ハンバーグ・ルーティーン
しばしば街中でナンパしている若者の姿を見つけては、かつての自分をそこに重ねて自己嫌悪にかられる。彼らがナンパの声かけに選ぶ場所やその手口をよく知っているから自然と目につくのだ。
僕が元ナンパ師であることを告白すると、大抵の人は意外がる。僕が自他共に認める人見知りだから、路上で女性に声掛けをするイメージが沸かないのだろう。でも、ナンパ師なんて少し知識があれば誰にでもなれる。ほとんどのナンパ師は、不特定多数の女性に流用できる口説き文句をいくつか丸暗記して機械的に使い回しているだけだ。ナンパにコミュニケーション能力など必要ない。
大多数のナンパ師は、サークル活動やソーシャルメディアなどを通じて仲間と繋がり、彼らが隠語でルーティーンと呼ぶノウハウを共有している。僕も初めはナンパサークルに入部し、先輩たちから自慢のルーティーンを伝授された。
「ごめんね、変な人にいきなり話しかけられて驚いたでしょ? この人、街中で面白そうな人を見かけると、すぐ声をかけちゃうの。ほんとー、なんかの病気なんだよ」
これはあからさまなルーティーンだ。汎用性があり、どんな女性にも使い回せる。
「君のキーホルダー、変わったデザインだね。アニメ関連のグッズなの?」
この台詞もルーティーンだ。使いどころは「君の目、綺麗だね」と大して変わらない。ナンパ師たちは相手の目や指や、身に付けている装飾品などをこまめに褒めて好感度を稼ぐ。
「なんでも奢るから、じゃんじゃん注文しちゃって。ここまで来て、いまさら値段なんて気にすることないから。とりあえず、肉からいこうぜ。いちばーん高い肉から」
いや、確かにこれもルーティーンではある。無理にでも値の張る料理を相手に奢り、貸しを作ってこちらの要求を断り辛くするという理屈らしい。ただし、ナンパ師たちのセオリーには眉唾なものも多いから鵜呑みにしてはいけない。
……。
ここは駅前のファミレスで、時刻は午後三時を少し過ぎた頃だ。店内は空席が目立つ。僕は長いこと窓際の一人席でコーヒーをすすりながら、新聞を片手に他愛のない物思いに耽っていたが、ふと隣のテーブルの会話が気になって首をそちらに向けていた。
ナンパ師は二人組だった。体つきのがっちりした若い男と、その後輩と思しき連れ。二人共、デート服にも普段着にもみえる小奇麗な身なりで、馴れ馴れしそうにも自然体にもみえる明るい表情を作っている。ナンパの教科書に写真を載せられそうな佇まいだ。
そして、そんな二人組のナンパ師と同席しているのは、地味な服を着て銀縁メガネをかけた、いかにも冴えない風貌の二十歳前ぐらいの、青年だった。
ああ、ホモなんだ。
危うく納得して流そうとした自分がいた。いや、状況的にはそうとしか考えられなかった。それ以外に二人組の男がルーティーンを駆使して純朴そうな青年を口説いている、という眼前の事実をどう捉えれば良いというのだろう。
ふと、ナンパ師の一人が冷めた形相でこちらを睨んでいることに気がついた。失敬。手持ちの新聞紙を持ち上げて視線を切る。
「ところで、さっき君が出てきたお店、あそこは一体何なの? 俺、前から気になってたんだよねー。ほら、表の方にアニメ調のド派手な看板が出てるでしょ」先輩格のナンパ師がたずねた。
「いや、何と聞かれても。ただのトレカの専門店ですよ?」青年が困惑ぎみに答えた。
「えっ、トレカ? 何それ、初めて聞く単語」ナンパ師が大仰なリアクションで食いついた。
トレカとは、おそらくトレーディングカードゲームの略だろう。玩具店やコンビニで販売されているカードゲームのことだ。僕はトレカで遊んだ経験がないが、こんなことは世代の常識として知っている。しかし僕と大して年の離れていない二人組のナンパ師は、そういうカードゲームのことを存在すら知らなかったらしい。随分と雑なキャラ作りだ。
ただし、青年の方も特に違和感をもった様子はない。彼はカードゲームが何かについて懇切丁寧に説明しはじめる。もともと街中で知らない男二人に声をかけられて無警戒に食事までついていくお人好しだ。騙されやすいタイプだったのだろう。
二人組は青年の言うこと一つ一つに感嘆を上げ、大袈裟なリアクションを取った。これも一種のルーティーンだ。二人は自分らの関心を示すことで相手の発言を促し、手っ取り早くプライベートを握ることで距離感を一気に縮めようとしている。
いやはや、しかし、それにしても酷い。
「あそこ、そんな店だったの? それは、俺の知らない世界だわ」
「うわっ、カードゲームに、深夜アニメに、同人誌? いかにもマニアックな趣味ばっかだねー。君、いろいろと凄いわ」
「ああ、やっぱ俺が子供の頃にアニメやゲームに嵌った感覚とは、趣味に対するスタンスがぜんぜん違うんだなー」
二人はずっとこんな調子である。いまどきオタク趣味の青年なんて珍しくないもだろうに、なんて大袈裟なんだろう。しかし、ここまでされても青年はまだ二人組の不自然さに気づけていないらしい。彼は二人組におだてられて得意げになり、いつの間にやらオタクのライフスタイルについて饒舌に語るようになっていた。
ああ、男とはこんなにも単純な生き物なのか。僕が過去に何人もの女性を口説いてきたが、こんな風に騙される人は見たことがなかった。なんだか青年が可哀そうに思えてくる。
もともとナンパにはあまり良い印象がない。僕は大学一年の春にナンパサークルの門を叩き、その夏に退部した。ナンパを繰り返すうちに虚無感に陥り、鬱状態になったからだ。
なろうと思ってナンパ師になれない人間などいないが、ナンパ等という消費的な人間関係で満たされない人間も五万といる。よくある話だ。女性からの愛情や自己承認を求めてナンパ師になった男が、来るべき場所を間違えたことに気づくまでに時間はかからない。
僕も若い頃にすこし痛い目を見て、女性を物扱いする不毛さを学んだクチだ。ナンパはする側とされる側を共に摩耗させると体験的に知っている。
しかし、女でなく男を口説いているあの二人組を、果たして僕の経験の枠内で測って良いのだろうか。
世界は広く複雑だ。どうもこの世の中には、ナンパから結婚を目指すピュアな男たちが一定数いるらしい。僕も友人から話を聞いた時は眉唾だと思ったが、現にネット上にそういう人たちのSNSのコミュが存在していて、定期的にオフ会まで行われていたのだから間違いなく真実だった。
仮に、もしこの二人組がゲイだとすれば、彼らは青年を自分たちの価値観に染め上げる必要がある。そして短期的な人間関係の形成だけで、人間の性にそこまで干渉できるとは到底思えなかった。あの二人はナンパから結婚を目指す者たちと同等か、あるいはそれ以上の長期的視野で、青年にアプローチをかけていることになる。業というか、愛の深い話しだ。
そうこうと、益体のない考えを巡らせているうちに、隣の二人組が料理を完食した。しかし青年の料理はまだほとんど手つかずの状態で残っている。デミグラスハンバーグ定食だ。きっと青年の方ばかり喋っていたから、食事の進行に差が出たのだろう。
ほどなくして、青年も同席の二人が料理を完食していることに気づいたようで、しゃべりを控える気配をみせた。
「ところで、このあと予定ある?」
頃合いだったのだろう。青年と歳の近そうな後輩のナンパ師が話を切り出した。「そろそろ俺たちの話もするとね。俺らはあるサークルのメンバーなんだ。同世代の者同士で定期的に座談会を開いていて、ちょうど今のこんな感じで気楽におしゃべりしてるの」
「基本、ゆるーい所だよね」先輩格のナンパ師が合いの手を挟む。
「アンタは流石にゆるすぎだよ」後輩が苦笑した。「まあ、こんな変な人は他にいないけどね。……とりあえず、こっちの資料を見てくれる?」
資料とは、どうやら新聞記事のコピーのようだ。僕の視力だと中の文字までは読めない。ただ、これは…。僕の中で、何かが急激に冷めていくのを感じた。
「これは少し前の記事で、総務省が計画する電波割り当ての改定について書かれてるんだけど、中身は利権がらみの提灯記事なんだ。日本のマスコミってまったく真実を伝えないんだよね」
そう言うと、後輩は記事内容の問題点について語りはじめた。経済紙を購読している人なら誰でも知っているような話だ。そしてナンパ師は結びにこう述べた。「こういうこと、記者クラブから情報を発信する日本のマスゴミ連中はまず書かないから、あんまり知る機会がないと思うんだよね。僕も、サークルの座談会に行くまでは聞いたこともなくて」
「どう? 今日もこれから座談会があるから、一緒に来てみない?」
……無理だ。
僕は机に突っ伏した。恥ずかしかった。なぜ最初から気づけなかったのだろう。よくよく冷静に考えたらそれしかなかった。あの二人組は残念ながらゲイではなく、また政治サークルの部員でもない。ただの宗教勧誘だ。もし仮に政治サークルに所属なら、まず学内等で活動するだろう。勧誘にこんな回りくどい方法を使わない。可能性の消去法で、彼らの正体は十中八九、宗教勧誘だった。
ああ、一気にどうでもよくなった。僕は宗教勧誘を単純な等式で悪だと見做すほど素朴ではない。いま勧誘に引っかかった結果、青年が幸せになることもあるだろう。ただ宗教勧誘なんて日本中のどこでも行われているし、そのテクニカルな部分だけを見せられても、まったく面白くなかった。また宗教家の中には含蓄のある人も沢山いるが、あの二人組からはそういう宗教家特有の、他人を感染させる凄みのようなものがなかった。そもそも小手先の話術に頼っている時点で、中身もたかが知れているし、興味が沸かない。
ただし、それでもまだ気になることが一つだけあった。後輩が喋りはじめてから、青年がずっと苦笑いしているのだ。どうして良い分からず戸惑っているような笑い方だ。明らかに様子がおかしい。
「アニメや漫画に嵌るのもいいと思うけどさ」二人組の先輩格が嘲笑しながら言った。「そういう現実逃避ばかりじゃなくて、たまには社会に関心を持つことも必要だと思うんだ」
「僕も、昔は社会になんて興味なかったけどね」
なるほど、ここでさきほどの会話が活きてくるわけだ。あれだけ曝け出した自分の趣味を現実逃避と全否定され、上から目線で二人組に詰め寄られたら、気の弱い人は精神的な重圧に耐えかねて彼らの勧誘に屈してしまうのかもしれない。要するにこの二人がしていることは恐喝だ。冷めきった二人に対する関心が、静かな憤りに変わっていく。
しかし、青年はまだ苦笑を浮かべたまま、一言もしゃべらずに固まっていた。彼の心中が心配だが、苦笑いがポーカーフェイスになっており、感情の起伏が一切読み取れない。知らない男たちに声をかけられ、ここまで無警戒に付いて来てしまうお人好しだ。果たして、この流れで平静を保てているのだろうか。
ただ、よく目を凝らして見ると、青年の苦笑いにはもう少し違う意味が込められているようだった。なんというか、余裕があるのだ。少なくとも切羽詰まっている感じがしない。
僕は直感的な不安にかられた。それは二人組も感じたことらしい。彼らは慌てるように一瞬アイコンタクトを交わした。場の集中力が青年の苦笑いに収斂されていく。やがて、青年はぽつりと口を開いた。
「……また、この話かあ」
一瞬、時間が止まった気がした。こいつは一体何なんだ。間を置いて、言い得のない歓喜が腹の底からこみ上げてくる。
後輩の方が「えっ」と間抜けな声を発した。しかし先輩のナンパ師はその反応すら出来なかった。彼は青年に対して先程まで通用した嘲笑の表情を向けたまま、まだそれが通用するかのように振る舞っていた。
「……もしかして、この話、もうどこか聞いたことある?」後輩がたずねた。
「うーん、この後に、確かパンフレットをもらって…」青年が気まずそうに言った。
二人組がきょとんと顔を見合わせた。その絵面があまりに間抜けで、僕は思わず噴き出した。慌てて手で口を抑える。先輩が、鬼のような形相でこちらを睨みつけてきた。顔ぐらいは背けてやる。しかし僕はもう息を殺してまで笑いを隠しきる気持ちにはなれなかった。
「すみません、なんか言い出すタイミングが分からなくて…」青年がなぜか申し訳なさそうに謝った。
どうやら青年のお人好しは底抜けらしい。彼は、過去に一度引っかかった手口と同じ手口を使う二人組の勧誘に無警戒に付いて行き、更にはこの後に及んで相手の立場に気づかいをみせている。しかし、そういう青年の温厚さが二人組にますます追い打ちをかけているようにみえた。
「いや、えっと…。あっ、この人ね、街中で面白い人を見かけるとすぐに声をかけちゃうんだ。なんかの病気なんだよ」
後輩の方が支離滅裂な言葉を口走りはじめた。声が上ずっている。どうも彼らは台本に沿ってしか話せないらしい。予定外の出来事を前に、彼らは出来もしないアドリブで対応しようとして醜態を重ねた。僕は笑いすぎて息が苦しくなってきた。しかし、青年は二人組の混乱に同情しているようで、彼らの一言一句にうんうんと優しく相槌を打ってみせる。
たまらず先輩の方が席から立ちあがった。彼は別れの挨拶も告げず無言で伝票を掴んでカウンターの方へと足早に向かう。後輩も追いかけるように慌てて席を立った。
「じゃ、僕らは先に店を出るけど、会計はちゃんと払っておくからゆっくり食べてね。後、もう他の人から貰ってるみたいだけど、一応パンフレットはここに置いておくから」
それが、彼らの捨て台詞だった。
僕は二人組の姿が見えなくなるまでひとしきり笑いつづけた。ざまあみやがれ。これほど痛快なことはない。二人組が退店時にカウンターで道化のような首を傾げ合っていたことを思い返すだけで、何度でも笑うがぶり返してくる。出来ればもう少しこの余韻に浸っていたいぐらいだ。
さて、頭を切り替える時間だ。僕も鞄を掴んで席を立った。出張の合間に時間が空いたが、そろそろ退屈な営業の仕事に戻らなければならない。これから得意先の担当者を接待する。人生はつまらないことの繰り返しで楽しい時は一瞬だ。
しかし、この通りすがりの青年もまた僕の人生の一瞬だった。僕は心の中で青年に賛美の念を送りながら、彼の横を通り過ぎる。その時、ふと彼の独り言が耳に聞こえてきた。
「また、ハンバーグかあ」
僕は心臓を鷲掴みにされた気がした。目を見開き、振り向く。青年はへらへらと笑いながら、冷めたハンバーグをナイフで切り分けていた。
ショートショート大賞に応募して話も棒にもかからなかった処女作です