14 ジ・エンド・オブ・ジ・エロゲ・イアラ
14 ジ・エンド・オブ・ジ・エロゲ・イアラ
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
平家物語を学習してから随分と日が経ち、梅雨の晴れ間、夏の日差しの下で俺は焼失した我が家の前に佇立、無常について考えていた。否、無常とは考えるものではなく感じるものであり、Don’t think. Feelとジークンドーの祖が言うもむべなるかな、俺は体験を通して思考によらずに無常を知った。目の前の空き地、ここには我が家が建っていたが今は無い、そして時を遡れば別の家が建っていたりあるいは草原だったり疎林だったり、一度として同じものでなかったのは時間というものが在るからで、それこそが無常の正体である。
敷地内に入る。鎮火以後も無常は始まっていて地面からは植物が芽生え出て盛夏には焼けた土壌を覆いそうな勢いで、そうなる前に俺は捜索に来た、何の捜索かといえば特にこれと目標を定めたわけでなく漫然たる逍遥であり、何かしら、父が集めていた鉱石の類や母の愛用した磁器、あるいは俺の私物が焼失を免れそこいらに落ちてはいないかと希望したのであるがしかし現実は無情、何一つとして残存せず猶のこと無常、これは奏姉の、新たに数珠を贈ろうかという打診を受けるのもありかな、と思いつつ敷地を出て回れ右をすると背後から「悠!」と声をかけられ振り向いた先に璃々。
「その、ひ、久しぶり」と、番犬ガオガオの手前に骨を据える時のような怯え顔の璃々に、「おう、久しぶり」と笑顔で応じるとやや弛緩した様子、「ここに来れば、もしかしたら会えるかもって」と近づいてきて対面、璃々は強張った体で頭を下げた。「本当に、ごめん!」
「えっと、なんで?」と問うと璃々は、花音が家に火を放った原因の一部は自分にあると、夕方の朝顔のように萎んだ顔で言い、「そんなことないって。だって花音はヤンデレキャラなんだから、止めようがないっつーの」と言うと「ヤンデレ?」と小首を傾げ、「とにかく」ともう一度「ごめんなさい」と頭を下げた。
「なんつーか、別にいいって」「でも」「璃々のせいじゃないってか、厳密に話詰めると俺のせいになっちゃうじゃん」「え? なんで?」「だって、ギター壊して練習サボるようになったがために璃々はうち来たんだろ?」「え? ギター壊したのって妹じゃ」「うん、妹。だからほら、詰めに詰めるとうちに持って帰ったのが悪いとかそういう話になるじゃん?」「え、まあ、うん、そうかもしんないけど」「そうすっと終わんないでしょ?」「うん。まあ」「だから家が焼けたことに対して、璃々は何の負い目も感じる必要ないよ」と言うと璃々は少しほっとしたような、複雑な表情を見せる。「ていうかさ」と俺、「思い出のギターぶっ壊したのって、まあ、間接的に言うと俺なわけじゃん?」と言うと璃々、「だからそういう責任論みたいなのはやめるって」と顔を曇らせるので、しかしこれはけじめである、「いや、とにかく、ギターは弁償する。必ず買って返すから。今は金ないけど」と言い添えると璃々は首を水に濡れた犬がやるように振り、「いいって、もう恨んでないから。ていうか家燃えて大変なの、悠のほうなんだから」と言うので俺はノンノン、必ずギター返すからと重ねて言うと璃々は少し黙り、それから「悠」と真剣な目で俺を見て「ボーカルに、復帰して欲しい」と言った。俺は尋ねた。「なんで、俺?」
「だって」と璃々は勢い込む。「あんたの声って、やっぱり魅力的だから。実は悠のいない間にオーディションみたいなことやって、それではっきり分かったんだ、私たちの音に合うのは悠の声だって。そりゃ、代わりに誰か引っ張ってきてもいい、何だったら私が今まで通り歌うっていうのもあり、だけど、一度知ったらやめられないっていうの? あんたの歌声じゃないと全然しっくり来なくなっちゃったの、私。ううん、きっとザキさんもおやっさんも同じこと考えてる。うちのバンドには尾前悠がどうしても必要なの。ほんとは」視線を右下に遣り少し言い淀む。「あんたの妹と、尾前悠には二度と近づかないって約束したから、ほんとは今やってる勧誘もルール違反。だけど!」俺を正視する。「私、どうしてもあんたを諦めきれない! 悠以外のボーカルじゃだめなの、あんたが歌ってくれなきゃ困るの、他の人となんて、考えられないんだよ……」
泣き出しそうだった。璃々は今にも泣きだしそうな顔で俺に訴えた。むやみやたらと晴れた空は強烈なウルトラヴァイオレットを降り注ぎ肌の焼ける感覚、じりじりと焼ける感覚を感じながら俺は、「璃々」と発声した。頷いて俺の言葉の衝撃に耐えようと身構えた彼女に俺は、「一緒に、スタジオ、行こう」と言った。
「……いいの?」と、途中を省略した璃々の質問にどう答えるか寸暇迷ったが、シンプルに「確かめたいことがあるから」と答える。璃々は意味を取り切れず「確かめたいこと?」と首を傾げたが、まあいいや善は急げといった感じで「とりあえず、これからバンド練習のためにスタジオ取ってあるんだけど、行く、んだよね?」と誘う、なので俺は「行こう」と応じて歩き出す。「やった!」と璃々は嬉しそうに横で、俺のいない間に起きた出来事を報告するのだが俺が、うん、うん、うん、一辺倒なので怯んだのか、「なんか、機嫌悪い?」と俺の顔を窺い、俺が唐突に「その、背中に背負ってるベース、貸してくんね?」と請えば、少し戸惑い、しかし「今度は壊さないでよ」と冗談めかしてカバーごとベースをよこす。俺はそれを背負った。確かな重さだった。「ベースに転向する気?」と問う璃々に、「女の子に荷物、持たせとくわけにはいかないだろ」と答えると「っな……」と俯き、それから「女の子とか、私、控え目な性格じゃないし、その、その、女の子として見られるのに慣れてないっていうか、凶悪バンドだし」としどろもどろに璃々は言い、「私は、その……好きだけど」と言ったまま顔を左に向け、俺たちは視線の合わないままスタジオへと歩いた。
久しぶりのスタジオは相変わらずバンドマンたちの巣窟で、今時長髪に革ジャンのぱっつぱつの革パン、編み上げブーツも含めて全部黒、というアナクロロッカーが跋扈する中を「ここ。皆待ってるから」と璃々に案内された先の防音ドアその手前、俺は大きく深呼吸し瞑目、瞼の裏に仏様を確認してから室内へ入った。
「おう、悠じゃん。やっと来た」というザキさんを無視しておやっさんへと歩く。背負っていたベースを下ろし両手でネックを強く握りこむ。俺を見るおやっさんの、そのスキンヘッドには黒々とした角が二本生えていた。
「おう、悠……」と手を挙げたおやっさんの脳天に「おらぁ!」と喊声一発俺はベースを振り下ろす。ゴイン、と確かな手応えがあり、おやっさんがうずくまるのが見え、俺はさらにもう一度「この!」とおやっさんの脳天めがけベースを振り下ろした。どこっ、と鈍い反発が手に戻ってきて、おやっさんの頭から血が噴き出し始めた。俺は夢中でベースを叩き下ろした。「おらぁ! 何が五里厄徳蔵だよふざけた名前しやがって! エロゲにスキンヘッドのおっさんとかねえだろ常識的に! ってかお前、この野郎! 不犯不犯って、馬鹿野郎! これはエロゲだっつの! エロゲはヤってなんぼなのに不犯とか、どう考えてもおかしいだろ禿! 禿なのもおかしいけど不犯を説くとか、お前がバグだ! エロゲに相応しくない何かの正体はお前だこの野郎!」
「おいやめろ!」「何やってんの!」と俺を捕縛しようとするザキさんと璃々を払い退け俺はベースを振るう。「いいんだよこれで! こいつはバグだ! 俺のfuckin’ shitなエロゲを歪めてる存在なんだから殺すっきゃねんだよ!」と叫びながら、あれ? これは仏教的に言うと五戒の一つ不殺生に抵触する行為では? なんて疑問も吹っ飛ぶのは瞼の裏の仏様が振り下ろす度に輪郭を不明瞭に霧消せんとしているからで、「バグ滅べ! 滅べバグ! 永劫!」と叫びながら俺はおやっさんを打撃し続けた。
血が飛び散っていた。ベースを振るう度鮮血が周囲に飛散し、壁が赤かった。悠、やめて!という璃々の悲鳴も赤かった。職員呼んでくる!と部屋を飛び出たザキさんの、置いて行ったギターのボディーも赤かった。潰れているバグの頭も赤かった。角のように見えた、バグの付けていた猫耳カチューシャも赤かった。監視カメラも赤かった。仏様の消失した瞼の裏も赤かった。すべてが真っ赤だった。この、バグの修正された世界、仏罰を払った正常な世界、真っ当になったエロゲ世界で俺は、ヒロインとセックスしてトゥルーエンドを迎えるのだ。
世界が始まる、と俺は思った。