第39話 過去が追って来た 後編
「つくしぃ~どこだぁ!つくしぃ!」
その姿は獲物を狙う猛獣のようでありながら、生気を失い唸りながら彷徨う死人のようでもあった。
そんな人物が住宅街を彷徨っていたらどうなるかなど決まっている。
「すいません。少々お時間よろしいでしょうか」
「!?」
男を囲うように三人の警察官が立つ。職務質問にしては仰々しく、警察官の表情はいずれも真剣だ。
「な、な、なんだお前ら!」
「ここで何をしているのか教えてください」
「うるさい!どけぇ!」
「ご職業は?」
「どけと言ってるだろうが!」
「ずいぶんお疲れのご様子ですね」
「うぐぐぐぐぐぐ」
男は明らかに狼狽している。物々しく警察官に囲まれたら動揺するのも不思議ではないが、それだけではない何かを感じさせる。まるで警察に調べられたくないのではと思えるほどに。
「俺は……俺はああああああああ!」
「っ!確保!」
やがて男は警察官に強引に体当たりをして逃げようとした。だがそれは悪手中の悪手。暴行を働いたことになり公務執行妨害の口実を与えることになってしまうのだから。
「ぐあっ!離せ!」
男は腕を背後に回され地面に倒され身動きが取れなくなる。完全に拘束されているため、どれだけ暴れても逃げ出すことなど出来ない。
そんな男の様子を陰から観察していた俺とつくしともう一人。
「アレはやってるな。間違いない」
どうやら俺達が懸念していたことは残念ながら当たってしまったらしい。
「いきなり電話がかかってきてクスリをやってるかもしれない男がうろついているなんて言われて何かと思ったが、まさかマジだったとは」
「すいません。相談のタイミングかなと思ったので」
「確かに何かあったら相談にのるとは言ったが、久内関連の話だと思うだろ」
「久内関連ではありますよ。あの事件の時のインタビューが引き金になりましたので」
「チッ、面倒な。五課でもねぇのに何で俺が……」
この人は久内事件の時に俺を取り調べた男性刑事。俺も悪いことをしたのだと思い込み不快な対応をされたが、その時のことを上からとても怒られたらしく、実は徐々に態度が軟化していた。最後の方には何かあったら相談に乗るから連絡しろと、建前的なのは間違いないが言ってくれたので今回それを利用させてもらった。
単に交番に駆け込み警察に連絡するのではなく、この人に相談したのにはもちろん理由がある。
「それで、本当に話をするのか?」
「はい。お願いします」
「少しくらいなら構わんが、あまり近づくなよ」
男を確保した後に話をする時間が欲しかったのだ。普通の警察官相手であれば拒否されそうな申し出なので、この人の力を借りることにした。
俺達はその人に守られながらゆっくりと男の元へと近づいた。
「つくしぃ!助けに来てくれたのか!」
男はすぐにつくしの存在に気付いたが、俺の存在など眼中にないようだ。
「やはりお前は俺の事を愛してくれてたんだな!」
「いいえ」
「っ!」
男の言葉をつくしはきっぱりと冷静に否定した。端的なたった三文字なのに、まるで鋭いナイフで喉元を切り裂いたかのような冷たさがあった。
「う、う、嘘だ!」
「嘘ではありません。私が異性として愛しているのは世界でただ一人だけです」
つくしは俺の右腕を抱き締め、幸せそうに微笑んだ。
惚れた女が他の男に懸想している。
そんな場面を見せつけるだなど、なんてえぐいやり方なのだろうか。
いいぞもっとやれ。
「うおおおお!やめろ!離れろ!お前がつくしを誑かしたのか!」
「そうですね。誑かされました。私が初めて男性を本気で愛してしまうほどに素敵な人なのだから仕方ありません」
「ふざけるなぁ!お前が愛しているのは俺だろ!あんなに熱烈に告白してくれたじゃないか!」
「それがインタビューのことを指しているのであれば勘違いです」
「嘘だ!嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!」
地面に額を何度も打ち付けてつくしの言葉を否定しようとする。だがどれだけ痛みで誤魔化そうと現実が変わることは無い。
「あなたは気付いているはずです。私があなたのことを『愛している』と一度も自分から伝えなかったことを」
「っ!」
「私も気付いていました。あなたがそう言って欲しいと思っているということを」
なるほど。
やけに男が『愛している』と連呼していたのは、その言葉を強く求めていたからか。インタビューではつくしが誰かの事を『愛している』と口にしていた。どうしても引き出したかったその言葉が他の男へと向けられて脳が破壊され、自分に向けた言葉なのだと酷い現実逃避をしてしまったということなのだろう。
「でもどうしても言えなかった。言えばあなたを喜ばせることが出来ると分かっていたのに、どうしても言えなかった」
その理由が何なのか。
あまりにも簡単な問いだろう。
「私はあなたを愛していません」
「あっ……ああっ……」
それは男にとって最も言われたくない言葉だったのだろう。
絶望により暴れる力を失い、ぐったりとしてしまった。
だがつくしの話はこれで終わりでは無い。
「私はあなたのことが大っ嫌いです」
「っ!」
更にトドメを刺しにいったのだ。
「養ってくれるんじゃなかったのですか?」
「そ、それは……」
「辛いからって暴力を振るう人を好きになる女性がいると思いますか?」
「うっ……」
「あなたは私の心を全く見てくれませんでした。私を物のように欲しがるだけ。私は特殊なのでその扱いを喜ぶことはあっても、愛することはできません」
プレゼントを貰えば人は喜び、贈ってくれた人が喜んでくれるお返しをしてあげたくなる。
つくしにとってそのプレゼントとお返しにあたるものが、尽くし尽くされる関係だたのだ。
だがそれだけで人は人を愛せない。
愛にまで辿り着くには、より深い繋がりが必要となる。
つくしを求めてくれる以外の点で男に魅力が無い以上、二人の繋がりが愛にまで発展することは決して無かったのだ。
「ですがあなたの人生がここで終わってしまうことまでは望みません。あなたは確かにダメ人間でしたが、それが愛されてはならない理由にはならないからです」
「…………」
「いくら私でも、ただ求められたからといって付き合ったり同棲するようなことはしません。あなたの中には好ましい部分がありました。何もかもダメだったわけではありません。ですので人生を諦めないでください」
「…………だ、だが俺はもう」
「過ちを省みて前に進みましょう。幸いなことにあなたを求めている会社があって、あなたが入社できるようになるのを待ってくださるそうです」
「え?」
「私からは以上です」
徹底的に落としてから少し持ち上げる。説得の典型的なやり方なんだが、狙ってやってるのか素でやってるのか。
どちらにしろ男に待っているのは地獄の日々だ。クスリの後遺症との戦いもそうなのだが、クスリに手を出した男を求めている会社なんてものがまっとうなわけがない。
俺の遠い親戚に昭和かよって思うくらいに頑固で職人気質の爺さんがいて棟梁とかって呼ばれている。指導が滅茶苦茶厳しくて今の若者だとパワハラだと叫んだり逃げ出したりすること間違いなしだ。
この人なら男の性根を叩き直してくれるかなと思って相談の電話をしてみたら、最近はかなり人手不足らしくて建築業界の経験者なら是非欲しいって言われたんだ。どれだけクズだろうがなんとかするから大丈夫だってさ。
男は横の人間関係が失敗して会社を辞めることになったらしく、つくしが言うには上からの圧力には滅法弱いタイプで、逃げ出すことすら出来ないだろうとのこと。
俺とつくしがやるべきことは、男が逆恨みで危害を加えて来ないようにすること。
そのために男を『助ける』、つまり人生のレールを全うな道へと戻して感情的にも環境的にも矯正する必要があったのだ。決して優しい気持ちで助けてあげたいだなどと思ったわけではない。
爺さんのところに放り込めば性格の矯正だけでなく不穏な動きがあれば報告してくれるだろうし、より安心感が高まることになるだろう。
「もう良いか?」
警察の人に聞かれてつくしが頷くと、男は立ち上がらされてパトカーへと乗せられる。
「ううっ……ううううっ……ぐすっ……ううっ……」
力無く歩く男の姿は、無力な人間にしか見えなかった。やはりいかつい見た目とは裏腹に中身は小さいのかもしれないな。
「さようなら」
隣でつくしがそう呟いたような気がしたが、言葉は風に乗り溶けて消えてしまった。
「奴がマジでクスリをやってたなら、真心さんにも話を聞かなきゃならん。その時は協力してくれ」
「はい、もちろんです」
普通に考えたら同棲していたつくしも関係しているのではと疑われるから仕方ないことだ。むしろちゃんと調べて潔白を証明して欲しい。
「そんじゃな。もう連絡してくるんじゃねーぞ」
「それはお約束できません」
「チッ」
警察とのコネなんて便利なものを失いたくなんかない。今後何かあったら、強引にでも久内の事件に結び付けて相談してやる。
「…………」
「…………」
周囲に誰もいなくなり、つくしと二人きり。
「尚哉さん!」
つくしが思いっきり抱き着いてきた。
その体はとても震えていた。
「よく頑張ったな」
「……はい」
怖かったのではない。
相手を喜ばせることが大好きなつくしが、相手を苦しめる言葉を口にした。
たとえ相手がプチDVクソ野郎だとしても、それが辛かったのだろう。
男への自分の態度も問題があったと考え、自分が嫌な女だとも感じているに違いない。
当初は俺がやろうと思っていた。
警察を呼び、爺さんに協力を求め、男を宥める。
だが男を宥めるのは自分がやらなければダメだとつくしにお願いされた。
つくしを苦しませたくは無かったが、過去と心の底から決別するには自分でやるしかないと決意に満ちた瞳で言われれば断れなかった。
「うう……うううう……」
小さな嗚咽が治まるのをゆっくりと待つ。
それが終わった時につくしの心が過去から解放されていることを信じて。




