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図書室の受付係  作者: 空が昏れ
窓辺の君
11/14

窓辺の君へ……。

 カーンとボールがバットに当たる音が鳴り響く。監督が打ったボールが高く高く澄んだ朝の空に上がる。それを走って追いかけた。

 野球部は朝と放課後に練習がある。朝は授業前のずいぶんと早い時間から行われ、放課後は最終下校時刻と遅い時間まで行われる。といってもそこまでつらく感じる事はないのはやはり好きなことをしているからなのだろう。


 落ちてきたボールをなんとかキャッチするとまたカーンと音がした。どうやら次のボールを打ったらしい。そして別の誰かが追いかけているのだろう。

 走って出た汗を払いながら見上げる。といっても見るのは空ではなく、もっと別の場所だ。学校の校舎のとある窓、確かあそこは図書室だったはずだ。部活中はいつもそこに視線を向けてしまうのだ。目は良い方だ。だから長い髪を風にたなびかせ窓から外を眺める彼女のこともよく見える。いつからいるのかなんてわからない。けれどもここ最近気がついたら図書室の窓から外を眺める彼女の姿があった。


 窓から向けられる彼女の視線がいつも自分に向けられているように感じるのはきっと気のせいなのだろう。自分が彼女のことが気になるからそう思いたいだけだという事はわかっている。

 じゃあいったい彼女が見ているものは何なのか、その答えがわからないことがとてももどかしく思う。けれども知る権利なんてないのだから仕方ない。


 これは自分の一方的な思いなのだから……。





 いつだったか、あれは少し前のことだ。用があり部室に行っていた戻りのとある昼休み。

 近道のために人通りの少ない校舎裏を通っていた時のことだ。自分が歩いている少し離れた場所に人が蹲っているのが見えた。誰もいないと思っていた場所で人が蹲っているのを見て驚きで心臓が跳ねる。

 足元までを隠す制服のスカートと長い髪から女性だという事はわかった。まさかとうとう本来見えないものが見えてしまったのか、と身動きも取れずに遠くから蹲っている人を見つめたのは僅かな間だ。

 少しの恐怖を抱きながら本来行く方向に向かわず蹲る小さな体にそっと近づいていく。正直見ない振りをして通り過ぎた方がいいのかもしれない。けれど、もしもしんどいから蹲っているのだと思うと放って置く事はできなかった。

 近づけばこちらの気配に気づいたようにぴくりと蹲っている人の体が跳ねた。そんな様子が人間じみていて逆にほっとしてしまう。先程まで怖かったのが馬鹿らしく思えた。


「大丈夫?」


 これ以上怖がらせないようになるべくそっと声をかける。けれどもあまり意味はなさなかったのか余計に強ばったのが見ていてもわかってしまった。

そのままゆっくりと上げられた顔に思わず息を呑む。


 泣いていたのだ。声も嗚咽さえも漏らしていなかったからわからなかった。けれどもその瞳からは確かに今もはらはらと涙が流れていっている。

 ただでさえ女の子が泣いているということに動揺してしまっているのに、そのあまりにも悲痛な表情にこちらまで胸が痛い。


「えっと、大丈夫? なんか、しんどかったりする?」


 問いかけに言葉はなく、ただ首を振って応えを返される。結局なぜ泣いているのかわからないまま、どうすればいいのかもわからずただ泣いている女の子に視線を向けるしかできない。


「大丈夫、だから…………ほうっておいて」


 小さく呟かれた言葉にとても悲しくなった。大丈夫なわけがないのだ。女の子がひとりでこんなところで泣いていて大丈夫なはずがない。わかっている。けれどもそんな彼女に何もできないのも事実だった。

 今はもう、情けないけれども彼女が望んだ通り放って置くのが唯一出来ることなのかもしれない。





 ふと思い出し、そっとポケットに入れているハンカチを出して女の子に差し出す。いつも親が持たせてくれていたのをありがたいと改めて思った瞬間だ。

 差し出したハンカチに戸惑ったように視線を向けるが女の子は受け取ろうとはしない。だからそっと固く閉じられている手の上にのせる。


「使って」


「……え?」


 唖然と涙を流したまま見上げてくる女の子にそっと、笑みを向ける。何もできない自分が情けなくて、不甲斐なくてうまく笑えている自信はないけれども、少しでもこの女の子がこれ以上緊張しないようにと思ったのだ。


「ごめんね」


 慰めることも、涙を止めることも、何も、何もできなくてごめんね。


 最後に謝ることしか出来ずに、結局その場を離れた。部室に行く時もずっともやもやと胸に巣食うものをどうすることも出来ず情けなかった。

 帰りにあの場所をもう1度通るともうあの女の子の姿はなかった。あとになって、あの時自分は彼女の泣き場所さえ奪ったのではないかとふと思った。

 あんな人が来ないだろう場所にわざわざいたのだ。きっとあそこでしか泣けなかったのかもしれない。そう思うと、ただ自分は邪魔なことしかしていないことに気づいたが、今頃もう遅いことだ。





 それからしばらく経ってまたあの時の彼女を見かけた。今度は泣いている姿ではなく、普通に学校の廊下を歩いている姿だった。

 背筋をピンと伸ばし堂々と歩く姿はあの時の小さく背を丸め座っていた姿とは程遠い。もう、大丈夫なのだろうか。そう思い廊下の隅で立ち止まってじっと見ていたら隣にいた友人がちゃちゃを入れてきた。


「おい、何見てんの……って、なんだよ岡本、お前も丸山さんに鼻の下伸ばしてのか」


「……誰だよ丸山さんって」


 ニヤニヤしながら聞かれた言葉に首をかしげる。すると呆れたような視線を返されてしまった。


「誰ってお前が現在進行形で見惚れてた人だよ。学年一の美人って、有名じゃねーか」


「へっ!?」


 思わぬことで名前を知ってしまったのと、彼女が有名だということに驚いて、もう1度反射的にほぼ何も考えず彼女に視線を向ける。確かに美人だ。そのことに今ようやく気づく。

 桜色の唇、小さな鼻は整った形で、大きなつり気味の目がすべて小さな顔に収まっている。そこに靡く長い黒髪がとても綺麗で……。そして何故か今、あの時とても近くで見てしまった泣き顔を思い出し、ぶわっと自分の顔に血が上るのがわかった。


「いや! てか何で今泣き顔なんて!?」


「おい、言ってる側からまた見惚れてんじゃねーよ。おい聞いてる? おーい、ねぇ無視!?」


 友人が何か言っているがそんなこと気にしていられないくらい。何だか自分の頭の中がやばかった。






 それからは彼女を見かけると目で追い、彼女のクラスを通る時はそっと横目で覗いてしまう。そんな日々だ。そんなことをしているからかたまに目が合ったような気になるがきっと気のせいだ。そんなわけがないのだから。

 有名な彼女の事は色々と人から噂で流れてくる。下品なものからただ彼女の悪口のようなものまで様々だが、あまりいいものは聞かない。けれども、そのどの噂のイメージともあの時泣いていた彼女のイメージとは合わないと思った。



 そして、あの時のハンカチがどうなったのかはわからない。知らない人間にもらったものだ。気持ち悪くて捨ててしまっているかもしれない。そう思うと胸が痛いが仕方ないとも思えた。









「――おーい、岡本!」


「っ!? いま戻るっ!」


 部員に呼ばれて慌てて返事をする。流石にぼーっとしすぎたらしい。

 戻る前にそっと図書室の窓を、もう一度見上げる。長い髪が風に揺れている姿がとても綺麗で思わず目を細めた。






 きっと窓辺の君は自分のことなんてただの景色のひとつとも思わないくらい気にも止めてくれないのだろう。あの時のことを覚えているのもきっと自分だけなのだろう。

 それでもいいと思う。悲しいけれど仕方の無いことだとわりきろう。


 帽子の鍔を掴むと顔を隠すようにそっと下げた。そして自嘲するように口元を歪める。





 けれどももうあの時のように泣かないでいてほしいと、その想いだけはどうか君に――。



 届かないとわかっていても願わずにはいられない。


『窓辺の君へ』END

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