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オール・ユー・ニード・イズ・吉良

オール・ユー・ニード・イズ・吉良~死に戻りの赤穂事件~

作者: 左高例


「なんだというのだ……何故こんなことに……」


 白い寝間着を身に着けている老人は、体を小刻みに震わせている。寒さと恐怖により真っ青な顔色で、目元も落ち窪み酷く焦燥した様子だった。

 部屋といってもそこは小屋の中であった。内部には木炭が俵になって積まれており、物置として食器や行灯などが棚に並んでいる場所だ。探せば明かりを燈す道具も見つかるだろうが、老人はそうしようとしない。

 座り込んで、脇差しを抱えるようにしている彼の呼吸は荒い。

 一呼吸ごとに冷え切った冬の明け方の空気が喉を刺激して、緊張も伴い吐き気すら催した。口の中はからからに乾き頭の奥から痺れるようで、何か良い手立てを──己がするべき行動を考えることさえ出来ずに、何度も走馬灯めいた益体もないことばかりが思い浮かんでいた


 時は元禄十五年(西暦1702年)、十二月十四日。厳寒で雪も江戸中に積もる──そんな季節だった。

 場所は江戸の本所両国橋近く、吉良家の旗本屋敷である。

 震えている老人は吉良義央──となれば、この有名な状況も大体は説明不要だろう。

 それでも大まかにこれまでの経緯を並べると、


・遺恨のあった浅野長矩が江戸城殿中で吉良に切りかかり切腹になった。

・吉良はその後仕事を隠居してこの屋敷に移り住んだ。

・今まさに、浅野長矩の家臣らが襲撃に来ている最中で吉良は隠れ潜んでいる。


 という最初からクライマックスな状況に置かれている。

 細かい経緯や恨みの原因などは諸説あるが、吉良はそれどころではない。


「このままでは殺される……どうしろというのだ……」


 屋敷中を走り回るドカドカとした赤穂浪士の足音がまだ響いている。

 先程までは幾人かの忠義ある吉良の家臣が抵抗をしている声や剣撃の音や気合の声が聞こえていたのだが、それもなく自在に敵が屋敷を動き回れているということは、討ち取られたか降伏したか。

 屋敷の中にある長屋には家臣団が百名以上は控えているのに、敵を退けた様子はない。

 その中には吉良家の当主である孫の吉良義周も含まれる。とても武人とは云えない、病弱ですらあった彼すら吉良を逃がす為に槍を手にしていた。

 それらが死んでしまったのかと思うと、ぞっとする。

 だが、それでも、


「死にとうない……」


 と、吉良は嘆いた。

 誰だって死にたくなど無い。殿中で斬りつけられて大怪我をし、改めて吉良はそう考えるようになった。 

 命あっての物種だ。生きてさえいれば、立場などどうでも良い。だからこそこうして名誉ある仕事を辞して、隠居生活を楽しんでいたというのに。

 

「大体、浅野が斬りつけてきたのがいかんのだ……それを逆恨みしおって……」


 恨み言を漏らしても自体は一つも好転しないし、絶望的な状況を打破できる考えもないのだが弱々しい言葉は自然と漏れ出た。

 数十人の敵が跋扈する屋敷から脱出するなど不可能だ。援軍の宛もない。連中が、吉良はとっくに逃げ出したものだと誤解して引き上げてくれることに一縷の望みを託しているが、普通に考えて屋敷の周囲には見張りを置いているので逃げていないことなどわかっているだろう。

 つまり、吉良はもう助からない。

 それが彼にもわかっていて、どうしようもない絶望が手足を凍えさせる冷気と共に這い上がってくる。

 自然と、涙がこぼれていた。武士としてあるまじきことだと自覚しても止まらない。

 

「吉良ァ──!! 何処だ!! お前を討つ!!」


 激しい怒号が近づいてくる。心胆が縮まる思いをしながら、入り口を見ていた。

 薪を並べてつっかえ棒のようにしてある引き戸に、横一文字の白刃が通った気がした。


「はああああ!!」


 叫んだのは戸の向こう側に居た男だ。声と同時に、戸に蹴りが叩き込まれて横に一旦切られていたそれは真っ二つに分解しつつ内側に吹き飛んできた。

 大砲でも打ち込まれたかと思うような、凄まじい衝撃であった。

 びくりと吉良は身構えて、襲撃者を見る。

 仇討ちの興奮で血が滾っているのか顔を真っ赤にしている男が部屋に踏み込んできた。

 武器は十文字槍。室内で使うには長大な武器だが、威力は鎧武者を刺し殺すに十分だ。勿論、襦袢一つの老人など紙のように突き通すだろう。


「そこか!! 吉良!!」

「く、来るな!」


 咄嗟に手元にあった薪を投げつける。腰が完全に引けていた。上手いこと目にでも当たらない限り効果はないだろう。

 それでも他に方法も無く、続けざまに薪を何本も投げた。

 

「馬鹿野郎!!」


 腹の奥から叫ぶ罵り言葉と共に、相手の浪人が部屋に踏み込んでくる。

 一本目の薪を、十文字槍を大きく振り回して空中で弾き飛ばした。同時に弧を描いた槍の軌道にある炭俵や棚などが飴細工のように横薙ぎの一撃で吹き飛ぶ。老人の投げた薪を軽く打ち払う、という強さではない。当たれば人体が千切れ飛びそうだ。

 槍を大きく振り回しながら、浪人はその遠心力を利用して上段回し蹴りで続けて飛んできた二本目の薪を蹴り払う。飛んだり走ったりできるように予め細工されている浪人の袴では蹴りも自在に行え、長物を振り回した威力をそのまま足に伝えて蹴り飛ばした薪が木の壁に突き刺さるほどだった。


「うあああ!」 

「こんな攻撃で!!」


 薪を取り落として、手元にあった炭火を熾す皿を投げた。襲撃者は片手に十文字槍、もう片方の手に太刀を取って皿を真っ二つに切り払う。

 

「吉ィィィ良ァァァ!!」

「ひいいい」


 吉良はもはやこれまでと思いながらも、唯一持っていた脇差しを抜き放って寒さと恐怖から感覚が無くなった手で握った。

 奥歯がカタカタと鳴る。相手が羅刹めいて見えた。恐ろしい鬼が襲ってきている。体中の熱が、戦う前から失われていくのを感じた。

 男の背後から騒ぎを聞きつけた仲間の浪士が駆けつけてくる。

 そしてそのうちの一人が襲撃者の背中に声を掛けた。


「待て! 武林たけばやし! 先走るな!」


 武林と呼ばれた男は目まで充血している赤い顔を向けずに叫んだ。


「いいや今!! 俺が吉良を討つ!! ヘァアアアアア!!」


 気合の声と共に、吉良は死が迫ってくるのを感じた。

 先程の薪を払い落とした腕前もそうだが、尋常な武芸の使い手ではない。万が一にも、まともに剣術をやったことがない吉良が勝てる相手ではないだろう。

 武林は大きく吉良の方へと跳躍しながら、体全体を捻り回転させて十文字槍を大きく振り回した。

 吉良が槍の姿を見失うほどの速度であった。

 薙ぎ払わえる槍の一撃で脇腹を貫かれ、また肋骨も砕かれた。


「とぅ!!」


 更にぶちかました槍を手放して男は接近し、上段回し蹴りを叩き込んできた。吉良は己の顔面が吹き飛んだかと思うほど衝撃を受けた。顔の中心を蹴りぬかれたのだ。

 首の骨が鈍い音を立てる。

 血が溢れ、肉は砕け、骨が折れている。頭蓋骨の中で脳も潰れたかもしれない。複数箇所の致命傷を受けながら、吉良はまだ生きていた。

 生きて、そして首の骨が折れたことにより呼吸ができなくなり、死ぬまで苦しんでいた。

 

「吉良ッッ!! このッ!! 馬鹿野郎がッッッ!!」


 武林と呼ばれた浪人が何かそんなことを叫んでいることさえ聞き取れて──吉良は泣きたくなりながら、その生命を終えるのであった……





 ****** 



 

  

「はっ!?」


 吉良は跳ね起きた。体中びっしりと汗を掻いていて、布団が湿り凍えるように寒かった。

 

「布団……?」


 と、吉良は自分が寝ている布団と、己の両手を見やる。毎日使っている高級羽毛布団(彼の知行地である三河国幡豆郡は水鳥が多いので作らせた)であり、何も変わりはない自分の手だ。

 恐る恐るシワだらけの顔に触れる。血は付いていない。そして折れたはずの首、十文字槍で刺された脇腹を撫でる。恐怖が蘇り歯が鳴ったが、やはり何処にも怪我はないようだった。

 

「夢……か?」

 

 混乱した頭で彼はそう呟いて、安堵の息を吐いた。

 そうだ、生きているのならばあれは夢だったに違いない。近頃、赤穂浪士が怪しい活動をしていると噂を聞いて不安だったから見てしまったのだろう。

 嫌に現実味を持っていた夢だが、所詮は泡沫のこと。

 吉良は胸を撫で下ろして、動悸が自然に収まるのを待っていた。

 すると──


「ご隠居様。六ツ半(約午前7時)でございます」

「おお、わかった」


 家来の一人が、従者に水桶を持たせて部屋にやってきた。

 毎朝この時間に起床することになっていて、いつも通りに顔を洗う水桶も運ばれてくる。 

 悪夢による寝汗を掻いて気分が悪かった。そこに冷たい水はありがたい。

 吉良は起き上がり、着物を肌脱ぎになる。冬の寒さは老骨に厳しいが、顔を洗う際はそうするのが武士の作法であった。

 

「む……?」


 と、水に付けた手指に痛みを感じる。 

 爪の先が傷んで水が染みた。そこは確か、一昨日(・・・)の夜に爪を切ろうとして誤って切ってしまったのだ。

 

(確か昨日の昼には治っていたはずだったが……)


 確かに昨日も朝には染みて痛んだが、昼過ぎに知人と茶会をしたときには気にならないぐらいに塞がっていたというのに。

 悪夢を見て強く手を握り、傷が開いてしまったかと思った。

 

 顔を洗うと朝餉の時間だ。吉良は隠居してから、吉良家の当主である義周と共に朝食の席に付くことが多い。

 義周は実の孫でありながら、養子として吉良家にやってきた男であった。本来嫡男であり、義周の叔父である吉良三郎が亡くなったので迎え入れられたのだ。

 年はまだ18で少年の幼さを顔に残している。体が弱く、武芸などに励むことも出来ないのでより華奢に見える容姿が年齢を下に見せた。


「お早うございます、父上」

「うむ。お早う、義周。さてと、今日の朝飯は……」


 向かい合って座り、膳を見る。炊きたての白米に味噌汁、カレイの干物を炙ったものにおろした大根が添えてあり、白湯が仄かに湯気を立てていた。

 吉良は見回して首を傾げる。


「なんじゃ。今日も鰈の干物か。昨日の朝と同じだのう」

「父上? 昨日の朝は確か、大層冷えたからと煮込みうどんではございませんでしたか」

「それは一昨日だった気がするが……はて?」


 まだ若い息子からハッキリ言われると自分の記憶が疑わしくなる。

 物覚えが悪くなるのは年の常だが、自分がそうなるとやや暗澹とした想いを感じた。


(明日、また明日となる度に頭がボケてくるのか……)


 と、思うと早めに仕事を隠居した判断も正しかったかと思う。

 またボケたせいで浅野内匠頭に切りつけられてはたまらない。

 ふと──

 義周が味噌汁椀を手に持った仕草を見た吉良の記憶が浮かび上がった。

 こうして毎朝食事を共にしているのだから、味噌汁を飲む姿ぐらい何度も見たことはあるのだが。

 鮮明に、何かと重なるように、吉良はその行動の先が浮かんできた。


 今日の味噌汁は熱々で、中の豆腐までしっかりと火が通っている。元来猫舌の義周に合わせて、いつもはぬるめに作るのだが特に寒い今朝は念入りに温めたのだろう。

 義周はその熱い豆腐をすすった拍子に二欠片吸い込んで、熱さで舌を軽く火傷する。

 その光景が浮かんで、吉良は制止しようと手を上げたが遅かった。


「あ──! あ、す、すみません父上。つい油断を……」

「い、いや……気をつけるのだぞ」


 その、義周の言葉も記憶通りだった。

 一体どういうことなのか。訝しがりながら吉良はいつものように──昨日のように、朝食を終えた。

 


 隠居したことで吉良の生活にはゆとりが出来た。

 城仕えの頃は毎朝朝食を取り、内湯で身を清め、上等の裃をきっちりと着こなし、遅くとも朝四ツ前までには家来を連れて登城せねばならなかった。そこから高家として儀礼や典礼に関わる指導、指揮、書類の整理に加えて江戸城にやってくる様々な大名旗本らとも折衝せねばならず、忙しい日々であった。

 賄賂を貰っていたのも、賄賂を渡してくる相手はそれだけ仕事を処理する優先順位を上げて欲しいと言う必死な想いから金品を特急料金として渡してくるので、むしろそちらの方がわかりやすくて助かっていたぐらいだ。

 しかし隠居した今はそのような煩雑な仕事とは関わり合いのないことだ。


「さて……おい、今日は誰ぞ訪ねてくる予定があったか?」


 吉良がそう尋ねると、彼の隠居前から仕えている家老の左右田重次が出てきた。

 吉良は隠居したものの当主の義周は江戸城で仕える役目には就いていないので、江戸住まいの家老らもそれなりに暇をしている。

 だが彼の応えた言葉に吉良は固まる。


「本日は……山田宗偏様と茶会の予定がございます」

「な……」


 山田宗偏。宗偏流の茶道を起こした、本所に住まう僧であり吉良が隠居してからは家も近いこともあって、度々茶会を開いていた相手でもある。

 それは良いのだが。

 彼とは昨日も茶会をしなかっただろうか──正確に言えば、あの無残な夢に繋がる昨日の昼間に。

 記憶が、蘇る。

 ハッキリと、これから起こる茶会で行う話題や茶の味なども吉良の記憶に再現されていく。

 彼は無意識に、槍の突き刺さった脇腹を押さえながら重次に尋ねた。


「のう、重次──今日は何日だ?(・・・・・・・)

師走の十四日(・・・・・・)でございますが……」


 吉良は、狐に頬をつままれたような気分になった。

 それは彼が昨日だと思っていた──殺された日の日付である。





 ********





 それから、吉良は暫く夢でも見ているかのように過ごしていた。

 茶会ではやってきた山田宗偏から、やはり覚えのある会話を振られてそれになんと応えたかはっきりと覚えていない。

 時間が進めば進むほど、嫌な焦燥感と確信的な既視感に吉良の顔色は悪くなっていった。

 夕飯の、やはり見た覚えのある津軽藩から届いた鮭と大根を煮しめた好物の料理も箸が進まなかった。

 そうして夜が来て、布団に入っても心臓がバクバクとして堪えていたところで──


 門が打ち砕かれる音。

 

「火事だ!」


 という大きな叫びが響き渡り、屋敷中をドタバタと走り回る足音がした。

 すぐさま吉良の部屋に家臣がやってきて、


「見てまいります」


 と、出て行く。

 ガチガチと吉良は既に歯がなっていて、暫くすると義周と家老の小林平八郎が慌ててやってきた。体が弱い義周は血の気が失せた顔をしているが、槍を手にしている。


「ご隠居様! 赤穂浪士の襲撃でございます!」

「ううう」


 あまりの──記憶通りのことに、吉良は呻いた。


「我らは家臣団と迎え撃ちます故に、父上は隠れていてくだされ!」


 本来ならば。

 敵の襲撃であれば当主の義周を真っ先に隠すなり逃がすなりせねばならないのだが、この場合は違う。

 赤穂浪士の狙いは吉良義央。彼が討ち取られれば即ち敵の勝利となり、吉良家の面目も潰れてしまうだろう。

 腰を抜かしたようにしている吉良を引きずって二人とお付きの家臣らは吉良を台所裏の物置に連れて行った。

 待ってくれ、と言いたかった。 

 襲撃者にはあの鬼のように槍を振り回す男が居て。

 それはきっと義周などでは勝負にならずなぎ倒されてしまう。

 自分がここに隠れていてもすぐに見つかり、殺されてしまう。

 別の方法を取らねば──だがそれが思い浮かばず、吉良は物置に残されたまま家臣らは戦いに行った。決死の迎撃戦である。彼らも、夜襲を掛けた相手が危険極まりないとは理解している。だが逃げず降伏せず、吉良を守る為に戦うのだ。

 

 そして半刻も経たないうちに、吉良の隠れていた小部屋の扉が開かれた。



「吉ィィィ良ァァァァ!! ヘァアアッッ!!」


 

 踏み込んできた顔を真っ赤にした男──武林と呼ばれていた彼は、入るなり短く切り詰めた一間半程の室内専用十文字槍を、横回転させてぶん投げてきた。

 小部屋の棚を粉々に打ち砕きながら勢いを殺さず、大車輪のように槍の投擲は吉良の肩に当たり、骨を砕いた。

 投げた効果も確認せずに武林は小部屋の棚を踏み台にして高く跳躍し、刀を抜いて飛びかかってきている。


「うわああああ!!」


 吉良は落ちてくる武林に向けて、脇差しを突き出した。必死の抵抗だった。

 だが──


「このッッッ──吉良、お前ェッッッ!!」


 武林の飛び蹴りが、脇差しを持っていた吉良の腕を蹴り潰す。棍棒で殴られたような威力だった。


「お前が殿を殺したァァ!! だから俺がお前を討つ!!!!」


 両腕を破壊されて無防備になった吉良の目の前に着地し、武林は持っている太刀で吉良の腹を薙ぎ払う。

 冷たい鉄が通り過ぎ、血が溢れた。

 

(ああ……死んだ……)


 最後に吉良が聞いたのは武林の、


「殺されたから殺して、そんなので本当に戦いが終わるのか……」


 という急に冷めたような言葉であり、そこは記憶と違うのかと遠くなる意識で彼は考えていた。




 

 ******




「はっ!?」


 意識が覚醒する。心臓の血が全身に巡っている。両腕は問題なく動き、切り裂かれた腹部には何の傷跡も残っていない。

 外が明るくなってきている。明け六ツ半のいつも目覚める時刻頃だ。吉良は荒い呼吸を整えながら、目から滲む涙を拭った。

 

「ご隠居様。六ツ半でございます」


 家来が当然のような顔で現れ、従者に持たせた水盥を差し出してきた。

 喉が引きつるようだった。唾を飲み下してなんとか落ち着け、家来に尋ねる。


「……のう。今日は何日だ」

「師走の十四日にてございます」


 吉良は確信した。

 殺された日の朝に戻っている。

 どういうわけかは不明だが、自分は今晩──赤穂浪士の襲撃を受けて無残に殺されてしまう。 

 同じ日を繰り返しているのは神仏が哀れと思ったからか……原因はともあれ、吉良はそう現状を受け入れた。


「逃げよう」




 赤穂浪士の吉良邸襲撃はそもそも狙いが吉良家を潰したりすることではなく、吉良義央の首一つなので彼が外に居れば吉良邸は襲われないだろう。

 そう読んで吉良は、まず屋敷を暫く離れて頭を下げても他家に身を寄せる。

 向こうも襲撃するのが他の旗本屋敷などでは関係ないものを巻き込む為に躊躇うだろう。

 その間に、屋敷で引っ越しの準備を整えて領地のある幡豆へ逃げる。江戸の屋敷と違い、領地の屋敷となれば城攻めの覚悟が必要になる。何十人居るかは不明だが、数十人で攻め落とせるはずもない。


 吉良は現状を素直に受け入れて、見事な回避案を思いついた自分を褒めてやりたいぐらいだった。

 とりあえず身を寄せる先として、非常に親しい津軽采女を頼ろうとした。

 采女は釣り好きで隠居後の趣味として武士に釣りを広めている自由人だ。四千石の領主にして小普請組という役目についている。以前に吉良の娘を嫁に娶ったこともあり(残念なことに早くに亡くしてしまったが)お互いの関係は非常に良好だ。

 予定をキャンセルして吉良は使いを出してから、午後に駕籠を用意させて悠々と屋敷を出ていった。

 そして外に出て道を一町も進まぬうちに、



「吉良ァァァァ!! お前は俺が討つんだ!!!! 今日!!! ここで!!」

「しゅ、襲撃だ! 者共、ご隠居様を守れ!」

「邪魔だッ!!! 俺があいつをッッ!!! お前らは騙されているんだッッッッ!!!」



 外から支離滅裂な叫びと共に、部下がなぎ倒される音を吉良は駕籠の中で聞いた。



「トゥッッッ!!」



 叫びと共に、駕籠は武林の振るった刀によって玩具のように切り裂かれた──中に居る吉良ごと。



「どうしてこんなところに来てしまったんだろうな……俺達は」



 なんかよくわからない武林の言葉だけが耳に残り──吉良は死んだ。




 ******



  


 目が覚めるとやはり寝室で、朝方だった。

 吉良は頭を抱えた。とりあえず枕元の文机を引き寄せて、文字を書く。そうでもしなければ心が壊れそうだった。

 三、とまず殺された回数を記した。

 そして失敗原因を反省する。


「赤穂浪士の連中は、屋敷の周りを見張っている……逃げようと画策すればこれ幸いと道中で襲い掛かってくる、というわけか……」


 まさか白昼堂々襲い掛かってくるとは思わなかった。

 しかしながら吉良もよく考えるに、赤穂浪士の元々の原因であった浅野内匠頭も白昼堂々どころか殿中で襲い掛かってきたのだから、その部下と思えばさもありなんである。

 赤穂浪士らの都合で言えば彼らは困窮を極めており、集団を維持できる期間もそう長くないギリギリの状況であったのだ。どうあっても今月中には吉良を討たねば自滅してしまう。その焦りが、もはや機会と見れば時と場所を選んでられぬと言う強襲に及ばせたのだろう。


「こうなれば他の家に入ったからといって安全とも言えぬかもしれん……」


 吉良が絶望的な顔で呻いた。

 起こしに来た家来らも下がらせて、暫く布団で彼は思案する。

 そして次の案が閃いた。


「待てよ……我が屋敷には百人以上家臣が住んでいる。敵は数十人──百人はおるまい。では予め襲撃に備えて、正々堂々と迎え撃てばいいのではないか」


 夜襲というのは寝静まった相手を襲うから成功するもので、予め備えた場合は飛んで火に入る夏の虫──だと、吉良は思う。

 彼も実戦などはしたことがないが、少なくとも数は二倍こちらに居るのならば勝機は十二分にある。

 仇討ちが武士の華ならば、返り討ちも当然の権利だ。 

 

「やってやる。赤穂浪士など、一捻りにしてくれるわ!」


 もう三度も殺されたのだ。吉良は腹をくくって奮然と立ち上がった。

 


 家老と当主である義周を集めて吉良は説明をする。


「今晩、予予から噂のあった赤穂浪士が当屋敷に討ち入りを仕掛けてくるという情報があった!」

「なんと!」

「まことですか?」

「うむ。敵の規模は数十人、完全武装して儂の首を狙ってくる。これはもう戦じゃ。家臣らに武器を持たせ、今晩は寝ずに襲撃に備えるように伝えておけ!」

「ははーッ!」


 吉良義央のこんなに勇ましい姿を家老も始めてみたという。

 ともあれ、にわかに吉良邸は騒がしくなり物々しさを増した。

 だからといって江戸で暮らす旗本屋敷の家臣らに、鎧兜を揃えている者など居ないのだが武器の手入れを始めていた。

 午後にやってきた茶人の山田宗偏も驚いたほどである。

 そうして夜がやってきて、吉良は動きやすい袴のまま寝室に座り、控えている。近くの義周と家老らも槍や刀を持って待ち構えていた。寝室に居るのも、屋敷の構造上そこが中央部だからだ。

 

「勝てる! あの気狂い藩主の気違い部下共を返り討ちにしてくれるわ!」

「なんか父上キレてますね……」

「嫌なことでもあったんでしょうか」


 何度も襲撃されて何度も殺されるほど嫌なことも無い。

 ともあれ、吉良は勝利を確信して襲撃に備えていた。



 ここで、彼の誤算が幾つかあった。


 まずは彼の家臣団は彼も含めてこの太平の江戸時代にすっかり慣れた、武士とはいえ戦ったことも無い者達であったこと。


 そしてそのような者らの多くは、襲撃が来ると言われても時刻は午前四時過ぎの夜明け前なので油断して寝ていたということ。

 

 戦いに備えていた者らも、実戦経験など無いので覚悟が不確かだったのに対して────


 襲撃側の赤穂浪士は乾坤一擲の捨て身覚悟と、山鹿流の兵学で統一された高い士気の元で襲撃しに来るということ。


 武装は吉良側が袴か着流しを身にまとい、刀と精々数名が槍を持っていたのに対して。

 

 赤穂浪士は全員が鎖帷子に鉢金を着用し、刀を基本装備として槍・薙刀・野太刀・弓矢・大鎚など多種多様な武器を持っていたこと。

 

 事前通告があったとはいえ油断した普段着の素人集団と、完全武装で殺意全開にして襲ってくる復讐鬼達。


 ぶつかれば倍程度の数の差などものともせずに──吉良側の家臣団は右往左往と逃げ惑い、完全に混乱させられていた。


 史実の襲撃事件でさえ、吉良の家臣らは四十名あまりを殺傷されているのに赤穂浪士は誰一人討ち取れなかった程である。


 大乱戦に陥った吉良邸にて、武林の意味不明な雄叫びが響いた。



「もうあいつは敵なんだッ!! なら討つしか無いじゃないかッッ!!」


 

 吉良は死んだ。






 ******






「クソッタレ!!」


 叫びながら吉良は早朝の布団から跳ね起きた。

 慌てた様子で家来がやってくるが追い返し、苛ついたように頭を掻きむしり、文机の紙に四と書いた。


「うちの家臣は何をやってるんだ!! 今度は絶対に徹底させて警戒させて迎え撃たせてやる!」


 そして赤穂浪士らの装備を吉良は初めて見た気がする。今までは問答無用で武林に殺されていたが、前回は何人かと切り合いになったのだ。


「溜めている金を使って鎖帷子と鉢金をこっちも購入だ!! 弓が使えるやつは屋根から狙撃! 槍を大量に用意して槍衾を作れ!」

「父上はどうしたんでしょうか……」

「さあ……」


 義周と家老に怒鳴りつけて、またその後で吉良直々に長屋などを訪問して厳しく夜の警護に当たるように言いつけた。

 その様子を見た山田宗偏が、


「なにあれ……こわ……」


 と、呟いていたがそれはともかく。

 再び夜が深まり夜明け前がやってくる。

 前回起きていたことで襲撃の時刻を掴んだ吉良は、襲撃前にも見回りをしてたるんでいる家臣らを怒鳴りつけた。

 そして門が破壊され、赤穂浪士らが踏み入ると────


 如何に注意を受けていたとはいえ、素人集団はやはりすぐさま烏合の衆と化してしまった。

 下手に防具を同じようにしていたものだから敵味方の区別が付かず、同士討ちが多発。

 錯乱した家臣に吉良は背中を斬られる始末だ。

 まったく切り合いをしたことのない者らが乱戦に入ると、とにかく近くの相手を切りつけようとしてしまうことが多々あるらしい。

 実際に桜田門外の変などでは、襲撃した側にも関わらずに同士討ちで斬り合っていたという。

 背中に熱いものを感じながら、吉良は別の相手が家臣団を蹴散らしながら近づいてくるのを篝火で目撃した。

 火に照らされた真っ赤な顔をした男だ。


「お前はッッ!! お前もッッ! 俺にだってッッ!!!」


 やはりまったく要領を得ない叫びだな……そう思いながら吉良はバッサリとやられて即死した。




 

 *******




 

 死亡回数五。

 吉良は家臣に大きな期待するのを諦めた。

 幾ら注意しようが武装を整えさせようが、扱うのは人だ。その人の質が悪ければ百人居ても二百人居ても結果は同じだろう。

 というか十人以上近くに居たのに片っ端から蹴散らして接近してくる武林の勢いを見て、諦めざるを得なかった。

 

「なんだあいつ……この太平の世で、無駄に一騎当千か!」


 何度も武林に殺されっぱなしである。吉良はあの赤い顔を思い出すだけで、恐怖と殺意が湧いてくる。

 さて、考え方を変えなければならない、と吉良は思う。

 正攻法で迎え撃ってもまず勝てない。では襲撃をさせないと言うのはどうだろうか。

 下手に屋敷にこもっているのだから部下も士気が保てないのだ。表門と裏門に今晩は寝ずの番を三十人ずつ付けたらどうだろうか。

 どうせ襲撃された場合は右往左往するだけで役に立たないのだ。外で迎え撃たせれば、多少なり襲撃の数が減るのではないだろうか。

 あるいはガッチリ固めていると襲撃を諦め帰っていくかもしれない。


「失敗しても死ぬだけだ」


 自分でそう無意識に呟いたことに気がついて、暗い笑いがこぼれた。


 その晩、吉良邸は赤穂浪士らの襲撃を受けなかった。


「やった! 勝ったぞ──」


 朝日が登るのを吉良は庭から眺めて拳を振り上げて──


 胸から生えてきた、銀の刃を見下ろした。


 ごぼり、と口から血が溢れる。背後に誰か居た。藍染の黒っぽい衣装を身に纏い、直刀を持った何者かが。

 屋敷で守りが薄い吉良に忍び寄って、凶刃を差し込んでいたのである。


「仇討ちは英雄ごっこじゃない──! たとえ蔑まれても、俺がお前を──!」


 吉良は覆面で隠した中にある赤い顔を幻視しながら、意識が遠のく。

 東西の門に兵力と意識集中している間に、他の塀に梯子を掛けて侵入させて吉良を暗殺したのである。


(また君か!)


 そんなことを思いながら理不尽を嘆きつつ、吉良は死んだ。





 *******  





 六回目。


 吉良は今晩の襲撃を諦めさせる計画の問題点に気づいた。

 つまりそれは、いつ襲われてもおかしくない状況が続くということだ。

 前回みたく即座に暗殺者が来るかもしれないし、その翌日に来るかもしれない。そんな日々が恐らくは幡豆にたどり着くまで、その移動の東海道中にも続く。

 死亡率はどれほど高いことか。吉良は暗澹な思いに溜息をついた。

 どうあっても、赤穂浪士は今晩で返り討ちにしなければいけない。最低でも二度と襲撃計画が立てられぬ程度に壊滅させねば、後々まで危険が続く。

 

「次は……次は、どうするか」


 落ち込んでいてもあと十刻(二十時間)程で再び赤穂浪士らが襲撃をしてくる。

 本格的にどうにか行動をするにはあまりに短い猶予時間である。


「いや……ある意味長いのかもしれん」


 今晩にまた殺されれば、再び同じ朝を迎えて二十時間の猶予が得られる。

 しかしそれは繰り返しで、どれだけ準備をしても今日を切り抜けなくては意味がない。

 

「援軍は……そうだ! 通報をしよう!」


 吉良は思いついて急ぎ書状を用意した。



 彼が書状を送ったのは本所二つ目──吉良邸からそう離れていないところに屋敷を構える旗本、中山直房にだった。

 中山直房──通称[鬼勘解由(おにかげゆ)]。

 四千石の高禄旗本だが、吉良が知る限りでは高禄旗本の中で最強クラスの武官である。 

 役目は火付改。後の火付盗賊改方であり、放火犯のみならず盗賊も蹴散らし無数に逮捕しまくっていて江戸で恐れられている凄腕の役人だ。

 見た目も獰猛さが顔に現れているようで、このご時世にはそぐわない粗野な輩だと思っていたがまさに今、その粗野な事態が起こっているのだから打ってつけだろう。

 火急の用事であり、付け届けの金も送って呼びつけるようで不躾だが何卒話を聞いてくれと書状にしたためて送ると、どうやら非番だったようで中山直房は屋敷にやってきてくれた。案外フットワークは軽いようである。


「いよーう! 拙者を呼びつけてくれちゃって、ご隠居さんは何のようだ?」


 気安い態度で礼儀も無く挨拶をしてくるが、立場で言えば吉良は隠居老人であり直房は四千石の当主だ。年齢が十五は下とはいえ、そして呼びつけた現況を鑑みればまったく下手に出る他はない。

 直房は五十絡みの男だが、老けているというよりまだ男盛りのままといった精力的な雰囲気をしている。腕や胸元は鍛えているのが見て取れて体つきも弛んだところが無い。役目の合間に剣術を鍛え続けている上に盗賊逮捕の際には本人が前線で戦うと噂のある武士だ。いかにも強そうであった。

 彼を居間に通して、吉良は頭を下げながら頼み込んだ。現職の間は頭を下げるなど屈辱的と思っていたが、何度も死ねばそのようなことは瑣末だと感じられる。


「中山殿。本日、この屋敷は不貞の浪士集団に襲われると報告を受けまして……」

「ほう! そいつぁ、っつぁん。大変だな」


 顎を撫でながらにやりとしつつ直房は告げる。

 吉良が刃傷沙汰の当事者であり、赤穂浪士が遺恨を晴らそうとしているという話は江戸中に広まっているのだ。彼が襲われるとなれば相手は赤穂浪士に他ならないだろう。


「そやつらは火を付けて撹乱させるという話も、手の者から聞いております。火付改の中山殿に、どうかご助力を頂いてそやつらをひっ捕らえて頂けないでしょうか……! お礼は幾らでも致しますゆえ……!」

「なるほどな。火を付けるたぁとんでもねえ輩だぜ。周りには他の屋敷もあるし、裏手の回向院が燃えちまったら大変だ」

「まったくでございます! どうか、お力添えを……!」


 すると男は輝くような頼もしい笑みを浮かべて胸を叩いた。


「おいおい、頭なんか下げねえでいいって。拙者ァ、火を付けるやつをとっ捕まえるのが仕事なんだからよゥ。部下五十人とも、放火魔は根こそぎ許さねえ強者揃いだ。大船に乗ったつもりで任せときな!」

「よろしくお願いします……!」


 よっしゃ。

 吉良はそう思って胸を撫で下ろした。

 江戸の武士で殆どは吉良の家臣のように腑抜け揃いだが、盗賊改と火付改の部署に勤める武官は違う。相手は盗人とはいえ武器を持っていることも多く、命がけでそれらと戦う集団である。

 それが五十人もいれば赤穂浪士の尽くを召し捕ってしまえるだろう。

 そもそも仇討ちとはいえ、仇討ち免状などは発行されていない私闘まがいの襲撃である。一度捕まえれば二度と立ち上がることはできないはずだ。

 吉良は今度こそはと一応身の回りの、真面目に備える家老や義周に襲撃を伝えて、援軍が来るまで時を稼ぎ無理はせぬようにと指示を出して時を待った。

 やがて。



「襲撃だー!!」


 

 そして再び明け方、赤穂浪士達が屋敷に踏み入った。

 武装した吉良側の、暴走しない程度に揃えた家臣らが踏みとどまる中で吉良は庭に出ながら見回した。


「まだか!? 火付改の同心らはまだなのか!?」


 ──その時、南側の長屋の屋根に、火事頭巾を被った黒袴の武士が抜き身の刀を肩に担ぎながら、蹲踞(ヤンキーずわり)で高みの見物をしているのを見つけた。

 一瞬赤穂浪士かと思ったが、思いっきり見覚えのある顔だった。


「中山殿おおおおおお!? 何をなさっているんですかああああ!?」

「あん? ああ、襲撃前によゥ、やっこさんらに事情聴取ってやつをしてみたら、ちゃんと火の元は消す計画で、火事だって騒ぐのは混乱させるためだって説明があったわけよ。で、一応確認のために拙者が監視中」


 赤穂浪士らの吉良邸襲撃計画は実際に火事には念入りの注意が行われていたものだった。

 蝋燭の火は消し、火鉢には水を掛けて蹴倒しても火が回らぬようにしたという。

 仇討ちとはいえ放火してしまえば大義名分どころではない。赤穂浪士は天下の大悪人であり、哀れな犠牲者吉良義央という形になってしまうだろう。故に彼らは火事には細心の注意が払われていたのだ。

 吉良は狼狽して叫ぶ。


「い、いやそれどころじゃなくて!! 今まさに襲撃されているのですぞ!? 助けてくだされぇー!!」

「おいおい」


 直房は肩を竦めて嗤った。


「仇討ちに返り討ちは武士の華だろ? そんなものを官憲が邪魔したら興ざめもいいところだ。つーわけで頑張れよ、爺っつぁん」

「な、なにぃいいいい!?」


 堂々と目の前で行われている襲撃事件を、警察と消防を兼ねた組織のトップに見逃されている。

 史実の吉良邸襲撃に於いても、近所に住んでいた直房が駆けつけたのだが野次馬が入らぬように手配をしていたという。彼は火事にさえならなければそれで良いのだ。

 愕然と吉良は膝をついた。

 別段直房は悪意を持って吉良を助けないわけではない。まあ、吉良が役目の頃から蔑んだような目線を向けられたことは知っていたがそんなものはどうでもいい。

 これは赤穂浪士と吉良の、武士の意地を掛けた戦なのである。


(このご時世ご立派なこって)


 と、感心した直房は完全に他人事なのであった。

 思い入れはどちらにもさっぱり無いので、どっちが勝つか楽しみだなといった観戦気分で見ているだけである。


(だ、駄目だ……! まったく、手伝ってくれるつもりが一切見受けられない!)


 吉良がそんな直房の様子を察したときであった。


武林たけばやし唯七ただしち! 成敗セイバイ!! 出るぞッッ!! 俺にもわからないさ! 何が正しいかなんて!!」


 意味の分からない叫びと共に、武林が突っ込んできた。

 見物している直房が、


「おっ、あいつは確か──」


 と、呟いているのが聞こえたと同時に吉良は背骨をへし折られて死亡した。





 ********




 七回目。


「警察仕事しろおおおお!!」


 叫び目が覚めるは吉良の布団。

 ぼぎゃあ!と筆をへし折りながら紙に七と数字を記す。どうせへし折れた筆も次には直っている。

 前回の教訓。火付改は一切役に立たないというか、役に立つ気が無いことが判明した。

 

「こっ今度は町奉行所だ! 町奉行に通報して警護させる!!」


 吉良は再び書状を作り、今度は町奉行所に援軍を要請した。

 自分は善良な隠居武士であり、それの首を取ろうと屋敷に襲撃してくるのは単なる殺人者の集団である。

 法の下に守ってもらう権利がある。ついでに金もたっぷりと持たせて、月番である南町奉行所へ家来を向かわせた。



 さて、この時の南町奉行は松前嘉弘まつまえよしひろという武士である。

 彼の特徴というか、町奉行をしていたときの逸話で有名なのは一つ。



 町奉行として吉良邸襲撃の後始末を行ったのだが、赤穂浪士の襲撃を忠義の行いだと感激して褒め称えたことである。



 援軍は来なかった。


 そして夜になる。


「吉良ッッッ!! この馬鹿野郎ッッッ!!」

「なんとでも罵れグヘハァー!!」


 首を刎ねられた!





 ******* 





 八回目。

 

「父上、どうされたのですか? このような昼間から酒盛りなど」

「気にするでない。今日だけは贅沢をしよう。部下に宴会に使う酒や肴は買いに行かせてある。山田宗偏殿も呼んで、皆で夜まで酒宴じゃ! あっはっはっはっは!!」


 屋敷中の者が酒で熟睡している中で、吉良邸襲撃は見事に成功して寝こけたままの吉良は首を落とされた。

 家臣らの犠牲はまったく無かったが、襲撃されているにも関わらず泥酔しているとは武士の恥だと沙汰されて、吉良家は改易の憂き目になった。

 





 ********





 九回目。


 吉良は目覚め次第腹を切った。

 悶え苦しむ中で、起こしに来た家来に介錯を頼んだが、介錯をしたことがないその武士は何度も刀で吉良の後頭部を殴りつけて首を切れないという無様さを見せて。

 そして自殺志願者は、死ぬまでに死ぬほど苦しんだ。





 *********



 十回目。


 吉良はこのループが神仏による救いだと当初は思っていたが、怨霊による呪いだと確信しつつあった。

 彼の家系は源氏系なのでさながら将門の呪いだろうか。

 しかし呪いであっても何であっても、このままでは永遠に殺されて戻る一日を繰り返してしまう。

 もう死んであの世に行ければそれで良いとさえ思っているのだが、それすら出来ない地獄だ。邯鄲の夢にしてもあまりに酷すぎる。


「……抗ってやる。何度でも!」


 このまま生きることも死ぬことも出来ないのではないか──

 そんな考えから歯が震えかけたが、吉良は強く噛み締めて決意を口にした。

 かつては怯え、震えていた吉良の目つきは徐々に変わりつつあった。





 ********





「吉良ァァァ!」


「馬鹿野郎ッッ!!!」


「なら討てばいいだろ!! お前も俺を!!」


「お前……! なんだってそんなところに!!」


「自分が何をやっているのかわかって──ヘァ!!」


「止めろ! 吉良は敵じゃな──うあああああ! 馬鹿野郎がァ!!」


「トゥ!」


「お前が本当に倒さないといけないのは誰だ!! お前か!!!」


「吉良は俺達を殺そうとしている!!!」


「ウオオオオ!!」


「ヘァアア!!!」


「馬鹿野郎!」 「馬鹿野郎!」 「馬鹿野郎!!」





 *******




 二十四回目。


 吉良の心が折れそうだった。

 何とか部下をあちこちに配置したりして抵抗させるようにし、赤穂浪士を迎え撃っていたのだが負け続けていたのだ。

 というか武林唯七が強すぎる。部下が紙切れのように吹き飛ばされて、吉良に接近して致命の一撃を放ってくる。

 一応それ以外にも殺されることはあったのだが、圧倒的に武林に殺される回数が多かった。

 

「偶然では……偶然では、やつに勝てない」


 このままでは百回やっても百回負けるだけだろう。

 大人と赤子が戦うようなものだ。ラッキーパンチすら発生しない圧倒的な戦闘力の差。

 吉良は骨張った自分の両手を見下ろした。


 もう六十も過ぎた彼の体はお世辞にも鍛えられておらず、モブ赤穂浪士すら一合二合斬り合うだけで危うくなる。

 その中でも剣客エース級な武林には抵抗すらできずに殺されることが多々あった。

 このままでは勝てない。出会うだけでこちらの負けが確定する鬼札が敵にはあるのだ。

 せめて一合でも二合でも持ちこたえられねば、その隙に味方に倒して貰うなどの戦術も取れない。

 これまでは他人を使って勝とうとしすぎたのだ。試練を乗り越えるには、自分の力を使わねば。

 

「鍛えないと……!」


 吉良義央六十二歳。剣術を学ぶ決意をした。

  


 さて、吉良家中で武芸に優れる──とはいって、精々が赤穂浪士1.5人分程度の強さで、襲撃時には二人以上に襲われて討ち死にするのだが──者も何人か居る。

 自己申告的に武芸の強さは聞いていたが、二十回に及ぶ実戦での動き方から一応戦力として活躍していた者達を吉良は選出した。


 一人は家老の小林平八郎。槍の使い手であり、義周にも槍を教えている。押し込んでくる赤穂浪士に槍を振り回して対抗するが、押し囲まれて死ぬ。


 一人は清水一学。吉良の近習で目にかけている(非性的な目で)。死んだ息子にどことなく面影が似ているので贔屓目で見ているが、二刀流の使い手で若さもあり奮戦していたが、まあ大体吉良より先に死ぬ。


 一人は山吉新八郎。義周の近習役。一刀流の使い手だ。吉良が見たところ彼は強く、モブ赤穂浪士三人分ぐらいはある。しかも生き残るパターンも多い。


 どれも武林に会うと殺されるが、少しは持ちこたえることもあった程度には使い手だ。

 とりあえず吉良はそのいずれかに声を掛けて、武芸の手ほどきを頼もうとした。




 失敗した。



「吉良……」

「武林……」


 何とも言えない感じでその夜に即死した。



 

 

 ********





 二十九回目。


 何度か試したが、吉良は家臣から武芸を学ぶことを諦めた。

 武芸を諦めたわけではない。家臣への鍛錬を乞う行為を何周も繰り返したが、満足が行く鍛錬は行われなかったのだ。


 考えてみても欲しい。

 例えるなら去年まで自分のところの社長で、引退したけど会長としてまだまだ会社に顔を出してる人物が。


「へぇ~君ってスポーツとかやってるんだ。ちょっと教えてくんない?」


 と、六十も過ぎてるのに年甲斐もなく会社の役員や若手社員に絡んでいるようなものだ。

 やりにくいにも程がある。大体、年を考慮してどうしても教え方は優しくなる。

 だが当人が必死こいた顔で、


「ちゃんと実戦で使えるぐらい教えろよ!! 舐めてんのか!!!」


 と、キレてくる始末である。教えて初日なのにその調子だ。

 無理にも程があった。 

 

 無理を悟った吉良も頭を抱える。このままでは武林瞬殺ルートから抜け出せない。


「剣術の達人で、儂に気兼ねなく厳しく教えてきて、今日の都合がつく人物など……」


 溜息混じりに項垂れていた吉良が、ぱっと顔を上げた。


「一人居た」


 吉良は書状と金を用意した。



「いよーう、年寄りの冷水で武芸を学びたいなんて奇特な爺っつぁんはあんたかい?」


 屋敷に招き入れた中山直房は歯を見せて笑いながら気さくにそう告げてきた。

 それに相対する吉良も気後れすることも、卑屈になることも無くビシリと姿勢を正している。一度見殺しにされて以来頼ることを思い浮かばなかったが、彼しか頼める相手は居なかった。

 直房は自前の屋敷にわざわざ道場を作って、家臣や息子に孫までビシバシ鍛えているともっぱらの評判である。実戦でも盗賊らとやり合い、恐らく江戸で一番実戦経験のある旗本だ。

 

「それにしても意外っつーか。やっぱ殿中で切りつけられたこと気にしてんの? あの時ブシャァ!っと反撃で斬り殺しとけば面倒な事にならずにすんだとかさぁ」

「中山殿」


 びしりと伸ばした背筋を深々と曲げて、吉良は頼んだ。

 素直に目的を告げて訓練を急がせて貰うのだ。


「今晩に赤穂浪士らが踏み込み、屋敷の中で切り合いになるでしょう」

「ほう」


 彼は面白そうに顎を撫でながら目を光らせた。


「うちの方でも、市中で怪しい動きをしている浪人共が居るって動きは掴んでいるが……当の襲われる本人が言うってことはその情報、間違い無さそうだな」

「それで、今晩までに儂を鍛え上げて、奴らと切り合い勝てるまでにしていただきたい」

「ふぅん。ちょっとあんた立ちな。そして刀持って振ってみろ」


 直房に言われてその場に立ち、腰から抜いた刀を構えて振ってみる。

 重い、と吉良は思う。

 これを振っているときは実戦の最中だ。脳内物質がドバドバと分泌されて重さや疲労どころじゃなくなっている状態ならば振れたのだが、今は振るだけで腰が曲がりそうだった。

 直房も顔を顰める。


「そりゃ無理だ。夜までって云ってもあと……何刻だっけか?」

「正午の鐘がさっき鳴ったから……あと八刻程です」

「明け方近くだな。どっちにしろ、今のあんたじゃモノになるまで、八刻どころか八百刻はやらねえと」


 嘆息混じりに直房は告げる。近頃の武士は情けない奴らばっかりだと彼は思っている。刀で斬ったことはない。振ったことすら無いという者も珍しくない。目の前の隠居老人も同じようなものだと考えていた。

 彼を切りつけた浅野内匠頭も同じだ。こんな爺さんを後ろから切りつけておいて殺せないとか、情けないにも程があると彼は思う。もし自分が家臣ならそんなしょぼい主人が恥ずかしくて即刻腹を切っていただろう。

 一方で、理由はともあれこの江戸市中で戦を起こそうとしている赤穂浪士はそこそこに感心していた。理由となる主人はカスでそれに追い腹をしない連中も恥ずかしくないのかと思うが、戦おうとする意思は評価する。


(しっかしそれに対抗するのが、こんな腰の引けた爺さんとは……)


 と、内心がっかりしていると──吉良の眼光が彼を貫いた。


「八百刻必要? 上等だ(・・・)

「な……?」

「それでは中山殿。基礎から初めてくだされ。出来たと思ったら次の段階へ。厳しく指導をお願いいたす。時間がございませんので」


(なんだ、この爺さんの目は……)


 様々な悪党や剣客を見てきた直房でも見たことがない、決意と強さを秘めた目をしていた。

 体つきはお世辞にも鍛えているとはいえず、振り方には腰は入っておらず、剣の刃筋も曲がっていて下手をすれば素振りで自分を切りつけそうな拙い動きをしているというに。

 わからない。

 何故この老人がそんな目をしているのか、直房にはわからなかった。

 だが、


(面白え……!)


 と、彼は嗤った。


「よし! じゃあ早速始めんぞ! 構えと素振りからだ! 実戦が近ェから爺っつぁんは真剣でやれ!」

「承知!」

「拙者の指導は厳しいぞ! ぶん殴られても文句言うなよ!」


 そして、鍛錬が始まった。




 中山直房の鍛錬は夕刻まで続いた。

 即座の実戦を見越して、体力や力ではなく刃筋と読み、体捌きを重視した指導だ。

 今まで鍛えたことのない老人の体ではついていかないことが多々あったが、やらねば死ぬという必死の覚悟で吉良は殴られ蹴られながら指導を受けた。

 とは言え八百刻必要と言われた訓練を初めてまだ三刻あまり。

 モノになったとはとても言えないが、直房が帰った後も自主的に訓練を続けていた。

 目の前に槍を突き出されても怯まないように、真剣同士で打ち合っても目を閉じぬように、家臣に頼みながら休まず鍛錬をする。

 老人の体だ。たった一日の特訓で劇的に強くなるはずはない。だが、武術経験ゼロから武術経験イチぐらいには達しただろう。

 足りない。それでも実戦で数十人の浪士に囲まれて戦うにはまったく足りない。

 再び吉良は容赦なく殺害されて、朝へ戻った。


 翌朝も目覚めて、すぐさま書状を出して直房を呼んだ。

 もちろん相手には昨日指導をした記憶など無いが、言葉を選び真剣さを伝えて再び指導に入る。

 

「ん? 一応基礎っぽいのは知ってるのか。体がついていってねーけど」


 意外そうにされながら再び乱暴で厳しい指導が始まった。

 前回の指導より勘と反復して覚えた動きにより、少しだけ先の指導へと到達する。

 蹴りたくられ、殴り飛ばされ、怒鳴られて罵られ、それでも頭を下げて必死についていく。その様子に家臣が止めに入ることもあったが、吉良が家臣を叱りつけて鍛錬を止めさせなかった。

 吉良はただ真剣に一つ一つの技術を体ではなく脳の記憶に染み込ませていく。

 体を鍛えても死んで戻れば元の木阿弥。 

 だが、記憶は継続している。

 どういう重心で刀を持つか。足運び。腰のひねり具合。肘の伸ばし方。恐怖に怯えない心。

 それを反復し、夜を過ごす。

 そして実戦が始まる。赤穂浪士の襲撃に合わせて、吉良は切り込んできた彼らと正面から打ち合い、殺される。


 目覚めて、直房を呼ぶ。

 鍛えて、覚える。

 実戦で使い、死ぬ。


 何度も何度も直房の罵り言葉を受けながら。



「下手くそ! そんなへっぴり腰で勝てるか!」


「ウジ虫! 地面に這いつくばってるだけじゃなく、足首でも狙ってみろ!」


「カスが! 相手が刀だけお上品に使ってると思ってんのか!」


「ドサンピン! 息を切らしてるなんざ弱ってますって叫んでるようなもんだろうが! 気合で止めろ!」


「ボケか! 気合だけで呼吸が止まるか! 呼吸法を覚えろ!」


「メクラ! 鉢金に鎖帷子つけてるって云ったろうが! んなとこ狙ってどうすんだ!」


「阿呆! 刀を弾き飛ばされたら拾うんじゃなくて脇差し抜いて相手の奪え!」


「ウジ虫!」「ウジ虫!」「ウジ虫(マゲッツ)!!」 



 その繰り返しを何度も何度も何度も何度も何度も─────





 ********





 百十六回目。



 もう何度こうして直房に指導を受けているか、次第に吉良は数えるのを止めていた。

 指導内容は徐々に前に進んでいて、今では赤穂浪士の数人ぐらいは斬り殺せるぐらいになっている。

 厳しく激しい鍛錬に必死な向上意欲、毎日の実戦が吉良を急速に鍛え上げていた。

 ときには訓練の最中、直房の振った木剣で打たれたら枯れ木をへし折る音がして、


「ぐああ!」

「おっと……やっべえ。骨が折れたか?」

「儂はもう生きてはおられん!!」

「え」

「介錯をお願いし申す!!」


 と、腕が骨折していては時間の無駄だとばかりに腹を切って直房に介錯を頼んだことすらあった。結構直房は引いた顔をしていた。

 さて──

 武芸を身に付けて、戦闘中でも周囲に目を配ることができるようになってから気づいたことがあった。

 それはある程度襲撃時の条件を整えておけば、敵も味方も同じ行動を取るというものだ。

 敵が予めどう動くかを知っていれば最小の労力でその場所に刃を突き出すだけで勝てる。

 また、敵の配置にも偏りが見えてきた。

 表門を越えてくる部隊よりも裏門を破壊して突入してくる部隊のほうが手練が多い。

 ただし表の方向からは天敵の武林が単独行動で飛びかかってくる危険がある。

 

 武林。

 吉良は武術を初めたことである程度動けるようになり、改めてこの恐るべきプレデターに壁を感じていた。

 他の赤穂浪士がある程度纏まって、毎回似たような行動経路を取るというのにどういうわけか武林だけは毎回違った場所で出会い、使ってくる剣術も不規則な武芸だ。

 例えば。

 剣術の達人である──と、鍛錬を受けさせられて痛感する中山直房であっても、吉良が同じ手順で呼び出し、同じ言葉で勝負を煽って、同じ構えで立ち会えば最初の一撃は以前に見たものと同じ一撃を放ってくる。

 来ることがわかっているので、技量的にカウンターをあわせることは難しくとも受け止めることはできる程度に対策が取れるのだが。

 武林の場合同じように行動をしても出会う場所が違ったり、同じようなシチュエーションでも一撃目がまったく違うのだ。

 使ってくる武器まで違うことがある。槍で薙ぎ払ってきたり、蹴りで骨をベキベキにしてきたり、刀でざっくり切られたり、飛刀をブーメランのように操ったり、酷いときには何故か荷車を背負っていて、それを投げ付けてきて吉良は死んだ。

 

「いっそあやつもこの繰り返しをしているのかと思うぐらいだが……」


 吉良の方から話しかけようとしたこともあったが、顔を真っ赤にして支離滅裂な言動をしながら襲ってくる武林はまるで満月のときに出会う妖魔の如くトークが通じない。

 このまま吉良が特訓をしても、武林の無双な技量と不規則な行動の前では年齢や素の身体能力もあって決して追いつけない気がした。

 不規則に動いて出会うと即死イベントが発生する敵。

 そんなものにどう対応したものかと、吉良は思い悩んだ。

 そして思い出す。


「確か、中山殿が武林を見て何か驚いていたような……」


 最初に通報したときのことを思い浮かべて、ヒントがあるかもしれないと直房に聞くことにした。


「あん? とんでもなく不規則で先読みが出来ないような武術?」

「はい。何かご存知でないかと……」

「お前、そんなもん世の中に無いだろ。構えを見れば攻撃方法は限定されるものだし、無手の構えだって[無手の構えから発せられる攻撃]ってのを警戒すりゃいいんだ。中には刀と一緒に槍だの棒だの使ってくる変な武芸はあるが、それも一つずつ対処が可能だな」

「そうではなく──なんと言えば良いのか……未来が決まっているというのにそれを変えるような攻撃とでも言いましょうか」


 要領を得ない吉良の説明でも、直房は難しげに考えている。


「普通攻撃ってのは頭で考えて打ち込むか、相手への本能的な対処で動くかだぞ。そうでなけりゃ……いや、確か赤穂浪士の中に……」

「何かご存知なのですか!? 具体的には武林唯七のことを!」


 吉良が既に自分を何十回も殺してきた相手の名前を告げると、直房はポンと手を打った。


「そうそう! 武林! そいつだけはちょいと違う武芸を使うって聞いたことがあんだ」

「ち、違うとは?」


 身を乗り出して聞くと、直房は床を指でなぞるようにして文字を書く素振りを見せた。


「いいか? 『武林(たけばやし)』ってこういう字を書くんだが……」

「……」

「本当の──っていうか元々の名字は違うんだ。『武林(ブリン)』と、こう読むわけだ」

「ぶりん……?」


 聞き覚えのない響きに聞き返すと、直房は頷く。


「拙者は武芸好きでな。全国の色んな流派の武芸を見たり聞いたりやったりするんだが……この武林が使うのは日ノ本の技じゃねえ。唐国からくにの武芸だ」

「か、唐国の!?」

「元々この武林の一族は唐国出身でな。豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に現地人が義勇兵として手柄を立てて、日本にやってきたって家系なわけだ。で、武林ブリンってのは唐国における大雑把に[武芸者社会]ぐらいの意味合いでな。そこ出身の武侠者だと、前に唐国の武芸に詳しいヘンテコな武術使いに聞いたことがある」

「そ、それであの変幻自在で神出鬼没な技は……」

「まあ待てよ」


 直房は手を拳法のように動かしながら楽しそうに解説をする。武芸の話を蒐集するのも好きだが、あまり武芸マニアは居ないので語るのが珍しくて嬉しいのだろう。

 

「向こうの武芸で多くは受け技を覚えさせられるわけだ。どう攻撃が来たら、自分とこの流派のナニで受け止めて返し技のナントカを打ち込む、みたいな感じでな。

 だから逆に後の先みたいな、打ち込ませた方が有利になったり、また逆に剛力で受け止めを吹き飛ばす技なんかも研究されてる。

 で、その相手の受け技を無効にする変幻自在で強烈な一撃を打ち込むのが[酔醒逆行(スイセイギャッコウ)]と呼ばれる武芸の一門だったらしい。

 それを極めれば、読心術を使う相手すら一方的に攻撃を当てられるという。その使い手が、日本に来た武林の祖先ってわけだ」

「酔醒逆行……」


 酔いも醒めるも逆を行く、と文字を書いて説明する直房の言葉に、唖然と返した。

 急に武侠小説の世界観をぶっこまれて意識がついていかない。


「ただし。その技は心と体を別に動かし、本能と思考を取っ払いつつ、経験と直感を無視して武術として成り立たせないといけねえ。いいか、考えても感じてもいけねえ武芸だぜ?

 刹那ごとに直前の考えを捨てて行動方針を無作為に変えるわけだ。そんなのマトモじゃねえだろ。動物だってちったァ考えるぜ。だから──その武をやってると、心が壊れていく」

「心が?」

「自分からキチガイになるみてえなもんだぞ。感情の制御を失い、躁鬱がコロコロ切り替わって、支離滅裂な言語を繰り返す。人間性と引き換えに強さを得る邪法だって話だ」


 そういえば、と吉良は思い至った。

 癇癪を起こした子供のように顔を真っ赤にしていて、まったく意味不明な叫びを繰り返していた武林。

 まさにその説明の通り、相手に悟られぬ肉体の動きと心の所作を求めるあまりに、傍から見れば異常そのものなのだ。

 

「そ、それで──もしそのものと戦う場合はどうすればよろしいのでしょうか?」

「あん? まー幾つか戦法はあるが……」

「教えてくだされえええええ!」

「すげえ必死だな」


 それも当然だ。このままではまさに必ず死ぬ。死んできた実績があるのだ。

 直房は「拙者が実際戦ったわけじゃねえが」と前置きして考えを述べる。


「一つは、その酔醒逆行ってのは完全に攻め技だからな。向こうよりも先にこっちが攻撃して倒せばいい。先制一撃必殺の心得だな」

「なるほど、しかし──」

「そう。そんなヘンテコ武芸だが極めてるとなると相手も一つの武芸を極めた武侠だ。そんなやつに先制一撃必殺なんて打ち込むのは、相当な実力がねえと不可能だな。特に爺っつぁんは、何か剣術を齧ってるみてぇだが体がついていかねえだろ」


 直房の言葉に、吉良は口惜しそうに俯いた。

 幾ら必死に鍛錬をして、実戦経験を積んで強くなろうとも──彼の筋力も体力も向上しないし、年齢も如何ともしがたい。

 まったく剣術を齧っていなかった状態から、基礎を学んで必死に覚えてきたので以前に比べて劇的に強くなってはいるが、頭打ちも近いだろう。


「ところがギッチョン、もう一つ──まあ、これは賭けになるんだがな」

「賭け?」

「酔醒逆行ってのは読んで字の如く、酔っても醒めてもいねえで行う技だろ。完全な気狂いに見えるがその実、鍛錬によって極限まで平常心を保ちつつ狂うという絶妙な精神状態にある。

 その精神に僅かな迷いやゆらぎを与えてやれば、心の均衡は一気に崩れて弱っちまう──らしい」

「と、するとその方法は?」

「酔っても醒めていねえなら、酔わせてやりゃいいんだよ。酔醒逆行の使い手は極端に酒に弱くて、毒のように回ると聞くぜ。

 ただ酒を勧めたところで当人が酒を口にするかは賭けだな。普通に考えりゃ自分の弱点を飲むはずはねえが、気が狂ってるからもしかしたら飲むかもしれねえ。何度も試せば結果も変わるだろうが──」


 襲ってくるのは一度だから、何度もは試せねえよな。

 と、いった雰囲気で肩を竦める直房に、吉良は希望の光を目に灯してその手を握った。

 普通ならば試せない状況において、今だけは──


「何度でも、試してみます」


 彼は強い決意を込めて、そう告げた。






 ********





 余談だが。


「ところで強い武芸者大好きな中山殿が、その武林と戦ってはくれませんでしょうか」

「仇討ちに出しゃばるなんて、だっせぇ真似ができるかっつーの。赤穂浪士には赤穂浪士の覚悟があって、迎え撃つ爺っつぁんにも覚悟がある。そこに顔を突っ込むなんざ剣客として恥だぜ」


 直房を武林とぶつける計画は、どう話を持っていっても成功しないと吉良はループの中で悟っている。

 




 ********





 武林に酒を飲ませる。

 吉良はその計画をどうしたものかと考えて、一つ案を思いついた。

 小姓の清水一学を呼んで彼に策を持たせる。


「一学よ。いいか、今宵赤穂浪士らはこの屋敷を襲いにやってくるだろう」

「ま、真ですかご隠居様! 急ぎ迎え撃つ──いえ、まずはご隠居様を逃さなくては!」

「いや、それは良いのだ」


 暗がりに隠れて逃げて殺されるパターンも何度も経験している。

 赤穂浪士らはとにかく怪しい者が出てきたら誰何して襲ってくるようで、虚無僧の恰好で吉良が逃げたときすら捕まってヘァ!トゥ!馬鹿野郎!された。

 

「良いか、多少なりとも相手を油断させて迎え撃つそのために……お前は内通者として奴らに近寄り、寒い中で温まって欲しいと良いこの酒を飲ませてこい」


 吉良が渡したのは柄樽に入った播磨の酒に、升に入れた赤穂の塩である。どうにか伝手を使って大急ぎで日本橋から買ってきたのだ。

 故郷を出て復讐を近い、潜んでつらい生活をしていた赤穂浪士らである。この寒い中、着物の綿すら用意できないほどに困窮しているという。

 そんな中で国元の酒と塩を渡されれば気も緩むのではないだろうか。

 今宵、彼らは吉良を打ち取る最後の攻撃に出る。成功しても死罪は覚悟の上だ。そうなれば、もう二度と口には出来ないそれらを渡されて──口にする筈だ。


「どうにか連中を説得して飲ませるのだ。そしてお前は、門を内側から開けるとか何とか言って戻ってきて成果を報告せよ。いいな」

「承知仕りました!」


 一学はまだ二十五だ。若者が仇討ちを行おうとしている義憤に感化されて寝返った……という設定で近づくように指示を出して、彼を夕暗がりに送り出す。

 襲撃前の最新情報──吉良の様子や屋敷の内部情報などに関して偽情報も掴ませるようにした。


「後は連中が、襲撃前だから水盃にしようと言い出さんことだな……」


 祈るような気持ちで一学の帰りを待つ。




 戻ってきた一学の報告によれば、赤穂浪士らは感激落涙して一杯ずつだが播磨の酒を口にして今宵の成功を誓いあったらしい。

 積もった雪が残る寒い夜だ。酒を呑んで温まりたいという気もあったのだろう。


「それで……聞きたいのだが、妙に顔を真っ赤にした武林という男は酒を呑んでいたか?」

「顔を真っ赤……ああ、何か微妙に周りから距離を置かれていて、隅っこで素うどんを食べていた人ですね。いえ、彼にも勧めたのですが何か要領を得ない言葉で返されまして……」

「素うどん……そうか」


 がっくりと肩を落とす吉良であった。あんな性格だ。同じ赤穂浪士らからもどうやら引かれているようだ。当たり前だが。

 しかし毎回ループごとに行動が変わるのが武林の特徴だ。次の周回に期待しようと吉良は思い直す。


 一学をスパイとして送り込んだ成果もあって、内通者と思い込んでいた者の裏切りにより赤穂浪士らは多少混乱をした。

 背後から大石内蔵助を一学が刺し殺したまでは良かったが、リーダーを失っても赤穂浪士らは決死の覚悟で吉良達を追い詰める。

 

「もう止めろ!! 吉良!!! お前が本当に守りたいものは!!! 馬鹿野郎!!」


 はいはい。 

 周回周回。

 吉良はかなり心が擦れていることを自覚しつつも、武林の連続蹴りで殺害された。





 ******





 吉良義央の一日。


 朝七時に目覚める。爽やかな目覚めだ。もう寝起きに脂汗ひとつ掻いていない。


 顔を洗ってから朝食。気分的にもう百回以上連続で食べているメニューだからか、味はまったく感じない。とりあえず義周が豆腐で火傷しないように注意する。


 書状を直房に送る。彼が来るまで自己鍛錬をして、今までの経験を体に教え込ませる。


 十一時ぐらいに休憩しつつ家来に播磨の酒や赤穂の塩、槍や捕縄などを買って来るように指示する。


 昼過ぎに直房が来るので稽古を見てもらう。もう最短で稽古に至るまでの会話はスラスラと口から出る。


 夕刻。直房が帰るのと合わせて一学を敵に潜り込ませる。


 夜。戻ってきた一学から敵の情報を得る。毎回違ったことを吉良が聞かせるように仕向けているので、敵の構成員や表と裏からの攻め入る数などがハッキリとわかって来た。 


 使える家来らに金をばら撒いてやる気を出させて武装させる。焼け石に水だが、少しはマシになる。


 夜明け前。襲撃が来る。最近の吉良は戦う指揮を取るよりも、誰が何人どこから侵入してどう動くかを一学が掴んできた計画と照らし合わせて確認するようにしている。


 そして酒を飲んでいない武林に遭遇して殺される。


 繰り返し、繰り返し──。





 ******** 





 二百十一回目。



「顔が真っ赤な……ああ、居ました。『俺にだって飲みたいときぐらいある!!』とか何とか言って飲んでましたよ」

「でかした!!」


 そしてとうとう武林が酒を飲んだという報告が上がった。

 ちなみに酒ではなく毒を飲ませれば赤穂浪士を一網打尽にできるのでは?と考えて試したこともあるが、疑っている向こうはまず一学に飲むことを強要するので無駄であった。

 遅効性の毒を使って一学にのみ解毒薬を持たせる方法も、上手いこと遅効性で全員死ぬ毒という便利なものは存在せずにおまけに毒を盛られてキレた武林が単独で殺しに来るので無意味だ。

 ともあれやる気を出して吉良は迎え撃つ準備を整え──その時が来た。

 屋敷に赤穂浪士らが踏み入り、家来らと激しい乱戦に突入する中で。

 一学とタッグを組んで吉良が武林を探した。


「奴さえ! 奴さえ討てればこの勝負は勝てる!」

「ご隠居様……なんなんだこの盛り上がりは……」


 そしていつもの鬼神戦神も真っ青な無双暴れをしている武林とは思えない姿の男を発見した。

 真っ赤にしている顔も平常の色になっていて、周囲から振るわれる槍の突きを何とか避けながら叫んでいた。


「止めろ!! もう止めるんだ!! こんな戦い!! お前も望んでいないはずだろう!!」


 やっぱり言葉の意味はわからないが、戦闘力は大幅にダウンしているようで反撃も碌に出来ていない。

 吉良は吠えた。


「うおおおおお!! 武林ィィィ!!」

「吉良!!! お前は敵じゃない!!!!」

「一学、やつを金縛りにしろおおおお!!」


 何だこのテンションと一学は思いながらも、二刀流で手数の多い一学が牽制のように両手を攻撃に使って挑む。

 武林はどうにかそれを己の刀で受けるが、その間に吉良が接近していた。


「武林、覚悟オオオオオ!!」


 吉良の振り下ろしが、武林の胸を深く切り裂いた。

 びしゃりと噴き出た血が飛び散り、吉良を赤く染める。

 勝った、と思った吉良だったがその切られて光を無くしつつある武林の目にぞくりとして、叫んだ。


「うあああああ!!」


 致命傷を与えて倒れた武林の手足を切り落とすまで、彼は安心できなかった。

 死して両手両足を斬られダルマになった武林の死体の上で、吉良はむせび泣いた。むせび泣きつつ、近づいて来た赤穂浪士を一刀の元に切り捨てた。

 これまで何度も殺されてきた恐るべき悪鬼羅刹を、諦めずにとうとう討ち取ったのだ。

 不可能を可能にしたのである。

 


 吉良は生き残り、赤穂浪士は死者多数で負傷者を抱えて僅かな人数が逃げていった。



 しかし──



 武林の対策のみを考えていた吉良側に残った被害は甚大であった。


 

 その後の戦いで清水一学は死亡。家老らも尽く討ち死に。

 あろうことか、吉良家当主であり吉良の孫にして養子の、義周まで討ち死にをしてしまっていた。

 史実では襲撃事件を生き残っていた義周だが、それは赤穂浪士の目的が吉良でありそれを早々に討ち取ったため、抵抗したものの気絶していた義周は捨て置かれたのだ。

 今回のようにどちらかが倒れるまで槍を振って乱戦を行っていれば殺されるのも当然ではある。


 吉良は生き残った。

 だが吉良家は壊滅している。

 死体の山で立ち尽くしていた吉良は、武林を殺した喜びなど胸に一切残っていなかった。

 

「すまぬ」


 彼は誰となく謝って、刀を抜いた。


「今度は──いつか、必ず皆を助ける。だから」


 二百以上の繰り返しを体験し、勘を鍛えて知恵を絞りようやく己の力で生き延びた吉良は。

 刀で自らの首を突いて自死した。




 再び吉良邸の朝から彼の戦いは始まる。





 *******




 二百十二回目。



 前回の敗因は吉良が武林を重視しすぎたことにある。

 いや、毎度毎度殺される相手なのだから警戒・対策を取るのは当然なのだが。

 いつも武林に殺されるまでしか吉良は戦況を見ておらず、それが結構早くに死ぬことが多いので赤穂浪士全体の戦力を見誤っていたのだ。

 武林さえ居なければ楽勝だとすら思っていた。それは大きな勘違いだった。とはいえ、実際に武林が一人万全ならば戦力差を軽くひっくり返すので彼をどうにかしないといけないのはその通りではある。


「しかし戦後処理を考えれば、下手に家老に死なれるわけにもいかぬ……義周は当然として」


 なるべく赤穂浪士に殺されたくない家老と絶対守らねばならない義周であるが、彼らこそ忠実な部下として真面目に迎え撃ってくれる戦力なのだ。

 

「いや……出来ぬやれぬというのは散々に試してからでも良い。最低限の戦力で、赤穂浪士共を倒す。今度の目標はこれだ」


 吉良は拳を強く握った。まだこれから何度でも死ぬ覚悟を決めて、怯えず立ち向かう。



 襲撃時に家来らを分散させて敵の対処に当たらしてはとても戦場を制御できない。どこかを助けている間にどこかが破られるだろう。

 吉良はまず共に戦う戦力として、近習の清水一学と山吉新八郎、それに用人の鳥居利右衛門を選んだ。言っては悪いが、彼らは死んでも吉良家は揺るがない身分だ。それに、吉良と共に戦って死ぬことを厭わない忠義の士である。

 家老と義周は昼の間に避難させることにした。駕籠を使えば疑われるが、義周を騎馬させて表門から堂々と出て行かせれば赤穂浪士も襲いはしない。

 

 次に屋敷の見取り図を広げながら説明をする。


「踏み込んでくるのは表門に梯子を付けて二十三名、裏門を破って二十四名だ。それぞれの表門と裏門の入ってすぐの場所に指揮官と数名を置いて、表門は玄関から裏門は台所の勝手口から侵入してくる。また、庭にもそれぞれ屋内から出てくる者を見張る数人組を配置して探索してくるだろう」


 めちゃめちゃ襲撃の計画に詳しい吉良に家臣らは目を丸くする。

 面倒な説明は省いて吉良はサクサクと指示を出す。


「一学が敵に内応するとして入り込み、裏門を開けさせて敵を招き入れて背後から襲撃する。どうせ、そうしなくとも裏門は破壊されてしまうからな。それに表門から攻めてくる奴らは梯子を使って壁を登ってくるのだが、間抜けが着地に失敗して勝手に怪我をするので一学に開けさせるとしたら裏だ」


 ただし裏門から来る赤穂浪士は精鋭揃いで激戦が予想される。それでも表からは武林が来るので、吉良がまず対処を考えるのは裏からだ。

 

(今回は捨て回だな……行動をより深く確認せねば)


 冷徹にそう考えながらも計画を練っていく。

 

 

 その回では武林は酒を飲まなかった。つまり吉良は死んだ。





 ******





 何度も繰り返し、敵の行動順序を記憶し、目の前に自分が現れた際の対処を見て、吉良の対策は最適化されていく。

 

 庭師と大勢の人足を呼んで表門の壁の内側に空堀を急ぎ掘らせ、中に竹槍を仕込みまくる。すると表門に梯子で上がってから邸内に飛び降りてくる赤穂浪士が六人は勝手に落ちて動けなくなった。 

 

 薬師を呼んで鳥兜の毒を売ってもらい、マキビシに塗りつけて玄関に撒いておく。それで四人仕留める。


 軽い小火を起こさせると慌てた赤穂浪士が駆けつけてきて消火に当たるので、無防備な彼らを殺すのは容易かった。なお試しに屋敷全体を大火事にしてみたことはあるが、炎の中から武林がエントリーしてくるだけだった。

 

 屋根の上に狙撃者を置いて目立つ表門裏門に居る指揮官を射殺する。人数を増やしたり狙撃者を変えたりすることを何度か繰り返し、それで司令部の七人は少なくとも死ぬか大怪我を負わせられた。


 そして吉良は意外な戦法の有効さに気づく。


 自分を囮にして一対一で斬り合うのが最も楽なのだ。


 一度切り合えば次の周回では同じように出会った敵の初動がわかるので、完璧なカウンターで切り殺せる。


 その敵の次に戦う相手に斬られても更に次の周回では対応できる。その繰り返しでどんどん返り討ちにできる人数は増えていった。

 

 周りに敵味方が入り乱れていてはそれどころではないが、一対一の連続に持ち込めば二周三周と繰り返すうちに吉良が赤穂浪士を瞬殺していけるようになった。

 

 敵が踏み込む場所に刀を差し込むだけ。緊張も無ければ気負いも無い。


 人を二十人連続で斬れるかというと、殆どの人は無理だろう。腕の筋肉はこわばり、呼吸は乱れ、緊張から意識は朦朧とする。


 だが歩きながら目の前にある調理用の肉を、流れ作業で二十回切るのは容易い。


 それと同じで吉良は息も切らさず、すたすたと庭を歩きながら虻でも払うように近づいてくる赤穂浪士を、最小の動きで避けて斬り殺していた。 


 相手がどう動くかわかっているのだ。おまけに死にすぎたせいで吉良の精神は涅槃寂静の如しである。


 彼が剣術を鍛えに鍛えたおかげでもあるだろう。筋力が増えない代わりに、心の術法は剣聖の粋に達しつつある。


「なんかスゲえな、あの爺っつぁん。悟りの剣かよ」


 充分に鍛えた最近の周回では呼ばれなくなっていた中山直房が襲撃を聞きつけて見物に来ていたのだが、壁の上で蹲踞(ヤンキーずわり)しながら感心して吉良を見ていた。


 彼に一応の剣術における認めを貰ったときは吉良も嬉しかったものだ。


 だがそれでも──だからこそ。

 

 相手の動きを完全に読むことが吉良の強さになっていたからこそ。


「吉良ッッ!! お前が本当に正しいのならッ!! 俺に勝ってみせろ!!!」

「はいはい死んだ死んだ」


 運命に抗い切り開く、武林の攻撃には耐えきれずに即死する。


 



 *******




 二百五十五回目。


 とりあえず方針は固まり、後は武林が酒を飲むのを待つだけのまま膠着していた。

 簡単な方針としては表門側に罠を仕掛けまくりそちらの戦力を削ぎつつ家臣にバリケードなどを作らせゲリラ攻撃を仕掛けさせることで行動を遅らして、その間に裏門の敵を壊滅させるというものだ。

 武士として罠を仕掛けるとは……と顔を曇らせる家来も居たがそんなものは平和ボケだと厳しく叱った。罠に内通、騙し討ちは戦において当然だ。楠木正成だって勝てばよかろうなのだと言っている。

 ランダム行動をする武林も周りの仲間から指示されているのか、基本的に表門から突入してくることが多い。たまに裏門にも居るが。本当にこれといって確定行動はしないから困る。


 とりあえず裏門の敵を排除する段階においては吉良側の犠牲者が誰一人出ることはなくなっていた。適切な戦力配置と、何より吉良が次々に敵を瞬殺して回っていくからである。それが一番犠牲が出ないやりかただった。

 最初に家来に守られるだけで震えていて。

 次に家来を使って敵を倒そうとして。

 それでは駄目だと鍛えて共に戦い。

 とうとう吉良が家来を守るようにまで方針が変化していたのである。


 だが武林。

 何はともあれ武林。

 未来予知の能力ではまず勝てないという、相性最悪な鬼札が存在しているのが事件を長引かせているのだ。

 野生の勘とでも言うのか彼はまず罠に掛からないのも討伐の困難さを増していた。


「このまま無為に殺され続けて良いものか……そうだ、儂が武林を討つ……!」


 消極的に相手が酒を飲むか飲まないかの賭けを待っているだけではなく、吉良が新たな武林対策としての行動に出た。


 宵越しの銭は持たないというか、武家社会では年末年始に金が非常に入用になるために宵越しの銭は持てない武士も多い。

 この季節には刀や鎧、掛け軸などを質屋に持っていく旗本の姿も多く見れる。

 吉良家はその中では、高家として禄以上の実入りも多くかなり裕福な方ではあるのだが……


「大量の酒を用意しろ。大樽でだ」


 うちの殿様は鬼退治でも始めようというのか、と訝しげに思われながら吉良は工作に出た。


 その夜、いつもどおりの事前準備を整えた。

 武林はこの晩も『何が酒だバカバカしい!! 帰るぞ!!』と拒否したらしい。吉良は本当に赤穂にでも帰ってくれと思わなくもない。

 ともあれ、一学の内応で裏門の敵が侵入しながら「火事だ!」と叫びだした。この叫びで表門の襲撃時刻も合わせるためだ。


 まず吉良は屋内に入ってきた礒貝十郎左衛、堀部安兵衛、倉橋伝助、杉野十平次、赤埴源蔵、菅谷半之丞、大石瀬左衛門、村松三太夫、三村次郎左衛門、寺坂吉右衛門を歩きながら順番になで斬りにした。

 狭い室内に入り、部屋を調べる為に散らばる前だ。前から順にサクサクと斬り殺して進み、外に出る。


 そのまま屋敷の南側にある庭に周る。そこに居るのは屋外から吉良が逃げぬように探す班だ。潮田又之丞、中村勘助、奥田貞右衛門、間瀬孫九郎、千馬三郎兵衛、茅野和助、間新六、木村岡右衛門、不破数右衛門、前原伊助。 

 吉良を見つけるなり「覚悟!」とか「貴様が吉良か!」とか「殿の恨み!」とか「この卑劣漢め!」とか耳にタコができるぐらい聞いている文句を唱えながら、槍などで突き掛かってくるが問題なく全員切る。

 

 主に切る場所は鎖帷子で保護されていない内太腿のあたりだ。そこの太い血管を刀の切っ先で断つことで刀も鈍らず、敵は動けないようになってそのうち失血死する。

 人を殺すのに首を切るのも心臓を潰すのも必要ない。動けなくして出血多量にすれば死ぬのだ。

 

 吉良は普段庭を歩くのと変わらぬ速度で、裏門のある西へと向かう。慌てて走ったりするとすぐに息が切れて動けなくなってしまうのだ。

 屋根からの狙撃で負傷しつつ門の影に隠れている大石主税、吉田忠左衛門、小野寺十内、間喜兵衛を容易く斬って次へと向かう。

 裏門から攻め入った赤穂浪士の精鋭二十四人がこれにて全滅した。例えば決闘で名を上げ赤穂浪士随一の剣客である堀部安兵衛などが如何に手練だろうが吉良より強かろうが、動きを完全に覚えられた彼らはビデオで同じシーンを再生するように吉良の記憶通りに死ぬだけの存在だ。

 表門側で嫌がらせをしつつ足止めしている家来は、武林が来たら逃げろと伝えている。

 あの武侠は確実に単独行動で自分を探して目の前に現れるだろう。その前に行かねばならない。


 屋敷の北西側には弁天堂があり、そこの前は池になっている。

 時代劇忠臣蔵の戦闘シーンでも毎回誰かが池に落ちる場面があるアレだ。

 吉良は壁を背にその池の畔に立ち、武林を待ち構えていた。


「吉良!!」


 裂帛の気合を込めた叫びが聞こえて、刀を手にした男がやってくる。

 とてつもない数、自分を殺してくれた憎き怨敵であるが──何故かここのところは、彼に対して憎しみが浮かばなかった。

 心が凪いでいる。ただ、憎いとか怖いとかではなく倒さねばならない相手とだけ意識があるだけだ。一度彼の手足を切り落とし倒したことで、そういった感情が抜け落ちていったようだ。

 

(向こうは何を考えているのだろうか……何も考えられないのだろうか)


 そのようなことが思い浮かんでくる。

 武林は無造作に近づきながら、憤怒に満ちた意味不明な叫びをいつものように上げる。


「お前は本当に滅ぼすつもりか!! 何もかも!! 世界を!!!」

「いや──」


 会話など通じないとわかっていても、吉良は刀を構えつつ返事をした。


「儂はただ──どうしても生きていたい世界があるだけだよ」

「吉良ァァァァ!! ヘァァァァァッッ!!」


 池の水しぶきを大きく上げて飛び込み、一直線に向かってこようとする。

 そして、水しぶきと共に上がった芳醇な匂いに武林は動きを止めた。


「こ、これは!!」

池の水を酒に変えた(・・・・・・・・・)……精々味わうが良い。酒を飲む時は、怒っていてはいかんぞ!」 


 大枚はたいて購入した大量の酒と池の水を入れ替えていたのだ。このためだけにやらせてる自分の姿を家人は狂人めいて見ていたが。

 刀を地面に刺して隠し持っていた酒をなみなみと入れた桶を、武林にぶちまけた。

 頭から酒を浴びた武林はどうしてもその影響を受けて、顔色がどんどん赤から白くなっていく。

 

「酔醒逆行──破れたり!」

「き、吉ィィィ良ァァァァ!!」

「武林ィィィ!!」


 酒の泉から飛び上がり、得意の蹴りを放とうとするが──酒を吸い込んだ袴は重く、またそれを理解するにも武林の頭は乱れに乱れていた。

 常に狂気の天秤が大きく揺れ動いているような精神状態に、アルコールの作用が加わって一気に天秤の均衡は崩れ落ち──ただの精神錯乱状態に陥っている。

 目の前に来た武林を、吉良は直房から学んだ正当な剣術で切り捨てた。


「吉良……俺達は……終わらない明日へと……」

「いや、知らん」


 倒れ伏す武林を残して、吉良は残りの赤穂浪士を仕留めに向かった。まだ屋敷では家来が食い止めているのだ。

 ここから先は彼もたどり着いたことの無い、真っ白な戦いが始まる。

 殺意満々で完全武装している赤穂浪士もまだ半分は残っていて、戦局は不利だろう。

 だが──吉良は負ける気がしなかった。

 もうすぐ日が登る東の空を見上げながらつぶやく。


「見ているか明日よ。もう儂に、昨日は必要ないだろう」


 ──ありがとう。

 何度も死に続け、心が壊れそうになり境遇を嘆いたこともあったが。

 彼はやってくる未来に感謝を述べて、行く。



 その後、彼は問題なく赤穂浪士の返り討ちに成功した。


 事後処理を手伝ってくれた中山直房は、この周回では初めて喋るような関係であったが、


「見事だったぜ」


 と、彼に背中を叩かれた吉良は──無性に泣けてきた。

 痛くて辛くて怖くて絶望的で、涙よりも溜息が漏れるような日々だったが、今まさに頬を伝うのは生の実感がこもる熱い涙だった。

 勝利者の落涙に驚く直房へと吉良は深々と頭を下げて、


「かたじけのうござった……」


 そう、感謝の言葉を口にするのであった。





 *******




 吉良邸討ち入り事件の顛末を聞いた誰もが笑った筈だ。

 嘘だろうと。脚色しすぎで、大げさに書いただけさと。

 だが吉良家の記録だけではなく、現場を目撃していた火付改の中山直房及び彼の部下も詳細な記録を残していたので事実なのだと知ったら──耳ではなく現実を疑う。


 襲撃を受けた側の吉良方の被害は、負傷者三名。死者無し。


 赤穂浪士の被害は死者四十名。負傷者七名。負傷者は空堀で動けなくなっていたり、毒の塗られたまきびしで悶絶していたところを召し捕られた。

 

 おまけにその死者の全てが仇討ちの相手、吉良義央が返り討ちにしたのである。 

 予め敵の情報を掴んだ上で、仇討ちに関係ない嫡子や家臣団を屋敷から逃して最小限の手勢で迎え撃ったのもプロめいた自信を感じさせる行動で評価された。

 幕府まで仰天した。仰天した上で、元々吉良に同情的だった派閥も多かったのでここぞとばかりに「武士の鑑」だと彼を褒め称える 

 実質一人で四十七人の襲撃を返り討ちにしたのだ。扱いはほぼ超人であった。天晴と徳川綱吉から刀が下賜されるほどの名誉である。

 後世に江戸時代最強の剣客は誰か?という議論で真っ先に上がるレベルに吉良は名を轟かせた。

 

 一方で赤穂浪士は、生き残った七名は死罪になった。

 世間──江戸の町人から日本全国の武士に至るまでの評価も散々である。完全武装で四十七人が屋敷に夜襲を仕掛けて、老人一人に全滅させられたのだ。どう言われるかは察して余る。

 そうなれば襲いかかる原因となったところも再び追求されて、浅野内匠頭の評価もガンガン下がった。伝説の剣豪である吉良は潔白であり、理不尽に殿中で斬りかかったという風に人気の差で見られるのも当然だ。


 赤穂浪士が大衆に持て囃された大きな理由は、仇討ちに成功した上で全員腹を切ってケジメを付けたからである。

 失敗すれば隠居老人に襲いかかった挙句負けた無様な集団としてしか見られない。

 同じく吉良も、勝ったから持て囃されているだけだと理解していた。


(負ければ自分は陰険で恨みを買っている老人が仇討ちを受けたとして、過去から根堀り葉掘り暴かれ悪人にさせられてしまうのだろう)


 そしてその時に義周が生きているならば、どれだけ彼も自分の汚名で苦しめられるかを想像すると胸が苦しくなる。

 そう思うと、彼は死なせた赤穂浪士達を殊更罵る気持ちもなかった。だが同情するつもりも無い。

 彼が死んだことで駆け抜けた、二百以上の周回世界では赤穂浪士こそ義士にして英雄扱いを受けているのだろうから、お互い様といったところだ。


 日本史上に残る大返り討ちを行った当世最強の男、吉良義央。

 彼はよくよく吉良邸襲撃について人に話をせがまれるが、決して襲撃者の赤穂浪士について悪し様に言わなかったという。

 ただ相手として、


「武林唯七という武侠者とは、もう絶対に戦いたく無いのう。百回、いや二百回戦っても儂は負けたであろう途轍もなく強い侍であった」


 そう感慨深く、特に武林のことを褒めたという。

 彼が恐ろしがる程の使い手とは一体どういうものかと皆も次々に武林について尋ねる。

 この周回では、池に誘い込んで酒を飲ませて倒しただけであったのだが、彼の強さを語るにはそれ以前の周回における動きになる。

 つまり飛び蹴りで刀をへし折っただの、蹴りで首の骨を砕くだの、槍の一撃で壁をずたずたに切り裂くだの、様々な武器を操り無双の武を誇っただの……

 彼の語る内容から、赤穂浪士の中でも武林はライバルキャラと目されて、後世の時代劇や小説などでは武林はかなり変わった武芸を扱う強者としていい感じに書かれるようになったという。



 それから吉良は他人に話をせがまれつつ、義周の体調を気にしながら家が存続するように根回しをしながら。

 赤穂藩の襲撃も無くて穏やかな余生を過ごした。

 老齢の彼が心配することは、吉良家の今後ともうひとつ。



「老死したときに二百五十六回目が始まったりせぬよな……」



 そればかりはどうなったか、彼にしか知れないことであった。



 今は昔、江戸時代に起きた有名な事件の出来事である────。



 



主演:トム・クルーズ


http://ncode.syosetu.com/n2666ee/ こちらは幕間、100回目の死んだときのことの短編スピンオフです。

Kindleで加筆修正完全版が300円で販売。

なろう版は3万文字程度だけど、加筆版は13万文字もあるのでほぼ書き下ろしです。

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― 新着の感想 ―
拝読しました。 最初、 「父上キレてますね」とか 「警察仕事しろ!」とかのセリフで笑ってましたが、 読み進めるうちに、 この作品はギャグではない。 最初家臣に守られてた吉良が、 汗と努力で家臣を守…
[一言] 映画館でアスラン観てたらふと思い出したのでカキコ
[良い点] 剣客おつ!
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