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5 ユー・ワナ・ビー・マイ・フレンズ?

 5 ユー・ワナ・ビー・マイ・フレンズ?


 一条京子と仲良くなるには学年で百番以内の成績を取らなければならない。少なくともそれぐらい知的な人間にならなければならない。ではどうするのか。知力強化カードを使ってステータス上げに専念すればいいのか。とあほなことを妖精に冗談半分で尋ねると、そんな都合の良いカードはありません、と断られ、必要なのは努力です、と断言された。

 努力。これは俺の最も嫌う行為で、いつだって俺はこらえ性がなかった。昔、勉強の必要なエロゲというのがあり、やることはヒロインたちとのいちゃいちゃちゅっちゅなのだけれど、そこに行き着くまでに「ところで悠、質量50kgの物体を速度12km/sで投げた時の運動エネルギーはいくつだっけ?」などと不自然な会話が挿入され回答を12ある選択肢から選び、その回答が正しくないとバッドエンドに移行する、しかし正解か不正解はその場で分からないからどの選択肢が正解かは真面目に計算式を書いたり調べたりしないとだめ、という、要するにプレイヤーにやたら努力を強いるエロゲがあったのだけれど、俺は誰一人攻略できず、というのは正答をメモしているうちになぜゲームのために無用の労苦を背負い込んでいるのかと虚無的な考えが勃興したからで、つまり俺は努力を放棄した。女の子たちの甘やかな嬌声を聞くより努力の労を惜しんだ。ちなみに、父には「このゲームつまらない、ってか選択肢に入る際の台詞が明らかに不自然」とクレームをつけた。父は澄み切った顔で「そうか」とだけ言い、その後どうなったかは知らない。母の絵のおかげでそこそこ売れたとも父のクソシナリオのおかげで会社が傾いたとも聞くが真相は不明である。

 そんな努力嫌いの俺なんだけどぉ、たまにはぁ、ちょっと頑張ってみる系? っていうかぁ、一条と仲良くなりたいじゃん? みたいなぁ。だから俺っち、珍しく努力しようと思ったんだよね。

 チャラ男口調で述べると案内係は眉間に深い皺を刻み、棋士が勝負手を打つべきか否か煩悶する顔つきで机を睨んでいる。一分経過しました。長考ですね。やはりチャラ男相手には警戒するのでしょうか、塾の品性というものがありますからね、と実況している俺は何をやっているのか。

 俺は今、学習塾の下調べに来ているのだった。

 一条京子と仲良くなるには頭がよくならなければならない。ではどうしたら頭がよくなるのか。学習塾に通うのである。つまり学習塾に通うことで一条京子と懇意になれる。という短絡的な三段論法で結論した俺は、隣の隣町の駅周辺、林立する大手学習塾に片っ端から見学を依頼しこれで三軒目、一軒目は案内係がこいつ金持ってなさそうだなとぶしつけな視線を向けてきたのでこちらから場を辞し、二軒目は案内係が俺のチャラ男口調に疑義を抱き表層的な説明だけ済ませると、というわけで、勉強する気があるのであればまた会いましょう、とこちらを軽侮する様子を見せたのでここもだめ、で迎えた三軒目、通された面談室で三島由紀夫みたいな迫力ある顔面の案内係は押し黙っている。呼吸音すらしない完全の沈黙、黙考。天井の蛍光灯からじーと微かな音が聞こえてきそうだ。

 ふうぅぅぅ。案内係が大きく息を吐いた。そして。

 すうぅぅぅ。案内係は再び息を吸い込んで餌を溜めこんだリスみたいに頬を膨らまし再び黙り込んだ。

 そもそも、なぜ俺はマイナス心象となるチャラ男口調で挑んだのか。というと、当然相手を試しているからで、なぜ試すかというとこういう、大手学習塾などは濡れ手で粟、勉強地獄に苦しむ学生どもに救済の蜘蛛の糸を垂らししかし垂らしているのはお釈迦様ではなく人間なのだから当然対価を取っていて、この対価により労力以上の暴利を貪っているに違いなく、油断していては搾取されるだけ搾取されてしまうからで、では学習塾様に舐められないためには、対等に交渉するためにはどうすべきか。まずはチャラ男口調で臨まなければならないだろう。ここまでの論理展開で意味が分からないと思った方はおられるだろうか。正直、俺も意味分かんないと思った。

 やり直そう。大手学習塾は基本売り手市場なのであり、彼らの声を代弁すると「君たちを導いて『やろう』」という立場に違いなく、となると俺たち学生は「導いて『ください』」になってしまいがちで、しかし俺はチャラ男口調を用いることにより「俺様を『導け』」と言うのであり、ここに対等な関係が形成されるのである。すっきり。

 とか考えていると案内係が「分っかりました」と一人合点で頷き、「勉強する動機は人それぞれですからね。となると、まずはこのクラスですかねえ、平均的なレベル到達を目指すクラスです。資料のほうは後で受付で受け取ってください。何かご質問ありますでしょうか」と、眉間にはやはり縦皺を刻んでいるものの柔和な口調で言うのでこいつはいい奴でこの学習塾はあこぎな商売をしない優良店と判断した俺は頷き返し、「平均的なレベルってどんなもんですか。雑魚いことないですよね。学年で百番台以上みたいな」と、チャラ男口調を修正しながらもやはりどこかぞんざいな感じで問い返すと「あああ、大丈夫ですよ、小井亜井高校でしょう? だったら百番台以下、二桁の世界に入れますよ。少なくとも赤点はなくなるだろうことは確実で、赤点がなくなればその、彼女も認めてくれると思いますよ」「一条さんね」「そう、一条幸子さん」「京子です」「あ、失礼しました京子さん」と案内係が請け合うのだから信じるに足るはず、俺は丁寧語でお礼を述べ案内係と別れ、受付で資料を回収し帰宅、その晩のうちに親の賛成を取り付けた。「お前が塾か」と感涙するかに思われた父は、国際電話の向こう側で「そうか」とだけ言い、時々しゃっくりをするのはべろんべろんに酔っ払っている証拠だった。湿度の高い夜だった。


 学校が終わり、高慢にそびえる一条京子の鼻梁を見送って後大盛と下校しようとすると昇降口、「あ、悠くん」と手を振りながら奏姉が駆けてきた。「あ、奏姉」「おっしゅ」「そこで噛むとかかわいいな。ってか桂奏姉」「うん?」「その髪ってカツラなの?」「え? どうしてそう思うの? これはね」「いや、そのかつらとちゃうわでいいから。真面目に答えなくていいから」「あ、うん。うん?」「いや、うん?はこっちの台詞っつーか、なんか用?」「あ、うん、その、花音ちゃんから聞いたんだけど、塾に入ったんでしょう?」「え? 花音の奴どこでそれを?」「それは、分かんないけど」「え、うーん、まあ、うん、塾入った。あ、奏姉ってどっか通ってたっけ?」「あ、ううん、通ってないよ。ていうか、突然どうしたのかなと思って」「なんつーか、錯乱したんだよね」と俺が真顔で言うと奏姉は本気に取ってしまい口元押さえての驚愕、「錯乱したの!」なんて叫ぶように狼狽するのであんまり意地悪するのはよそう、「冗談冗談。真面目に勉強しようって、魂を入れ替えたのさ」と気取って語尾を、さ、で答えると、「輪廻の話?」とぼけられてしまったので「なんでやねん」と頭をチョップすると奏姉は心外、というよりは予想外だろうか、なぜ自分が軽い暴行を受けたのか分からないといった表情をしたので「ごめんごめん」と謝り、「ま、ちょっとね。学年で百番以内に入らないと、俺は一生会話イベントにたどり着かず、後世破滅的人生を歩まなければならないからね」と説明的台詞を言ったが奏姉はポカーンであるのは当然の反応であり、なぜならば彼女は俺が現在進行形でリアルエロゲをプレイしていることを知らないからで、ところで妖精さん、と俺は思考する。『はい、なんでしょう』。この奏姉は俺の創作物なの? 『そうとも言えるし、そうでないとも言える』。結局どっちやねん。『この桂奏なる人物は、未来の貴方の創作により行動しています。でも、高校入学、つまりゲームが始まる前の桂奏は独立した存在、とでも言えばよいのでしょうか、貴方の意思とは関係ない生の人物です。その独立した人物を貴方は自らのエロゲに取り込んだ。いわば二次創作のようなものでしょうか』。

 あ、ふーん。とこちらが思考している間に奏姉は話しかけていた。「破滅的人生って何? 何か悪いことが起きる予兆があるの?」という問に、妖精と話し込んだがため返答するのに少しの時間がかかり、「あ、まあ、大丈夫大丈夫」という答えにも奏姉は瞳を曇らせ、「うーん。何か心配事があるなら、相談してね」と優しく言うのだった。

 ぐらっと来た。姉キャラの包容力。わざわざ高慢な一条京子と恋仲にならずともすでに個別ルート入りリーチがかかっているかのようにフラグの立った奏姉がいる。も、いっそこっちに行っちゃいなよ。と俺の中の悪魔が囁き、しかし俺の中の天使が、でも、初志貫徹、僕はこんなイージーなハニートラップに食いついて一条京子ルートを諦めるわけにはいかん、ってかせっかく塾代払ったんだから早く塾行って勉強しろよ、とんま、と、天使のくせにけっこう悪い口調で言うのであり、むむむめめめもももな葛藤の末天使が勝利、「ま、なんかあったら相談するし、大丈夫だよ」と大丈夫ガードを使うことによって俺は奏姉ルート入りを留保した。

 そう? と小首を傾げ、何かあったら絶対言ってね、絶対だよ、と言って奏姉は離れ、待ち構えていた、入学式の日に案内係をやっていた外国人に声をかけ、一緒に帰っていった。それを見届けた大盛は「幼なじみ、オレも欲しかったわ」と呟き、口の中で飴を転がし、時折歯に当ててかちゃかちゃ音を立てていた。俺は緩んできた大盛の顎のラインを見つめていた。


 なんにせよ初志貫徹、俺は塾通いを始め、とにかく成績を上げるんだ!という固い決意のもと講師が書いた文字を筆写するなど勉学に励んだ。

 一週間経った。

 いったい、人間の熱意というものは、一週間という時の経過に耐えうるものだろうか。土台不可能である。なんて翻訳文の文体で話し始めたのはドストエフスキーなんですよ。何が。つまり俺は、父母の供するエロゲばかりに興じていたら脳みそがエロゲ脳となり世の常識を反映せず、それどころか常にセックスのことばかり考えている色狂いになってしまうと危惧し、ってか今現在まさにそんな感じになっているんだけれど今は置いといて、色情魔、何でもかんでもエロゲベースに物事を思考してしまう自分に危機感を抱いた俺は一時文学月間という期間を設け、やることは読書、それもエロゲ文章じゃないもっとかちっとしたやつ、例えば世界的文豪の書いた文章を読もうじゃん、って、読もうじゃんって時点で破綻する未来が兆しているわけだけどとにかくかちっとした文章に挑戦しようと決意し、ドストエフスキーを読んだ。一週間経った。俺は『ラブマリン ―ローアングラーの果てしなき挑戦―』という、カメラアングルが常に下から、登場キャラは常にパンチラ状態の主に窃視趣味の方々を対象としたエロゲに回帰し、僕はかがみ込んだ。峰子のパンツがちらりと見えた。白。次の瞬間。バシッ。ぐわっ(エフェクト、画面点滅)。何するんだよ。何するんだよ、じゃないわよこの変態!!みたいな文章にどっぷりつかって、目とか、瞳孔とか、けっこうやばいことになってたんだよね。

 なんて唐突に無駄話を始めるエロゲは往々にして駄エロゲであるという普遍的真理にたどり着いたことがあるってのは脇に置き、何の話か、一週間の話である、とにかく一週間という時間は熱意を燃え尽きさせ人間を堕落させるには十分な時間であり、蛍光灯と天井と、この世ならざる白さに精神が漂白されそうな教室の前方で、塾講師が身振り手振りを交え講義を行っており、板書のため振り返るとお尻がふるふる震えまるで蜜蜂のようだ、などと授業中に考えてしまうのはやはり集中力の欠如が原因なのでしょう、困りましたわ、と井戸端会議する主婦のような言語で思考しながら、祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。平家物語を読んでいるのだけれど面白くない。そもそも、諸行無常とか人生的な話をされてもティーンエイジャーにはとんと胸に落ちないし、根底にある仏教観、そんなものは知らぬのであり、なんか仏教ってお釈迦様が開いたらしいけど、仏陀とお釈迦様ってなんか違うの? なんか仏像って立ってたり座ってたり、あれ、なんか坐像って言うんでしょう? なんか結跏趺坐とかいうやつ、昔頑張ってやってみたら足の付け根痛めたらしくてなんか歩くのしんどかったんだよね、なんか、と、アバウトな感じ、なんかを連呼せずにはいられない曖昧な知識しか持ち合わせておらず、まあ、よく分からないことを語られると眠くなるのが人間の生理であり、白々とした教室が次第に闇を深め、狭まる視界、やがて真っ暗になった先で蓮池が待っていた。俺は泥に足をもつれさせながら蓮の間を縫うように、自分でも理由が分からないまま前進し、たどり着いた先には大きな一輪の蓮の花、その上には結跏趺坐の仏様がいた。仏様は慈悲深そうに、あるいは冷笑するように目を細めていて、俺は進むことも逃げることもできず仏様を見上げ、あれ? この仏様、どっかで見たよなあ、なんて考えていたら仏様はナックルボールのようにぶるぶるぶれ始め、その恐ろしげな様に恐怖していると仏様は腹話術師のように口を開けないで呼びかけてきた。

 尾前悠。

「ひゃい!」

 と奇声で応答した先には梅干しのように真っ赤な顔の塾講師がいて、やはりナックルボールのようにぶるぶる震えており、あ、と俺は思った。そこから二秒で、謝ろう、と考えたのだけれど相手が機先を制し「馬鹿野郎! 塾に来てまで寝やがって、お前はやる気あんのか! 昔私はお前のような、授業中に寝る最底辺野郎だった。しかしそれではだめだと一念発起して努力した。お前一念発起の意味が分かるか!」「ちょっと、あやふやです」「馬鹿野郎! 一念発起ってのはあれだ、ほら、やるぞって決めて物事に取りかかることだ。分かるか!」「あ、はい」「馬鹿野郎! あ、じゃないだろが、あ、じゃ」と衆人環視のもと痛烈に叱責されてしまったのだけど四度目の馬鹿野郎が来る前にチャイムが鳴り、まだ言い足りなさそうな塾講師がどうするかなと見ていると彼は逡巡の後「馬鹿野郎」と小さく呟き、「今日はこれで終わりだ」と言い捨て教材を手に帰っていった。

 生徒たちは三々五々教室を発ち、時折「怒られてやんの」「だっさ」「やる気ねえなら帰れよな」と囁く者があり俺のメンタル耐久値が134ポイントぐらい削られたのだがまあしょうがない、帰ろうって拭えない敗北感を背負いながらエレベーターを避け階段に向かうと、踊り場、「待って!」と背後から女子の声がした。

 待って!と女子の声がしたけど俺じゃねえだろ無視して階段を降りようとし、けどももう一度「待って!」と声がしたからには俺のことかもしれない、そう思い振り返った、その先には黒髪に赤のメッシュを入れた攻撃的な印象の女子がいた。

「待ってっつってんじゃん」と女は舌打ちしながら俺に近づいて、「あんたさ、名前、なんていうの?」とぶしつけに聞くものだから俺も警戒心を運動会の万国旗ぐらい高々と掲げ「何? ってか名乗るのは普通そっちからでしょ」と高圧的な口調で答えた。

 ああ、と女は呟き、「私、河合璃々。大河の河に合衆国の合、それから玻璃やら瑠璃の璃を重ねて、なんていうの? あの久々の後ろに付く同じって意味の漢字」と渋面、眉間に皺を寄せると涼しげな目元がさらに温度を下げもはや氷点下、氷室で食べる真冬のかき氷、シロップはメロン味、みたいにクールな印象の河合璃々は所属高校を述べ年齢を述べ、「あ、同級生なんだ」と返すと「そうなんだ」と愛想なく息を吐き、「で、あんたの名前を聞きたいんだけど」と催促する。「あ、俺は尾前悠。小井亜井高校一年で、まあ、なんつーの? 普通の人だけど」と名乗ると璃々は頷き、「じゃ悠、これからちょっと付き合ってよ」と言った。

「付き合うのね」と俺はオウム返し、それから「付き合うの!?」と感嘆符と疑問符を連結させ驚きながら戸惑っている感じを出した。

「そうよ。何? なんかまずいの?」と璃々が俺を訝しげに見つめる。

「いや、その、いきなり付き合うと言われましても、当方としましては承知しかねると言いますか、えー」と狼狽しきった俺と相反するように璃々は涼しげだ、意志的な目で「いいから付き合ってよ。初めてだからお金とか、全部私が持つし」なんてなことまで言うので俺は惑乱、初めてだから全部持つ!? それってあれですか!? 出会って何秒で合体シリーズですかぁ!? と悶絶して、「いやいやいや、でも、いくら何でも、うへ、そんな急展開のエロゲ見たことないっすよ、普通小さなエピソードを積み上げて行って――」

「エロゲ?」と璃々が鋭い目をさらに研ぎ澄まし胡乱げに俺を覗く。

「あひゃ!」慌てすぎて発狂しそうになった俺は奇声を発し、すると「それ!」と璃々が叫んだ。「え? どれ?」「だからその、ひゃい、とか、あひゃ」「え? ひゃい?」「そうそれ、って厳密には今言ったひゃいじゃないんだけど」なんだか話が見えない、この璃々なる人物の要望がとんと見当つかない、ので、「というと、どういうことでしょうか」と極力波風立たぬ言い回しで尋ねると璃々は、外国人が英語で日本人に道を尋ね、しかし芳しい答えが返ってこない、ていうかこの日本人ろくに英語喋れないじゃん、はっ、軽蔑の極致、南極は極地、アムンゼンに敗北したロバート・スコットほどダサいものはないと俺は中学の教科書で学んだ、にしても犬ぞりが勝負を分けるなんて、ねえ? と英語で尋ねてもやっぱり通じない時の顔で俺を不遜に眺め、「だから、うちのバンドのボーカル、やってほしいって言ってんの」と言った。

 そんなん分かるか。

 という面構えで応対させていただきますと璃々は仰いました。「さっき、先生に起こされたでしょ? その時の、ひゃい、がよく通る声だと思って、いい声してるなと思って、ピンと来たの、これはボーカリストの素質があるって」「はあ」「あ、私、ボーカルとベース担当。ちなみに、私ら素行不良の凶悪バンド目指してて、例えば、機材を破砕したとか、こうもりの首噛み千切ったとか」「ひい」「っていうのは予定ね、あくまでも。自称凶悪バンドだから」「ふう」「でも、ベースを弾きながらボーカルってスティングかよって、例えが古いか、なんていうか私としてはベースに集中したいしそもそも私の声って、女性ボーカルってどうしても声質が細いっていうの? シャウトとかも犬が石投げられた時の悲鳴みたいになって弱いっていうか」「へえ」「だから新しく男性ボーカル迎えられたらなってメンバーと話してて、で、あんたの声を聞いてピンと来たと」「ほお」「というわけで、これから練習あるから、付き合ってよ。ってか返答で遊ぶな」ずびしぃ。「ぎゃん」「そうそう、その声」

 要約すると、声がよかったからバンドに入れ、ついてはこの後のバンド練習に付き合ってくれ、というのが璃々の要望なのであり、俺は、雑だな。と思った。いくら俺があのクソシナリオライターの息子だとしても、こんな急展開で女の子と仲良くなる、フラグを立てるなんて、未来の俺よ、雑にすぎるな。以外のコメントがなかった。が。

「ね、いいでしょ悠。あんた暇が服着て歩いてるみたいな顔してるし、どうせ暇で暇で、外界から構ってもらえるのであればむしろ幸福を感じちゃうタイプでしょ。だから、スタジオ代とかは、今日の分は私が払うから、来てよ。あ、夕飯もおごるし。ね、悠」

 見ず知らずの女の子にいきなり下の名前で呼ばれるのは初めてだった。きゅんとした。乙女か。しかし、ものすごく即物的で俗物的なことを言いますと、河合璃々、めっちゃかわいかった。一条京子の顔が黒い霧に霞んで思い出せなくなった。

 俺は渋々という態で、しかし内実欣喜雀躍しながら一緒に行くと告げた。璃々は、よーし行こっ、と言うと嬉しそうに先に立って歩き始めた。最低だ、俺って。と俺は呟いた。それは表層的かつ空疎に響き、雑踏する塾生らの声にすぐにかき消された。


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