第三幕 異物
今回は長めかもしれないです。
重苦しい空気が流れる廊下を進む。空調は本部と変わらないはずだが、ひんやりとした空気と息苦しさに襲われる。鑑識課があるフロアの雰囲気はどうにも得意じゃない。と言っても、これといった理由があるわけではないのだが。
しばらく歩き、検視第一係と書かれた部屋の前で歩みを止めた。
「すんませーん」
中に入ると山積みの書類が目に入った。崩れかけた書類は実験器具や精密機器を覆い、机上の灰皿には溢れんばかりの吸い殻が放置されている。誰が見ても一目でこの部屋の主人のずぼらさがわかるほどだ。一見すると人影は見当たらないが、俺は主人がどこにいるのかを知っていた。
床に散乱する書類や衣服を避けて奥に進む。すると、予想通り窓際のソファには横たわる白衣姿があった。
「おい、起きろ」
「んん……。今、何時……?」
眠たげなそれは、のそのそと寝返りを打ちこちらを向いた。しかし、目を開ける様子はない。
「23時だ」
「ん、その声は…ひふみぃ?」
そう言うと、ようやく体を起こし目を開いた。
「どうしたの?もしかして、私に会いに来てくれたぁ?」
寝癖で乱れた長い黒髪を後頭部でまとめる。寝起きだからだろう、綺麗な二重をした目は未だに半分閉じたままだ。彼女はシワのついた白衣を手で押さえながら立ち上がる。いくら白衣を羽織っているとはいえ、豊かな胸とそれを自慢するかのような大胆な服装は刺激が強すぎるのではないかと思ってしまう。腰は引き締まり、脚はスラリと長い。その完璧な美貌は警視庁内で密かなファンクラブを結成させるほどだ。
「ま、あながち間違いではないな」
「え……本当に?」
「事件のことで聞きたいことがあって」
「何よ、それ。たまには、葉月の顔が見たくなって、とかそういうことで来なさいよ! はぁ……。それで聞きたいことって?」
彼女は嶋葉月。鑑識課検視第一係に所属する検視官だ。26歳と若いにも関わらず、妖艶で大人な雰囲気を醸し出している。そして何より驚きなのが、歳が10こ上である俺に対し堂々とタメ口を使い、さらには名前を呼び捨てにしてくる。俺自身、特段気にしているわけではないが、その度胸には一目置いている。
「新宿の事件のことについてなんだが……。四肢切断の女性の遺体はもう視たか?」
「やっぱり。捜査一課の事件の遺体だって聞いたから綿密に調べておいたわ。ひふみが来ると思ってね。ついさっき遺体の確認し終わったわよ」
「さすが、分かってるじゃないか。それで、遺体が着せられていたウェディングドレスだが、あれについて何か気になることはなかったか?」
「それは鑑識の仕事よ。検視官に聞くことじゃないわ」
彼女は眉を寄せ、困った顔をする。
「悪いな。でもよ、鑑識係に信頼できる知り合いはいないんだ」
すると困り顔から一変、彼女は表情を緩めて嬉しそうに話し出す。
「それなら仕方ないわね。私が頼りっていうなら仕方なく! 仕方なくだけど鑑識係に聞いてあげる。ちょっと待ってて」
そう言って、葉月はパソコンへと向かう。おそらく鑑識係の人間から事件に関する一切の調査結果をデータファイルで送ってもらうつもりなのだろう。
コンコンッ
「お邪魔しますー。桐崎さーん?」
そこでレイが部屋へと入ってきた。脇には書類を抱えている。
「おう、レイ。頼んでおいたものは見つかったか?」
「はい。ですが、あまりに捜査資料が少なく……」
「いや、この短時間でそれを用意できただけで十分だ。ありがとう」
「いえ、桐崎さんの頼みごとなら」
レイは嬉しそうにそう言った。
「ちょっと? 私の城でイチャつかないでくれる?」
頬を膨らませ、拗ねた様子で葉月はこちらに話しかけてきた。城と呼ぶにはあまりに汚すぎるのではないか、と口に出しかけて思いとどまる。頼みごとをしに来た立場であることを忘れてはならない。
「あれ、いたんですか? あまりに貴女のお城とやらが汚くて気づきませんでしたよ〜」
レイは毒づきモードの笑顔で返答する。どうやら俺が思いとどまったことは無駄だったようだ。
「ははは、面白いこと言うわね。やっぱりアメリカ帰りのエリートさんはジョークも欧米風なのね。けど、その冗談は日本じゃウケないわよ、美少女くん?」
「ちっ、このデカ乳女がっ」
何やら龍虎相見えるといった雰囲気になっている。気のせいだろうか、二人の間には火花が散っているように見えた。
「まぁ、落ち着け二人とも。それで、鑑識係から情報は届いたか? 葉月」
葉月はハッと我に返ったようにパソコンへと向き直る。
「えぇ、届いてるわ。どうやら特筆するようなことは……っ!」
そこまで言うと驚いたように葉月は言葉を止めた。
「どうした? 何か気になることでも?」
「えぇ。ひふみ、あなたの予想通りよ。ウェディングドレスに付着してたのは血だけじゃない」
「やはり、な」
「何よその反応……。まさか、最初から分かっていたの?」
「あぁ。だが今ひとつ確信が持てなくてな。これである程度、捜査が進みそうだ。行くぞ、レイ」
「はいっ!」
「ちょっと〜、もう行っちゃうの?」
「悪いな、気になることがあるんだ。この礼は今の一件が終わったら必ずする」
「本当っ?! じゃあ楽しみにしてるわね! 絶対忘れないでよ?」
「はいはい、分かってるよ」
そう言うと俺たちは部屋を出た。
「桐崎さん、それで結局ウェディングドレスの付着物ってなんだったんですか?」
俺の少し後ろを歩きながらレイが尋ねてきた。
「あぁ、あれはな……赤い絵の具だ。」
俺たちは捜査一課へと戻っていった。
お読み頂きありがとうございました。
励みになります故、よろしければ是非評価のほうもお願いいたします。