わたくしの汚点
私の人生は,多くの人から見ればまだまだ短いものにすぎず,人生の序章の一コマにすぎないだろう.
ただ,このまま進むと,人生の序章における個人的に大きな影響のある出来事によって,本編に甚大な影響が及ぶことは違いない.
私とて,理性のあるうちになんとかしたいものだとは思っているが,緊急性が低いということで,だらだらと先延ばしにしていた節がある.が,このまま先延ばしにする訳にもいかなくなってきた個人的状況となりつつあるなかで,緊急性が高まってきた.
私の数奇な思い出,というより記憶に残っていることを書こうと思う.もちろん,私の記憶なんぞは改ざんされていることに違いはないので,あくまでこれは私の主観が入り混じっていることを忘れないように...
私が今でもはっきり覚えている最古の記憶といえば,3歳ごろに家からつまみだされたことである.あれは,確か20-21時ごろおもちゃで遊んでいて,もう寝るように言われたけれど,それを聞かずにおもちゃで遊び続けようとしたことが原因だったような気がする.家からつまみだされたことのショックは大変大きかったように記憶している.保育園時代の記憶などもうない.誰々君と遊んでいたと言われても,担任の先生は誰々先生だったと聞かされても,まったくもって記憶にない.園歌でさえ,確かあんな単語が入っていたような気がするなぁ程度である.そんな中,家からつまみだされたことははっきりと覚えているのである.あれが,親から受けた大きな拒絶であると覚えている.それ以来,私は親の言うことを聞くようになったと思う.親の言うことを聞かないと,いつ追い出されるのか,いつ大きな拒絶をされるのか分かったものではない.素直だった私はきっとそこから大きな拒絶をされたくないというものができてしまったのだろう.
さて,小学生時代なんてのは,色々あった.6年は長い.さて適当なところから振り返ることにしよう.私は早生まれであったので,体が小さかった.低出生体重児であったから,ことさら小さかった.さらにさらに人見知りが激しかった私には自己表現というものがやりづらかった.そんな私はいじめる側ではなくいじめられる側であった.低学年なぞ,他の人の気持ちというものを考えずに言う節があるだろうから,私はそのいくつかの言葉を聞いて,何かに傷ついたことを覚えている.そこから私は卑屈になっていった.恐らく私の言動もしくは行動がその人たち(もしくは全体)にとって異常であったのだろう.ことさら特に何を言われたのか今ではもう既に覚えていない.ただ,私の言動もしくは行動によって特定の人物からの拒絶をされたことの記憶はある.班の中で拒絶されるべき人間であると思ったような気がする(このへんは実に曖昧である).さてさて,小学3年のときであっただろうか,私が今でも思い出せることがある.クラスの女子が意図せず私に過失的に害をなしたことがある.確か,あれはなんだっただろうか.私のことを殴ったのだと思う.物理的に何かされた記憶があるがもう覚えていない.ただ,(今にしてみれば)ほんのちょっとした些細なことであった.私,というかその時の全体の風潮としてやられたらやり返すというものがあった.私もその風潮通り,やられたらやり返すという精神のもと,やり返した.だが,これがいけなかったようだ.その人はやり返されたということを騒ぎ立て,私が悪者であるということを宣伝したのである.むろん,その通りであることに違いはない.なぜなら,やり返すという行動をとったのだから.理由はなんであれ,私は実力行使に出て,その被害者というポジションから加害者というポジションに自ら移動したのである.そこから周囲の人間から腫物扱いされたように思う(が,実際に腫物扱いだったかは覚えていない.単に自分がそう思い込んでいただけかもしれない).さて,この辺りの私の精神状態というか,私の思考について書こうと思う.この時の私の精神は軟弱そのものであり,他者からの拒絶というものに大変恐怖していた.他者からの拒絶があるときはたいていの場合私が何かをしたときであって,つまり拒絶の原因は私にあったということである.つまるところ,私は集団の不文律を読み切れておらず,排斥される側の人間であったということだ.私は他者とあまりかかわりたくないと思っていた.私は生きていたくないと思っていた.私がその場にいるのなら,いないほうが良いと思っていた.そこに私がいるのなら,みんなの楽しい場が邪魔になると思っていた.しかし,私には不登校になるという選択肢はなかった.この感情が親や先生に知られることを大変恐れた.そのような感情はふつうではないことぐらいは分かっていた.死にたいと思っても行動に移せず,不登校にもなれず,ただただ苦しい場所へ身を投じることが親に心配をかけないことだと思っていた.私は罰を受けるべき人間だと思い,その苦しい空間にいることで罰を受けることが正しいことだと思っていた.まさにエヴァにでてくるATフィールドを張り,そこにいること.精神をすり減らすこと.それが私の受けるべき罰であると思っていた.私の人見知りの性格,他者からの拒絶,自身への懲罰という点から私は自分は基本的に嫌われるような存在であり,他人から近寄られるときは何か思惑がある,そして他人から否定的な何かをされたときにはほとんど全ての場合自分が悪いということを思うようになっていった.今でもこの思考は常にまとわりついているように思う.さて,あれは6年のころであっただろうか.私は恋愛をし,そして失恋をしたのである.そのことの私はその人のことを忘れられるなど思いもしていなかった.そこで,私は自身のことを酷く責めた.意味がなかったのかもしれないが,私にはその人にとって価値のない人間であると必死に思い込もうとした.その人のことを思うのは罪であり,そんな私は悪であると思い込もうとした.おおよそ数か月の自己闘争によって,邪悪となった思いを捨て去ることができたと記憶している.私はいかに不出来な人間であったのか痛感したように思う.
中学の時代はひと時の幸福と常時の憂鬱の時代であった.1年生のころは比較的に平穏だった気がする.特に波風立たない時代であり,常に自分がこの場にいることが違和感の塊であり,私なぞ早く消えてしまっても良いなどと思っていた.むろん部活でも私はカースト下位であり,道具の片づけや部室の鍵を借りてくることは他の人よりも働いていたように記憶している.職員室近くの入り口にあったすべての道具を部室に片づける作業を一人でやったこともある.これは特段自慢したいわけではなく,私の部活における立ち位置を示したものにすぎないことに注意されたい.私自身,自分のことなど無碍に扱われることは当然だと思っていたし,実際そのようになっていたので,やはりそうだよなという確証を得ていた.クラス内でも一見馴染めていそうに見えても,私の感触では大変空虚なものであり,虚構であると感じていた.2年生のころは幸福の時であった.私が仲良くなった女子がいた.その人は大変面白く,私のしょうもない,本当にしょうもないことでも笑ってくれた.私はその人と話すのが大変楽しかった.そして3年で勇気をもって告白したものの,結果は惨敗であった.そこからの私は急速に落下していった.今までの上振れがすべて落ちていくのが分かった.私自身の仮説が正しいことが証明されたように感じた.1年間の長さで築いてきた自身の付けあがった尊大な心をついに反省するときが来たと思った.私は激しく自分を責めた.一番はその人のことを忘れようとしたのである.が,なかなかそうは簡単にいかないのは明白であった.前回の経験が私の行動にさらに拍車をかけた.他者に迷惑をかけるぐらいなら死にたいと思った.いや,すでに迷惑をかけているのだからすぐに死にたいと.私はこの時,自分は迷惑をかける人間で価値はない,周りから嫌われるようなことをするダメな人間である,出来損ない,ゆえに死ぬべきであるということを考えていた.むろん,3年は受験期であり,そのストレスもあったことに気を付けたい.
高校は私の考え方が変わったときであった.高校入学当初は,新規一転という気持ちがあったが,中3の思想を引きづっていた.その人のことを忘れられた,忘れられなかったということ関係なく,私自身には価値がないと思っていたのだ.そんな中,私はとある同好会に入ることにした.もちろん,一人で入るのではなく小中からの友人とともにであるが.そこで,私はある変な人に目をつけられた.きっかけはなんだったか覚えていないが,私の考えをその人に断片的に少しづつ話すようになっていった.その人は聞いてくれた.多少の共感と,そしてそれに対するまったく別の考え方を聞かせてくれた.私は当初,その新しい考え方について受け入れがたいものであり,余計に私を混乱させた.だが,その人はその人のできる限りで接してくれた.私がその人の考え方を受容できるようになってくるのに半年ぐらいかかっただろう.種々の考えについて,いろいろ話してくれたが,今の私のベースになっているのは楽観と深く考えすぎないことである.私のこれまでの考えは悲観ベースであったが,それを楽観にしようという提案であった.これはかなり難しいところである.後述するが,基本は楽観でもあるときは悲観になってしまう.しかし,多くの場合で楽観は有効なものであり,個人的な救いとなったものである.当時の私はその人に深く依存していた(周りからとんでもないことを数回言われた気がする).依存の度合が深いことは頭で理解できても,その人から脱却するのが難しいと思っていた.しかし,このままではいけないと分かっていたので,なんとか依存から抜け出し,ついぞや1人になることができたのである.2年3年はほうほう過ごしていた.特段,代わり映えの無い,無味無臭の生活であった.
さて,それでは現在では何も問題がないのかというとそうではない.私の頭にはトリガーがある.それは過去のある状況に近づくとトリガーが引かれるものである.過去のある状況,それは私の精神状態の最下端である中学にあった状況である.その状況でなければ,私はいたって普通の生活を送れるのである.しかし,その状況が近づいてくるにつれ,その私の頭にあるトリガーが軽く,しかし徐々に確実に引かれていくのである.調子が良い日であれば多少精神状態が悪くなるだけである.しかし,そのトリガーが完全に引かれると状況は変わる.あの時の同じ精神状態となり思想,思考がすべて支配される.もっと言うと私は他人から嫌われており,私には価値がないというあの状況と同じ思考である.私はこのトリガーの影響を小さくしたいと考えている.しかし,現実は非情であり,なかなかこのトリガー問題を解決することができない.私は悶々とした気持ちで,この問題を向き合わなければならない.
私の人生の序章では,解決しなければならない問題がある.この問題は深く私の心に刻み込まれている.私の罪であり,一生かけて解決するのか分からない.
治るのは無理であったとしても,寛解を目指し進むしかない.そのトリガーとの和解を.