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10 デイ・イン・デイ・アウト

 10 デイ・イン・デイ・アウト


 春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。春は曙、山際がだんだんと白く明るくなり、紫がかった雲が細くたなびいている様が良い。しかし今は初夏、海の向こうの遠い水平線、払暁の橙がその勢力を広げる頃、まっさらだった空には突如として薄雲が藻のように隙間なく繁茂し、やがて現れた太陽を覆い隠してしまった。

「お日様、出てきましたね」エイミーが言った。「出てきたね」と俺も繰り返した。「朝マズメももう終わりデスね」とエイミーが言った。「終わりだね」と俺も言った。「まだ続けマスか」とエイミーが訊いた。「もうちょっとだけ、続けよう」と俺は言った。

 何をやっているのか。

 魚釣りである。俺はエイミーとまだ暗いうちに港へ、前日に釣具屋で購入したイソメを餌に投げ釣りをしているのであり、ハゼ、コチ、クサフグ、と雑魚ばかりで釣果は散々、イソメの体液で手ばかりが汚れ、敗北感で胸が詰まって憤死しそうな状態の上に魚が活性化して釣れやすい朝マズメ終了のお知らせを通告されたわけなのだけれどもしかし俺たちが魚釣りを続行したのはsomeday、希望をつかみ取りたかったから。俺たちの今日の目標はキス。それだけだった。

 あの日。うちに来マスか、という誘いを一も二もなく受けた俺は善は急げ、逆探知される心配がありまた電話が鳴るだけで恐怖だったので奏姉にスマホを託し、用事があるからと言う彼女を残しエイミーとすぐさま寺を後にしてエイミー家へ、中途で璃々や花音が俺を追撃してくる妄想にマクベスのごとく震えながら、嗚呼、嗚呼、言っているうちにたどり着いたエイミーの家は立派な一軒家、格子状のシャッターを引き下ろすタイプの門がありその守りは堅牢で、発狂しかけていた俺も案内された客間でようやく平静の一部を取り戻した。両親と交渉したエイミーは、指毛を抜くぐらいのなんともない調子で「しばらくうちに住んでOKデス」と言い、父のデスが、と前置きしながら俺に服と下着を貸し与えてくれた。

 その段になってようやく冷静さを完全に取り戻した俺は、家に帰れないのは当然として、これからは学校にも通えない、because狂乱の花音あるいは璃々が待ち伏せしているから、と気づき、しばし絶句して用意されたお茶を啜りお団子を食い、美味しいな、美味しいって嬉しいな、「ところで美味しいって英語でなんて言うの?」と訊けば「delicious」とエイミーが言うので「delicious」とおうむ返しに言うと「brilliant」と言われ、意味が分からず首を傾げていると「excellent」と言い直すのであり、漠然とであるが褒められているのだなと知った俺が「excellent」とおうむ返しすればエイミーは外国人みたいに、ってか外国人なんすけど、yeahなんてthumbs upしてみせ、きっと言語習得っていうのは元来こういうものなんだよな、実践なのである、と思考した俺は、英語に関しては学校行かずともエイミーに習えばいっか、とどこか居直った気分になり、すると気分が鷹揚あるいは横柄になるもんで俺はお団子とお茶のおかわりを要求し、供出されたそれらをもっちゃもっちゃ咀嚼しながら聞くところによるとエイミーは成績優秀者、その上二年生なので一年生の勉強範囲であれば教えられる、とのことで、じゃあ学校行かずにエイミーに教わればいいんじゃん、という考えがピコーンと閃き、さすがに出席日数がどうのというほど疎開は長くは続かないだろう、では、ほとぼりが冷めるまでエイミー家に蟄居、勉学に励みましょう、そうすれば再登校した際に学校で落伍することもないでしょう、なんて俄然ポジティブになった。

 人間、ポジティブになると活力が湧くもので、さらには学校にも通えず不用意に出歩くこともできないという拘束により余暇が生じたため、俺は一日の大半を勉学に向けることとなった。わけても力を入れたのが英語で、というのは、エイミーの両親はイギリス人で、日本語も生活に必要な程度は喋れるが家庭内公用語はあくまで英語なのであり、何言ってんだか訳分かんない、で済まされるはずもなく保護者との意思疎通を欠いた俺は近日中にしおしおの人魚のミイラへと変貌し闇市で取引されやがて全人類的不幸を引き起こす事件の引き金となるだろう、それはまずいので俺は全力で英語の習得に傾注、これをスポンジのごとく吸収しミイラから潤いのある俺に進化し、ぺらぺらとまでは言わないが高校一年生レベルは遙かに凌駕する英語力を備えることとなった。

 朝、登校するエイミーを見送って後居間で彼女のお下がりである教科書で勉強し、分からないところがあれば書き留めたり付箋を挟んだりして、午後、帰宅したエイミーに指導をお願いする、という生活は軌道に乗り、そのまま第一宇宙速度へと加速して今は地球をぐるり回っている、つまり安定軌道に乗ったわけだがしかし、皆様は憶えているであろうか、例の一週間の法則である。恐るべき怠惰、タイマー予約されている人間の性、これが発動し俺は再び教育から逸脱した外道と成り果てたのか。

 否。俺は潜伏期間が一週間を過ぎても勉強を続けたのであり、というと積極的進取的人間のように聞こえるが実際は暇で暇でしょうがなく嫌々で、なのであり、エイミー家にはゲームもなく、漫画もなく、テレビすらなく、あるのは本、本、本、それも娯楽小説の類ではなく枕草子原文、谷崎訳の源氏物語、あるいはカントがどうちゃらやら量子力学がどうちゃらやらフェルマーの最終定理がどうちゃらやら、学術書しかなかったわけで、教科書で勉強するほうが容易だったし、それらの本を暇潰しに読めば結果勉学にはなっていたので、飯食って風呂入って寝て、といった生理的行動を行っていない時間は学問の道をひたすらに歩むことになったのだった。

 しかし、って、論を引っくり返してまた繰り返すと、俺は決して純粋熱意により勉強していたわけではない、むしろ暇だから嫌々やっていたわけで、なのでどうしても、くさくさする、不完全燃焼って感じ、もう、一切を投げ打って遊び倒したいなあ、という欲望が葛飾北斎富嶽三十六景神奈川沖浪裏の波頭のように脳内を競り上がるのであり、その波がある日我慢岸壁を乗り越えてしまったがため俺はエイミーに「どっか行きてえ」と懇願した。少し考えエイミーは「カノンやリリに会わなければいいんデスよね?」と閃いた様子だったのでうんうんうんうん首を縦に振った結果が今日の、遠くの港での海釣りだった。

 朝焼けが刻一刻と褪せていく中、エイミーは悠揚迫らぬ態度で針に新しいイソメを引っ掛け、よーいーしょ、とリズムをつけ竿を振り、飛翔する仕掛けは五秒後海面に飛沫を上げ着水、エイミーは少し待ってからゆっくりとリールを巻き始めた。

 俺もリールを巻き、仕掛けを海から引き上げて餌をつけ直した後エイミーがやったように海に投げ入れた。リールを巻く音と波の音が聞こえる。寂寥だった。

「釣れないね」と隣のエイミーに言った。「釣れないデスね」とエイミーは気怠そうに言った。波がざぷざぷ言っていた。「キス、釣れないね」と俺は言った。一瞬間間を置いて、エイミーが俺を振り返った。「ユウは、どうしてキスを釣りたいんデスか?」「え? だって、キスっつったら美味しいって。みんなだいたいキス狙うって聞いたんだけど」「それ、誰情報デスか?」「大盛が昔よく言ってた。キスの天麩羅は美味いって」「aha」「あるいは釣って塩焼きにして朝ごはん、なんて、まさに釣りのだいご味だって」「なーるほど。でも、キスだけが釣りなのではないのでは?」とエイミーの視線を向けた先には半裸のおっさん、竿を祈祷師のごとく上げ下げしているのはサビキ釣りというやつで、dipを八回前後繰り返したのち引き上げたる釣り針には大量のイワシがぶどうの実のごとくにくっついているのであり、呵々大笑、魚を針から外しバケツへ、そしてかごに餌を詰め直して再び海に仕掛けを複数回dipして後引き上げればまたまた大量のイワシがぶら下がっていて、「ぬぁーはっはっは」とねちっこく笑うのは大漁が嬉しく、と同時に自らの力量がいかに素晴らしいか周囲の釣り師に喧伝するためであり、じわじわと俺の耳孔におっさんのぬぁーはっはっはが堆積し、まったくもって釣れない自分が無力で無能であるかのような錯覚を起こし、俺は、投げ釣りじゃなくサビキ釣りにしとけばよかったなあ、と膝を屈しかけた、何なら爆釣のおっさんに頼んでイワシと雑魚を交換してもらおうとも思った、しかしだよ、never back down、ここで諦めたら負け癖が付いて一生敗北街道膝栗毛の日陰人生を送らなければならぬ、負けに負けて、膝を抱えてlonely nightとか歌ってる人になってしまう、そんなのは嫌だ、俺は嫌だ、断固拒否する、故にキスを釣り上げるまで俺は絶対に撤退しないのだ!

 と自らを鼓舞している横でエイミーはリールを巻き、カリカリカリカリ巻き取った仕掛けには何もかかっておらずってか餌さえ食われない、敗北の二文字が濃霧のように俺たちの前に垂れこめ、しかし背水の陣、撤退などあり得ないのだと俺が目で指示するとエイミーは、やはり悠揚迫らぬ動作でリールの糸を引っかける細い金属を起こし、そして振りかぶろうとしたところで「あー、だめだめだめ」と声をかけられた。

 振り向いた先には缶酎ハイを手にしたおっさんが、イワシとは別のおっさんが背後にいて、エイミーに話しかける。「投げ釣りっちゅうんはな、そんなに振りかぶる必要ないの。力じゃないの、タイミングなの。あばー、全然だめ。そんなんじゃ全然だめだよ」と言うおっさんは完全泥酔ドリーマー、足元は定まらず笑顔に開いた口からはアルコールが漏れ出でて臭いことこの上なく、「あー、ゆっくりだなあ、力じゃないんだよ。いいか、力じゃないんだよ」と幽霊の繰り言のように述べるのは酔いが回りきって思考能力が機能停止しているからで、「おい、お、お、お、おっぷ」と手の甲で口元を押さえるからにはゲロかと身構えるも、「お、お、おっぷ、げぷっ。ぷはは、げっぷが出るとまた飲めるようになるんだなあ。だから力じゃないんだよ」と缶酎ハイ煽りながらゆらゆら揺れているおっさん、なんて、この状況を簡潔に説明しますと、エイミーが酔っ払いに絡まれている、という構図になる。

 下手に取り合うと酔っ払いが増長しやたら絡んで来る可能性があるのでエイミーは聞こえているような聞こえていないような頷いたようなそうでないような曖昧な対応をして仕掛けを投げようと再び振りかぶったがその瞬間酔っ払いが「力じゃないんだよ、力じゃ」と繰り言を述べつつ近寄ってきたので投げることもできず停滞、「ああ、だめだめ、全然初心者だよ、そんな、ひゅってやる必要ないから。もっとふわって、力じゃないから、投げ釣りは力じゃないから。おっほおっほ、お、お、お、」とまた手の甲を口元にやったのでげっぷかと思ったら今度は「おごご」言いながらぴゅーっと口内より液体を噴出し、その放物線をぎりぎりのところでエイミーは避け、缶酎ハイ取り落とし岸壁の端、マーライオンのように吐しゃ物を吐き出している酔っ払いを困り顔で眺めており、俺はなぜだかこの酔っ払いが不憫に思え足下に釣竿を置き、酔っ払いの背中を撫でてやると吐き止めた酔っ払いは梅干しのように真っ赤な顔で俺を見て、「あり、ありが、おごぉ」と再びえづいて海に向かってげろげろげろゲロを吐き出し背中を震わせて、一段落着くと俺を見て「すまん。ありがとう。すまん」と泣き出し、俺が「まあ、別に、人として当たり前のことをしたまでで、ってか、あの、やっぱり女の子に向かうと絡み酒に見えちゃうんで、なんなら話ぐらい聞きますけど」と言うと酔っ払いはやはり「ありがとう。すまん。ありがとう」と嗚咽し、身の上話を始めたのであり、酔っ払いは五十五歳、「少し前まで大手の工場に勤務していたんだが、おぐ、おごぉろろろ」業績不振によりリストラに遭い、妻子に逃げられ、「行く場所がなくなって、気づいたら少年の頃遊んだ釣り場で、後進を指導するのが日課になって」おり、それ以外の生き方ができなくなっていた。酔っ払い改め鈴木さんは言う。「若い頃はなあ、なんでもできる気がしてた、いつだって道があるような気がしてた。けどなあ、おっさんになったら全部おしまいだよ、緩やかに死んでいくだけなんだ。誰からも愛されず、煙たがられ、酒を飲む金にも窮して、嫌がられて、だから力じゃないんだよ、力じゃないんだよ……」

 ふーん。って感じだった。それ以上の感慨は湧かなかった。誰も指導なんて頼んでないのにな、と思った。瞬間。

 がりがりがり。竿がひとりでに海へと走り出したのは大きな魚がかかりそいつが引っ張るからで、しかし俺が事の意味を理解して駆けつける前に竿は岸壁を飛び下り海中に没し、俺は一瞬の出来事に唖然茫然黙然と佇立していることしかできず、俄かに乱れた海面、竿の飛び込んだ後にできた泡を眺めていると鈴木さんが、「人生ってのはな、いつでも突然なんだよ。力じゃないんだよ、力じゃないんだよ」と繰り返すので俺は「うるさい!」一言で黙らせ、だからといって竿が回収できるわけでなく、なんか外国人がOh, Jesus!とか言って肩をすくめる状況だな、と思い見たエイミーはやはり肩をすくめ、呪詛するかな、と思いきや「帰りマスか」と何でもない調子で言うのだった。


 Mum、つまりエイミー母の運転する車で帰宅し、Daddyとともに雑魚の塩焼き含めた朝食を食べてエイミーは、一シャワー浴びて学校へ向かった。やがてMumもDadも仕事に出かけ、一人残された俺は教科書を手に勉強しながら思考していた。今日の久方ぶりの気分転換は明らかに失敗で、釣竿を一つ失うという大きな代償を払いながら雑魚数匹の釣果に留まる惨敗、っていうか釣竿を持って行かれた時点で陰陰滅滅と言いますか、年端もいかないガキに論破された時のような屈辱感を覚えたわけで、それというのもすべてあの鈴木さんが悪い、ってか鈴木が悪い、奴がエイミーに絡んでいったがために俺は竿から手を放してしまったのであり、竿を失ったのは全部鈴木のせい、キスが釣れなかったのも回りまわって鈴木のせいで、ふざけんな、金返せ、って竿はエイミー家の物だったから俺が請求するのは筋違いかもしれんけどイソメ代ぐらい払え、というか、物事の根本、ヒト個体群の話、鈴木みたいな奴がいるから社会全体の運気が下がるのであり、俺が釣りの後在宅ワーカーのごとく家に籠らなければならないのもきっと鈴木が悪いからで、今日は午後から荒れた天気、鈴木が悪い、爪が欠けた、鈴木が悪い、勉強がはかどらない、鈴木が悪い、教科書のkissという単語が俺の情操に訴える、全部鈴木が悪い、などと鈴木さんを讒訴していた俺は教科書文中、高校生の教科書にしては攻めた絡み方をしている男女を発見し、それはもはやエロゲの世界、キスどころかベロチューやんか。と突っ込みを入れてようやっと気づいた。

 俺が完遂しなければならないのはキスだった。

 当然このキスは魚のキスではなく接吻という意味のキスで、ってか俺はなんで釣りをやっていたのか? それはくさくさしていたからだけれどもなぜくさくさしていたかと言えばエイミー家に引きこもっていたからで、でなんでそんなことになっているかと言えば璃々が大変危険な状態で我が家でじりじりしているに違いないからで、それに妹も危ない、不用意に帰宅すればお兄ちゃん一緒に死んでって刺してこないとも限らない、ってそうじゃなくって、俺はそもそも一条京子と仲良くなりたいがために塾に通い始めたのであり、そこで璃々に出会って云々色々語れるんだけど違うんだもっと根本をたどろう、根っこの根っこ、一番太い部分にあったのはリアルエロゲを攻略すること、というthemeで、そうだ、俺は勤勉に英語など勉強している場合ではない、キスをしなければならないのだ、いや、より直截的に言ってセックスをしなければならなかったのだ忘れてた、俺はセックスすることにより後年寂しい俺が創作することになるこのクソリアルエロゲを回避し妻とハッピーライフを送らなければならないわけでそれに失敗したらば鈴木さんだよ、すべてを喪失した鈴木さんのような荒廃人生を、もはや人が生きる上で最低限の尊厳も守られない、安物の缶酎ハイで酔い痴れるだけの無為破滅の人生を送らなければならなくなるのであり、嫌だ、そんなのは嫌に決まってる、と俺は教科書を恐怖から畳み碇ゲンドウ組んだ両手の上に顎スタイルを作り、では、どうするのか。

 何が何でもセックスする。

 妖精さん。『はい、何でしょう』。俺、セックスがしたいんだ。『それはそうでしょう』。いや、そんな軽い感じで……ってまあいいよ、俺が訊きたいのはエイミーのことなんだ。『エイミーがどうかしたのですか』。エイミーはさ、今まで特別意識したことはないんだけど、所謂攻略対象と見ていいの? モブじゃない、攻略対象キャラだと考えていいの? との俺の質問に『私はチュートリアル、ゲームの操作法を教える係なので、そこまでの情報は』とつれなく答えるのでイラッ、ふざけんなよちゃんとやれよ、俺は海に向かってゲロ吐く人生なんてまっぴらごめんなんだよと思考でまくし立ててみると妖精は鼻につく声で、『貴方のエロゲ脳で精査すれば分かることでしょう』と嘲る調子、俺は、分かることなら教えてくれよ、と思ったが妖精はうんともすんとも言わなくなってしまい、これがゲームたるゆえんなのだろう仕方ない、では労を惜しまずエロゲ的に解釈してみよう。……まず、入学式でヒロインを匂わす程度に接触、さらには寺で奏姉ルートに入る直前に現れたのは隠しヒロインの可能性が大、そして、だよ、今俺らは一つ屋根の下に暮らしているわけで、これはエロゲの定番シチュエーションであり、そして日々のお勉強を通して仲良くなる日常イベントも経てからの今日の海釣り、これはデートイベントと解釈することもできるわけで、その肝が酔っ払いつまり鈴木さんから彼女を助けたシーン、これがデートイベントの最高潮、フラグが立った瞬間である、と仮定することはできまいか。

 完璧やんかと俺は思った。完璧じゃんねと僕は思った。完璧だなと私は思った。三回思ったが妖精は正解とも外れとも言わず、頑迷固陋の奴め、まあいいやってしかしだよ、俺の、ここのところサボっていたエロゲ脳で思考しむればフラグはかっつかつに立っている、となると、デートの次にやることは、ヤること。ね。単純馬鹿と嘲られるかもしれないがエロゲ的に考えてエイミーは攻略対象キャラでありすでにリアルエロゲはエイミールートにずぶずぶ入り込んでいて、後は同衾して感動のエピローグを迎えるばかりである。

 うわあ。と俺は思った。うわあ。と俺も思った。うわあ。と俺の俺も思った。などと客観描写により自らを落ち着かせようとするも心は思考は千々に乱れ幼少のみぎりより学習してきた桃色用語が脳内を暴れ回り震度5弱の揺れ、くらくらくわんくわん、視界まで振動し始めてしまい、極度の緊張に気分の悪くなった俺は教科書を片付け貸し与えられている部屋へ、ベッドに飛び込むと間もなく眠りに就いた。夢の中でキスが一匹、釣り上げられた岸壁の上でぴちぴちしていた。


 目が覚めた時には日が暮れていた。そういえば釣りに行くために早起きしたからなあ、寝不足だったんだ、だからがっつり眠ってしまったのだ、と自らを実況解説しながら一階、居間に下りていくと誰もいなかった、MumもDadもAmyもおらず暗い部屋、電灯をつければ食卓に鰻丼が置いてあった。

 俺は着席し、鰻丼を食いながら周囲を観察した。居間のソファにはエイミーの鞄が落ちている、親父さんの鞄は見当たらない、食卓の椅子はエイミーのが若干引かれているように見え父母の椅子はぴたりと背もたれをテーブルにつけていて動かされた形跡がない、食器洗い乾燥機に食器はなく、片付けられたのかもしれないし初めから食器など入っていなかったのかもしれない。

 エイミーは家にいる、父母はいなさそう。

 観察により導き出された仮説を強化すべく俺はリモコンで電源ボタンを押し、するとテレビが点灯したのはテレビの横側に突起している電源ボタンを押して消灯したのではなくリモコンのボタンで電源を落としたからで、これはエイミー特有の、いつも電気代の無駄だからと両親に怒られている悪癖であり、これは最後に操作したのがエイミーである証左で、つまりエイミーは在宅、それを正す両親は不在、という仮説をますますもって強化する。どくん、と心臓が夢で見たキスのように跳ねた。

 俺は鰻丼を掻き込んだ。興奮が、陰茎が怒張する時のように湧き上がってきたからで、ってか実際に今俺は勃起しつつあり、っていうのはあれだよ、エイミーが自宅に一人っきり、両親不在、一つ屋根の下、男女が揃えばもうやることといえばヤるってことで、フラグも立てきった、ならば今現在は「ユウ。実はあなたのことが好きなんデス。お願い、こっち来てデス」みたいな告白からのセックスイベントに突入すべき機なのであり、俺はセックスがしたい、卑近に言えばヤりたい、ヤることによって俺は救われるのであり同時に未踏の快楽があるってんならそりゃヤるしかないわけで、俺はエイミーが用意したと思しき鰻丼を完食、ズボンに陰茎の屹立した跡をはっきり現しながら、ってかもう鰻丼ってのが誘っている、昔で言う和歌、平安人は和歌を歌うことにより恋愛オッケーかノットオッケーかの意思表示をしていたらしく、となれば鰻丼、これは精力剤の側面も擁しているのであり、だから俺は今カチカチに勃起しているわけで、つまりこれはエイミーからの和歌、これを食べて後今晩、私の部屋においでませ、という誘いなんだな、君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る、そう、これはエイミーと俺の秘密の睦言、隠事であり、高校生活における最初の情交、touch for the very first timeであり、ここから俺たちのめくるめく桃色性生活が始まるのでした語り部調、だから俺よ、怯むことはない、ただクールにやることをやればよいのです。なんて、半狂乱状態でも俺は歩みを止めずエイミーの部屋のドア、下から漏れる微かな明かりを見て、あゝ、あゝ、とわななきながらも据え膳食わぬは男の恥、えいやと喊声、部屋の中になだれ込んだ。

「ユウ。好きデス。しましょう」

 とエイミーが言う。はずだったんだけどね。

 ドアの向こう、煌々と蛍光灯の照る室内には金髪を輝かせるエイミー、さらにはなぜだか戸狩照様が傲岸不遜に座ってらっしゃって。

「うわ」と短く言った戸狩照様は俺を軽トラに轢死したウシガエルのようにぶしつけに見、それから視線を下ろし股間の盛り上がりに気づいたようで顔を引きつらせ、「うーわ、サイテー」と吐き捨てた。

「ヘイ、ユウ! よく眠れましたか?」とエイミーが訊くので、「あ、はい」なんて間の抜けた答えを返すと「暢気なもんね」と戸狩照が吐き捨てるのでありムカッ、と来るものの抑えて紳士的に「あの、なぜに戸狩照がここに?」とエイミーに問うと「あんたばかぁ?」と戸狩照がカットイン、「あんたのために来てあげたんじゃない」と意味の通じないことを言う。「俺のために? ってか、お前がいなかったほうが良かったはずで」「なんで?」と、大阪のたこ焼き屋のおっさんがピックでたこ焼きを突くような鋭さで戸狩照は問い、黙ったまま腰を少し引いた俺を見て「うわ、マジなの? サイテー。夜這いだなんて、獣のすることよ」と言い放つ姿は生意気のマッターホルンであり、こいつを泣かせたい、完膚なきまでに叩きのめし号泣させてやりたい、さながら赤ちゃんのように、と攻撃性を勃興させ始めた俺の様子を見て取ったエイミーが「ユウ。テルはとても大事な話を持ってきてくれたデス。人の話は聞くものデス」と宥めるのでここは年長者の顔を立てましょう、俺は憤怒と怒張していた陰茎とをひゅるひゅる弛緩、収縮させて「俺のために来たって、どういうこと?」と戸狩照に尋ねた。

「ほんとは嫌なんだけど、あたしも関係者っちゃ関係者だし」と戸狩照は意味不明の前置きをし、スマホを操作して画面を俺に見せつけた。青い空に積雲、その下にブロック塀、空き地。「これが?」と訊く俺に「ちゃんと見なさいよこのメクラウナギ」と罵倒してくるのがイラっとするもののエイミーも支持する大事な話らしいので目を凝らす。「なんか、空き地? 空が広いっつーか」言っているうちにブロック塀に既視感を感じ、「あっれぇ?」と目を細める、空き地?の中に黒い物体が映りこんでいて、何かしらが燃えた跡のように見える、どくん、どくん、どくん、と耳の裏に拍動を感じる、目が泳ぐ、「これ絶対見たことあるんだけどなあ、どこだっけ、あとちょっとで思い出しそうなんだけどなあ」などとうわ言のように言うと「表札」と、簡潔に戸狩照が言い、見た表札、小さな字、画像を拡大、「尾前」の文字、画像を縮小、見慣れたブロック塀、我が家のブロック塀、もう一度拡大、表札に「尾前」。

「家が……俺んちが……消えてる……」

 俺がぎりぎりの真実を述べたところ、その中に内包された僅かな欺瞞を戸狩照が喝破した。

「あんたんち、焼け落ちたのよ、だいぶ前に」


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