第4話 交際開始と思いきや、超重大インシデント発生
真心さんと付き合うことが決まった夜。
俺はベッドの上でゴロゴロしていた。
いきなりの事なので心の整理をした方が良いと部長に言われ、明日からの土日で彼女との関係を一人でゆっくりと考えることになったのだ。
だから真心さんとは個人的な連絡先を交換し、少し挨拶をした程度で何も関係は進んでいない。彼女のことだ、俺が状況を受け入れるのを待ってくれているのだろう。
とはいえ俺の中で付き合うことに前向きな以上、そんなに待たせるわけにもいかない。明日中にはこちらからチャットしてみようと決心し、久しぶりに酒でも飲もうかと外出してコンビニでビールを買って帰って来たらスマホに連絡が来ていた。
スマホといっても、残念ながら業務用のもの。
相手は部長だった。
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「折角つくしと付き合うことになったのに本当にすまない」
「いえ、気にしないでください。土日は私が一人で考える時間ってことになってましたから、用事が入っても真心さんに迷惑はかからないでしょうし」
土曜日の朝、休日にも関わらず俺は出勤していた。
最寄り駅で部長と合流し、並んで会社までの道を歩く。
「ほう、自分のことではなくてつくしのことを心配するか。やはりお前に相談して良かったようだな」
「別に普通の反応だと思いますけど」
「それを普通だと思えて断言できるところが良いんだよ」
そんなもんかね。
「それより例の話、本当なんですか?」
「ああ、でなきゃこんな急に休出など頼まないさ」
「重大インシデントって聞きましたが、何が起きたんですか?」
昨晩部長から連絡が来て、会社で重大インシデントが起きたからそのヘルプに来てくれないかと頼まれた。雰囲気的にかなりヤバイことが起きたらしいが、詳細は聞いていない。
もちろん社外で話すような内容では無いが、丁度会社についたので聞いてみた。
「第一官庁事業部の馬鹿が業務用PCを勝手に持ち出して飲み会に参加して紛失したらしい」
「えぇ……なんですかそのコンプライアンス教育のド定番ネタ。しかも一官って、特にコンプライアンスが厳しいところじゃないですか」
「だが残念ながら事実らしい」
教育動画ではインシデント発生時にどんな対応をしてたっけか。
「もしかしてPCの中にどんなデータが入っていたかを解析するために呼ばれたんですか?」
「正解だ。メールサーバに残っていた全てのメールをチェックして、紛失したPCの中にどんな個人情報が含まれていたのかを洗い出すんだとさ」
「全てのって……どのくらいあるんですか?」
「六年分だ」
「六年!?」
そりゃあ人手が必要で、他部署の俺までも駆り出されるわけだ。
いや、本当にそうか?
うちの会社は準大手くらいの規模で社員がかなり多い。一官とは関係が薄いうちの部署が関わらなくても人手なんか足りそうな気がするんだが。
「会社の一大事ですし協力するのは全く問題無いんですが、どうして私達が呼ばれたんですか?」
「向こうの事業部長から直々にお声がかかったのさ。どうせ暇なんだから手伝えってな」
「一官の事業部長……ああ、なるほど」
全社キックオフで見たことがある。
自分達がどれだけ会社に貢献しているかを声高に主張してたプライドが高そうな男だ。実際、一官は稼ぎ頭の花形部署だからそう思う気持ちは分からなくはないが、他の事業部を見下してる感があって気に入らない。
「前回のキックオフの時に妙にうちの事業部に絡んできましたよね」
「私が成果を出しているのが気に入らないらしい」
「女性管理職否定派なんですか?」
「みたいだな。あそこも例の施策で被害を受けたらしいから同情はするが、だからといって粘着されるのは迷惑でしかない」
「ノーコメントで」
「ふっ、賢明だな」
例の施策とは、女性を積極採用して女性管理職を増やそうというものだ。
社会的なその風潮に乗っかり、うちの会社でも女性を大量に採用した。だが人事部がノルマを達成させるために技術力を蔑ろにしてコミュニケーションだけを重視して採用した結果、態度が大きいだけの使えない人材が山ほど生み出された。しかも使えないだけならまだしも、実力のある女性に嫉妬して精神的な嫌がらせをして会社から追い出そうとする始末。
男性が注意しようものならハラスメントだと喚き散らし、成果を出せないのは指導が悪いと他責にする。その上でもっと自分達の待遇を向上させろと会社に訴えて来る。
その結果多くの部署が崩壊しかけたのだが、一官もその被害を受けたのだろう。そして事業部長は女性に対する不信を強め、部長の存在を忌々しく思っているのかもしれない。
ちなみに運が良いことにうちの部署は女性が多いが問題は起きていない。つまり女性が問題なのではなく、単に性格に難のある女性を採用してしまったことが問題だったのだろうと俺は思っている。
「あれ、でもやっぱり変ですよ。一官ほど大きい事業部なら、やっぱり私達が手伝わなくても人手は足りてるんじゃないですか?」
「大事な作業だから役職付き以上が作業するように上から指示が出てる。まぁそれでも足りるだろうけどな」
「じゃあどうして?」
「自分のとこのプロジェクトが佳境だから人を出せないんだとさ」
「はぁ!?」
おっといけない。
つい冷静さを欠いて汚い声色になってしまった。
でもそんな声も出るだろ。
「官庁系プロジェクトの関係者がPCなくしたんですよ!? 会社の危機と言っても良いくらいのインシデントじゃないですか! プロジェクトがどうとか言ってる場合じゃないでしょ!」
むしろこんな状況なのに呑気にプロジェクトを進めていたら、更に信用を失うことになってしまうに違いない。
「くっくっくっ、だな。だから真中さんが激怒してる」
「うわぁ、一官の事業部長終わりましたね」
真中さんというのは、うちの事業部を担当している執行役員。
温厚で融通が利く親しみある方だけれど、礼儀やインシデントには滅法厳しい。
そんな人を怒らせてしまい、タダで済むわけがない。
「だから日曜には一官が総動員されるだろう。私達はそれまでの繋ぎさ」
「なるほど。でも私達がやる理由はそれだけじゃないですよね」
「というと?」
「会社の危機だから他部署とか関係なく一丸となって乗り越えるべきだ!って私達が助けに行くことで部長の株をあげようとしてますよね」
「はっはっはっ、なんのことやら。私は佐野が言う通り、会社のためを想って行動しているに過ぎないさ」
そんな嬉しそうに言われてもなぁ。
でもこうやって信頼を積み重ねることも大事なのだろう。女性管理職は苦労が多そうだし。
「さて、おしゃべりはここまでだ。入るぞ」
インシデント対策会議室。
そう雑に書かれた紙が入り口に貼られている。
そっと扉を開けて中に入ると、すでに何人かが作業を進めていた。
正面に座っているのが会社のインシデント対策部の人達だろう。インシデントが発生した時に中心となって指示をする人達で、真剣に何かを検討していた。
そしてサイドのテーブルに黙々と作業をしている人達が座っているのだけれど、対策部の人達に一番近い場所に座っている男に見覚えがあった。
「久内?」
「さ、佐野……」
名前を呼ばれ反射的に俺に視線を向けたその男は真っ青な顔をしていた。
そいつは力無く俺の名前を口にすると、震えながら顔を背けた。
俺達の様子が気になった部長が声をかけてきた。
「知ってるのか?」
「はい。私の同期です」
ただ、俺の知ってる久内とは雰囲気がまるで違い、別人のようだ。
出世欲が強く、絶対に社長になってやるぜ、が口癖で、一官に配属が決まった時は人生の勝利者かのように勝ち誇った顔をしていたのが印象的だった。
まったり稼げれば良い俺の生き様を温いと酷評してきたこともあったので、もしかしたら俺は苦手とされているのかもなと思っていた。俺は面白い奴だな、って思ってたんだが。
そんな久内が人生の終わりかのような顔をしている。
マジか、あいつがやらかしたのか。
「ああ、すいません。白玲さん、せっかく来て頂いたのに気づかず。ささ、こちらへどうぞ」
インシデント対策部の人が俺達のことに気付き、隣の部屋に案内してくれた。
そういえばこれまで部長の名前は出て来なかったかな。白玲というのは部長の名字で普通ならそっちで呼ぶのだが、なんとなく部長だけは部長と呼ぶ癖がついてしまっているんだ。
部屋の中には俺みたいな新人主任が会う機会など滅多にない、偉い人が勢揃いしていた。もちろん執行役員の真中さんもそこにいる。
そしてその真中さんが話しかけてきた。
「白玲さん、良く来てくれた」
「会社の危機ですから当然です」
「うんうん。本当にその通りだ。それなのにあの……おっと、ここではそういうのは禁止だったね」
真中さんは一官の事業部長について文句を言いたかったのだろうが、ギリギリで押し留めた。インシデント発生時に誰かを責めるような発言をすると空気が酷くなり適切な対処が出来なくなる、だったかな。だから不満や注意は今は口にせず、粛々と対応するように対策部から指示が出ているに違いない。
俺達は軽く挨拶をしてから、指示を受けて作業に取り掛かった。
大量のメールの内容を一件一件精査し、個人情報の有無を推測するという、なんとも虚無感に襲われそうな作業だ。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
しかも沈黙が重い。
業務中も静かではあるから似たような景色のはずなのに、まるで肩に背後霊が百匹くらい乗ってるのではと思えるくらいに重すぎる。息をすることすら憚られるほどの緊張感が場を支配している。
そんな中で丁寧にチェックを進める。
今回は役職付き以上が呼ばれているらしいが、そうでなかったとしても丑岡は呼べないな。ミスして大事なところを見落としそうだ。
だが丑岡にこの空気を味わせてやりたい気もする。こんな風になるから絶対にやらかすなよって伝えるために。いやでもあいつはインシデント関係はしっかりやるやつだから大丈夫か。いやいや、そういう思い込みがダメで、気を引き締めてしつこいくらいに指導しよう。
おっといかんいかん、集中しないと。
現実逃避して他のことを考えてしまいそうになるが、それではここに来た意味が無い。
「…………」
「…………」
「…………」
「……くそぅ」
「…………」
「…………」
「……どうして」
「…………」
「…………」
時折呻き声のように久内の声が聞こえてくる。その度に背後霊の数が倍増したような気分になってしまう。
「久内さん、少し向こうで休憩しましょう」
見かねた対策部の人が久内を別室へと連れて行き、それだけで会議室内の空気が幾分か和らいだ気がした。
というのは俺の勘違いだったらしい。
「もうダメっ」
俺の目の前に座っていた女性が、口を抑えて外に飛び出してしまった。この空気に耐えられなくなったのかな。
「すいません」
彼女の行動に俺が驚いたのが目に入ったのか、その女性の隣に座っていた男性が俺に謝り出した。
「彼女は気が強くて、今回の話を聞いた時も私に任せてくださいって自信がありそうだったから連れて来たんですが……」
「まぁ、その、仕方ないですよ。部長」
「分かってる。任せとけ」
トイレに逃げたかもしれないし、こういう場合は同じ境遇の女性が支えた方が良いだろう。
問題は俺が一人になってしまったことだ。
「…………」
「…………」
「…………はぁ」
「…………」
「…………」
「…………ふぅ」
「…………」
「…………」
「…………んっ」
「…………」
「…………」
沈黙の中、小さな溜息が時々聞こえてくる。
久内は戻って来ないがその方が良いかもしれないな。自分のせいでこんな状況になっただなんて考えたら辛くてたまらないだろう。あるいは全員から無言で責められているかのような気分になるかもしれない。
正直な所、俺も気分が悪い。
まだ一時間くらいしか作業していないのに、気が狂いそうな程だ。
こんな作業で本当に大丈夫なのだろうか。
会社が潰れてしまわないだろうか。
一体いつになったらこの作業が終わるのだろうか。
ネガティブな感情が幾度も幾度も押し寄せ、それに潰されないように必死に耐える。相乗効果で場が悪化しないように極力感情を表に出さず、機械になったかのように淡々と淡々とたんたん……と……
「おい佐野。外に出ろ。ちょっと休憩するぞ」




