第2話「私は警備員を辞めました」
(作者注:本作品における「警備業務に関する関連法令等」は本作品の執筆時点での警備業法(令和6年4月1日施行)を基に執筆するように努めましたが、作者は平成17年4月1日施行の警備業関連法令下における警備員指導教育責任者有資格者でありましたため、現行法令とのズレが生じている可能性がございます。その点につきましては、現職の警備員指導教育責任者有資格者の方からご指摘をいただけますと幸いです。)
世の中に「簡単なお仕事」などない。
警備員とて同じで、建物の中を見回ったり、道路工事などで自動車などを誘導したり、イベントなどで観客を誘導する「だけ」の「簡単なお仕事」と思われているフシはある。
しかし、「誰でもなれる警備員、誰でもできない警備員。」という言葉が語るように、実際やってみるといかに大変か……。
ただ、この「誰でもなれる」という言葉自体も実は間違っていて、具体的には
「18歳未満の者」やら、その他11個の「こういう人は警備員になってはいけません」という、「欠格事由」もちゃんとある。
そして、この「誰でもなれる」という言葉だけを見て、「警備員になりました。次の勤務の日にはその警備員は『行方不明』になりました。」という話は数え上げるとキリがない。
そんな中、中谷は超零細警備会社の「選任警備員指導教育責任者」として勤めていた。
「(選任)警備員指導教育責任者」という仕事を思い切り略して言えば、警察(公安委員会)に提出する書類を作成するという「一見」簡単なお仕事である。
しかし、実際には新しく警備員になった人物への20時間にわたる「新任教育」、毎年度必ず1回は行わなければならない20時間にわたる「現任教育」、そして「個別実地教育」の実施、自社に先ほどの「警備員になってはいけない人物」が警備員になっていないかの「提出書類保管」、「個別実地教育」の実施などを記録した書類の作成と保管など書き出したらキリがない。そして、定期的に警察による「立入検査」で書類の不備が見つかると警備業者(≒社長)よりも真っ先に「ガン詰め」され、最悪は「警備業者としての認定取り消し」になるという、「『責任と賃金のバランスのミスマッチ』ベストテン」にランクインしてもおかしくない仕事である。
経験者が言うからまず間違いはない。
この警備会社でも中谷の前任者が「退職届」と「辞任届」を出して「行方不明」になってしまった。
結果、その後釜として中谷が無理矢理この仕事を押し付けられてしまった。(念のため申し上げます。この業務には資格が要ります)
こんな経緯があるので、中谷も警察にガン詰めされない程度に書類を整えていたが、やっぱり割増賃金など出ず、「これは前任者も辞めるわ」と納得するとともに溜め息の数だけが増えていった。そして仕事が終わると事務所から歩いて10分ほどの海岸で、
「こんな仕事やってられるかボケェっ!」
と絶叫するのが「日課」のようになり、近所では「名物」扱いされ、初めてその光景を見た人物が警察に通報し、職務質問を受けることも度々あった。
そんなことでいちいち通報するなよ。
そんなある日、「事件」ともいえる「面倒事」が起き、そのことで中谷は頭を抱えることとなった。
それは、たまたまある新人警備員の「個別実地教育」としてある工事現場に赴いた際、別の警備員が酒を飲んで現場に入っていたことが発覚したからだった。そして更に中谷の頭を抱えさせたのは、その警備員が新人警備員に対して「酒の勢い」で隊長そっちのけに「指導」という名の「新人イビリ」をやっていた。中谷はその光景を見て
「あいつ何してくれてるんだ。胸糞悪いなぁ。」
とつぶやくことで、自分自身を抑制することに必死だった。
隊長の耳にその声が聞こえたのか、「ナカちゃん(中谷君)、ここは抑えてくれ。」と隊長がなだめに入っていたところに、その警備員は中谷の所に来て「お前何偉そうにこんなところ来てるんだ?あん?」と酒臭い息を吹きかけられながら難癖をつけられた。そこで中谷もさすがにキレた。
中谷はそれまでかぶっていたヘルメットを地面に叩きつけ
「やかましいわ!お前こそ何をしてるんだこのクソボケが!荷物まとめて帰れ!」
と怒鳴り倒した。一瞬にして「現場」は「修羅場」と化した。
この問題を起こした警備員は、元々この警備会社の「お得意様」からの天下りという以外何ができるというわけでもなかったが、「お得意様」の看板をこれでもかと見せつけ散々あちこちの現場を引っ搔き回していた。そしてコイツのおかげでこの超零細警備会社の何人の警備員が辞めていったか……。その度に中谷は「アイツを黙らせろ!」と社長に「意見具申」という名の「解雇要求」を出し続けていた。なお、中谷の前任者も選任指導教育責任者の職務とこの警備員との板挟みになって「行方不明」になってしまっていたことはつい最近この工事現場の隊長から聞かされていた。
やはりこの現場でも隊長そっちのけで勝手に仕切り、挙句の果てには作業員の作業方法にまで口を挟んでいた。そのことに現場監督、作業員も怒りの声を隊長に向け、隊長が何とか彼らをなだめていたが、その彼らですら、初めて聞いたと思われる中谷の怒鳴り声で完全に固まってしまい、呆然と立っているしかなかった。
そんな事など気にしないで中谷は社長に電話で「オイ、アイツやらかしたよ。今までアンタがアイツを甘やかしてきた結果だろうが!さっさと詫びを入れにここまで来いっ!」と怒鳴りつけながら呼び出した。
そして社長が工事現場に着くと真っ先に現場監督と隊長に二人で頭を下げ、その場は何とか治まった。
中谷自身、今までこの警備員の所業に対して何度も社長に「意見具申」したものの、まったく聞き入れられることはなかった。それどころか「年下」ということで舐められていたのか、この警備員に「新任教育」や「現任教育」を何度ぶち壊しにされ、この会社の何人の警備員が行方不明になったかということについて不満を抱えていた。そしてこの飲酒の一件でそれまでため込んできたものが一気に爆発した。
中谷は何とか自分を落ち着かせて、関係のない工事関係者まで巻き込んでしまったことへの罪悪感から「監督および作業員の皆様、当社の不手際について、選任警備員指導教育責任者として改めて謝罪させていただきます。誠に申し訳ございませんでした。」と深々と頭を下げて帰宅した。
それでも、今まで中谷の事を「現場に来て缶コーヒー差し入れてくれる愛想のいい兄ちゃん」としか思っていなかった現場監督や作業員は「あれ同一人物か?」とみんなで顔を合わせ、現場監督が隊長に「あれ中谷君ですよね?」と聞く始末。隊長ですら「は、はい。」と答えるのが精いっぱいだった。
翌日、中谷は社長の前に立っていた。
「あいつの飲酒の件、知っていたのですか?」と中谷が聞くと、社長からはあっさりと「知っていた。ただ、お得意様との関係で何とも言えなかった。」との答えが返ってきた。
中谷にしてみれば、「お得意様」と言えば何とでもなると思っているのかコイツ?舐めてるのか?という怒りの感情しか湧かなかった。
中谷はここで「選任警備員指導教育責任者」としての責務と完全に割り切って
「そのお得意様と警察、どちらを取るのですか?返答次第では私も選任警備員指導教育責任者としての立場上、色々と考えなければならなくなりますが。」
と、すでに用意している自分の中の答えを再確認するように社長を問いただした。その言葉に社長は驚いたのか、突然
「資格手当を上乗せするから残ってくれ。」
との言葉が返ってきた。
その言葉に中谷は「答えは出た」と感じた。
実はあの昨夜の「修羅場」と化した作業終了後、隊長と話し合っていた。
「なぁナカちゃん、お前明日社長のところに行くんだろ?」
「ええ、改めて先ほどはすみませんでした。」
と隊長にも謝罪した。隊長からは
「ああアレ?いいよ。お前が俺たちの考え全部ぶつけてくれたからな。俺たちもいつかアイツを締めようかって考えていたところだったんだよ」
「そう言ってもらえると少しは心が救われます」
中谷は感謝の言葉を伝えた。
「お前が何を考えているかはわかってるよ。伊達に年取ってる訳じゃねぇからな。たぶん社長は『資格手当』をエサにお前を残そうとするだろうよ。だけど仮に資格手当を出されたところでアイツを残す限り、この会社の体質は変わらないだろうな。それならお前はまだ若いんだから、『自分優先』になったとしても、誰も文句は言わないだろうよ。」
この言葉は暗に「転職しろ」と勧めている。中谷はそう感じた。
そこで中谷は「今まで助けていただいた恩を仇で返すような形になるかも知れませんが。」
と隊長に言葉を返した。この隊長やこの会社の警備員は今までずっと年下の中谷の事を支えてくれていた。その事が中谷の心にずっと引っかかていた。
「なあナカちゃん、何度も言うようだけど俺たちのことは気にしなくていいよ。さっきの『自分優先で物事を考えてほしい。』って言葉はこの会社の警備員全員の意思だと思ってくれ。俺たちの事が引っかかってるのならば、こう言えばいいのか?俺たちもバカじゃないんだ。この会社に見切りをつけるだけだから、単にお前がこの会社に見切りをつけるのが早かっただけだよ。」
その言葉に
「隊長、みんなに『こんなクソガキを今まで支えてくれてありがとうございました。』とお伝え下さい」
と言うなり、その場で号泣した。
中谷はこのやり取りを思い出し、「単なる自己満足かも知れないけど今まで世話になったみんなへの俺なりの恩返しと受け取ってくれたらありがたいな。」と隊長をはじめみんなの顔を思い浮かべながら
「そんな事を今は言っていません。それに今まで私があなたに言ってきたことが全て無駄だったとはっきりわかりましたので、もうこれ以上のお話は結構です。どうぞお得意様と心中なさってください。今までお世話になりました。」
と吐き捨てるように言い残して会社を後にした。
その二週間後、中谷は会社と所轄の警察署あてに「退職届」と「選任警備員指導教育責任者辞任届」をそれぞれ郵送した。
ここで、中谷は警備員をやめた。
そして、「無職」になった。
「あ、どうしよう?」
彼は全く先の事を考えていなかった。