小説を書くにあたっての実体験の必要性について
作家は体験したことしか書けない、なぞという言説があるじゃないか。
あのたわ言が、僕は嫌いだ。経験なんかなくても、想像力さえあればどんなことでも書ける。
そうやって僕は小説を書いてきた。
「本当にそうでしょうか」
問い返してきたのは、創作仲間のひとりだ。名前は仮に横溝としておこう。
今、僕は彼とボイスチャットにて、創作談義をしていた。
数人の創作仲間が所属するチャンネルだが、他のメンバーはオフラインだった。
「そりゃあそうだろ」
僕は少し苛立った。そんな当たり前の話に、こいつは今さら疑問を投げかけるのか。
見どころのあるやつだと思っていたのにガッカリだ。
ちなみに、横溝の声を聞いたのは今日が初めて。
思っていたより、低音でねっとりと喋る。
「ですが、やはり実際に経験してあった方が、より説得力あるものを書ける気がします。だとすれば作品の可能性を拡げるためにも、経験はあったほうがいいということになりませんか?」
「あったほうがいいのは、そうかも知れない。でも、なくても書ける。それに、経験のせいで自由な発想に足枷をされる可能性だってあるだろ」
論点をずらすんじゃない、と怒りたくなったが、空気を悪くしてはほかのメンバーが困るだろうと考えてやめておいた。
「どうでしょうね。足枷なんてものは、外せばいいんですよ。経験していない自分の想像力と、経験した自分の説得力。両方を兼ね備えれば最強だ」
なんだ、こいつは。こんなに食って掛かって来るタイプではなかった気がするけれど。
どちらかというと、メンバーの江戸川と話しているような印象だった。
江戸川はいま、殺人鬼が主人公の話を書いている神経質な男だ。
最近は行き詰っているらしく、よく愚痴を書き込んでは横溝にたしなめられていた。
とはいえ彼ともボイスチャットをしたことがないので、横溝と同じようにイメージが違う可能性もある。
と、そこで僕は反論を思いついた。
「たとえば殺人鬼が主人公だったらどうする? 経験なんかしようがない」
「──そう、でしょうか」
突然、ぶつんというノイズと共に横溝の表示がオフラインになる。そのまま、数分間が経過した。
僕はふと、横溝と江戸川がリアルでも知り合いで、ときどき直接会うという話を思い出していた。