金礼金、それに必要な家具代だっておじさんが払ってくれた。
信治はもう感謝の気持ちでいっぱいだった。
(いつか僕もお金を貯めて、おじさんのように誰かを助けてやろう。)
そう思っていた。
空から降る雨が、たまに雪に変わるこの季節。
今日は風信の忘年会だ。
美味しいご飯の後は、カラオケ。みんな歌が上手い!本当に上手い!‥‥本当は、草野は、そんなに上手くなかった。
ともあれ大いに盛り上がった。
いつもは怒りっぽい野田も、いつもは無口な支店長も、今日はみんな楽しそうにだった。
「シンちゃんも歌いなよ!」
木下にのせられ、一曲‥。
職場では見れない、みんなの素顔がちょっと見れた気がした。
(思ったより、楽しいもんだな。こういう飲みも。)
信治も楽しんでいたようである。
ある吹雪の夜。
まだ起きていた信治の耳に、『声』が聞こえてきた。
「キャンキャン!ウー‥キャン!キャンキャン!」
悲痛なその『声』は、子犬のものと思われる。
(なんだ?犬どうしのケンカかな?)
そう思っていたが、『声』はやむどころか大きくなるばかり。
信治の脳裏には、昔のある日のことが蘇っていた。
家の近くのゴミ捨て小屋。幼い信治が通り過ぎた時、その『声』は聞こえた。
「ニャー‥‥ニャー‥‥。」
猫だ!でもどこから?
見渡す限り、猫の姿は無い。だが確実に『声』は近くにいるのだ。
その『声』に近付いてみる‥‥‥‥ここだ!
そこにはガムテープがグルグルにまかれた、ダンボール箱が一つ。
まさか‥‥
幼い信治は力を振り絞り、ガムテープを少しずつ、少しずつはがしていった。
ようやくフタを開けられる状態になり、信治はソッと中を覗くと‥
そこには、ニャンとも可愛らしい子猫が一匹!
信治はギュッと抱きしめた。
こんな可愛い猫を、誰が!?何で!?こんな所に、しかもダンボール箱に閉じ込めて‥‥こんなの、殺したようなもんじゃないか!!
幼いながらに、怒りを感じた。
「父さん!母さん!猫が!」
「どうしたの、そんな猫なんか拾ってきて!」
「捨てられてたんだ!」
「うちに猫を飼うような余裕はない!捨ててきなさい!」
「でも‥」
「捨ててきなさい!」
仕方なく信治は、玄関の前に猫を置いた。
「ごめんね。ちゃんと生きるんだぞ。」
「ニャン。」
ワケもわからず置き去りにされた猫。
後でこっそりメシを食わせたが、その後、その猫を見かけることは無かった。
無事に生きたのか、それとも‥‥。
確かに金で救われる命もあるだろう。
テレビでも、貧しい国の子供が、飢えて死んでいく現状を流している。
信治には、子犬を飼って食わしてやる金の余裕なんか無かった。
アパートの部屋に、動物を入れる事すら禁止されている。
だが信治は子犬の元へ向かった。
なぜなら『声』を聞いたからだ。
その『声』は確かにこう言っていた。
『助けて!』と。
「よしよし、もう大丈夫だ。寒かったろ。」
泥まみれで雪の穴から出れなくなっていた子犬。
体は冷え切っていて、ブルブルふるえている。
信治はアパートに連れ帰り、暖かいシャワーで体を洗ってやった。
落ち着いたところでメシを与え、やがて子犬は安心して眠りについたのだった。
(金が無くたって、救える命はあるんだ。父さん、母さん‥あたた達の命は、金が無ければ救われないものだったのですか?)
いつしか信治も眠りについていた。
ドンドンドン!!というドアを激しく叩く音で、信治は目を覚ました。
「伊藤さん!います!?」
この声は‥大家さんだ!
「ワンワンワン!」
子犬は元気に鳴いている。
(‥‥やばい!)
状況を理解した信治。
子犬に
「しーっ。」って言っても、
「ワンワン、キャンキャン。」とまらない。
仕方ない。腹をくくって玄関のドアを開けた。
「伊藤さん!アパートで動物を飼えないことは、お話しましたよね!」
「あー、こいつは昨日雪に埋まってて、助けてやったんですよ。ひとまず部屋に入れましたけど、飼うつもりは‥」
「じゃあ今すぐ追い出しなさい!」
「ちょっ、待って下さいよ!せめて飼い主が見つかるまで、置いといたらダメですか?」
「そういうのを一つ許すと、他の人がマネするでしょ!ダメです!」
「‥じゃあせめて今日一日だけでも。」
「ダメです!ペットが欲しいなら、アパートを出て行きなさい!」
「いや、別に僕はペットが欲しいワケじゃなくて、とにかくこいつを助けてやりたいだけなんです。」
「なら金を貯めて家でも買うのね!犬を追い出すのがイヤなら、あなたが出て行けばいいわ!」
「わかっ‥」
信治が言いかけたとき、子犬は急に走り出すと、そのまま開いていた玄関から出て行ってしまった。
「あっ‥!」
まだ名前も決めていなかった子犬の名も呼べず、もう姿が見えない玄関先で、信治は立ち尽くした。
「‥‥もしあいつが死んだら、俺はあなたを一生恨みますよ!」
大家さんを睨みつけ、子犬を探しに走った。
でも子犬は見つからず、一週間待ったが、結局それから姿を見ることは無かった。
いつかよく来ていた浜辺。あの時より海が寂しそうに見えるのは、冬のせいだろうか。それとも七海がいないからだろうか‥。
「ちくしょう‥‥ちくしょう!!結局金が無ければダメなのか!?小さな命も救えないっていうのかよ!!」
防波堤の壁を殴っても、残るのは手の痛みと、虚しさだけだった。