22話目工作艦明石
荒井諒「・・・え~と、聞こえなかったのでもう一度お願いします」
大将「君にこの娘の面倒を見てもらいたい」
荒井諒「・・・大将・・・失礼ですが、私の兵舎は、託児所でも、幼稚園でもないんですよ?」
大将「・・・一応こいつも艦の一人だぞ」
荒井諒「」(゜д゜)
大将「というわけで頼んだ!」
荒井諒「・・・はぁ」
明石「工作艦、明石です!艦の修理、サルベージは、お任せください!」
荒井諒「・・・まぁ仕方ないか、宜しくな!明石」
明石「はい!宜しくお願いします!」
ベネット「・・・」ジー
荒井諒「・・・え~とベネット?」
ベネット「どうかしました?」
荒井諒「何でお前は、扉から、家政婦は見たポーズしながら、こっち見てんだ?」
ベネット「別に~?」
荒井諒「・・・そうか」
月風「え?新しい艦が、着任ですか!?」ヒョコ!
荒井諒「あぁ」
月風「いやっふー!」
明石は、日本海軍唯一の新造工作艦[25]。艦名は兵庫県明石市の名所、明石の浦にちなみ、明治中期の防護巡洋艦明石に続いて2代目[26]。アメリカ海軍の工作艦『メデューサ (USS Medusa AR-1) en』並みの修理能力を持つ特務艦として建造された[27]。
明石
1939年7月、佐世保沖で速力公試中と推定される明石。[1]
1939年7月、佐世保沖で速力公試中と推定される明石。[1]
基本情報
建造所佐世保海軍工廠[2]
運用者 大日本帝国海軍
種別工作艦[2]
経歴
計画マル2計画[3](昭和9年度[4])
起工1937年1月18日[2]
進水1938年6月29日[2]
竣工1939年7月31日[2]
除籍1944年5月10日[5]
最後1944年3月30日大破着底[6]
その後1954年解体[6]
要目(竣工時または計画時[注釈 1])
基準排水量9,000英トン[7]
公試排水量10,500トン[8]
満載排水量11,036トン[9]
全長158.50m[8]
水線長154.66m[8]
垂線間長146.60m[8]
全幅20.564m[8]
水線幅20.50m[8]
深さ14.00m[8]
吃水公試状態前部 6.29m[8]
ボイラー補助缶:ロ号艦本式缶2基[10]
主機三菱横浜マン式60型複動ディーゼル機関2基[11]
推進2軸[12]
出力計画 10,000hp[8]
公試成績 10,065hp[13]
速力計画 19.2ノット[8]
公試成績 19.24ノット[13]
燃料重油1,493トン[8]
航続距離8,000カイリ / 14ノット[8]
乗員計画乗員 299名、工作部 433名、計 732名[14][15]
または計画乗員 336名、工作部 433名、計 769名[16]
竣工時定員 299名[17]、その他工作部長以下の工作部員 最大434名[18]
兵装12.7cm連装高角砲 2基(竣工時)[19]
25mm連装機銃 2基[20]
搭載艇竣工時 11m内火艇2、9m内火艇1、12m内火ランチ3、9mカッター2、12m通船1、12m伝馬船(潜水作業用)1、6m通船1、30t積運貨船(自走)1の計12隻[21][22][注釈 2]
その他艦内工場床面積3,099平方m[11][23]
交流600KVA,450Vディーゼル発電機8基[24][注釈 3]
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工作艦「明石」艦型図
計画編集
1924年に商船改造の工作艦関東が沈没して以降、長らく新型工作艦建造が熱望されていたが、予算難から中々実現しなかった。当時の日本海軍が運用する最大の工作艦は、日露戦争で活躍した敷島型戦艦朝日を改装したものであった[28]。このような状況下、昭和6年度(1931年)に10,000トン型(計画番号J2)1隻整備の構想が提出され、新型工作艦(J2c)の建造は1934年(昭和9年)[29]の『マル2計画』[3]でようやく承認された。
日本海軍では本格的な工作艦の建造経験がなかったので、アメリカ海軍やイギリス海軍の工作艦などに関する発表論文等を詳細に調べ、設計に際しての参考としたという[30]。 1934年頃の商議での当初の要求は、基準排水量約10,000トン、速力18ノット、12.7cm高角砲4門、対空機銃4挺以上、航続力14ノットで8,000カイリであった[30]。 工作能力は米工作艦「メデューサ」程度、補給無しで3カ月間活動可能を目途とし、1936年4月に艦型が決定した[31]。




