1 プロローグ
1 プロローグ
悠くん。
唇がそっと触れ合う。
あっ。
漏れる声が艶やかだ。
オレたちは空気を求める魚のように互いの唇を吸った。
(中略)
あ、あ。
ああ。
あん、あん、あん、あん。
という女の喜悦に聞き入り俺は勃興する男性自身を感じながらしかし餌を目の前に待ての指示を受けた飼い犬のような煮え切らない気分を感じているのは目の前のパソコンの画面が暗転真っ暗だからで、エロゲ、今俺はエロゲをプレイしていてまさに肝心要のエロシーンに突入しているのだけれどなぜ画面が真っ暗かというとそうプログラミングしてあるからである。無体な。
ああ、あん。
なぜエロゲの本質であるエロシーンが事件現場をブルーシートで覆うように暗闇で伏せられてしまっているのかというと俺は十五歳、華の高校デビューを控えた十五歳つまり未成年だからで、でも十八禁ゲーム買ってんじゃんって思ったあなたは鋭い洞察力の持ち主だなふふふってことでさらに説明しよう、我が家は両親共に会社勤務、というと一般普通の家庭を思い浮かべるだろうけども父はエロゲシナリオライター、母はエロゲ原画家、二人は青少年の居る茶の間に仕事の話、より正確にはエロの話を持ち込む筋金入りの仕事人間で、言語を解し本を読めるようになった幼い俺にテストプレイと称して開発中のエロゲを渡しプレイさせるのが常の話、故に俺は十五歳にして、ってか年齢一桁の頃からエロゲに親しんできたのだけども、と言えば真面目な方は幼児に対する性的虐待だと糾弾されるだろうけども父母は一策練っていた、というのは、エロシーンだけ画面が真っ暗になるようプログラミングしたものを俺にプレイさせていたのである。用意周到である。しかしこの奇策のおかげで俺はエロゲのテストプレイが可能となり、人情の機微や綾というものをいまいち解さぬものの世の中には恋愛という男女間の不可思議な交友があると知り、その交友が発展すると最終的には暗転した画面プラス喘ぎ声に行き着く、と知ることとなった。ませた餓鬼。事実俺は脂肪の付き方が洋ナシ型で腹部が突き出がちのまるで餓鬼だった。
いや、いやん。
で、成長過程において、しかも多感なティーンエイジャーの時期にエロゲ漬けにされた人間はどうなったか。パブロフの犬が鐘の音でよだれを垂らすように常に恋愛に反応し、小学生の時点で恋人とキスしてしまうような乱れた人間になってしまったのか。
ならなかった。
なぜならば恋愛には相手が必要だからで、イモい現実、皆遅熟で色恋に興味を示す女子は周りにいなかった。ということであれば幸せだったのだけども実際のところは単に俺がモテなかっただけ、不純異性交遊に励む男女はちらほら見かけたしキスまで行ってる発展的な小学生カップルもいたのだろうけど俺はそういった恋愛常勝軍団に入団すること能わず陰陰滅滅とした人生を送っていた。俺は俺を拒絶する世界を恨み、そしてその時分喘ぎ声の意味は分からなかったが両親が供給するエロゲに重度にのめり込んでモテないという鬱を散じていたのだった。
あ、ああーん。
そうしてエロゲ世界に没入していくと一長一短があって、まず短を挙げると、ちょっとじめじめ暗い人、というレッテルを貼られ、トモダチだと思っていた人々が遠ざかり孤独、独りカラオケで演歌を熱唱して滂沱の涙する、という状態に零落してしまったのであり、これには参った、参ったんだけど学校生活が破綻するほど独りになってしまったわけではなくって話が終わらないので長に行きましょう、一長、それは語彙が豊富になった、という点であり、例えば同級生の阿呆が「ちんこ」「ちんぽ」と言ってげらげら野卑に笑っている横で俺はペニスだの男性自身だの屹立した肉棒だの言い換えてみせて、結果級友の尊崇を集めることになったのだった。という、例のしょうもなさからお気づきの方もいらっしゃるだろうですが、十八禁方面で高まった下のほうの語彙力は主に男性層で受け、しかし女子からはまるで不発弾のように遠巻きにされる遠因にもなった。調理実習で俺が持っていったきゅうりを念入りに洗うんだもん、傷つくよね。
ん、んあー。
幼少期よりエロゲに親しんだがためのエロゲ脳の形成、発達。この最悪の状況に拍車をかけたのが世間の異世界モノブームだった。エロゲ界はピークを過ぎ衰退し始め、サブカルチャーというと風呂敷広げすぎかもしれないが文章で表現するティーンエイジャーのためのサブカルチャー、まあ、分かりやすく言ってラノベですけどもそういったものはほとんど異世界モノに占領せられ、ループだとかラグナロクだとかユグドラシルだとか、所謂ファンタジー用語がその文化の享受者の共通言語になってしまった昨今、エロゲ界エロゲ門エロゲ綱恋愛目恋愛科恋愛属の言語は通用せず異邦人の疎外感をこれひしひしと感じるのであり、やばい、このままではやばい、取り残される、ガラパゴる、俺も異世界モノへと脱皮せねば絶息してしまうなどと危機感ばかり大なのだけれども俺の両親はエロゲばかりを供給しやがる、業腹である、息子がエロゲという衰微していく文明に、いわば地球温暖化で水没していくツバルみたいな島に取り残されるのを、我が父母は良しとするのだろうか。
いや、しない。
と、エロゲで習った反語ってやつだとこう書くんでしょう? でも残念ながら我が父母は息子が学校で言葉の通じない悲しみを感じるのを放置するのであり、つまり今まで通りエロゲばかり息子に与え、本人たちもずっとエロゲに関して茶の間で討論するし作り続けるし、なのだった。これからの時代にそれで生き残れるのか、息子として心配である。なんていらん心配。とも言えないのは中学卒業高校進学と共に値上がりするかに思えたお小遣いがお値段据え置きになってしまったからで、貧窮の財政事情もあり俺は異世界モノラノベに手を出すことができず、それにまあ、エロゲなら両親から無料で手に入るし、ね! と、ね!な感じつまり惰性でエロゲをプレイし続け現在に至るのだった。
ああ、あああ、あああっ。
かくして俺は異世界モノブームから取り残され、友達百人計画から逸脱し、恋人もなく右手が恋人のまま、って、右手が恋人という表現もエロゲで習ったものでつくづく自らのエロゲ脳に嫌気がさすが、人間失格、恥の多い生涯を送って来ました、そしてこれからも送っていくでしょう。死にたい、いっそ死にたい、嗚呼。みたいな体たらくに成り果てて俺は高校入学前夜を迎えたのである。
ああーーーーー。
真っ暗のディスプレイの奥で女が絶叫し、テキストで男が「う」だか「うう」だか言って生理作用を終え黒かった画面が再び彩色される。女の立ち絵。女が言う。
悠くん、すごかったね。
思わず声出ちゃった。
痛かった?
ううん、大丈夫。
悠くんと一緒になれて、幸せ。
また、しようね。