第3話「気は付けば駅のホーム」
しばらくして、中谷の姿はある駅のホームにあった。ただし「乗客」ではなく「駅員」として……。
事の経緯はこうだった。
中谷は退職後、あの警備会社への業務発注元に「あいさつ回り」をしており、その行く先々で「次の仕事」の事を心配されるが「何も考えていなかった」と正直に、かつ周りの心配する気持ちをぶち壊すような返事をすると当然
「アホかお前は」
と怒っているのか呆れているのか分からないような返事が返ってくる。退職した経緯はともかく、そう言われても仕方がない。
発注元の各社からアホだのバカだの散々言われてきたが、ある発注会社の担当者から
「お前『列車見張員』やっていたよな?畑は違うが学生アルバイト駅員を募集しているんだ。お前の仕事ぶりは知っているから、一度相談してみる。とにかく履歴書を用意しておけよ。」
「え?いやいやちょっと待ってくださいよ。今まで散々ケンカしてきた私を知っているでしょう?そんな人間を駅員として紹介するのですか?」
これは「温情」と取っていいのか?「何かの罰ゲーム」なのかを疑っている中谷を無視するかのごとく担当者は
「お前今無職だろ。とりあえずそれで食いつなぎながらハローワークに行けばいい話だ。話はこっちで上手くつけておいてやるから、お前は今日中に履歴書を書いておけ。」
本当にこの人大丈夫なのか?と不安しかないまま、家に帰ってすぐに履歴書を書いた。
そして数日後、一本の電話が入った。電話を取ると男性の声で
「中谷秀樹さんですか?」
「はい。」
何かヤバい事をやらかしたか?思いつくのは警察の「生活安全課」ぐらいだ。警備員時代、あの部署には散々泣かされた。警察の中でもあそこだけはもうご遠慮こうむりたい。
「私、西部日本旅客鉄道五ノ宮駅の木原と申します。」
それを先に言え。
「実は、ホームのアルバイトの件でお話がございまして。」
「はい?」
「一度お話をお聞きしたいと思いますので、明後日の午後3時に当駅事務所に履歴書と住民票を持ってお越し願えませんでしょうか?」
あの人が言ったことは本当だった。しかし、あの人が「学生じゃない」という本当の事を言ったかどうか不安になったので
「私、学生じゃないのですがよろしいのでしょうか」
と正直に不安を伝えると、木原という男は
「何かご不満でも?」
「いえ、ございません。」
「別に構わないですよ。あと、『志望動機欄』は空白でも構いませんので。ではよろしくお願いします。」
「かしこまりました。」
と電話は終わった。
「おいおい大丈夫か。この(鉄道)会社?」
電話が切れた後、不安から独り言を言わずにはいられなかった。
そんな不安を抱えたまま、指定された日時に駅に行くとその場であっさりと採用された。しかも「制服」まで用意されている。
そんな経緯で中谷のアルバイト駅員生活が始まった。肩書きは「運転取扱補助員」として……。
勤務初日は色々と教わるのが当然だが、「手旗」と「合図灯(懐中電灯)」の使い方を知っていたことに、「先輩」にあたる他のアルバイト駅員から驚かれた。しかし正社員からは、「知っていて当然。知らなければお前今まで何をしてきたんだ?」と言わんばかりの目で見られていた。
そんな中でも「なぜ『列車見張員』なんて要るのですか?」と聞かれたことがあり、その際は
「線路回りの仕事をする際、作業員のグループの先頭に立って列車(電車)が来た時にそれを知らせて作業員を線路から逃がす仕事ですよ。」
と簡単にかつ、いつもよりもにこやかな口調で説明した後
「ホームの上、線路上のどちらであろうと『人命を預かる』という点ではこの仕事も一緒ですよ。次同じことを言ったらいくら先輩といえども承知しませんよ。」
と胸ぐらをつかみかねない口調に切り替わる。
中谷の「いつもよりにこやかな口調」というのは「もうそれ以上言うならキレますよ」という「最後通告」である。
そんなある日、仕事を終え駅事務所に戻ると木原から「中谷君、少し時間ある?」と呼び出された。
そこは簡単な応接室となっており、そこには木原ともう一人、この駅の駅長である長村が座っていた。
最初に駅事務所へ行ったときにはじめて分かったことだが、この木原も「副駅長」という役職だった。
つまり今ここにはこの駅の「ツートップ」が並んで座っているのである。嫌な予感しかしない。
長村から座るように促され、中谷は「俺は何かやらかしたか?いや、やらかしばかりなんだが。」
背中が凍り付く思いで席についた。早速長村から
「中谷君、君のことはアルバイトを含めた駅係員から評判がいいんだけどね。」
拍子抜けするような話に困惑した。
なにしろ、ある時は車両の連結部分に手を入れて遊んでいる客を一喝し、またある時は朝のラッシュ時に乗降扉を閉めることにモタついている車掌に対して、持っている手旗で車体をコンコン叩いて「早く閉めろ!」と無言の合図を送ってきたのだ。
今度は逆に「あなたたちの目は節穴ですか?」と言いたくなる気持ちを抑えることに必死になった。
そんな事などお構いなしに、二人からは
「特に車いす対応など慣れているそうじゃないか。」
「はい。一応介護職の初任者研修は受けていますので。」
「そういうことか。ところで、工業高校の電気科を卒業したみたいだけど、ウチの電気系の子会社を紹介しようか?」
「実はその話はあったんです。ただCAD(パソコンで図面を作成できる機械)が扱えないので『ゴメン』と言われた経緯がありまして……。」
「じゃあ、介護職は?」
「確かに初任者研修は受けていますが、実際は塩漬け状態です。」
「なるほど……経験はともかく、介護系の子会社を紹介しようか?」
これって実は体のいい「クビ」じゃないのか?こんな都合のいい、いや、よ過ぎる話はないだろう、と中谷は訝しんだが長村はそんな事などお構いなしに
「とりあえず形式的にウチの正社員になって、そこから『出向』という形でその会社に入れるようにする。これでどうだ?」
何そのクソややこしい方法は?それなら自分でイチから職を探した方がいいんじゃないか?
いや待てよ、ここでこの話に乗ればこの駅長、木原さん、そして発注元さんのメンツを潰さずに済むし、勤務内容はともかく就職することができる。ならば、この話に乗った方がいい……などという腹黒い打算を隠して中谷は
「ありがとうございます。よろしくお願いします。」
と首を縦に振った。
「それじゃあ、ちゃんとした紹介状を作るけど、アルバイトじゃないから内容は適当でも『志望動機』だけはちゃんと書いておけよ。」
中谷は深く一礼をして
「ありがとうございました。どうもお世話になりました。」
「いやいや、それはまだ早いよ。君にはもう少しここで働いてもらわないと。」
今度は木原からツッコミが入った。確かにその通りだ。中谷は苦笑いをして
「おっしゃる通りでございます。」
と返すと、今度は長村、木原の二人が大笑いした。あまりの大笑いっぷりに中谷は恐縮しながら
「それでは、今日はこれで失礼します。」
と言って駅を後にした。
そして一言
「大丈夫かよ?この会社?」
そうつぶやかずにはいられなかった。
どんな形であれ、就職先が決まりそうなメドは立った。介護職員として。