第15話 溺れる程に依存しそう
嵌められた!
まさか最後の最後でこんな罠が待っているだなんて。
というか最初からこれを狙ってたな。
「くっ……我慢だ……我慢しろ……」
ほんのり甘いアロマの香りと、その奥にひっそりと隠れる女性特有の香りが脳を狂わせる。少しでも身じろぎしようものなら尻を柔らかく受け止めるベッドの存在を意識してしまう。
部屋の中は暖房で程よく温められ、バスローブで身を包んだだけでも全く寒くはない。むしろせっかく汗を流したのにまた嫌な汗が出て来てしまいそうだ。
何が起きているのかって?
簡単なことだ。
『寄ってくれないんですか?』
上目づかいで甘く請われ、流されてしまったというだけのこと。
つくしのベッドの上で、彼女が風呂から出てくるのを悶々と待っているというだけのこと。
だが事実は簡単でも、心情的には全く簡単ではない。
何故なら俺は今日のデートで彼女を抱く展開にならないようにすると決めていたからだ。
その理由はセックスが苦手だから。
勘違いしないで欲しいが、勃たないとか、下手だとか、遅い早いとかそういう問題ではない。普通に興奮するし、経験もあるし、お互いに気持ち良く終わったことの方が多い。
だがそれは努力したから。
相手の女性を満足させようと、喜んでもらおうと必死だったから。
つまらないと思われたくなかったから。
甘い言葉で気分を盛り上げ、触れて良い部分とそうでない部分を見極め、がっつくことはせず紳士に振舞い、順番を大事にし、何を求めているのかを即座に察する。
そんな生真面目なことを考えていると悟られたら萎えられるから必死に隠す。
しかも相手によって正解が違うから、その場で探り探りやるしかない。
ゆえに行為が終わった後は精神的な疲労でぐったりしてしまうのだ。
だから好きな行為ではあるが積極的にやろうとは思えず苦手意識がある。
今日の初デートは盛りだくさんで、楽しいけれど疲労が溜まりそうな予感がしていた。そんな状態ではつくしを満足させられないと思い、後日万全の状態の時に誘おうと考えた。今日はその前座で、良くてキスまでで済ますつもりだった。
誘われてもどうにかつくしを傷つけずに断る。
断固たる意思でこのデートに臨んでいた。
それなら何故、つくしの部屋でセックス待ちをしているのかって?
それはつくしに罠に嵌められたからだ。
ARテニスでつくしの健康的な身体を見せつけられた。
ビリヤードで尻を突き出す体勢を長く俺に見せ、性を意識させられた。
そして何よりも、うな重、牡蠣、とろろ、マグロ、鰹、鯖、牛の赤身。全部精がつくものだった。
否応が無しに気分は高まり、キスでつくしを求める欲望が爆発し、トドメに甘い声で『寄ってくれないんですか?』だよ。理性が崩壊間近で断れなかった。つくしをすぐにでも襲ってしまいたい衝動に駆られていた。
すべてはつくしの計算通りだったんだ。
「静まれ……静まるんだ……やるなら冷静に。つくしを怖がらせるな。喜ばせるんだ」
野獣化して襲うだなんて以ての外。
ここまでしてつくしが俺を求めてくれるというのなら、たとえ疲れがあろうが欲望が暴走していようが、全身全霊で優しく愛してやる。
そう、思ったのだが。
「お待たせしました」
一度だけ胸が激しく高鳴り、期待と不安でどうにかなりそうだ。
声を聞くだけでつくしをベッドに引き摺り込んで好き放題してしまいたくなる。
だがその野獣の声をどうにかして抑え込み、笑顔でつくしを迎え入れようとするのだが。
「な!?」
つくしはバスローブを着ていなかった。
かといって全裸という訳では無い。
「ど、どど、どうし……て……」
やばい。
やばいやばいやばいやばい。
こんなのもう我慢出来る訳が無い。
「尚哉さん」
「っ!」
名前を呼ばれるだけで、理性が吹き飛びそうだ。
我慢出来ているのは奇跡に近い。
「好きにしてくださいね」
つくしはそう言うと、ブレザーの制服のスカートの裾をつまみ、ゆっくり上に……
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「やっちまった……」
見慣れぬ天井を見ながら頭を抱えたいが、俺の左腕にはとても柔らかなものがしがみついているため出来ない。というか、あまりの倦怠感に両腕をあげることすら億劫だ。
つくしに乗せられ、我を忘れて暴走してしまった。
後悔というよりも、自分の中にこれほどに強い衝動があったことにびっくりしている。
「すぅ……すぅ……」
「幸せそうに寝ちゃって」
かなり激しい行為になってしまったが、つくしは全部受け止めてくれた。
というかあんまり覚えてないけど、凄いことされながら優しく煽って来た気がする。もしかしてこんな清楚で可愛らしい雰囲気でありながら、相当な肉食系なのだろうか。
「眠れん」
体力の限界で倒れるように横になってしまったが、そのまま夢の世界に旅立てずこうして色々な意味での余韻に浸っていた。
「…………怒ってますか?」
「起きてたのか」
どうやらたぬき寝入りをしていたらしい。
きっとそうすれば流れで俺も眠れると思ってそうしてくれたのだろう。
「全く怒ってない。可愛い女性とこんなに濃密な夜を過ごせたら、むしろ感謝しか無いな」
「…………」
「ただ、疑問はある」
「はい」
どうやらつくしはピロートークをお望みのようだから、その気持ちに答えてやろうではないか。
「どうして俺が制服好きだって気付いたんだ?」
「そっちですか?」
一番気になることは別にあるのでそっちを聞かれるのだと思っていたのだろう。それは後で聞くつもりだ。
「こっちだって超気になるんだぞ。俺自身、気付いてなかったのにどうして」
「くすくす。九月に二人で仕事で外出した時のこと覚えてますか?」
「九月……? ああ、新規開発検討会議の時か」
仕事で外出する機会はあまりないのでピンと来た。
うちのチームは親会社から開発の仕事を受託していて、その企画会議に参加して来たんだ。つくしを連れて行ったのは、今年の新人の挨拶を兼ねていた。
「その時に尚哉さん、女子高生が歩いているのを見て、こんな時間になんで学生が歩いているんだって言いました」
「全く覚えてない。でも確か午前中に移動したから、見かけたら言ってたかも」
「その時にスカートを見ていたので、つい見てしまうほどに好きなのかなって思ったんです」
「冤罪だ! いくらなんでも後輩女性と歩いている時に、JKに卑猥な視線を向けるわけないだろ!」
女性と会ったらつい胸を見てしまう童貞じゃあるまいし、絶対にやってないと断言するわ。
「くすくす。一瞬でしたのでご自分でも気付いていなかったと思いますよ」
「それに気づいたのか。女って怖ぇ……」
「いえ、他の人なら分からなかったと思います」
「じゃあなんでつくしは分かったんだ? 誰かのためになることをやりたいって普段から思ってるからか?」
「違います。尚哉さんのことならなんでも知りたいって思ってたからです」
当然その頃はまだ俺とつくしは普通に上司と部下の関係だ。つくしが俺にアピールしているなんてことも一切ない。でもつくしは既にその頃には俺の事を気になっていたのか。
「怖い、ですかね」
「他の女性ならそうだったかもな。でもつくしなら安心しかしない」
「ありがとう……ございます」
決してつくしを慰めようとしての言葉では無い。本心からそう思っている。
そのことが分かったのだろう。つくしの声は安堵していた。
「んじゃお待ちかねのもう一つの疑問だ」
「はい」
この状況で他に何を聞きたいのかなんて一つしか無いよな。
「なんでこんなことしたんだ?」
別にこんなに策を練らなくとも、俺とつくしは近いうちに一夜を共にしていただろう。俺を徹底的に興奮させ、暴走させて抱かせるようなことをする必要があったのだろうか。
行為中、つくしがかなり喜んでいたから被虐性癖があるのかもしれないが、そんな単純な話では無い気がするんだ。
だってつくしの行動原理は俺のため。
俺に尽くすこと。
それなのに俺の意思を尊重せずに襲わせようとするなんて、らしくない。
「…………尚哉さんが素敵な男性だって証明したかったんです」
「え?」
ええと……え?
んんと……ん?
だから……その……むむ?
疲れてるからかな、全く理解できないぞ。
俺が野獣化することが素敵な男性の証明になる?
何を言いたいのだろうか。
「…………」
つくしが逡巡している。
俺に言いにくい話なのか。
「遠慮なく言ってくれ。俺はつくしを信じている」
「…………………………………………はい」
たっぷり時間をかけて悩んだ末、つくしが絞り出した答えは俺を心底驚かせることだった。
「尚哉さんはつまらなくないです」
「!?」
それは俺がこれまで付き合って来た女性に言われてきたこと。
俺にとって小さなトラウマとなっている言葉。
部長につくしを紹介された時も、それが理由で付き合うのを渋ってしまった。
俺と一緒にいてもつまらない。
だがつくしはそうでは無いと言う。
俺が素敵な男性だって証明したかった、という言葉の真意は、俺がつまらない男性では無いと証明したかった、という意味なのだろう。
「尚哉さんはお優しいので、きっと相手の方を喜ばせようと頑張ると思うんです」
「…………」
「それは相手の方にとって最高に幸せなことだと思います」
「…………」
「でも私なら……私なら、尚哉さんにも幸せになってもらいたいです。尚哉さんがやりたいって思うことを沢山教えて欲しいです。たとえそれで喧嘩になったとしても」
「!?」
ガツン、と頭を殴られた気分だった。
俺はこれまで相手の事を考えて行動をしてきた。
男は女性を喜ばせるものだと信じていたから。
自分の喜びよりも女性の喜びを優先すべきだと信じていたから。
相手の喜びのためならば、自分の好みや欲望など抑えるべきだと信じていたから。
喧嘩になるなど言語道断。
相手が最高に楽しかったと思えるような場を提供する。
それがデートであって、男女の正しい付き合い方では無かったのか。
「そうか……そりゃそうだよな……何も主張が見えない男なんて……つまらないよな……」
相手の好みに合わせてデートプランを考え、そこには俺がやりたいことが含まれない。意思の無い相手と共に時間を過ごしても、そりゃあつまらないだろう。
相手が喜ぶようなセックスだけを考え、俺がやりたいことは徹底して自重する。本気で求められていると感じず、物足りなく感じてしまうだろう。
「尚哉さんはつまらなくないです。今日、私はとても楽しかったです。とても幸せでした。人生で最高の一日です」
「…………ありがとう」
やりたいことをぶつけても、それで相手が不幸になるとは限らない。俺の無茶苦茶な行為をつくしは喜んでくれた。幸せだと言ってくれた。
身をもって欲望を表現することの大切さを教えてくれた。
男女の付き合いは一方的な優しさでは成立しない。
お互いが気持ちをぶつけ合って初めて『恋愛』になる。
そんな当たり前のことを、俺は分かってなかったんだな。
「俺ってそんなに優しい人間なのか?」
「はい」
「ふふ、じゃあつくしと同じだな」
「全然違いますよ?」
「え?」
つくしだって優しいじゃないか。
いつも俺の事を考えて行動してくれて、俺のトラウマを解消するためにこんな風に体を張ってくれて、優しさの権化のようなものだ。
「私は好きな人に幸せになってもらいたいんです」
「それは俺も同じだって」
「いいえ、全然違います。私はそれが趣味でもあるから」
「趣味?」
「尚哉さんは相手の幸せを願うと同時に、他にもたくさんの好みや趣味がありますよね。私はそれらが全部、尚哉さんに幸せになってもらうことなんです」
だからつくしがどれだけ相手に尽くしても、つまらなくは思えない。
だって彼女自身がそれを最高に楽しいと感じているから。心からやりたいことをやりつくして満足しているのだから。
「全く情けないな」
「尚哉さんは情けなくなんか無いです」
「いや、情けないさ。好きな女に、ベッドの上で昔の女の話をさせるだなんて最低だ」
にやりと笑うと、つくしは俺が言いたいことを理解してくれたようだ。
「そうですね。情けないです」
「だろ? だからここらで名誉挽回させてくれ」
「と言いますと?」
「今はつくしのことだけを考えているって証明する」
「はい!」
体はもうくたくただ。
でもつくしがあまりにも愛おしくて気力が湧いてきた。
今度こそ、俺は俺の意思で、飾らぬ気持ちと欲望をつくしにぶつけよう。
人生で初めての『恋愛』を始めよう。
その結果、溺れる程に依存してしまいそうな気もするが知ったこっちゃない。
つくしを全力で愛すると決めたのだから。




