第7話 大丈夫だと分かっていても怖いものは怖い
「き、緊張する……」
これまで人生で様々なことを経験して来たけれど、ここまで緊張したのは初彼女と初デートした時以来かも。
「ふふ。大丈夫ですよ。それとも私が言いましょうか?」
「流石にそれは情けないだろ~」
俺達が付き合い始めたことを丑岡に伝えると決めた翌朝。
会社の最寄り駅で真心さんと合流し、共に歩きながら出社する。これまでも偶然会った誰かと一緒に出社したことがあるから変には思われないはず。
「でも少し驚きです。佐野さんはあまり緊張しないタイプだと思ってたので」
「お、真心さんでも分からないことがあったのか」
「何でも分かるわけじゃないですよ~」
「俺の心が読めてるんじゃないかってくらい、いつもベストなフォローしてくれるからさ」
だから本当に助かってる。
「あれ?」
隣を歩いていた真心さんの足が止まった。
「どうしたの?」
真心さんの顔が少し不安そう。
もしかして何か言ってはならないことを言ってしまったのだろうか。
「佐野さんは……心が読まれてるって感じてしまうくらい理解されるのって嫌じゃないですか?」
ああ、なるほど。
そういうことか。
やっぱり真心さんと言えども、相手の心の中を完璧に読めている訳じゃないんだな。
「最高だな」
「あ……はい!」
わざとらしくニカっと笑って本心を伝えてやったら、嬉しそうにまた俺の横に並んできた。可愛いやつめ。
おかげで緊張が和らいだ。
まさかそのためにわざとこんな話をしたんじゃないだろうな。
「私の顔に何かついてますか?」
「いや、可愛いなって思っただけ」
「ふふ、ありがとうございます」
流石にそれは考えすぎか。
まぁ本当だったとしても、気遣いが嬉しいだけだから何も問題無いが。
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いや、やっぱり緊張する。
会社に着いて自席に座ったら、緊張感が蘇って来た。
朝会の後で話すべきだろうか。
いや、それだとショックを受けたら一日中使い物にならなくなる。
それなら昼休みか。昼休みなら長いからゆっくりと現実を受け止められる。
でも、もしもその間に受け止められなかったら午後が潰れるな。
午後三時の休憩、いっそのこと定時後とか?
ダメダメダメダメ!
この思考の流れは一番やっちゃいけないやつだ。
尤もらしい理由を探して嫌なことを先延ばしにしようとしているに過ぎない。
ここはズバっと朝のうちにやるべきだろう。
はぁ……しんど。
これが単なる身内の話だったら全く気にならないが、主任という立場がそうさせる。
今年主任になって、後輩が部下に変わった。
もちろんまだ管理職じゃないから先輩後輩の延長線上に近い感覚だけれど、チームリーダーとしての立場を求められるようになったので意識的に立場に相応しい行動をするようにと頑張って来た。
特に、チームメンバーの進捗の確認とメンタルの維持には気を使いまくった。
それが今日のカミングアウトで壊れてしまうかもしれない。そう考えると怖くてたまらなかった。丑岡なら大丈夫だと確信し、真心さんからのお墨付きを頂いているのに、恐怖は消えてくれない。
はは、俺って自分のことばかりだな。
立場がどうとかより、丑岡がショックを受けないかどうかを一番に心配すべきなのに。酷い人間だ。
ん、なんだ?
真心さんからチャットが来た。
『佐野さんは責任感のある素晴らしい方です。それに丑岡さんのことをちゃんと心配してますから安心してくださいね』
やっぱり俺の心が読めてるんじゃないだろうか。
このタイミングでそのフォローは本当に卑怯だ。
うし、いつまでもぐだぐだ悩んでないでやるぞ。
「おはようございますッス」
「おはようございます」
「お、おう。おはよう」
はいダメー
いきなり挙動不審な挨拶になってしまった。
セットで出勤してきた丑岡と晴着さんが不思議そうな顔をしている。
「佐野さんどうしたッスか。変ッスよ」
「お前の寝癖が酷くてな」
「マジッスか!?」
「嘘だ」
「なんでいきなりそんな嘘ついたッスか!? やっぱり変ッスよ!」
「お、おう、そうだな」
本当は朝会の後にこっそりと思っていたんだが、今でも良いか。近くの席の人はまだ出社していないから、小声で話せば離れた席の他の人達には聞かれないだろう。フロア中に聞かせるような話じゃないしな。
「実はな、丑岡と晴着さんに言おうと思ってることがあってな」
「何ッスか。真心さんと付き合い始めたとかッスか」
「…………」
「え、マジなんスか!?」
色々なパターンを想定していたのに、これは流石に予想外だ。
なんでそこで先に言っちゃうかなぁ。丑岡らしいっちゃあらしいけど。
「おめでとうございますッス」
「おめでとうございます」
あれ、なんか素直に祝福されたぞ。
ショック受けないの? 俺の緊張は何だったの?
真心さんを見ると、楽しそうにくすくす笑っている。
彼女はこうなることが分かってたんだな。いや、俺も分かってはいたが、それでも不安が消えなかっただけだし。マジだぞ。
「ありがとうございます」
「ありがとう。でもなんか反応が淡泊じゃないか? もっと驚くかと思ったんだが」
男女関係を意識している風が全く無かった上司と部下が付き合うなんて言い出したんだ。驚いたり、脅されてないかって真心さんを心配したりと、特別な反応があるのが普通ではないだろうか。
「そういえばそうッスね。なんでッスかね。晴着さんは分かりまスか?」
「分からない。でも、全く違和感ない。むしろとっくに付き合ってるのかと思ってた」
「あ~確かに薄々そんな気はしてたッス」
「はぁ!?」
ちょっと待て。
それはそれで不味いぞ。
「それシャレにならんからマジで教えてくれ。本当にそう感じたのか? 真心さんと付き合うことになったのは最近で、それまでは部下としてしか扱ってなかったんだぞ。真心さんも俺にアピールなんかしてなかった……と思う。それなのに付き合ってるって思われてたってことは、俺が無意識のうちにそういう行動をしてたってことになっちまう。それ社会人として普通にヤバい。繰り返し聞くが、マジでそう見えたのか!?」
あまりに焦って超早口で聞いてしまった。
いやでもそうなるだろ。無自覚セクハラパワハラ野郎だったかもしれないってなったら焦るわ。人生かかってるからな。
「うわ佐野さんがマジッス」
「マジなんだよ。大マジ。だからマジで考えてくれ」
「そう言われても…………あれ、なんでそう思ってたッスかね。」
「佐野さんも真心さんも普通だったと私は思います。でも、何故かそんな気がしました」
「??」
丑岡も晴着さんも不思議そうにしている。
何かを隠しているとかではなく、自分がどうしてそう思ったのか本気で分かって無いような感じだ。
「真心さんが佐野さんにお茶を渡してる時とか、なんとなく、その、う~ん、なんて言えば良いッスかね」
丑岡が必死に言葉を探している。
一体こいつに俺達の姿がどのように映っているのだろうか。
「そうだ。夫婦ッス。長年連れ添った熟年の夫婦感があったッス」
「はぁ!?」
なんだそりゃ。
付き合ってもなかったのにそんな空気が出るなんておかしすぎるだろ。
「でも真心さんはお前にもお茶出してただろ。晴着さんはどう見えた?」
「丑岡の場合は普通に渡してるだけにしか見えません。佐野さんの場合は……確かにそう見えなくは無かったかも。なんか安心感がありました」
「…………どういうことだ」
真心さんがどう感じているのか視線を向けたら、きょとんとしていた。
彼女も全く心当たりがないらしい。
「とにかく、佐野さんが心配するようなことはしてなかったと思うッスから気にしないでくださいッス」
「はい。私もそう思います」
気にはなるが、そう断言してくれるなら今は信じるしか無いか。
「それよりおめでとうございますッス。お祝いの飲みッスね」
「やらねーよ」
「なんでッスか!?」
「お前の作業が遅れてるから」
「うっ!ごめんなさいッス!」
「祝ってくれる気があるなら、頑張って終わらせろよ」
「よおおおおし! やる気出たッスうううう!」
今の開発が完了したらお疲れ様の飲み会、いや、この時期だと忘年会とまとめてやることになるかな。その時にたっぷり弄られそうだ。
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本当に丑岡は気にしていないのだろうか。
表向きはいつも通りふざけた感じだが、実はショックを受けているなんてことは無いだろうか。
しつこいかもしれない。
本人が何も言わないのなら、放っておくべきかもしれない。
だが気になる。
部下だからではなく、丑岡のことを気に入っている一個人として。
そんなことを考えていたら、丑岡からチャットが来た。
『おめでとうございますッス』
『ありがとう』
『佐野さんが気にしてるのって俺のことッスよね』
なん……だと……
丑岡に俺の気持ちが悟られていただと!?
『佐野さんって結構分かりやすいッスよ』
そんな馬鹿な。
以前付き合ってた彼女に、何を考えているか分からないって言われた事があるんだぞ。
『マジで気にしないでくださいッス。そりゃあ真心さんがうちに入って来た時は気になりましたけど、いつの間にか佐野さんとペアなんだなって思っちゃって、そういう気は無くなっちゃってましたッスから』
『なんじゃそりゃ』
『自分でも良く分からないッス。でもそんな感じだからマジ平気ッス』
結局考えすぎだったというわけか。
あるいは丑岡が本心を隠している可能性も無くは無いが、そこまでして祝福してくれようとしていると考えたらここで深堀しようとするのは野暮ってものだ。
俺がやるべきなのは丑岡達の祝福を素直に受け取りつつ、いつも通りに業務を遂行すること。
よし、今日も一日頑張るか。
「朝会始めるぞ」
「はい」
「はい」
「はい」




