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5話目ティーガー戦車襲撃

襲撃なう

荒井諒「暇だな~」

そう呟きながら外を見渡す

荒井諒「まぁ平和なのは、良いことだけど」

そんなことをいっていると・・・・

ドォン!

    ドォン!

バババババ!

 ズドォン!

荒井諒「!?」

ベネット-マシュレ「大変だ!」

荒井諒「何事だ?」

ベネット-マシュレ「ティーガーi戦車が!」

荒井諒「ティーガー!?」ガタッ!

ティーガー戦車「」ドォン!

ベネット-マシュレ「どうする?」

荒井諒「対戦車兵器とか、ないの?」

ベネット-マシュレ「有ったら倒してると、思うんだけど」

荒井諒「・・・だよな」

ベネット-マシュレ「どうするの?」

荒井諒「逃げよう」

ベネット-マシュレ「そうしよう」

       ~逃走~

ティーガー戦車

兵器局から陣地突破用重戦車の開発を依頼されたヘンシェル・ウント・ゾーン社は、1937年春から前述のDW I、DW II、VK 3001(H)を開発した。いくつかの試行錯誤を経て、1941年にヘンシェル社と他の三社(ポルシェ、MAN、ダイムラーベンツ)は75mm主砲を持つ35t型戦車の設計を提出したが、これらの計画は、主砲を8.8cm戦車砲に変更した総重量45トンのVK 4501(H)に取って代わられた。この製作案は1941年5月26日にヒトラーのバイエルンの山荘イーグルネストで行なわれた兵器の基本的問題を討議する会議で決定されたとされる。この会議は独ソ戦開始の直前であり、このことからもティーガーIがいわゆるT-34ショックで開発されたものではない[3]。


その後、バルバロッサ作戦でドイツ軍が遭遇したソ連のT-34は、既成のドイツ戦車を時代遅れのものへ変えた。ヘンシェル社の設計技師だったエアヴィン・アーダース(Erwin Aders)は「ソ連軍の戦車が国防軍のどの戦車よりも優れていると判った時は皆仰天した」と語っている。ティーガーIはそれまでの試作重戦車を拡大した設計であって、後のパンター戦車と異なり、T-34と遭遇したうえでの機械的比較や戦訓をもととした、傾斜装甲などの革新的な設計は取り入れられていない。しかしながら装甲の厚さがこれを補った。



ティーガーIの生産を行うヘンシェル社工場

ポルシェ社とヘンシェル社は試作車の設計案を提出し、実際に製作された車両は1942年4月20日のヒトラーの誕生日に、ラステンブルクにおいてヒトラーの前で比較された。ポルシェ案のVK4501(P)は、故障の多かった変速機を省略するため、エンジンで発電機を廻してモーターを駆動する電気駆動方式を採用し、サスペンションも外部にトーションバーを配置する簡易な設計であった。ヒトラーはこれに関心を示したが、モーターには不足していた銅を大量に必要とするためもあって堅実なヘンシェル案が採用された。ティーガーIことVI号戦車E型の量産は1942年8月に開始された。なお既にポルシェ案の車体も90両先行生産されており、これを流用してフェルディナントまたはエレファントとして知られることになる重駆逐戦車が製造された。


ポルシェティーガーには、通常に広く知られているティーガーI(ヘンシェル社型)と比較して多くの相違点が存在する。この戦車の砲塔は車両半分より少し前に配されており、砲塔の形状もヘンシェル社製のものと異なり、操砲時の俯角をとるため、中央部分に突起したクリアランスが設けられている。また、ヘンシェル社製のものと比べると、モーターを搭載する分、全長が約1メートル長く、全幅と全高は少しずつ低い。出力ロスの多いモーター駆動のために最高速度も3km/hほど低かった。電気駆動を採用した結果、機関室が大型化し、また空冷ガソリンエンジンの出力は不足していた。この巨体を動かすには相当大きな電力が必要であったが、平地の走行実験では、電力を供給するコードが焼け、エンジンから煙が出るなどの結果となった。改良を加えてから、下り坂で走行実験をしたところまたしてもコードが焼け、砲塔を旋回させても大電流にコードがもたず、即座に中止となった。放っておいても砲塔は重力に引かれて下を向くという結果となった。ポルシェティーガーの一応の期限は1942年4月20日であり、この日にはヒトラーの査閲を受けるため完成が目指された。しかしエンジンが完成して届いたのは4月10日であり、列車で運ぶ途中にも必死で溶接作業をし、やっと完成して到着したが、満足に行動できないという結果となった。このような過程を経てヘンシェル社の車輛が選定された。後、東部戦線に配備された重駆逐戦車部隊の中に、指揮戦車として数両のポルシェティーガーが配備された。


当初は Pzkw VI Ausf. H の名称で開発されたが、後に Ausf. E と変更された。制式番号はSd.Kfz.181である。「ティーガー」の愛称はフェルディナント・ポルシェ博士による命名であった。


ティーガーIは、実質的に試作のまま大急ぎで実戦に投入されたため、生産期間中にわたって大小の改良が続けられた。まずコストを削減するため、初期型にあった潜水能力と外部取り付けのファイフェル型エアフィルターが省略された。防弾ガラスのはめられたスリット式の車長用ハッチのキューポラをペリスコープによる間接視認方式の安全なものに交換したものが中期型、緩衝ゴムを内蔵した鋼製転輪に変更したものが後期型と、後年の研究者によって分類されている[4]。また、修理に戻された本車の一部は、後にシュトルムティーガーに改造された。


本車の運用に当たる戦車兵などの兵士用に製作されたマニュアル『ティーガーフィーベル』[5]は、ティーガーIを「エルヴィラ・ティーガー」[6]、という女性に擬人化し(挿絵つき)、兵士のキャラクターがその世話をしながら口説くための恋愛入門書という図式でティーガーIの運用法を解説していた。

引用某サイト


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