02
頭でやばいと解っていても、体は動いてくれなかった。コンクリートの分厚い板が視界いっぱいに迫ってくるのに。このままだと俺は多分、あれに潰されて死ぬことになるのに。
足音は、聞かなかった。
気づく余裕がなかっただけか、そもそも足音なんてしなかったのか。そのくらい唐突に、救世主はヘルメットをかぶって現れた。
彼は荷物みたいに俺を抱えると、地面をひと蹴りして跳びあがる。コンクリートが砕ける音を聞いたのは、その直後だ。
音を聞いた時、俺はすでに歩道の上に運ばれていた。川の中で巨大な板が二つに割れて、破片をまき散らして崩れるのを見た。たった数秒前だった。あの下に、自分がいたのは。
歩道から川底まで、落差は約三メートル。ほぼ垂直の壁にはハシゴも階段も見あたらないし、一瞬でのぼるのはむりだろう。
これは……と思い掛けたけど、途中で考えるのがめんどうになった。これまで見聞きした全部のことを信じると、オーバーテクノロジーの香りがするし。何かもう、いいや。
状況の理解に苦しみ過ぎての、あきらめの境地。そして気づくと投げやりに、フラットな気持ちでほほ笑む自分がそこにいた。
俺を助けた恩人たちに目を向けると、歩道に引き上げたアンティークな英国紳士をてきぱき拘束しているところだった。
きらめく安全ヘルメット。粗品のタオルを覆面にして、釘で打撃力を強化したほどよい角材を装備していた。それが十人くらいわらわらといて、残念ながら見分けはつかない。
古いニュース映像を思い出させる、武装した学生運動家たち。この中のどれかが恩人です。本当にありがとうございます。
改めて見ると、周囲はなかなかの惨状だ。
川沿いの歩道は地面ごと一部が欠けてるし、川の底は幅いっぱいに三角形で切り取られていた。その近くの壁側には、穴あきコンクリートの巨大な板がまっ二つになっている。
俺は三メートルほど高くなった歩道の上から、川底でひれ伏す二人へと声を掛けた。
「きみたち、けがはないかい?」
「申し訳ございません!」
蒼白になった詰襟マントの学生と袴姿の女学生が声をそろえて土下座する姿は、大正ロマンの様式美だな。多分違うけど。よきかなよきかな。許すかどうかは別にして。
仏のような顔でほほ笑んでいたつもりが、本心がにじんでいたのかも知れない。川底で土下座していたキンとギンが、慌てて俺の足元へすべり込んできた。
ちなみにどうやって落差三メートルをあがってきたかと言うと、普通に跳んで。……よきかなよきかな。そんなこともあるあると、現実から目をそらすのに苦労した。
「ご先祖様!」
「ご先祖様! 申し訳ございません!」
「お許し下さい! ご先祖様を傷付けるつもりはなかったのです!」
「つい、ご先祖様が邪魔な場所にいらっしゃるのを失念してしまっただけなのです!」
「ご先祖様!」
「ご先祖様!」
ああ、バカなんだねえ。
片足ずつ抱きしめてすがりつく二人に、ぐらんぐらん揺すられながら心底思った。
てめーらが俺をあそこへ置いてったのを一瞬で忘れて殺し掛け、この言いわけで許してもらおうとか。大丈夫か、こいつら。
大事なご先祖様じゃなかったのかよ、とか。全力を尽くして守るんじゃなかったのか、とか。いろいろ言いたいことはあった。
だけど何か、もういいや。どうでも。
許すつもりはないけど、怒りをぶつけたところで何も生まれはしないじゃないか。よきかなよきかな。だから、さっさと消えてくれ。
「もう過ぎたことじゃないか。いいんだよ、どうでも。二度と顔を見せないでくれれば、俺はそれで満足だから」
「ご先祖様ぁ!」
包み込むようなほほ笑みを浮かべて言ったのに、キンとギンは両手をついて地面に崩れた。どうしてだろう、と思う。俺のために、こんなに必死になることはないのに。
「泣かなくていいよ、ほんと。どうせ俺、お前らのご先祖様じゃないと思うし」
「何だと! 騙したのか!」
大正ロマンに言ったつもりが、拘束された英国紳士がいきなりわめいた。
「ニクマルの先祖を殺してやろうと思っていたのに!」
そんなふうに怒鳴り散らして、格好だけの英国紳士は武装した学生運動集団にちょっと黙ってろとげしげし蹴られる。
何で、先祖を殺そうとするんだろう。解らず首をひねっていると、キンとギンが俺の足元でしょげ返った犬みたいになって言った。
「ニクマル家は英雄の家系です。それを面白く思わない者があるのです」
「英雄の始まりはご先祖様でございました。ご先祖様を亡き者にして、一族の存在を根絶やしにする計画だったのです。わたし達はご先祖様を守るため、御前に参上いたしました」
「それなのに、我が身が不甲斐ない」
「役人などに見せ場を奪われ」
よよよ、と大正ロマンはわざとらしく泣いた。と言うか、学生運動家が役人ってところに一番びっくりしたんだが。どっちかって言うと、見た目は取りしまられるほうだろう。
本当に未来からきたのかなあ。
だとしたら多分、こいつらが勉強した歴史ってあんまり正確じゃないような気がする。
信じたと言うより疑うのがめんどう過ぎて、とりあえずウンウンうなずいておく。そしたらバカが調子にのって、ここぞとばかりにぐいぐいと元気にいろいろ押しつけてきた。
「ご先祖様は一族の誇りでございます!」
「千年続くニクマル家の栄誉は全てご先祖様のご人徳でございます!」
……いや、それはない。
キンとギンの弾むような言葉で、自分の体がすっと冷たくなったのを感じた。顔つきも変わっていたのだと思う。俺がじっと見つめると、二人は少したじろいだ。
「ご先祖様?」
「どうかされましたか?」
「……確かに、めずらしい名前だけどさ。お前らのご先祖様はほかの奴だよ。俺は、ろくでなしになるはずだから。違うんだよ、絶対」
むきになってバカみたいだと、言ってすぐに後悔した。だけど、これだけはだめだった。
自分は、ろくでなしになる。ジジイやオヤジを見てきた俺の確信だ。……だから、これはない。ろくでなしになる俺が、千年先まで子孫に尊敬されるはずがない。
自分で思うより、イラついてたみたいだ。
ご先祖様とかあり得ねえし。それなのに死ぬとこだったし。正確には殺し掛けたの子孫と言い張るバカ二人だし。持ってる武器とかちょっと理解できないレベルだし。
解らん。もう、俺には何も解らん。
むかつき出すと、容赦なく暮れて行く夕闇さえも気に入らないと思えるから不思議だ。帰って風呂入って寝よ。そうしよ。川の水で濡れたとこ、冷たくなって結構つらいし。
青みを帯びた夕日の中でどろどろの制服を確かめながら、一人で決心しているとうなり声が聞こえた。解らない、って顔で。んんー? と、うなっていたのはギンだった。
「ご先祖様は、ロクデナシになりたいとお考えなのですか?」
「そんなわけないだろ」
何言ってんだこいつ。そう思ったのは、俺のほうだけではなかったらしい。
ギンは、きょとんと首をかしげる。
「でしたら、そうならない様に努力なされば宜しいのに」
ふふっ、と。つい吹き出してしまったと言う感じで、小さな笑い声がした。
「ニクマル・クロ。現在のあなたは、何歳ですか?」
「十七……ですけど」
笑ったついでに俺の年を確かめたのは、ヘルメットをかぶった学生運動家の一人だった。正直、戸惑う。タオルからのぞく彼の瞳が優しくて、好ましいものを見るかのようで。
「あなたは若い。これから、自分の行く道を知る事になるでしょう」
別れを惜しむ気持ちはないのに、唐突過ぎると思ってしまった。
その声の響きがなくなる前に、変質者集団は姿を消した。本当に消えた。一瞬前までそこにいたのに、まばたきをしたらいなかった。
夕闇の中に残されたのは俺と、あいつらが破壊した痕跡だけだ。うん、これはまずい。どこからかパトカーのサイレンが聞こえるし、とにかく急いでばっくれなくては。
そうできると思っていた俺は、甘かったと言わざるを得ない。声がした。弾むように。
「ニクマル君……あなた、勝ったのね!」
振り返ると、そこにいたのはクラスメイトです。本当にありがとうございます。
簡単に言うと、このクラスメイトは人の話を聞かないタイプの女の子だった。本人が成績優秀で、親がどっかの偉い人だったのも災いした。社会的信用と、その影響力で。
彼女の目撃談によれば、俺はわけの解らない武器でこの川を破壊したわけの解らない奴らと一人で勇敢に戦ったそうだ。
いやいや待って、それ全然違うから。必死で否定する俺の声は黙殺されて、妄想が事実として広がるのは本当に恐かった。
やがて人々は木の上で動けない猫があれば俺を呼び、何かで泣いてる幼児があれば俺を呼んだ。動物や子供や壊れたおもちゃを小脇に抱える日常に慣れた頃、ふと気づく。
まさか未来で、この状態を英雄とか……。
……とりあえず、千年後に残ってる歴史ってほんと全然正確じゃないんだと思う。
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最後まで目を通して頂き、ありがとうございました。
本作品は他サイトにて2014年2月初出、2016年4月29日小説家になろうへ移植となります。