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11 ザ・バズリング・ガイ

 11 ザ・バズリング・ガイ


 いつまで経ってもあんたが登校しないから呼んで来いって、先生に言われたから。同学年だしね。じゃなかったらわざわざ貴重な時間割いてまであんたの顔見に来たりしないわよ。ったく、とっくにほとぼり冷めてるのに登校しないとか、馬鹿の極みだわ。萎れたヒマワリみたい。

 あんた、璃々とかいう他校生ともめたんでしょ? 頭わっる。でも璃々とかいう奴もけっこうキてるそうじゃない? あんたの家に乗り込んであんたの説明があるまで帰らないって居座って、なんかあんたその子の大切なギター壊したんでしょ? サイテーだわ。ま、それはいいとして、璃々って子、あんたんちに居座ろうとしたんだけどそしたらあんたの妹がキレて、追い出そうと喧嘩したんだけど璃々、けっこう武闘派で逆にやられちゃって、で、でもどうしても家の、なんつーかな、覇権? みたいなのを取り戻したくて、璃々を家から追い出すにはこれしかないって、家に火ぃつけたんだって。分かる? 要するに妹の花音が璃々を排撃するために家に放火したの。で、焼け落ちた。それがだいぶ前の話、あんたが疎開した日の話。

 あたしも昔さんまを七輪で黒々焦がしたことがあったわ。っていうのはどうでもよくって、二人、璃々と花音ね、燃え盛る家を無事脱出したんだけど花音がね、璃々に、お兄ちゃんに近づくな近づくなって、この期に及んでまだ言うから璃々も諦めたみたいで、って何をどう諦めたかなんて知らないけど、それはあんたのほうが分かるんじゃない? 諦めて悠には二度と近づかないって、約束したらしいの。それで表面上は問題解決、あ、花音はうちに来ることになったの、ていうのはね、花音の知り合いで世話してくれそうな家って言ったら桂奏さん? あの人しかいないわけだけど、で、あんたの世話をできるのも桂さんでしょ? となると、焼け出された二人は桂家で同居しなきゃならないんだけど、花音が、今はお兄ちゃんの顔見たくないって。家を焼いちゃったショックもあるんだけどそれ以上に嫉妬の情念から兄を刺殺しかねないから、だって。ちょっと引いたかも。あんたの妹どんな教育受けてきたのよ。親の顔が見たいわ。

 ま、それはいいとして、それで、あんたの妹、他に行き場がないからって桂さんが言うから、ほら、あたしあの食堂で割と頻繁にご飯食べるから、行った時に花音ちゃんをお願いできないかって頼まれて、そりゃ、むげにもできないでしょ? で、花音はうちで預かる、それから兄の悠は桂家で面倒を見る、って一応決まったの。さっき言った関係者ってのはそういう意味。分かった? 以上、肉体の痛みに数秒経たないと気づけないステゴザウルス脳のあんたでも分かるように説明したつもりなんだけど、話はつかめた?

「あ、あー」なんて俺は阿呆の間抜け声、「つまり、璃々にキレた妹が我が家に放火した。家は焼失。よって妹はお前んちに、そして俺は奏姉んちに退避。All right?」と訊き、「なんでしゃらくさい英語なのよ、意識高い系かっつの」と毒を吐く戸狩照に「あでも」と俺は挙手して「このままエイミー家で暮らせばいいんじゃないかなあって」と、媚びるように尋ねると戸狩照は見下し切った、二階から目薬みたいな顔つきで「マジで言ってんのあんた?」と問うのであり、「わりかし、マジなんだけどなあ」と弱弱しく言えば「はっ!」と一笑に伏され、「あんたさっきまで何しようとしてた?」「え?」「あんた、何しにこの部屋に来たのよ」「ええーっと、それは……」「何? 何よ」「その、あの」「夜這いでしょ!」とキンキン声、ぐうの音も出ねえとはこのことで、俺は赤面してただ佇立していることしかできない、そんな俺のうぶな反応に怯んだのか戸狩照も自ら発した言葉に照れてしまい、しかし「って」と照れを振り払い「要するに獣のあんたと一緒に年頃の女の子が暮らすのはないって言ってんの!」と一喝、すべての音が鳴りやみ部屋はただ静寂のスープであった。

「奏姉も年頃の女の子のような気がするんだけど?」と、幾許かの沈黙の後屁理屈ながらどこか勝利の愉悦も含んだ声で俺が訊くと戸狩照は「まさかっ」と詰まり一呼吸、それから一気に「まさか恩人の幼なじみにまで手ぇ出す気じゃないでしょうねこの鬼畜!」と言うので、プレッシャー、フレディとボウイのUnder Pressureが脳内で鳴り始め軽快なんだか神妙なんだか不明瞭な心持ちの中、奏姉の家に移るべきか。自分には、凡そ意志らしきものが、ないのでした。幼少の頃より親や教師の言うことを優先し、そこから外れることを心底恐怖し、いや、外れること自体ではなく、不興を買って叱責されるのが一等恐ろしかったのです。積み重ねてきた信頼が一瞬で瓦解し、次の瞬間コーナーに追い詰められたボクサーのように排撃のパンチを浴び続け、脳震盪を起こして卒倒するかのように錯覚する瞬間が、今、地獄の窯が開くように自分の前に現れていたのでした。抵抗の二文字は、自分には縁のないものでした。自分は戸狩照の言葉に唯々諾々、丸め込まれて、というよりアルマジロのように自ら丸まって、なんて、突如始まった『人間失格』風文体に乗っかり、自分は「今までありがとう」とエイミーに謝意を告げ、その日のうちに桂家へ移りました。

 奏姉の両親は嫌な顔せず自分を迎え入れてくれ、奏姉は「大丈夫だよ。大丈夫」と励ましてくれました。滂沱の涙でした。学校に行くと大盛が変わらず気さくに話しかけてくれ(もっとも、彼の体重はさらに増して肥満体ゴリアテのようでした)、一条京子はというと、大変だったでしょう、の一言が、人倫に基づく気遣いが、あると思っていたのだけれど何もなくあるのは無関心だけ、俺をガン無視するスタイルは変わらなかった。俺はすっかり感傷から覚め、一人だけ受けていなかった英語の実力テストを追試させられるという現実にぶち当たった。酷薄な世の中だと思った。俺はこの世を呪詛しながら実力テストを受け、脳内ではいまだフレディとボウイがUnder Pressureを歌っている、てんてんてんてててんてん、てんてんてんてててんてん、ギブラーギブラーギブラーギブラーとフレディが歌い、ギブラー、give love、loveってなんだっけ? 俺は誰が好きなんだっけ? 一条京子は正統派お嬢様で、しかし性格に大いなる欠陥があり、璃々は、そういや借りてたCDがあったのに家が燃えちまって、そうだ、そん中にUnder Pressureも入っていたわけでまるで予言、この通常じゃない人生の象徴的歌、っていうのはエイミーんちで英語を学んだからだいたい分かった、歌詞の意味が凡そ理解できた、けど結局俺はエイミーを好きだったのか。Loveだったのか。否。違う。俺はこの変則的糞エロゲを脱するためにエイミーの部屋へ闖入したのであって、そこに愛はなかった。では愛があればよいのか。分からない、愛なんて高尚すぎて15の僕には分からない、って『海辺のカフカ』じみてきたけど愛ってなんだ? 何なのだ!

 と哲学的思弁を展開できたのは実力テストが、エイミー家での勉強のおかげで楽勝快勝お茶の子さいさいだったからで、居残りテスト後俺は再び思索を開始、昔妹が言ってたお兄ちゃんだろうと愛さえあれば関係ないよねっ、その、愛、の正体を俺は解明しなければならぬ、しかし、じゃ発言元の妹に訊けば分かるのかというと、妹が俺からの連絡を一切拒否っているという点を差し引いても妹に訊くのはだめであり、というのは彼女の愛はヤンデレでただの独占欲でしかないからであり、じゃあって北斗の拳『愛をとりもどせ!!』を聞いたところで取り戻すべき愛が分からぬ、思い出されるのはパチスロに金をつぎ込みすぎて蒼白、脳貧血で倒れそうな奏姉の父の姿ばかり、じゃあみんなが偉大偉大と畏み奉るジョン・レノン様なら分かるでしょうってLoveという曲を脳内再生して考えるが高尚すぎるのか英語のbe動詞の学習にしか思えず、ってかUnder Pressureが鳴りやまず満足に聞こえない、ってかその曲が入ったCDも返却できないまま家が焼け落ちてしまったわけでどうすんだよ愛がどうの考えてる場合じゃない、目先の生活である、と考え、いやでもこの自宅が焼失するなんてクソゲーを脱するためには俺はヒロインとmake loveしなきゃならないわけで、あるいは以前妖精が言っていたようにゲームのバグを修正しなければならないわけだが、と考えたところで正門前、俺は一条京子と見知らぬ男が連れ立って下校しているのを発見した。

 衝撃だった。

 発狂しそうなほど惑乱しながらも俺はぎりぎり現世に留まり、目の前で繰り広げられる情景を目に焼き付けるべく二人を追跡する。一条京子は見知らぬ男と談笑し、時に口元に手を遣り「うふふ」といった上品な笑い声を立てるのは、それは正統派お嬢様という設定だからなのだけれどもちょっと待ってくれ、一条京子は俺が攻略すべきヒロインの一人であり、それがなんでだよ、見ず知らずのモブ男と付き合って下校してるなんてありえないだろ、おかしいだろ、聖域にして不可侵なのがメインヒロインなんじゃねえのかよ、と考え思い出すのは昔昔のエロゲで、土佐日記とかに出てくるエロゲは主人公とメインヒロイン以外にうざい同級生が存在したりする、そして辛いフラグ判定の後バッドエンドと相成りますとその嫌味な同級生が攻略対象のヒロインとくっつくという悪夢、今で言う精神的ブラクラが待っているわけで、過去の俺はそのdisasterに頭蓋を両手で抱え苦悩、危うくリア王のように荒野で狂人として死にかけたのだけれど俺がonly oneではなかったのだろう、ヒロイン奪取に発狂する精神的虚弱体質の方が一つの蟻の巣の構成虫数より多かったがため後年のエロゲは攻略対象が他の男とくっつくという惨事はシステム上起き得なくされた、封印されたのだが、まさか、まさか俺制作糞エロゲには過去の非人道的兵器、他の男とくっつくシステムが搭載されているのか。一条京子は男と楽しげに語らい、そればかりか肩と肩が触れそうな距離感、あ、男が手を差し伸べ、一条京子は……少し拒否するように手を動かしたものの邪険には扱わず、指と指がかそけく触れ合ひても男から離れようとしない、むしろその秘め事のごとき男女の駆け引きを楽しんでいる様子だった。

 俺の中で何かが激しく動揺し、色づいた陽、そばを走る電車の車輪の烈響を聞きながら俺は、二人の追跡をやめて帰り道を少し回り道し、たどり着いた桂家、居間に鞄をうっちゃって突入した自分の部屋、するすると壁際に尻もちを付けば目から涙が溢れ出し、これは土佐日記時代の反則技を見せつけられたがための涙なんだよ、あんな性悪女に惚れてたからぢやないんだよ、あいつが誰と付き合おうと問題はないんだよ、と自らを慰撫しても涙がぽろぽろ頬を流れ落ちるのはやはり俺が一条京子を好いていたからではないだろうか。冷遇されながらも恋慕していたからではないか。もしかすると、愛だったのではないだろうか。との思いが体内を駆け巡った。いくら考えても名状不能の感情が湧きおこり、涙となって流れるばかりであった。

 俺の涙に呼応するかのように暗い雲が太陽を隠し、やがて雨が降り始めた。俺は無力感に任せて赤子のように泣いていた。というわけにはいかず、生活の必要というのは偉大なるもので、どんなに悲しくても人間は生活しなければならない、腹は減るし、汗はかくし、トイレには行きたくなるし、雨が降ってきたならば干していた洗濯物を取り込まなければならない。セ・ラ・ヴィ。それが人生さ、と僕は憶えたてのFrenchで言った。言って、馬鹿なこと言ってないで早く洗濯物を取り込まなければとすっく立ち上がりベランダへ、ぱち、ぱち、と洗濯バサミを外し洗濯物をひとまず俺の室内に放り込み、ぱちっては投げぱちっては投げ、すべてを収穫し尽くした時には本降り、あと少し遅かったら洗濯し直しだったな、と、少し快く思った俺はそういえばさっきまで泣いていたのであり、人間ってのはいい加減なやつだ、でも、こうやって、生活の刹那刹那に追われることで人間は感情に支配されず何とか日々を生き抜くことができるわけで、つまり、Life is action、動作することの積み重ねにより人間は生きていくのだなあ、と哲学的深淵を垣間見た俺は感動を維持したまま取り込んだ洗濯物を折り畳むという通俗な行動に移り、ハンドタオル、バスタオル、Tシャツ、パジャマ、ジーパン、ジャージ、エプロン、といった大物を畳み終えて後残ったのは小物、パンツ、靴下、ブラジャー、などの下着類で、人生は動作であると識った俺は無心にこれらを畳んだ。さああぁぁと雨がしめやかに軒を濡らしていた。

「悠くん」ノックとともに奏姉の声、ドアを開けると声通り奏姉が立っていて、「勉強してたら雨、気づかなくて。洗濯物ありがとう」と言う。「別にいいよ」と俺は言い、畳んでおいた奏姉の洗濯物を手渡すと奏姉は「ごめんね」と言い、「ありがとう」と言った、その声の温もりが、慈愛に満ちた響きが、胸に詰まり、同時に一条京子の冷笑と今日の下校時の姿が思い出され、うっく、うっく、いったい何回泣くのだと呆れながらも俺は抑えきれずまた涙し始め、奏姉は驚いた顔をしたが次の瞬間には慈しむ表情に変わり、「いろいろ、あったもんね」と控えめに微笑んだ。「うん」と答えると喉が震え洟が垂れ、不幸という独特の快楽に沈み落ちそうになるところを奏姉は神の手で救い上げるように「私の部屋で話そっか」と俺の肩に手をかけた。断る理由がなかった。二人で奏姉の部屋に移動した。

 勉強中との自弁通り奏姉の部屋の机には漢字いっぱいの紙が広げられ、邪魔だから片付けるねと言う奏姉を静止し、ただ喋れればいいから、と俺は奏姉のベッドの端に座った。奏姉も俺の隣に腰を下ろした。

「俺」と言って何を話せばよいか分からない、続きを言いあぐねていると、「ゆっくりでいいから」と奏姉が言う。身に沁みる俳句のような優しさ、俺はゆっくりと、言葉を探しながら寺で分かれて以後の話、エイミー家での苦労、家焼失の驚きを語り、そして「今日、もしかすると、失恋したかもしれない」と余韻を含めて告げると奏姉は「うん」とだけ言って、それでも足りないと思ったのか膝に置いた俺の手に彼女の手を重ねた。

 思えばここまで激動の高校生活であったがこのジェットコースターのごとき破茶滅茶人生はすべて自主制作リアルエロゲの結果、素人がでっち上げたシナリオ等作りこみの甘さに起因しているわけで、向後もおそらく素人らしい破綻した展開が待ちかまえ俺は四苦八苦、七転八倒、二十歳で白髪となり成人式のテレビ中継で歌舞いている新成人つまりは阿呆の一人として扱われ、「ちょりーっす、俺っち今テレビ出ちゃってるっすかぁ? じゃ、これ撮ってください」とズボンを下ろし丸出しのケツを突き出す、って時にはゲームオーバーなわけでその前だよ俺は十八つまり高校卒業までに結果を出さなければならない、と言うとまだまだ余裕、サッカー的に言うと九十分間における前半十分程度なのでありバテるにゃ尚早、と仰る方々もいるだろうが現時点で15の俺は涙が止まらなくなるほど消耗しているわけで、出来得るならばこの辛いゲームを終えたい、さっさと上がってしまいたい、という気持ち及び考えが涙とともに身内から込み上げくるのであり、そして今、俺は女の子とベッドに座っている@二人きりなわけで、手が柔らかい、じゃなくて奏姉は性格がおっとりさんで控えめである、こんなに女の人の手って柔らかいのか、じゃなくて奏姉の優しさを考慮すると無理を言っても困惑顔ながら付き合ってくれそうな気がする押し通せそうな気がする、体からいい匂いがする同じ石鹸使ってるはずなのに、じゃなくて奏姉の性格上要請を断れないはずだから慰めとしてヤらせてくれと言ったらヤらせてくれるんじゃね? さっき畳んだブラジャーってなんかふわふわした感触だったな、じゃなくてじゃなくってじゃあるのであって、ふむ。と俺は考えた。

 奏姉とセックスしよう。そしてこの素人脚本世界から脱出するのだ。まさか恩人の幼なじみにまで手ぇ出す気じゃないでしょうねこの鬼畜!という戸狩照の言葉を思い出す。でも、これは緊急措置で、そりゃ、鬼畜はよくない、人畜の違いを説くのも分かる、けれどもだ、繰り返しになるけどもこれは緊急措置であり、ひいては尾前悠を混迷迷妄から救う唯一無二の手立てなのだ!

「ねえ奏姉」と俺は、伸びようとする鼻の下を表情筋で必死に収縮させながら、何気ない調子で、しかしまだ悲しみに打ちひしがれている、といった感じを装う。「何?」「その、ははっ、奏姉は何の勉強してたの?」「うん? ちょっと写経をしようと思って」「写経?」「うん、写経。般若心経を筆写してたの、紙に」「あ、般若心経って漢字びっしりなの?」「うん、まあ、ほんとはサンスクリット語なんだけど、それに当て字で漢字を当ててるっていうか」「ふーん」「読もっか?」「あ、今はいいかな」「あ、うん」今はいいかな、からいきなり奏姉とセックスしたいです、では論理破綻を起こすので俺はもう少し会話を続ける。「あ、あっこにも仏像。なんか奏姉の中で仏教、流行ってんの? 入学祝いに数珠くれたし」「あ、うん!」と奏姉はにこやかに発声し、というのは喋りたかったことに話題が触れたからだろう、何か一気呵成に話し上げそうになるのを、俺は仏教に興味はない、だから阻止すべくいつものアレ、「ところで桂奏姉」「うん?」「その髪ってカツラなの?」と強引に話頭を転じ、「え? どうしてそう思うの? これはね」と平常通り奏姉が受け答えようとするので「いや、そのかつらとちゃうわでいいから。真面目に答えなくていいから」と定型のフォローを入れ、なんとかヤらせてくださいお願いしますに繋がる話をと思索していると奏姉が言う。「ううん、違うの」「え? 何が?」「カツラの話」「え? ほら、いつものアレじゃん」と言う俺に奏姉は真面目な顔で、「私も、話しておかなきゃならないことがあって」と髪に手を遣り、つかんで引き下ろすと、するるる、髪の毛が滑り落ちて初日の出のように美しい半円が現れた。

 綺麗な坊主頭だった。

 絶句する俺に奏姉が説明する。「前に、ほら、ギターが壊れた日、あの時、花音ちゃんとの話し合いで、実は悠くんと花音ちゃんに血縁関係はない、っていう話があったでしょう? 私、あれを聞いてほんとに驚いて。世の不条理っていうか、無常観、寄る辺のなさを感じたの。確かなことなんて何一つないんだわって。とどめがギターが破砕された時の、弦の切れる音で、あの音とともに私の中の何かも切れてしまったの。こんな、一寸先は闇、前後不覚で根無し草のように流されるままの人生を生きるくらいなら、いっそ出家しちゃおうって考えが突如湧いてきて、そしたら悠くんとのお寺デート、お坊さんと会ったでしょう? 徳蔵さんにお願いしたら、まだ若いのにって暗に再考を促されたけどどうしてもって拝み倒したら、分かった、出家を認めるって。それで私、尼になったの。あ、でも、今から寺に籠りきりなわけじゃなくて高校卒業まではきちっと俗世で勉強する、それで卒業以後はうちの寺に来て修行しなさいってことになってるの。言いたかったんだけどなかなか切り出すタイミングがつかめなくって。あ、だから私、本当にカツラなの。桂でカツラなの」

 うふっと笑う奏姉はギャグにしたいみたいだけれど全然面白くない、つまり奏姉は出家、尼さんの道を歩み始めたのであり坊主頭は蛍光灯を照り返している、そして俗世を離れ仏道に入ったからにはおやっさんがくどいぐらいに説いていた不犯というやつで、俺たちはまぐわってはならないと戒律で禁じられていることになり、ふしゅうぅぅぅ、と、穴の開いた風船のごとく俺は収縮、弛緩、そして。

「うわああああ」と絶叫していた。

 奏姉はびくりと体を固くし、しかし穏やかな声で「大丈夫? 驚いたのかな?」と坊主頭で問う。「驚いたっていうかなんていうか、結論を言おうとしたら前提の間違いを指摘された、みたいな」「そう、なの? よく分からないけど、それはショックだと思うけど、その前提は本当に間違ってるの?」「ええ? あー、分かんない。え?」と錯乱する俺を励まそうという意図だろう、奏姉は「ほら、でも、前提の前提を疑ってかかったら、実は結論は同じだった、みたいな?」とフォローしようとして結局意味不明瞭な位置に着地する台詞を発したのだがシューンッ! 或る考え、奏姉言うところの前提の前提を疑えという命題から算出される或る一つの着地点が、高速道路をすっ飛ばす迷惑車両のごとく俺の足先から脳内中枢部に走りこんでギャギャギャギャとドリフトで一回転して俺と対峙した。

 なぜ俺は、奏姉が仏教徒だからといってセックスを諦めたのか。なぜなら仏教の戒律にはどうやら不犯なる禁止条項があるから。セックスは禁じられているから。この公理により『奏姉とセックスする』という選択肢は発生し得ないのだけれど、これはリアルエロゲである。だから脳内に浮かんだ考えすべてが選択肢足り得るのである。つまり何が言いたいのか。俺は『半ば強引に犯す』という、ゲームでは表示されないような選択肢を選ぶことができるのである。なぜならばこれはゲームである以前に俺が主体となって能動的に行動する現実だからである。お分かりいただけただろうか。以上を持って俺の『現実はゲームに先行する』理論の証明を終える。Q.E.D。

 俺は出し抜けに奏姉の両手首をつかみ、覆いかぶさるように彼女をベッドに押し倒した。チッ、チッ、チッ、チッ、と枕元の時計の秒針がやけに明瞭に聞こえる。「悠くん? ちょっと……」と身をよじろうとする奏姉の上に馬乗りになる。「あのね、奏姉、つまり俺を救うにはセックスなんだ、俺はリアルエロゲをプレイしていて、それは後年不幸な境遇の俺が制作するんだけど出来が悪すぎて俺はもう無理なんだ。だから上がりたい。さっさと上がりにしたい。そのためにはセックスがどうしても必要なんだ」とそびえ立つ俺に押し倒された奏姉は潤んだ瞳を向け「何の話か全然分かんないよ悠くん。やめて、ね?」と請うのであり、そうだ、これは俺がエロゲで見てきたシチュエーションと合致している、初めての触れ合いから来る緊張、「やめないよ」、俺がTシャツを脱ぎ上半身裸となると奏姉の顔はいよいよ強張り、「やめて悠くん、やめて」という哀訴に俺は身に宿る男性性、醜悪な嗜虐心をお好み焼きの上のかつお節のごとくゆらゆらと掻き立てられ、「ね。人助けだと思って。ね。仏法を志すんだから。ね」と今度はズボンを脱ぎ棄てパンツもポイ、全裸となり、さあヤるぞ、これで糞ゲーから脱出だ、栄光をつかむのだ、と思い、奏姉の上でもう一度、さあヤるぞ、と思い、もっかい、さあヤるぞ、と思って思ったのは、あれ? こっからどうすればいいの?ってことで、父母から与えられていた十八禁エロゲはセックスシーンになると紳士モード、画面が暗転して絵的に何が行われるのかさっぱ分からないという安全装置がついていたわけで、なので実は俺はHow to sexを知らない、分からない、文章的には凡そ理解してるけど動作が分からない、ってか女の人の服ってどうやって脱がすんだ? それさえ分からない状態で、うえ、うえ、と動作不良となった俺に奏姉は「悠くん。やめて」と強い調子で諭すのであり、しかし俺はセックスをしなければならない、セックスにより魔力を失いこの呪わしいゲームから脱出しなければならない、何が何でも今ヤらなければならないんだ!と気を取り直し、髪をかき上げやることは一つ、そう、八割近くのエロゲがセックスシーンの駆動として最初にやること、それはキスだ、だから俺もキスをすれば、キスさえすればあとは流れで凹凸的な話になってくる、はず!

 俺はゆっくりと奏姉の顔に俺の顔を近づけた。いい香りがする。「やめて」と奏姉が言う。その吐息が俺の鼻をくすぐる。俺はやるんだ、I can make it、唇を突出させて顔を下ろした。ところ。

 奏姉は彼女を押さえ込んでいた俺の手から手を抜き去り身をよじりその勢いで俺の左頬を痛烈に張ったわけで俺の目に閃光走るとともにゴーンいつぞやの寺の鐘の音が聞こえ瞼の裏に仏様の坐像が現れた。うっすら微笑んでいた。


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