狂愛のプロローグ:銀の剣と赤い花
熱い。……いや、冷たい。
感覚が、麻痺していく。
視界が不自然に歪んでいた。
仰向けに倒れた視界の先、シャンデリアの光を背にして立っているのは、私の婚約者――アルフレートだった。
その手には、銀色に輝く儀礼剣。
……その先から、赤い、赤い花びらのような雫が、ポタリ、ポタリと絨毯に落ちている。
それが私の血だと気づくのに、どれだけの時間がかかっただろう。
「……あ」
声が出ない。
喉の奥でゴボリと何かが爆ぜた。
ドレスが、自分の体温よりも熱い液体で濡れていく。
なぜ?
私はただ、彼の隣にいたかっただけなのに。
冷たい彼を振り向かせたくて、ワガママを言って、嫌がらせをして……。
そうすれば、少しでも私を見てくれると思ったから。
それが、どうして。
アルフレートは、表情ひとつ変えずに、ゆっくりと私を見下ろしていた。
その冷徹な瞳。私の人生で、一度も私に愛を囁かなかった、氷の男。
彼が、剣を捨てた。
金属が床に落ちる硬質な音が、妙に大きく響く。
彼はそのまま膝をつき、私の頬に触れた。
返り血で汚れた彼の手が、私の頬に赤い筋を作る。
その時、初めて。
彼の氷の仮面が、ヒビ割れた。
「……こんな事、したくはなかった」
掠れた声。
それは、私が今まで聞いた彼の声の中で、最も人間味を帯びていた。
悲しげに、そして――悍ましいほどの執着を孕んで。
「俺だけのものにするには、こうするしかなかったんだ、エルシア」
……何を、言っているの?
彼の手が、私の首筋に回る。
それは抱擁というより、獲物を仕留めた獣の、確実な占有の儀式のようだった。
「これで、お前はもう二度と、俺の側から離れられない。誰の目にも触れず、俺だけの場所で、俺だけのエルシアになるんだ……死んでも、離さない」
意識が、遠のいていく。
彼の瞳の奥に、狂気の底に、悍ましいほどの「愛」があったことを、私は死の間際に知った。
違う。
私が欲しかったのは、こんな「純愛」じゃない。
こんな、歪んだ、すべてを圧し潰すような執着じゃない……!
悔しい。
こんな男のために、私は人生を無駄にしたのか。
最期まで、彼の「愛」という名の牢獄に囚われたまま。
もし、もしも次があるなら。
もう二度と、貴方に関わらない。
もう二度と、貴方に声を届けない。
貴方の愛も、執着も、すべて無視して、無言で、音も立てずに――消えてみせる。
溢れ出る後悔と、底なしの悔しさ。
それを最後に、私の視界は、完全に暗闇に飲み込まれた。




