認めたくない物語だってある
その日は朝にみほみーが来ることがなかった。
そのことは別におかしいなことでもない。みほみーとて朝に毎日来るわけでもないのだ。あぁ、今日は来ない日なんだなという程度である。
ふわりと風が肌を撫でる。視線を向ければ開けていた窓から入った風でカーテンが揺れていた。いつもなら何ら気にも留めない些細なことなのにどうしてこんなに気になるのだろうか。
「なんか……嫌な予感がする……」
風と一緒に窓から入って来た運動部の声が妙に耳に残った。
そんな日の昼休みのことだ。いつものように図書委員の業務を終えた後、教室に戻るべく龍也と廊下を歩いていた。ただ、そんな中話題になったのは今日は姿を見せなかったみほみーのことである。
「今日はみほみー来なかったな」
「うーん、朝もいなかったんだよねぇ……クラスではどうだったのさ?」
「んー、普通だったようなそうじゃなかったような?
仲良さそうにクラスの女子と話してたけどなぁー」
「ふむ、そうか」
龍也の言葉にじゃあそういうことなんだろうと詠深は納得する。単純に友達と過ごしていたのだろう。
友情と恋愛という青春を送っているみほみーはとても忙しいようだ。特に気にも止めずにその時は納得したのだ。
しかし、そう結論付けて数日がたった。
あれからみほみーが図書室に訪れることは無い。そして詠深はみほみーと学校ですれ違うこともなく会えずにいる。これはもうあからさまに何かあるだろうと思う。まさかあの最後にあった日の説教が原因かとも思うが別れ際は普通だったのだ、それはないと思いたい。ならば考えられるもう一つの原因は岡本くんに決まっている。
そもそもみほみーが図書室に来ていた理由は岡本くんを見るためなのだ。それが図書室に来ないとなると岡本くんと何かあったに決まっている。
まさか、振られたのだろうか? ふとした考えが胸をよぎる。
うーん、ありえるのか? いや、でも何かあったとすればそれが一番に思い浮かんでしまうというものだ。
「まぁ、気になるのなら聞きに行くだけだけどね」
ニヤリと笑みを浮かべカウンターに座りながら詠深は呟く。開けられたままの窓から風が入り、朝の図書室の空気を揺らした。
『キーンコーンカーン「――スパーンッッ!!」』
お昼を知らせるチャイムと同時にそれは起こった。一つの教室の扉が勢いよく開け放たれたのだ。たった今授業を終えたクラスの人間は驚いて扉を開けただろう人物に視線を向ける。
そこにいるのは他クラスの生徒だ。しかし何故授業は今終わったばかりなのにここにいることができるのだろうか、と多くのものが疑問に思った。
そんな中、迷惑にも思える勢いで扉を開けた本人である詠深は目的の人物を見つけた瞬間、ニヤリと口元に笑みを浮かべた。
「やっほーみほみー、お久しぶりですなぁ~」
「よ、詠深……?」
ひらひらと手を振ればみほみーは驚いたように名前を呟いている。一体何を驚いているのか不明だがとりあえず構わずにみほみーのそばに歩いていく。
「ということでみほみー行こっか、あっお昼ご飯も忘れずに持ってきてね」
「ちょっと行くってどこによ!?」
逃がさないためにバッチリ手をつかんで言えばみほみーから戸惑ったような声が返ってくる。ちらりと視線をずらせば龍也がこちらに向かって来ているのが見える。その表情がにやついているのがどうにも腹立たしい。あの野郎完全に面白がってやがる。しかもどうせこのままついてくるのだろう。
もう一度視線をみほみーに向けたのと龍也が隣に並んだのはほぼ同時だった。
「行くってそんなの――」
「「図書室に決まってるじゃん」」
龍也と言葉がハモったことにか、それともその言葉の意味にかどちらが原因かわからないが頬をひきつらせたみほみーに詠深は更に笑みを深めてやった。
■□■□■
「さてさて、何があったのか理由を聞こうじゃないですか」
図書室にある作業室にみほみーをご招待する。みほみーはといえば無理矢理連れてきたからかどこか拗ねたような表情をしている。そんな姿も可愛いのだから美人な人とは罪なものだ。これではこちらも強く言えなくなってしまう、かもしれないではないか。
「それでよみほみー、一体どうゆうわけで最近図書室に来なかったのさ、何かあったの?」
「別になにもないわよ」
昼食のパンをかじりながら聞けばなんともそっけない返事が返ってくる。隣では龍也もいつものように美味しそうな弁当を食べている。みほみーはといえば手付かずの状態だ。いらないのだろうか? そんなどうでもいいことを頭の片隅で考える。そのことに気づいたのかみほみーが訝しむような目で見てくる。いかん、どうやら弁当を見すぎたようだ。
こほんとわざとらしく咳をして改めてみほみーに向き合う。何も無い訳がないのだ。何かあるからこうしておかしいと思い違和感が生まれている。
「みほみー、私はみほみーとはお友達だと思ってるのだよ。だから何ていうの……お力になりたいわけさ」
「まっ話して損はないと思うぜ。気持ちとしても楽になるもんさ」
もごもごと弁当のおかずを食べながら龍也も詠深の言葉をフォローするようにみほみーに伝える。詠深はまっすぐとみほみーへと視線を注ぐ。
その視線にやられたのかそれまで澄ましていたようなみほみーの表情がくしゃりと崩れる。すねているような痛みを耐えているようなとても複雑な表情だ。
「もう、だめなの……」
「何が、何がだめなのさみほみー?」
ゆっくりと問いかければ、みほみーも何があったのかを少しずつこぼしていってくれた。
「あの日、帰りに見たのよ」
「あの日? もしかして3日前のこと?」
みほみーと放課後最後に話した日を言えば合っていたのかみほみーはゆっくりと頷く。ということはつまり自分とみほみーが別れてすぐのことだ。
「見たって……何を見たのさ、みほみー」
促すように問いかければきゅっと閉じていた口をみほみーはゆっくりと開く。
「他校の女の子と一緒に帰ってるところよ。仲も良さそうで……あんなの彼女に決まってるじゃない!」
感情をぶつけてくるような叫びはあまりにも悲痛なものだ。恋愛をする中で傷つく人を今、目のあたりにして、こちらまでも胸に痛みを感じたような気がした。
しかし、岡本くんに彼女がいると言うのは本当だろうか。いや、みほみーが見たという事実を疑っているわけではない。ただ、自分の中で岡本くんに彼女がいるということ自体をありえないと思っていたのだ。だってそうではないか。あれだけ自分がみほみーのことを教室で話している時に確かに彼の――岡本くんの視線を感じていたのだ。
最初は視線の意味がわからなかったけれど、みほみーの名前を言えば向けられる視線に理由も気づくというものだ。本人に聞いてもないから確証も何も無いがみほみーに興味があるのは確かなのだ。だから岡本くんに彼女なんていないと詠深は勝手に確信していた。
じゃあみほみーの言っていることはうそなのか……いや、そうではないだろう。けれどそれが全てではないと思いたい。じゃないとみほみーがかわいそうじゃないか。恋愛をするのなら失恋は当たり前なのかもしれない。世の中にはたくさん恋に泣く女の子がいるのかもしれない。けれどそんな『仕方が無い』という結果よりも自分は今、あれだけ岡本くんを想っていた目の前にいるみほみーに悲しみを感じずにはいられない。
朝も放課後もずっと図書室で見ていたのだ。話だって聞いていた。だからこそこんな結末、物語なら最悪だ。怒りすらわく。
ということで、このよくわからない感情を消化しなければならない。それにはいち早く教室に戻る必要があるだろう。
「ねぇ龍也ちょっと用事を思い出したからここは任せた!」
「ん? おう了解」
龍也にみほみーのことを含め図書委員のことを頼めば、少し不思議そうではあるが軽い調子で返事が返ってくる。相変わらずフットワークが軽いというかなんというか。とりあえず任せたという意を込めて親指を突き立てておく。
「ちょちょっと詠深、どこに行くの!?」
焦ったようなみほみーの言葉に扉を開けて出て行こうとした姿のまま振り返る。きっと今、自分がここからいなくなることにみほみーも何かしら嫌な予感を感じているのだろう。しかし詠深からすればそんなものは関係ない。自分がしようと思ったことをがむしゃらに実行するだけである。
ただそれでも自分が行うことなんて所詮は第三者が介入出来る程度のことである。そこからどういう結末を迎えるのかなんて本人たち次第というものだ。
「ねぇみほみー。もしも私がほんの少しのきっかけをつくれたとしたらみほみーはどうする?」
「どうするって……そんなこと」
自分の問いかけにみほみーが戸惑うように目線をさまよわせる。そんな姿にふっと息を吐き出し安心させるように微笑む。みほみーはそれをみて一瞬惚けた表情を受かべた。
きっとみほみーの中では決意も覚悟も曖昧なままでいるのだろう。ただ強い思いだけが胸に溢れていてそれをどうするべきなのかもわからない。だから戸惑うことも仕方が無いと思っている。
けれどもちろんそれはそれというものだ。
「まっ! とりあえずきっかけつくりに行って来るねっ!」
「えっ!? なにっ?」
「いってきまーす!」
「いってらー」
声高々に宣言してついでに任せろという意味を込めて額から二本指を離すような決めポーズを送っておく。戸惑い焦っているみほみーと笑顔で手を振り見送る龍也の姿が対象的だ。
そしてそのまま勢いよく準備室から出ていく。
「ちょ、ちょっと詠深いいい!!?」
みほみーの叫び声が廊下にまで聞こえてきて走りながら思わず爆笑する。
おせっかいやちょっとしたお手伝いも全部みほみーに対してプラスなものになればいいという思いからの行動だ。もちろんそれを楽しんでいるという事実はご愛嬌というものだろう。それが本人からしたら余計なものでもこちらがしたいからする。とても身勝手なもの。
でもやっぱり素敵な結果になるとなんだか確信できるから、どうか大目に見て欲しいと思うのだ。