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一人目 幼キ想イ

 此の初夏に多い、梅雨時のゲリラ豪雨。


 お天気おねーさんは予報をしていたけど、ぼくは傘を持っていなかった。たぶん、わざと。


 あの日も、こんな突然の豪雨があった日だった。あのときは、お天気おねーさんは予報を外していたけど…


 今は雨に濡れていたかった。思い出して、泣いているだろうから。


 涙を誰にも見せたくない、これは、ぼくと由衣だけのものだから…



 きっとランドセルの中身はずぶ濡れで、明日はきっと笑われる。でも、それでも、今は濡れていたかった。


 家とは反対方向に脚を伸ばし、商店街のストリートへ入る。


 この雨で、人通りは無かった。


 世界に一人だけみたいで、逆に安心した。


 目的なんて、ない。声を掛けられても困る。


 ぼくはただただ栗色の髪に雫を滴らせ、商店街を歩き続けた。


 この街には想い出が染み付いている。ぼくと由衣の、二人で遊んで過ごした思い出に溢れていて、何処に行っても哀しくて仕方がない。



「なぁ…どうして…」


―――どうして、いなくなっちゃんたんだ。おれのせいなのか…?



 公園…いや、此処で無くとも、街の至る所で見えてしまう。ぼくはいつしか上を見れなくなっていた。



 灰色の砂を見つめ、歩をとめた、その時だった…



 

―――カラン…

 


 遠くて近いような、やけに耳に付くベルの音が響いた。



 耳に残る音…それをたどって辺りを見渡してると、公園の逆方向の入り口の前にお店があった。童話から飛び出たような、ヨーロッパのお菓子屋さんの様な外装で、近くまで寄ってみると、紫陽花の飾りが扉にかかっているのが見えた。



 とてもお洒落で、でも、シンプルで落ち着きのあるお店。



 ぼくは特に考えることも無く、ずぶ濡れのままお店の扉を掛けて中に入ってしまった。



「いらっしゃいま…せ?」


「なんですかサキさん、その挨拶は…」



 対応してくれたのは、大人の…というには子供っぽいおねーさん。そして、カウンターの中にいるのは中年のでもなんか恰好いいおじさんだった。


「いや…だって、子供…?」


「そうですね、子供ですね、でも此処に来れたってことはお客さんです。ちゃんと対応してください…」


「はぁ~い」


 こっちそっちのけで繰り広げられる笑える会話…



 おねーさんは気を取り直してか、スカートを叩いてお辞儀をした。



「おかえりなさいませ、おぼっちゃま!」


 空気が一瞬止まった…



ちなみに、この人の制服は所謂正統派のメイド…


「え、此処メイド喫茶?」


「こらこらこら! サキさん! 勝手に店をコンセプト喫茶にしない!」


「えー、別に良いじゃないですか。制服メイドだし」


「そういう問題じゃないの! 此処はお菓子屋さんです!」


「あ、そうなんだ」


「はい! ここはお屋敷系お菓子工房ですっ」


 おねーさんは元気よく言う。その笑顔はまるで花が咲いたようだった。


「因みにてんちょーは執事。制服はすべて」


「はいはい、ぼくの趣味ですね」


「ちょっとぉ、人のセリフとらないでくださいよぉ」


 おねーさんの嘆きを無視して、店長はぼくに向かった。


「ここは普通じゃないお菓子屋さんだけど、決してコンセプト系ではないよ?」



「あー、うん、わかった…」


 ちょっと店長の顔が本気で怖かった…



「サキさん」


「はい既に! ぼくー、そのままじゃ風邪ひいちゃうよー」


 おねーさんは大きなオレンジ色のバスタオルで、ぼくの頭とか腕とか、丁寧に拭いてくれた。


「はい! これでだいじょーぶっ」


「あ、ありがとう…」


 おねーさんの笑顔がなんかとっても良かった…それで、ちょっと言いにくくなったけど…


「でも、ぼく、お客っていうわけじゃ…」


瞬間、空気が止まった…


俯いていても、二人が顔を見合すのが感じられる…


「だいじょうぶ、君はちゃんとしたお客さんだ」


「え…?」


 店長の、深く、不思議な響きのある声に顔を上げる。


「ここはですねー、入るべき人しか入れない、そう言うお店なんですよ。だから、君が此処にいるってことは、お客さんってことなんですっ」



 おねーさんはぼくの手を引き、お店にある唯一のテーブルへと案内される。


 テラステーブル真っ白で、店の雰囲気と良くあっている。


 ぼくがいすに座ると、店長がカウンターから出てきて、向かいに座った。



「何か飲むかい? 夏とはいえ、雨に当たれば冷えるだろう」


「あ、えと…」


「大丈夫、お金はかからないよ」


「えっと…」


 良いのか…世の中タダより高いものはないっていうし…


 そんな逡巡をしていると店長が勝手にきめてしまった。



「サキさん、彼にはホットココアを。僕には…冷たいジュースくれるかい?」


「了解っす! ちょっと待っててくださいね~」


 おねーさんが奥に引っ込んだ後、必然的に店長と二人きりなってしまう…


「そう身がまえなくても良いよ。取って食いはしないから」


 店長は、僅かに頬を緩ませた。



 それでか、ぼくも肩の力が抜けた…凄く肩が痛かった。そんなになるほど、肩を怒らせていたのだ。


 なぜだろう…このおじさんには、何処か人を安心させる何かがある。


「さて…何があったんだい?」


「…――――は?」


 言っている意味が分からなかった。



「君が此処に来たってことは、なにかあったんだろう?」


「…―――」


 店長は目を伏せていて、表情がいまいち読めない。でもぼくは、動揺せずにはいられなかった…


 まるで、此方の心を見透かしているかのような、するりと入ってくるコトバ…



「聞き方を変えようか…君は、なにを願う?」


「ねが…い?」


 息が、つまる…黒曜石の様に真っ黒で、それでいて透き通る、何処までも吸い込まれていくような瞳…


 汗が流れてくるのが分かる。店内は涼しいのに…それは冷や汗というモノだが、ぼくには考える余地も無かった。


 それでも、店長から目が離せない…


「あぁ、そうか…君は…」


 と言いかけた瞬間、元気の良い声が空気を見事にぶっ壊した…


「お待たせしましたぁあ!」


 厨房から出てきたおねーさんのお盆に乗っていたのは、ホットココアと何やら柑橘っぽいジュースが二つ。



「少し時間がかかりましたね」


「あはは…手絞りだったものでっ」


「しかし、三人分とは、相変わらずちゃっかりしてますね」


「あははー…まぁ、良いじゃないですか!」


 そして有無を言われるまえにおねーさんも席に着いた。


 店長は横目にため息を吐きつつも、特に文句は言わなかった。


 ホットココアは温かかった…とても甘くて、とても安らぐ…



「これは、シークァサーかい?」


「はいっ! おいしいですか?」


「うん、君の作る飲み物は間違いがないからね」


「…えへへ~」



 おねーさんは赤くなって照れた。




「さて、落ち着いたところで話を戻すよ」


「…――――う」



 また、緊張が走った…おねーさんは我関せずでジュースを飲んでいる。


「隠さなくても良い。分かっているんだよ、君には話したい事がある。いや、願いがある筈だ」


 そう言われても…こんなこと、人に話すようなことじゃない。ましてや、今会ったばかりの知らない人になんか…


「どうするかは君の自由だけど、このままで君は帰れるのかな…?」



「―――っ!?」


 心臓を、鷲掴みにされたような…今会ったばかりな筈なのに、全てを見透かされているような…



 話す、べきなのだろうか…ぼくは誰かに聞いて欲しかったのか…?


「誰にも…」


「もちろん言わない。此処だけの、僕らだけの秘密にしよう」



 店長は温かく笑った。











 彼女はとても身体が弱かった。もっと前はみんなと一緒に跳んで跳ねて遊んでいたのに、高熱を出してからは気管支喘息持ちになってしまって、同性の女子たちと遊べなくなって、彼女が孤立していくのに時間はかからなかった。



 ぼくは、彼女が好きだった。その時は分からなかったけど、あの事があった後に、やっと自分の気持ちを理解した。



 ある日、ぼくらは二人で遊んでいた。片田舎のこの町だ。そんなに高くはないけれど、軽くハイキングできるくらいの雑木林とかはあった。


彼女、由衣は気管支炎持ちだ。でも、その日はいつもと違って体調も良いという事で、ぼくも嬉しくなってそこに連れだした。


「ここに来たのもひさしぶり。ね、ユート」


「そうだなぁ。結構涼しいし、虫がいなけりゃいいんだけどさぁ」


林道を歩きながらの会話。


だらけた言い方をするのは、喜んでいるのを気取られないためだ。


「くすくすっ。虫も人間と一緒で、涼しいところが好きなんだよ。だから邪険にしただめ」


「きょーせー(共生)ってやつだな!」


「それ、今日の理科でならったやつ!ユート、さっそくすぎ」


「いいだろー別に。間違っちゃいないんだからさっ」


バカなことを言って、馬鹿みたいに笑って、とても楽しい。



この林道の先に休憩できる場所がある。そこで昼を食べる予定だ。


うちのかーちゃんが作ってくれた弁当だ。

かーちゃんはぼくには厳しいくせに由依に甘い。激甘だ。


「うちもこんな娘がほしかったわぁ。由依ちゃん、うちの子にならない?」


なんて、半ば本気で言うほどだ。このやろう・・・


まぁ、でも今回はそんな激甘も見逃してやろうと思う。


それのおかげで、あっさり2人分の弁当を作ってもらえたからだ。




そこで見つけてしまった。一羽の鳥の雛。上には巣があり、どうやら落っこちてしまったようだ。

 ぼくは知っていた。落っこちたヒナは助かる見込みがないという事を。人の臭いが付いたものを、それが自らの子供であれ動物は殺してしまうと言う事を。

 ぼくはあきらめていた。でも、彼女は知らなかった。だから、ヒナを胸のポケットにれて、木に脚を掛けた。

 ぼくは止めた。あぶない、と。

でも、由衣は譲らなかった。「この子は私だ、助けたい」と言って…

 彼女は慎重に、確実に登っていく。この時、無理やりにでも止めていれば、或いは僕が変わって登っていれば…そこに雛がいなければよかったのに…

 由衣は身体が弱くて、ぼくが守らなきゃいけないのに。

 彼女は木を登りきり、巣へと雛をかえすことができた。でも、そこで終わればよかったのに、ちょうど親鳥が帰ってきて、襲われた。

 雛を狙ったと思われたのだろう。下にいる僕は何もできない。そうしているうちに、由衣はバランスを崩して…

 落ちた…

 そんなに高さはなかった。でも、由衣は身体が弱い。それも肺だ。胸から落ちて、打ち付けてしまった。

 僕は慌てて起こして、肩を貸して帰路に就く。

 その日、にわか雨が降った。突然の豪雨にぼくらはずぶ濡れになる。

 目に見えて由衣の体調は悪化の一途をたどる。焦燥。かといって、歩を早めるわけにもいかない。そして…

 不安が心を支配する…

 そういう直感は良く当たるモノ。とにかく由衣の家に向かえば…そして、彼女は…

 僕の見たモノは、赤いサイレンをクルクルと回す、真っ白なワゴン車…






「あのとき…あそこに…」

「雛がいなければ?」

「…――――っ」

 また…

「本当は分かっているんだろう? 見ないふりをしているだけで」

「ぼくはっ」

「まぁまぁ、そう怒らない。でも、君はどうしたいのか、もう分かっているんだろう?」

「…――――」

 言葉が出ない…ぼくはもう、分かっているんだろうか。きっと分かってる。ぼくはどうしたいのか…

「うん、良い顔になった。少し顔色も良くなったようだしね。サキさん、ちょっと相手してあげてて」

「了解ですっ。ごゆっくり~」

 おねーさんが朗らかに笑うと、店長は店の奥へと消えていった。

 必然的に二人きりになる。しばらく沈黙が続いたが、おねーさんは至って楽しそうだった。

「やっぱてんちょーは凄いですねぇ」

「…――――」

「由衣ちゃんに、逢いに行きたいんでしょう?」

 ぼくはゆっくりと頷いた。

 そう、ぼくは、謝りたかった。あって、謝って…それから…

「大丈夫、きっとうまくいくよ。君に必要なのは…」

「サキさん、それは言っちゃだめだよ」

 店長がいつの間にか帰ってきていた。

「あ、あはは~、つい口が滑りそうに…」

 店長は再び椅子に座って、ぼくに差し出した。

「これを君に」

 それは、様々な形のクッキーだった。

 星形、ハート形、円、ひし形、ドーナツ型、花形、薔薇型…

 そして、その中心にはまるで宝石のように輝く砂糖菓子があしらわれていた。

 手に取るとそれは、まだ温かかった。

「青は勇気、赤は誠意、緑は行動力、黄は想い。南海に贈られる四宝石。それを手にした者は…――――」

 袋の中で煌めくそれは、本当に宝石の様だった。

「えっと…これ」

「お金は要らない。対して材料費もかかってないしね。さぁ、もう雨も上がった。行っておいで」

店長は優しく背中を押してくれた。



 外へ出ると、雲の切れ間から幾筋ものヒカリが降り注いでいる…

 振り返ると…

「あ、あれ…?」

 あるのはありきたりの民家で、あのお店はどこにも見当たらなかった。でも、手の中には確かにあった。南海の四宝石。

 そしてぼくは街の中心へと足を向けた。



「あ、ユート」

「ごめん、遅くなっちゃった」

 二人は、はにかんだ笑顔を向けあった…


「てんちょー、良く雨が上がるなんて分かりましたね」

「ん? ぼくが上げたんだよ? 一時的だけど」

「…な、なんか、凄い事をさらっと…」

「あれくらいの演出は、彼には必要だろう。まぁ、でも、ぼくらが何もしなければ、親が何とかしただろうけどね」

「そうなんですか?」

「まあね。でも、此処に来たってことは、それだけ切実だったんだ。無駄だなんてことはない」

 店長は気障ったらしい、でも慈愛に満ちた笑顔をサキに向けた。

「そう言えば、さっき言いかけた事ってなんですか?」

「それは、また今度ね。今日はもう帰って良いよ」

「むー… まあ良いですケドぉ… じゃあ、お疲れ様でした!」

「はい、お疲れ様」

 まだ日は暮れていない…でも、Snow Whiteは閉店した。そんな日もある。そんな日もあるのだ…


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