第37話 過去が追って来た 前編
「いやぁ美味かったな」
「お口に合って良かったです」
前につくしが住んでいたところの近くに、美味しいラーメン屋があるらしい。その話を聞いてつくしと行ってみたら確かに美味しかった。土曜なのに行列があるわけでもなく空いている隠れた名店と言ったところだろうか。
食べたのは醤油チャーシュー麺。最近人気の家系タイプではなく、昔ながらの中華そばタイプ。
香りの良い醤油スープは出汁が効いていて口当たりがまろやかでごくごく飲めてしまう。何の出汁かなんて素人の俺には分からないが、少なくとも煮干しのような露骨な魚介系や豚骨ではない。普通にコンブとか鳥ガラなのかな、知らんけど。
細麵は固め指定してなくても心地良い歯ごたえを楽しめて、スープが良く絡んで味が濃い炭水化物を食べてるって感じが気持ち良い。
チャーシューは脂身と赤身が半々くらいの割合でとろける感じとジューシーな弾力をどちらも味わえる絶品なものが五枚も入っている。
まさにシンプルイズザベスト。その限りを尽くした一品だったと思う。
「醤油ラーメンにしては少しあっさり感があったし、飲んだ後に食べたくなりそう」
「そうですね。お昼よりも深夜の方が混んでいる印象があります」
「考えることは皆同じか」
もしあのラーメン屋が今の家の近くにあったら、つくしと飲んで帰った日に寄ってみるなんてこともあったかもしれないな。
「せっかくここまで来たんだ、腹ごなしにここら辺で景色の良いところでも散策しよう」
「はい。でしたらオススメの場所があります。梅が沢山植えられている公園があるんです」
「梅か。いいな、そこにしよう」
二月なので今が丁度見頃な時期だろう。散策にはもってこいの場所だ。
美味しい物を食べてお腹が満たされ、好天の中で好きな人と一緒に花を見に行く。
この時までは最高のミニデートだと思っていた。
「ようやく見つけたぜ!つくしぃ!」
「え?」
「え?」
背後で男がつくしの名を呼んでいる。
その雰囲気があまりにも剣呑としていたため、俺達は咄嗟に警戒して振り返った。
「なんだこいつは!?」
ガタイが良く、いかつい顔つきで、背はそれほど高くない男だ。高そうなスーツでも着ていれば暴力団の関係者に見えなくも無いが、安物そうで皺だらけでヨレヨレな服を着て、髪や髭が雑に伸びていて顔色が悪く、ホームレスかと思ってしまった。
「ひ、ひひ、会いたかったぜ。つくしぃ」
口をだらんと開き、舌が飛び出し、眼が血走っている。
どう見てもヤバそうなので、半歩前に出て自分の体でつくしを守るように位置取った。
「どけぇ!つくしは俺の女だ!」
「つくし、逃げるぞ」
「…………は、はい」
この位置だとつくしがどんな顔をしているのか分からない。だが今の声を聴いただけで普通の精神状態でないことが直ぐに分かった。それほどに露骨に怯えを帯びた声色だったのだ。
当然だろう。こいつが何処のどいつだろうが、つくしとどんな因縁があろうが、あるいは人違いであっても、こんなヤバい雰囲気で絡まれたら誰だって恐怖する。
「走れ!」
つくしの腕を取り、強引に走り出す。つくしが動けないなら最悪お姫様抱っこをするかと思ったが、腰が抜けて動けないなんてことにはならず走ってくれた。
「待て!俺のつくしに触れるな!そいつは俺を愛してるんだ!俺だけを愛してるんだ!俺以外の男が近づくな!」
「ふざけるな!つくしは俺の女だ!」
「あっ」
あまりにもムカついたから反射的に反論したら、何故かつくしの走るスピードが上昇した。
「つくし?」
「逃げましょう。尚哉さん」
「お、おう」
しかも怯えの色が消えて嬉しそうでは無いか。俺の方が内心焦っていて冷静になれてないので、その理由を察することが出来ない。
「つくし!戻って来い!あんなにも俺のことを『愛している』と言ってくれたじゃないか!つくしいいいいいいいい!」
男は全く体力が無い様子で、すぐに距離を取れた。このまま安全な場所まで移動しよう。
「尚哉さん、こっちです」
どこに逃げるのが安全か。この辺りの地理に詳しくないため適当に走りながら闇雲に安全そうな場所を探していたが、つくしがナビをしてくれた。それに従って逃げた先は、当初の目的であった公園だった。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、ま、撒いたみたいだな」
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、そ、そうみたいですね」
お互い全力疾走をしたので呼吸もままならない。運動不足を実感したな。少しはランニングとかした方が良いのだろうか。
「ふぅ、ふぅ、ふぅ……ここに来たのは人が多いからか?」
「はい。それに別の出口付近に交番があるんです」
「なるほど、それなら確かに安全だな」
警察に行くべきか、でも現時点ではヤバそうな男に声をかけられただけで警察が動いてくれるだろうか。その点も踏まえて今後のことを考えなければならない。
「とりあえず、水だな」
「近くに自販機がありますので買いましょう」
「ああ」
走って喉が渇いたので水分が欲しくてたまらない。
普段は自販機で水は勿体なく感じて買わないのだが、今日は珍しく買ってみた。
「んっんっんっんっぷはー!」
「こくっこくっはぁ……くすくす、なんか一杯目のビール飲んでるみたいですね」
「はは。確かに」
相当怖い目に遭ったはずなのにつくしは相変わらず楽しそうだ。
何かそうなるきっかけがあったはずなのに、無我夢中だったからやっぱり思い出せない。
「おお、梅の花が綺麗だな。結構沢山植えられてるんだ」
それなりに人が多く、家族連れや花の写真を撮っている人が目立つ。
「おっ、あそこのベンチ空いたぞ。座ろうか」
「はい」
物凄く疲れている時に混んでいる公園で座れるなんて僥倖だ。しかも梅の花に囲まれているから景色も香りも良くて癒される。
「それにしても、びっくりしましたね」
「あ、ああ」
「どうしました?」
「つくしが全然動揺して無さそうだからさ」
「え?」
「え?」
どうしてそこで驚くのだろうか。
今だって楽しそうにニコニコしているし、至極真っ当な感想だと思うんだが。
「もしかして尚哉さん、さっき何を言ったか覚えて無いのですか?」
「つくしをどうにかして守らないとって考えで頭が一杯だったからなぁ」
「そうですか、えへへ」
「つくし?」
更に嬉しそうに笑い、右腕を抱き締めて体を寄せて来た。相手に見せつける必要があるような場面以外で、外でつくしが子供のように好き好きオーラを全開にしてくるのって珍しい。
「ごめんなさい。びっくりしましたよね。尚哉さんが無意識で言ってくれたことが本当に嬉しくて」
そこまでのことを俺は言ったのか。
流石に気になりすぎるから頑張って思い出そう。
ええと…………
「あっ」
時系列を辿って思い返したら俺の発言はそう多くは無かった。だからすぐに該当する台詞が見つかった。
『ふざけるな!つくしは俺の女だ!』
俺の女。
そりゃあつくしが喜ぶわけだ。
人によっては好きな人を物扱いしているとも受け取られかねない台詞だが、それだけ強く相手の事を欲して独占したい想っている証である。求められることが何よりも嬉しいつくしにとっては最高の言葉だろう。
しかもつくしを喜ばせるための言葉ではなく、無意識で発した言葉。俺が心の底からそう思っていると分かれば、嬉しすぎて恐怖など吹き飛んだといったところだろうか。
「くすくす、私は尚哉さんの女です」
「…………ああ、そうだ。つくしは俺の女だ。誰に何を言われようが絶対に渡さん」
「ありがとうございます」
流石に少し恥ずかしいけれど、それでつくしが喜んでくれるのであれば何度でも伝えよう。
「尚哉さん、聞いて欲しいことがあります」
それが何を指すのかなんて明らかだ。
つくしのことを知っている先ほどの男。
つくしの過去。
果たして俺はそれを聞くべきなのか否か。
定番の答えは『言いたく無ければ言わなくて良いよ』だろう。
だがそれは迷惑をかけてしまったから話さなければならないと義務的に感じ、本当に言いたくない場合に有効な答えだ。本当に言いたいのであればその気遣いは無用であり、つくしがどちらなのかなど間違えるはずもない。
「分かった。是非聞きたい」
「はい!」
つくしは俺の事を最優先で考える。
だから俺が聞きたいと思ったならば嫌でも言うだろう。
逆に俺が聞きたくないと思ったならば絶対に言わないだろう。
今の俺はどう思っているのか。
つくしのことならばどんなことでも知りたい。
でもそれでつくしが嫌な気持ちになるなら絶対に知りたくない。
だからつくしが言いたいと願ったということは、それを口にしても嫌な気持ちにはならないということ。俺のつくしのことを知りたいと思う気持ちを満たしてあげたいと感じているということ。
それならば喜んで聞く以外に選択肢なんか無いのである。
つくしは俺の肩に身体を預けると、普通のテンションで大事なことを教えてくれた。
「先ほどの男性は黒根 鷹雄さん。会社に入社する前に私が付き合っていた男性です」




