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「君の静寂が愛おしい」殺された記憶を持つ令嬢が沈黙を選んだら、ヤンデレ騎士の最愛になった件  作者: ましろゆきな


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8/8

第六話:自由の終着点と、偽りの救済

 冷たい夜風が、私の頬を叩く。

 逃げ出すために脱ぎ捨てた華美なドレスの代わりに、身に纏っているのは地味で動きやすい平民の服。

 城門を抜け、暗い街道の影に身を潜めた瞬間、私は初めて肺の奥まで空気を吸い込んだ。


(逃げられた。……本当に、逃げられたんだわ)


 鼓動がうるさいほどに鳴っている。

 隣で同じように息を切らしているサーラの手を取り、私は声にならない喜びで彼女の手を強く握った。

 彼女がいたから、私はここまで来られた。

 彼女だけが、私の「沈黙」の裏にある悲鳴に気づいてくれた。


 あとは、手配された馬車に乗るだけ。

 そうすれば、アルフレートの手も、あの銀の剣も届かない場所へ――。


 ガタゴトと、闇の向こうから車輪の音が聞こえてきた。

 約束の乗合馬車だろうか。私は安堵に膝の力が抜けそうになりながら、その影を見つめた。


 ……けれど、現れたのは、質素な馬車ではなかった。


 月の光に照らされて浮かび上がったのは、漆黒の塗装に金細工が施された、見紛うはずもない公爵家の紋章。


「…………っ!」


 心臓が、氷を飲み込んだように冷たくなった。

 馬車が私の目の前で静かに止まる。

 御者が扉を開けると、中からゆっくりと、一人の男が降り立った。


 銀髪を夜風になびかせ、冷徹な氷の瞳で私を見つめる、私の死神。


「……こんな時間に、散歩かな? エルシア」


 アルフレートは、震えてその場に崩れ落ちた私の前に跪いた。

 彼は怒るどころか、まるで迷子を見つけた親のような、慈愛に満ちた――それゆえに狂った笑みを浮かべている。


「夜風は体に障る。君のために用意させていたんだ」


 彼は、持っていた最高級の黒狐の毛皮マントを、私の肩にふわりと掛けた。

 重厚な毛皮の熱が、絶望に凍える私を包み込む。

 そのまま、彼は抗う力も残っていない私を、赤子でも扱うように優しく抱き上げた。


「……ぁ……あ……」


 声にならない悲鳴が喉でつかえる。

 なぜ。どうして彼がここにいるの?

 パニックで視界が歪む中、私は彼の肩越しに、地面に伏して震えているサーラを見た。


「サーラ……?」


 アルフレートは、私の耳元で甘く囁きながら、もう片方の手で腰からずっしりと重い革袋を取り出した。


「よくやった、サーラ。彼女をここまで安全に導いた功績は大きい。……これは約束の報酬だ」


 ドサリ、と鈍い音を立てて、金貨の詰まった袋がサーラの足元に投げ出された。


「……ひっ……あ、ああああ……っ!!」


 サーラは金貨を拾おうともせず、その場に突っ伏して泣き叫んだ。

 土に顔を擦り付け、狂ったように謝罪の言葉を口にする。


「申し訳ありません、お嬢様……! 申し訳ありません……っ! でも、弟たちが、家族が……彼に……っ!!」


(……ああ、そう。そういうことだったのね)


 理解した瞬間、目の前が真っ白になった。

 私の唯一の希望、唯一の味方だと思っていた彼女さえも、最初から彼の掌の上で踊らされていたのだ。

 私が必死に集めた宝石も、練り上げた計画も、彼にとっては私をより確実に追い詰めるための「遊び」でしかなかった。


 逃げ場なんて、最初からどこにもなかった。

 私は、ただ彼が用意した大きな鳥籠の中で、自由を夢見て羽ばたいていただけ。


「さあ、帰ろう、エルシア。……暖かい部屋で、二人きりで、君の『沈黙』の続きを聞かせておくれ」


 アルフレートの胸の鼓動が、私の背中に伝わってくる。

 それが、私を貫いたあの剣の冷たさよりもずっと、ずっと恐ろしかった。


 私はその恐怖に耐えきれず、深い深い闇の中へと意識を放り出した。

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