18.遅過ぎた愛
リリミアの中に入り、彼女の愛を実感したマクルドの魂は、魔女の庵に戻されていた。
「理解したかい、彼女の愛がどんなものだったか」
マクルドは今とても満たされていた。
それはメイを相手にし飾り立てたところで満たされなかったもの。
メイの事はランスロットたちに抱かれているのを見ても何とも思わなかった。
独占されても抱けなくても無関心でいられた。
泣いてもただ可哀想だな、相手してあげないとな、と優先させてはいたが、面倒も感じていたし、いてもいなくても構わなかった。
ただあの空間では周りの男たちより優位でいたかっただけだ。
けれど、リリミアだけは嫌だった。
リリミアは他の男に見せたくなかったし渡したくなかった。
ずっと側にいてほしかった。
隣にいて、笑っていてほしかった。
「愛って案外単純なんだろうね。あんたが死ぬ時、思い浮かべたのが求める者だったんだろうよ。
あれこれと考えるから間違えるし魅了の影響が残ってしまう。
あんたの場合は本能で求める方が正解だったんだろうね」
リリミアの中で感じた愛はマクルドだけでなく、マキナやクロスへも向けられていた。
愛が深かった分、裏切られた時に酷く傷付きその悲しみを分かってほしくて同じ事をして返す。
二回目のリリミアは、ただ、マクルドに理解してほしかった。
愛する人に愛されない悲しみを。
愛する人から裏切られる絶望を。
信頼し、疑っていなかった人を疑わなくてはいけなくなった自分を責め、苦しむ事をただ、共感してほしかった。
だがマクルドはリリミアの言葉を無視し、ただ「愛している」という名のもとに望まぬものを押し付けた。
何も理解しようとせず、何も見ようとせず、己の思いをただ投げつけ、受け入れてくれないと駄々をこねる幼稚な存在だった。
「……二回目を迎える前、エクスはお前に自分を誕生させるなと言った。奴はその時リリミアだけでなくお前の幸せも願っていたのだ」
「……」
「自分がいなければリリミアはお前と向き合う事を選ぶだろう、とな」
エクスは忠告してくれた。
誰よりも他人の幸せを願っていたからだ。
マクルドは悲しいよりも情けなくて許せなくてぼろぼろと泣いた。
「お前はもう分かっているのだろう?」
「お、れは……魅了された。隙があった。けれど分かっていた、んだ。本当は、引き返せる瞬間は何度もあった」
「全ての結果は原因があって成り立つもの。
リリミアの今はお前が招いた結果にすぎない。
間違えた箇所を自覚しない限りお前は何度時を戻しても同じ事を繰り返すのだろうよ」
一回目に王太子が堕ちた時、城に報告していれば。
メイの口付けを受けなければ。
リリミアの為だと身体を重ねなければ。
父の言う通りエクスを生ませなければ。
マキナをエクスに会わせなければ。
不貞を真摯に謝罪してどうするかを話し合っていれば。
リリミアを襲ったりしなければ。
これから戻った時にリリミアと手を取り合う未来を得られたのだろうか。
「二回目にリリミアがエクスをクロスと名付けた理由。もしかしたらお前と向き合う事を望んでいたのかもしれないな。……だから交差と名付けた」
「そんなはずは……」
「エクスを剣にするか橋渡し役にするか、お前の行動一つだった。
時戻りした時点でエクスを楽園に返していればリリミアはお前と向き合いマキナを生んだだろう。
領地に行った時も謝罪していればアーサーに頼る事もなかったかもしれない。
お前の行動はリリミアを追い詰め逃げる選択を選ばせ、一度目は死に追いやり二度目は愛人を作らせた」
マクルドは涙を溢れさせた。
己の行動が今を招き未来を奪った。
マクルドを温かな愛情で包んでくれていたのはリリミアだったのに。
欲しいのはただ、それだけだった。
マクルドの側でリリミアが心から笑う。
たったそれだけで満たされたのに。
「やり、直したい……、やり直したい……。今度こそ、リリミアに笑顔でいてほしい……」
それは初めてマクルドが願ったリリミアへの想い。彼女の笑顔を見るだけで、彼女が笑顔でいるだけで、それだけで幸せなのだと自覚する。
「……そうかい。まあ、現実は自分の目で確かめるんだね」
「え……」
「あんたの対価は返すよ。息子から上等な愛を貰ったからね」
マクルドの視界がぐにゃりと曲がる。
手を伸ばすが魔女には届かない。
胸の内に温かいものが戻って来る。
急速に吸い込まれていく感覚がして、気付いた時にはマクルドは現世に戻っていた。
「……マクルドか?」
懐かしい父の声がしてマクルドは顔を上げた。
「ここは……父上、身なりが……」
「ああ。……お前がいない間、状況が変わったからね」
マクルドは父からクロスが成り代わっていた間の事を聞いた。
まず、国王の退陣、後継はマリウス、後ろ盾は辺境伯、マリウスの婚約者はヴィアレット。
そして自身の事。
カリバー公爵は爵位返上、親族に結局譲った事。
両親は離婚し、母は遠くの修道院に追いやられたこと。
ソール侯爵家の醜聞、騎士団長も爵位返上、騎士団を退団後は辺境へ行った。
魔術師団長とスタンはそのまま、現在は魅了防止の魔導具作成中。
スタンは更に渦中の人物として戒めの為に国王の補佐役も兼ねている。
魔塔の禁術の封印は王族と魔術師団長、日替わりでランダムに魔術師の血が必要に書き換えに変更され、二度と日の目を見る事は無いだろうこと。
そして。
「リリミアさんは……既に結婚してお子さんもいらっしゃる」
「……え……」
リリミアはアーサーと結婚し、デウスを生んだ。
最近また懐妊したという噂を聞いた。
「迎えに行かなきゃ」
「待ちなさいマクルド。リリミアさんとその夫、子どもたちはティンダディル連邦筆頭王家であるブリトニア王太子の庇護の対象だ。更にバラム伯爵家は令息の妻が王太子の実妹という事で侯爵家になった。
迂闊に手を出せばこちらが消される」
「でも俺達は公爵家だろ?」
「先程言っただろう? 私たちは爵位を返上した。今の私たちは平民だよ。貴族は一平民の命など気にしないが気にする平民の命はいつでも潰せる」
「そんな……」
マクルドはリリミアの愛を知り、今度こそ間違えないと誓った。
時を戻して二回結婚したが、三回目は無い。
「リリミア……それでも俺は行かなきゃ」
「なりません、坊っちゃま」
マクルドを止めたのは幼い頃から彼を知る執事だった。
彼はカリバー元公爵とマクルドを不憫に思い、平民になる時に付いてきたのだ。
「もう、奥様……いえ、リリミア様を解放すべきです。坊っちゃまはリリミア様を大切になさらなかった。あの一回目の態度が全てです。
これ以上あの方の幸せを邪魔をしてはいけません」
「どうして……」
「望まぬ愛、束縛はただの暴力です。精神を蝕みやがて肉体に影響を及ぼし、生命を脅かす。
リリミア様の幸せを願うならば、二度と近付いてはなりません。
また殺したいのですか?」
執事の言葉にマクルドは動けなくなった。
もう一度やり直したいと願っても二度と魔女は現れない。
マクルドが気付くのが遅過ぎた。
何度もやり直しの機会はあった。
誰よりもチャンスはあったのだ。
だがマクルドは無視して己の幸せのみを追求した。
ようやく思いやりを覚えリリミアの幸せを願っても、彼女はもう淑女の笑みさえマクルドには向けないだろう。
淑女の顔も二度目まで。三度目は無い。
「マクルド、失ったものは大きいが、これからはリリミアさんの幸せを願って生きなさい」
喉から手が出る程欲しいのに。
手に入れていたのに。
ようやくただ一人を愛していると確信したのに。
自分は手放した後だった。
「う、あ、あ……あああああああ……」
ボロボロと溢れるものは止まらない。
愛を手放し、愛を知り、愛に飢えた男に、そう何度もやり直しの機会は与えられない。
マクルドはしばらく泣き続けた。
目を閉じても浮かんでくるのはリリミアの笑顔だけだった。