第二話:恋
3ヶ月が経ち、信治もすっかり信金マンの仲間入りだ。
「伊藤君、そこはそうじゃなくて‥そうそうそう!うまいじゃん。」
あれから草野さんは、さらに親しげに話してくれるようになった気がした。
「伊藤君!何回言ったらわかるの!?そうじゃないでしょ!?ちゃんとやってよね!」
あれから野田さんは、さらに冷たく接してくるようになった気がする‥。
(人はそれぞれだ。気が合う人もいれば合わない人もいるさ。)
信治はそう割り切って考えていた。
だが本当は、出会う人すべてと仲良くなりたいと思っている。
世の中そうそう、思うようにいかないものである。
そんなある日、信治は中学時代の同級生の男と再会した。
一人暮らししている事を話すと、
「じゃあ今度遊びに行ってもいい?」
って言うから、
「いいよ。」
と笑顔で返した。
が、信治はその同級生の事を好きではなかった。別に大嫌いなワケではないのだが‥例えば大事にしていた物を貸して、いつまで経っても返ってこなかったり。例えば遊ぶ予定をしていたのを、直前になって断ったり。
悪いヤツだとは思わないが、好きになれない。
こういう人はけっこういるものである。
この日だって、一人で遊びに来ると思っていたのに、知らない男女5人も連れて来やがった。
「‥どうぞ。」
しぶしぶだが今更断るワケにもいかず‥。
「っていうかさー、アケミまじありえなくねー?」
「アケミは駄目だよ。空気読めよ!って言いたくなる。」
「ほんとバカだよね、アケミ。」
(アケミって‥‥誰!?)
さっぱり話についていけない信治。しかも気付けば男女三対三に分かれている。
もちろん信治は余り‥。
(完全に場所が欲しいだけでここ来やがったな!)
だんだんイライラしてきた信治。そんな事はお構いなしに、周りは酔いが進んでバカみたいに盛り上がっていた。
「昨日パチンコでやたらハマったから、ガラスのドア蹴っ飛ばして割ってやったよ!」
「マジ!?カッコいい!」
(‥ただの八つ当たりじゃん。)
「私、九九全部覚えてるよ!」
「俺なんて分数のわり算できるもんね!」
(‥だからどうした!???)
信治の苛立ちは膨らむばかり。
そんな中信治の同級生、久保はかわいい女の子と二人きりで、こんな話をしていた。
「私の両親ね‥自殺したの。」
「どうして?」
「わかんない‥。」
泣き崩れる女の子に久保は、
「わかる。わかるよ、その気持ち。」
そう言って抱きしめたのであった。
信治は、そっとアパートを出た。
近くの浜辺までやってくると、大きめの岩に腰をかけた。
夏の夜の波の音は、なぜこんなに心地よく胸に響くのだろう‥。
なんだか泣きたくなった信治は、波に向かって大声で叫んだ!
「両親が健在のテメーに、何がわかるってんだよ!!この苦しみが、この悲しみが、テメーなんかにわかってたまるかよ!!何でもわかったフリしてんじゃねーよ!!」
ハァハァと息を切らし、海が運ぶ少しだけ冷たい風を吸い込んだ。
「すっきりした?」
突然の女性の声に、信治は驚いた。
「え!?あっ‥聞いてました?」
酔いも一気にとんで、信治は自分の顔が赤くなっていくのを感じた。
「聞こえてたよ。でもいいじゃん!私もたまに叫びたくなる時、ここに来るんだ。ホントに叫んだことはないけどね。」
彼女はそう言って笑った。
パーマをかけた長い髪は、赤茶色に染めてあり、とても似合っている。また大きな目が印象的な、とても美しい人だ。
年上の、大人の女性といった雰囲気がある。その笑顔に、信治は一瞬心を奪われていた。
「君、ここらじゃ見ない顔ね。」
「最近、近くのアパート借りて来たばかりなんです。」
「仕事で?」
「うん。風信です。」
「へぇー、銀行マンなんだ!すごいじゃん!」
「いや、すごくないですよ。誰でも入れるようなとこだし、給料低いし。」
「ふぅーん。でも私そこ使ってたなぁ。」
「今は使ってないんですか?」
「うん、もう使ってないんだ‥‥私、七海よ。君は?」
「僕は信治です。伊藤信治。」
「私昼は出れないんだけど、夜はよくここにいるから、たまに会いにきてね。」
「はい。よろこんで。」
七海はまた、優しい笑顔を見せてどこかへ帰っていった。
信治はそのまま、しばらく海を眺めていた。
「七海、さんかぁ‥。」
はっ!と気付くと、朝になっていた。
そのまま海辺で寝てしまったらしい。
「うーん‥何時だろ?」時計を見ると、針はもう十時半を回っていた。
フラフラ〜っとアパートに戻る、そこにはもう誰もいなかった。
「‥にしても、きたねぇなぁ‥。」
部屋は飲んで騒いで散らかったままだ。
「少しは片付けてから帰ろ!ってんだ。」
もう二度とアイツとは遊んでやらん!信治は堅く心に決めたのであった。
「い、いいらい、いらっさいあせ!」
(やべ!またやっちった‥。)
信治のカミ癖は治らない。
「ねぇ、恥ずかしいから変な挨拶やめてくんない!?」
野田が軽くにらみながらだめ押しの一言。
「‥‥。」
返す言葉もない‥。
仕事が終わり、信治は一人アパートでムシャクシャしていた。
「わかってるさ!僕だってうまく言おうと思ってるよ!それができないから悩んでんのに!」
(はぁーあ‥‥‥海でも見に行くかな。)
ザーン‥‥ザザーン‥‥
海は人の心情に似ている。
波一つ無く穏やかな時もあれば、激しく荒れ狂う時もある。
普段、信治の心は凪の時が多いのだが、今日は時化ていた。
「なに寂しそうな顔してんのよ。」
「七海さん!」
信治の暗かった顔に、急に光が差した。
「なんかあったの?」
七海はそう言って、信治のすぐ隣に腰掛けた。
信治は、なんだかドキドキしてしまっていた。
「うん‥職場で、僕を嫌っているような人がいるんだけど、ちょっと怒られてさ。はぁ‥どうも合わないんだよなぁ、怒らせるつもりはないんだけどなぁ。」
「どんな仕事をしても、合わない人っているんだよねぇ。むしろいない職場の方が珍しいと思うよ。」
「そんなもんですかね。」
「そんなもんよ。ちなみに、何して怒られたの?」
「‥ちょっと恥ずかしいんですけど、どうしても客にする挨拶がうまくできなくて。咬んじゃったり、詰まっちゃったり‥で、止めて!って怒られた。止めようとして止めれるなら止めてるっつうの!ってね。」
「それで、行き場のないようなイライラに襲われてるってわけね。」
「そうなんですよ。どうしたら直りますかね。」
「うーん‥普段はこうやって普通に話せてるんだから、やっぱ緊張してるんじゃないかしら。変に良いとこ見せようとすると、体が強張って逆に失敗する事ってよくあるのよね。そんなときは、深呼吸をする。」
「深呼吸ですか。」
「息を思い切り吸って!」
「スゥー‥」
「吐く!」
「フゥー。」
「落ち着くでしょ。」
「‥でも職場で出来るかなぁ?」
「その苦手な人がいるから、さらに緊張するんでしょ。」
「はい‥。」
「そういう人は、自分にプラスの人間だと思い込んじゃうのよ!」
「自分にプラス?」
「そう!今日はこの人に絶対怒られないように仕事をするぞ!とか、この人が言ってくれるから自分がドンドン成長できるんだ!とか、いつか仕事でコイツを見返してやる!とかってね。嫌いだ合わない一緒に仕事したくない、って思ってると、なんかやる気も無くなっちゃうでしょ。だから無理やりでもいいから良い方向に考えちゃうの。意外とコレ、効果あるのよ。」
「なんか、詳しいですね。」
「私も昔は苦労したもん。」
「なんか‥苦労してたように見えないッスね。」
「あら、それは良い意味かしら?若い時は苦労した方がいいのよ。信治君も、今の内にいっぱい苦労しときなさい。そうやって人は成長するんだから。」
少し年上のお姉さんというより、一回り年上の先生と話しているようだった。
(先生に恋する生徒って、こんな気持ちなのかな?)
学生の頃は理解できなかったその感情は、今なら少しはわかる気がした。
(っていうか、これが恋ってやつなのかな?恋‥‥恋かぁ‥‥いいもんだな、恋って。)
信治は、心の闇に光が差すのを感じた。不安で真っ暗な未来に、その光が道を示してくれているようだった。
(そうだ!そうだよ!金より大事なもの、あるじゃないか!金でこの気持ちは買えまい!金なんかより、恋心の方が大切だ!金なんかより、七海さんの方が必要なんだ!)
信治はもう、自信満々でそう確信したのであった。
次の日、信治はまた海辺へとやってきた。
「こんばんわ、信治君。」
振り返ると、また優しい顔の七海がいた。
「こんばんわ!七海さんのおかげで、今日はバッチリ挨拶できましたよ!それにすごく気楽になりました!ありがとうございます!」
「そんな大げさな。私はただ思ったことを言っただけよ。」
「いや、あなたは僕の恩人です!先生です!神様です!」
「アハハ、大げさすぎるわよ。でも、うまくいって良かったわね。」
「うん。‥七海さんいつもこんな時間に外にいて、心配されないんですか?親とか‥彼氏とかに。」
「親はいないの。彼氏はいるけどね。」
「ふーん‥。」
「なんてウソ!彼氏もいません!あっ、今残念そうな顔したでしょ。」
「ううん、してないしてないよ。」
「今度は嬉しそうな顔してるし。」
「してないったらしてないの!」
信治の心は、七海にはお見通しのようだった。
「見て!すごい星きれいだよ!」
「ホントだ!すごいや!」
二人は寝っ転がって夜空を見上げた。
そこには満点の星空が広がっていた。
「都会の人に唯一自慢できると言えるのは、僕はこの星空だと思うんだ。」
「‥‥ねぇ、死んだ人の魂ってどこに行くと思う?星になるって話もあるけど。」
「‥そうかもしれない。死んだ人は星になって空から僕らを見守るんだ。僕らも空を見上げては、その人を事を思い出す。そしていつか流れ星になって、また地上に戻って人生を歩むんだ。」
「素敵ね。私もいつか‥星になれるのかなぁ。」
「七海さんがもし死んだら、きっと他のどんな星よりも綺麗で、明るくて、輝く星になるよ!きっと。」
「‥そうだといいね。」
二人はしばらくの間、無言のまま寝そべっていた。
海のにおい。
波の音。
頬をなでる柔らかな風。
そして満点の星空。
これが金が無くてもできる、最高の贅沢なのかもしれない。
「いらっしゃいませー!」
明るい信治の声が響く。
「伊藤ちゃん、今日もいつもの、お願いね。」
毎日来るこの客は、土木会社の事務のオバチャンだ。
毎日信治のとこに入金のお金を持ってきては、毎日信治の手を握る。ギューッと握る。
「あのオバチャン若い男に目がないから、気をつけろよ!」
と代理は言うけれども、いったい何をどう気をつければいいものか‥うーん‥‥。
その日仕事が終わったのは、夕方6時過ぎ。
だんだんと帰る時間が遅くなってきた今日この頃。
珍しく渉外係の長谷川さんが、早くに仕事が片付いたようで、
「シンちゃん!打ち行くか!」
と誘ってきた。
「内??」
「パチンコだよ!やったことねーな。教えてやるから!」
「あ、はい。」
流れで了解してしまった信治。正直パチンコに興味はなかったのだが、初めて誘ってもらって嬉しかったのも事実だ。長谷川さんは体格のいい男の人で、信金さんというより、プロレスラーに見える。
近くにある、ホントに本当に小さくてボロいパチンコ屋に入ると、ジャラジャラと騒がしい音に一瞬怯みそうになる。
長谷川はパチンコではなくスロットの台に座った。もちろん信治はその隣。
「いいか、このリールに7を狙って打ってみな。」
「はい。」
(7、7、7、7‥‥。)
ビシッと止めたが7なんかどこにもない。
「‥難しいッスね。」
「慣れれば簡単だよ。いいか、目押しはリズムで押すんだ。7、7、7!」
長谷川が押すと、ちゃんと7が止まる。
「ほらな。」
信治も狙うが‥うまくいかない。
そんな感じで二時間後。
なんだかわからないが勝った信治。
「初めはビギナーズラックってヤツで勝つんだよ。本当に。また今度な。」
そう言って長谷川は帰っていった。
「よくわかんないけど‥六千円勝った‥‥‥やったー!!」
信治にとっての六千円プラスは、とても大きなものだった。
いつものように海岸へやって来た信治。
「今日は遅かったのね。」
いつものように七海は急に現れた。
「今日初めてパチンコやってきたよ。んで、なんと六千円も勝っちゃいました!!」
自慢げな信治に対し、
「たったの六千円?」
と冷ややかな七海。
「僕にとっちゃ大きいの!」
「ふーん‥でもあんまり行かない方がいいよ。癖になると止められなくなるから。」
「はいよ。もうしばらく行く気もないし。」
その時はまだ、軽い気持ちでそう答えていた。
本当に止められなくなる自分を、想像もできていなかったのである。
なんでもないような会話を、毎日交わした。
それはいつしか信治の日課になっていた。
何をするでもなく、ただ話をするだけなのに、なぜ飽きないのだろう。楽しいのだろう。やはりそれが恋というヤツなのか。
とにかく信治は、毎日のその時間が楽しみだった。
「伊藤ちゃん。今日もお願いね。」
いつものオバチャンにいつものように手を握られ、それも仕事だと張り切る信治。
だがこの日、信治は耳を疑うようなことを聞いてしまう。
「あー、伊藤ちゃん。今日はちょっと急いでね。」
「はい。あれ、なんかあるんですか?」
「今日一周忌なのよ。近所の娘さんの。なんていったっけ‥‥そうそう、七海ちゃんよ!」
「七海‥。」
信治の鼓動が一気に高まった。
「すごい美人でね、愛想も良くて。私も昔から知ってるもんだから‥まさかこんな早くに亡くなるとはねぇ。」
「その人って、何歳位ですか?」
「そうねぇ‥伊藤ちゃんより少し上の‥25、6じゃないかしら。」
まさか‥
信治は思った。
(まさか、そんなハズはないよな。だって昨日まで会って話してたんだもの。同じ名前の人なんてこの世にはいっぱいいるワケだし‥。)
それでも不安は頭を離れない。
嫌な予感が胸にうずくまっている。
確かめなければ!
いつもの時間、いつもの場所。
いつものように後ろから七海の声がした。
「こんばんわ!今日も来たね。」
信治はいつものようには振り向かず、こう言った。
「七海さん‥‥七海さんって、なんで夜にしか出て来れないんですか?」
「それは‥親が夜に仕事に行くからよ。」
「親はいないって、前に言ってませんでしたか?」
「‥ゴメン、ウソウソ。本当は仕事で‥」
「ホントに本当のこと、言って下さいよ!」
「‥‥‥子供がいたの。」
「子供?」
「道路の真ん中にね、子供がいたの。」
「‥。」
「車が来て、子供は気付いていなくて、私が助けた。」
「‥それで?」
「‥子供は助かったけど、私は‥跳ねられて‥‥‥。」
「‥。」
「去年のちょうどこの日。‥‥私は‥‥‥‥死んだの‥‥。」
後ろを見なくても、七海が泣いているのがわかった。
それでも信治は振り向かなかった。
「‥僕は、七海さんが、好きだった‥‥。付き合えなくても、一緒にいるだけで幸せだった‥‥。ほんの少し、将来一緒にいられたらとか、そんなことを考えたりもした‥‥。でも、もうそんな気持ちはない。‥‥なんで僕の前に現れた?一人であの世に行くのが寂しかったから?僕を道連れにしようとして?‥‥ふざけんなよ!やっと気の合う人と巡り会えたと思ったのに!幽霊だったなんて!バカみてーだな、俺。」
「違うの!聞いて、私‥」
「初めて人を好きになった。初めて恋ってヤツを感じた気がしたけど‥気のせいだった。欲の無い君に、形の無い恋心を抱いた‥どちらも幻だった。だってもう‥‥怖くて‥‥震えるんだ。もう君を好きとか、そんなことは考えられないんだ。‥‥消えてくれ。早く‥今すぐ消えろよ!!」
言って後悔した。そんなことを言うつもりじゃなかった。
やっと後ろを向いたとき、七海はもう、いなかった‥
「うう‥あああああぁ‥!」
信治はその場に泣き崩れた。ただただ、泣くしかなかった‥。
恋は幻‥そんなんじゃない。そんなんじゃないと、信じたかった‥。