第十話:終わり
「父さん!母さん!待ってよ!」
信治の行く道の先を、信治の父と母が歩いている。
信治は必死について行こうとするのだが、なぜか二人は待ってはくれない。
それどころか、置いていこうとするのだ。
「ねぇ!待ってってば!」
信治は走った。が、一向に追いつけそうにない。
急に、誰かが信治の手をとった。
その手は、細く白く美しく、そして暖かい手だった。その手に導かれるまま、信治は両親とは別の道を進んだのである‥‥‥。
「目が覚めたか。」
「‥‥係長。僕は‥‥。」
「助かったんだよ!良かったな!心配したんだぞ!」
信治は病院のベッドの上にいた。
木村はその横のイスに座っている。
信治はようやく状況を理解できた。
「そうか‥助かっちゃったのか‥。せっかく覚悟を決めて、飛び降りたっていうのに‥。」
「信治!おまえまだそんなことを言ってるのか!おまえを助ける為にどれだけの人が頑張ったと思ってる。おまえをどれだけの人が心配していると思ってるんだ。少しは感謝しろ!ちっとは喜べ!」
「だって‥嬉しくても、悲しくても、もう涙が出ないんです。僕の涙は枯れてしまった。きっと、心が死んでしまったんです。」
「‥いいか信治。涙が枯れるなんてことは無い!生きているなら、涙は絶対枯れない!おまえの涙も、まだ枯れちゃいないよ。」
「‥また生きなきゃならないのか‥メンドクサイな。」
「まぁた!メンドクサイとかいうし。メンドーなのはしょうがない。でもな‥そうだな、例えるなら‥車を運転していて、右折か左折しなきゃいけないとしよう。本当は右折したいんだけど、車がやたら来るからなかなかできない。メンドーだから左折してしまえ!となることもある。だけど、どうしても右折しなきゃならないときもある。どんなにメンドーでもだ。今のおまえは、右折しなきゃならないときだと思うんだ。」
「‥。」
「俺はちょっと用があるから、一旦帰るな。冷蔵庫に、適当に飲み物とイチゴが入ってるから、食べるといいよ。」
「‥ありがとうございます。」
「あと、命も体も問題ないけど、安静にしとかないといけないらしいから、ゆっくり休め。体も、心もな。」
木村はそう言って出ていった。
信治はベッドから起き上がり、立とうとした、が。
「うわっ、ダメだ‥めまいがする‥。」
すぐにベッドに座ってしまった。
木村が買ってきた、イチゴ一パックを完食した信治。
「‥‥‥‥‥‥ヒマだ。」
特にする事もなく、ボー‥っとしていた。
コンコン!
ドアをたたく音がして、ガチャっとドアが開いた。
「おう、伊藤君。大丈夫か?」
柳田支店長だった。
「あっ、支店長‥すいません。迷惑をかけて‥。」
「別に迷惑ではないさ。ほら、イチゴ買ってきたからな。」
「イチゴっすか‥。」
「早く回復して復帰してくれないと、支店は人数が少ないんだから。頼むよ!」
柳田は信治の肩を、ポンと叩いて帰っていった。
「‥‥復帰なんて、できるわけないじゃん‥。」
あまりにも普通の態度に、信治は戸惑っていた。
しばらくして、コンコン!またノックがした。
今度は、永井次長と、草野だった。
「伊藤君大丈夫!?」
「なんだか、大変な目にあったようだな。」
「ええ‥まぁ‥。」
「まったく、夜中に海で何やってたんだか。」
「女とでも、会ってたんじゃないの?」
「いや‥違いますよ。」
「のど乾いたな。信治、適当にもらうよ。」
「ああ、どうぞどうぞ。」
「また!次長甘いの選んで!」
「だって好きなんだもん。」
「病気になっちゃいますよ!」
この二人は、ホントに親子のようだ。
聞けばたまたま病院で会ったらしい‥どこまで気が合うんだか。
さらには、お見舞いに持ってきたものまで一緒だった。
「はいイチゴ。」
「なに、草野もか!ほら、イチゴ。」
「イチゴ‥。」
なんだか賑やかな二人。やがて帰っていった。
「‥でもやっぱおかしいな。自殺しようとした事まで、誰も知らないみたいだ‥‥係長が帰ってきたら訊いてみよ。」
自殺はともかく、定期を盗んだのはみんな知っているハズ‥そう思っていたが、なにか違うようであった。
次に来たのは立花代理。
「久しぶりだな、伊藤!元気だったか!?いや元気じゃないからここにいるのか。」
「代理は相変わらず元気そうですね。」
「あったりまえだ!俺はウジウジしてるのが嫌いなんだ。いつでも元気さ!今日はたまたま近く通ったから、ちょっと寄ってみた。ほら、田中商店の美味しいイチゴ買ってきてやったぞ!」
田中商店と病院は、距離的にけっこう離れている。
(また意味わかんないようなこと言ってる‥。)
信治はそう思ったが、素直にうれしい気持ちはあった。
「じゃあ帰るからな!なんか困ったことがあったら電話しろよ!」
と、立花も帰っていった。
その次に来たのは、ショッピングモールで働いている加藤だ。
「イチゴ買ってきたよぉ!」
(またイチゴ‥。)
「あれ?嫌いだった?」
「いいえ!そういうワケでは‥でも加藤さんが見舞いに来てくれるなんて‥ありがとうございます。」
「いいのよ!伊藤さんが海に落ちて大変だ!って聞いたもんで。いつかのお礼も兼ねてね。」
「お礼?」
「ほら、アドバイスくれたじゃない。空を見ろ!って。」
「ああ、はいはい。」
「あれね、意外と効果あるのよ。こんな時こそ空を見ればいいわ。」
「でも‥この窓から上見ても、建物しか見えないんすよね‥。」
「あら‥‥じゃあ代わりの、プラス思考になれる方法を教えてあげるわ!まずね、人は弱気になっちゃいけないのよ。無理やりでも前向きに考えないと。そのためには、ちくしょう!負けるか!ふざけんな!って気持ちを、常に持っておくこと。これが私のめげない方法よ。」
「はぁ‥。」
「なんか暗い顔してるから。どうせ彼女にでもフられたんだろうけど、そんなの、伊藤さんらしくないわよ。じゃね。」
加藤はササッと帰ってしまった。
「負けるか‥ってか。」
だが加藤が残した言葉は、信治の胸の中に確かに何かを残していったのだった。
コンコン!
「はーい。」
扉を開けて入ってきたのは、ガソリンスタンドの事務の川岸だった。
(げっ!なんで川岸さんが‥???)
「伊藤さん!何やってるの!もう、伊藤さんが来れなくなったら誰が両替とかしてくれるのよ!」
「す、すいません。」
「まったく‥‥こうやって文句言える相手がいないと、つまんないのよね。早く良くなって仕事なに戻るのよ。」
川岸はそれだけ言って帰っていった。
お見舞い品も、ちゃんと置いていってくれたのだった。
(げっ‥やっぱりイチゴだ‥‥‥でも、川岸さんって‥意外といい人かも‥‥‥。)
コンコン!
「はいはーい!」
「シンちゃん生きてるか!?」
「あっ、あの‥大丈夫ですか?」
それは木下と川村のコンビだった。
(また賑やかそうなのが来たなぁ‥。)
「伊藤さんに、イチゴ、買ってきたんです。良かったら食べて下さい。」
「イ、チ、ゴ!?」
信治の意外な反応に川村はビックリ!!
「あああああゴメンナサイ!イチゴ嫌いでしたか?」
「いや、いやいやいや、ゴメンゴメン。今ちょっとイチゴ恐怖症でさ‥ありがとう。あとで頂くよ。」
「良かったです。」
今度は満面の笑みの川村。
「ホント優奈ちゃんはわかりやすいなぁ‥ほら、訊いとけ訊いとけ。」
木下が、なにやら余計なアドバイスをしている。
「あっ、あの‥。」
「なっ、なんでしょう‥。」
「伊藤さんの体調が心配なんで、メールアドレスとか教えてもらってもいいでしょうか。」
「‥‥うーん、いいんだけどさ。ほら、僕海に落ちたもんで、ケイタイ壊れちゃったんだよね‥。」
ガーン!!
川村はガックリ肩を落とした。
「‥よし、じゃあ今度ケイタイ買ったら、真っ先に川村さんに番号教えるから!」
「ホントですか!?ありがとうございます!」
満面の笑みの川村。
(ホント、わかりやすい人だわ‥‥。)
それは、さすがの木下も呆れる程だった。
やがて二人も帰っていった。
夕方。いつの間にか、冷蔵庫の中はイチゴでいっぱい!冷蔵庫の上までイチゴだらけになっていた。
「‥にしても、もうちょっとバリエーション増やせよな!全部イチゴってどーゆーこと!?」
信治もついついツッコんでしまった。
コンコン!
「入るぞ。」
そう言って木村が帰ってきた。
「どうした?変な顔して。」
「だって、見てくださいよ。イチゴ、イチゴ、イチゴ。みんなイチゴしか持ってこないんですよ?」
「ハハハ、でも良かったな。」
「何がですか?」
「信治、表情が明るくなったよ。」
「あっ‥。」
信治も自分で気付かないうちに、暗い気持ちが消えていることに気付いた。
「ここにあるイチゴの数だけ、信治を心配して来てくれた人がいたってことだ。きっと、誰も金なんか関係なしに来たんだろうな。」
「‥。」
「信治。ホントは自分でも気付いているんじゃないか?金より大切なものなんて、世の中いっぱいあるんだって!」
「‥。」
「用があるって言って出て行ったが、実はある人を迎えに行ってたんだ。」
「‥誰ですか?」
「どうしても信治に会いたいって‥その人にだけは、信治がしたこと、本当のことを全部話してあるからな‥。佐藤さん、どうぞ!」
ドクン!
急に鼓動が高まった。
その瞬間、信治は全てがスローモーションに見えた。ゆっくりドアが開き、その人の姿が見えた。
そこには、信治が本当のおばぁちゃんのように慕っていた、佐藤がいた。
佐藤はいつものような笑顔ではなかった。
だが、定期を盗まれ怒っている顔でもなかった。
「シンちゃん!」
佐藤はヨレヨレの足でかけよってきた。
そして信治を、ギュッと、強く抱きしめたのだった。
「ばぁ‥ちゃん‥ゴメン‥!ゴメンナサイ‥!ううう‥本当にゴメンナサイ‥‥!ううっああああ!ばぁちゃん!わああああああああああああああ!!」
信治は泣いた。
全身をふるわせて泣いた。
いままで貯めていた分を一気に解放したかのように、いつまでも泣き続けた。
「‥ほらな信治。涙は枯れていなかっただろ?心は死んでいなかっただろ?なら生きなきゃな!どんなにメンドーでも、いくら辛くても、生きなきゃな!信治!」
「‥‥は‥‥うっうっ‥はい‥‥。」
その後、信治は風信を辞めた。
周りは許してくれたが、信治の中では許されないことだった。
今信治は、割と給料が高いバイトを見つけ、働いている。
風信は辞めたが、川村は信治と連絡を取り合っている。
時期、付き合うことになりそうだ。
佐藤は、一千万の金は信治にあげたのだと言い張った。いくら信治が返すと言っても聞かない。いつしか信治も、しぶしぶ承諾するようになっていた。
代わりと言ってはなんだが、信治は今、佐藤と一緒に暮らしている‥。
夜の浜辺で仰向けになり、信治は空を見ていた。
星がキレイな夜だ。
「七海さん‥あのとき僕の手をひいて助けてくれたのは、あなたですよね。初めて七海さんに触れました。暖かい手だった。ありがとう‥‥。金より大切なもの、見つかりましたよ。言葉じゃうまく言えないけど‥それは確かにあった‥。僕は借金だらけで、これからも金に苦しむと思う‥‥。でも、負けない‥。金なんかに、絶対負けないからな!!」
そこに、七海の姿は無い。
でも代わりに、空には他のどの星よりも輝く、一番星がいた。
それは、静かに、優しく、信治を見つめているような気がした‥。
『金より大切なもの』それは結局なんなのか。答えは人それぞれ違うだろう。
数ある答えの中に、『愛』もあると私は思う。
そうではない!
金が一番だ!
と言う人もいるかもしれない
では、例え話をしよう
もし、あなたの子供が産まれたとして
あなたにソックリな、メチャクチャかわいい子供が産まれたとして
あなたがその子の人生の道を、次の二つから選ぶとしたら
(1)お金にはかなり恵まれるが、人に愛されない人生
(2)お金にとても苦労するが、たくさんの人に愛される人生
あなたはどちらを選びますか?
あなたにとっての『金より大切なもの』は何ですか?
ご意見をお待ちしております。