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淑女の顔も二度目まで  作者: 凛蓮月
最終章〜縁の糸の結び直し〜
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17.変わる愛


「奥様……旦那様は今日も離れに行くという事です……」


 気まずげな執事の言葉にリリミアは胸の奥が抉られる思いがした。


 愛人とその子が来てから数ヶ月、マクルドはずっと離れに入り浸りだった。

 リリミアは義両親、王太子妃に相談したが何も変わらなかった。

 孤独に黙々と仕事をする日々。


 時折離れの窓から見えるメイの醜悪な笑みがリリミアの惨めな気持ちを増幅させ、常に窓はカーテンが閉まっていた。


「奥様、申し訳ございません……、何のお力にもなれず……」

「いいのよ。今までありがとう。退職金と紹介状は持った?」

「奥様……本当に……」

「あちらに行っても元気でね……」


 侍女が一人、泣きながら公爵家をあとにする。

 リリミアは執事と共に働かない夫の分まで経営に携わった。


 その後、子どもたちが学校に行きたいと言うから反対しなかった。


「これを売って学費にしてちょうだい」

「奥様これは……」


 成婚の時に記念に作らせたネックレスは、子どもたちの学費になった。

 結婚式のドレスに縫い付けた宝石は、解いて使用人の給与にした。


 たった三年。

 メイが来てから三年で公爵家は傾いていた。

 それをどうにか支えていたのはリリミアだった。


(私は何の為に生きているのかしら……)


 食事さえゆっくり摂れず、常に薄汚れたドレスしか着れず。

 いつしか喜びも、怒りも、どこかへ置き去りにしてしまったように虚ろな表情になった。


 球体のマクルドは自分に向かって怒りをおぼえていた。


(何やってた、俺はこの時)


 リリミアは夜も眠れず、朝も早くに起きて。


(同じ、違う)


 マクルドは夜は眠らず、朝も早くに起きて。


 リリミアは食事も摂れない。

 マクルドは食事さえ忘れて。


(こんな、こんなの……)


 誰か、誰かリリミアを助けて。

 誰か、頼む、リリミアを……。

 だがマクルドの言葉は届かない。

 この時間軸はもう間もなく破棄されるもの。

 全てが時戻りで無かった事にされた事象。


 けれど、それは記憶に残り確かにあったとされるもの。


 リリミアの中で絶望するマクルドの目の前に、後継を残そうとするマクルドがやって来る。

 痩せ衰えたリリミアはただでさえ強い男の力に抗えず、ただなすがまま、気持ち悪さと悍ましさに吐き気をもよおしながらただ時が過ぎるのを待っていた。


(こんな、醜悪な顔をしてたのか、俺は――)


「愛している、リリミア、愛しているんだ。

 何故分からない……何故拒否する……。

 お前は私の妻だ。誰が何と言おうと、妻はお前なんだ……」

「いや、離して……、愛してもいないくせに……」


(こんなの、こんなもの……こんな悍ましいものが……)


「また明日来る」


 愛であるはずがない。

 マクルドはただ、リリミアの中で絶望した。

 また明日来る。一度で満足できずメイのもとへ行く自分の背中を虚ろに見ながら、ただ、呆然としていた。


 こんな絶望があって良いのか。

 苦しみが、虚しさが、これからも続くのか。

 リリミアはゆっくりと身体を起こしバルコニーへ足を向ける。


(止めろ、止まれ、だめだ! 止まれ、止まれ、止まって、お願い、リリ……頼む、リリミア……!)


 もう、生きる意味も失った。

 ただ、この苦しみから解放されたい。

 全てを終わらせて、楽になる。


 痛みは一瞬。

 もう、終わり。

 これで、全部、嫌なこと、苦しいこと、何もかもさようなら。


「リリミア、なぜだ! なぜ、どうして……、ああああどうして、なぜ、なぜだ……、どうして」


 目の前で叫ぶ男は馬鹿だ、とマクルドは思った。

 全てはお前がリリミアを大切にしなかったからだ。

 今更何故だ、なんてどの口が言っている。

 身勝手な男に反吐が出る。

 何度も殴って罵って殺してやりたい。


(これは、俺がした事だ)


 弔って、リリミアはようやく楽になれた。

 もう、辛いことも苦しい事も全て解放された。



 だが時戻りでリリミアは覚醒する。


 毎日眠る度あの日の続きが出てくる。

 仕事をしなければ、離れを見ないようにしなければ、使用人の給与、ああ、手が足りない、時間が足りない、寝ている暇は無い。


「リリミア、ここは伯爵邸の領地だ。きみはリリミア・バラム。伯爵令嬢だ」


 落ち着く声がリリミアの耳にするりと入る。

 背中を叩くリズムが鼓動を落ち着かせる。


「アーサー……」

「悪夢は終わった。大丈夫だ」


 何度も悪夢を見るリリミアを落ち着かせているのはアーサーだ。


「アーサー、この傷……」

「どっかのじゃじゃ馬が暴れてな」

「う……暴れたのは謝るわ。でもじゃじゃ馬って」

「俺からすればか弱いじゃじゃ馬だがな。じゃじゃ馬はじゃじゃ馬だ」

「じゃじゃ馬言い過ぎよ。もう令嬢に向かって言う言葉じゃないわよ」


 酷い言葉、だがリリミアは怒りを感じている。

 それをアーサーにぶつけ、アーサーはしっかり受け止める。


「随分と表情豊かになったな」


 頭をワシャワシャとされても、リリミアは悪い気はしていない。

 それだけアーサーを信用しているという証だ。


(俺が表情を奪ったから……)


 表情を奪う者と与える者、どちらが良いかなんて分かりきっている。

 ゆっくり、着実にマクルドにズタズタにされた心を癒やしていく。


 そんなある日、マクルドが領地を訪ねてしばらくしてから、リリミアはあの日の夢を見て夜中に飛び起きた。


(リリ、ごめん、ごめんなさい、リリミア、ごめん……)


 あの悍ましい自分の顔がマクルドの脳裏に蘇る。

 自分がした事をリリミアの中から見ている。

 こんな男、自分なら選ばない。

 だからリリミアがアーサーに抱いてほしいと言っても納得している事に気付いていた。


 耳を塞いでも、リリミアの気持ちが癒やされるのが分かる。

 アーサーの優しさがリリミアを包み込み、胸の奥が疼いて何かが芽生えるのをただ見ていた。


(これがきっかけ……。なんだ、リリミアがアーサーに縋ったのは俺のせいじゃないか)


 それから二人はマクルドの目が無い事をいい事に爛れた関係になるんだろう。

 もういいや、とマクルドは閉じこもる。


 だが二人は家令と令嬢の距離を保っていた。

 愛人もフリだけ。

 ただ会話を楽しみ、目と目が合う瞬間が増えた。


 たった一度だった。

 何度も言い訳を作ってはメイとしていたマクルドのような関係ではなかった。

 たった一度で子を身篭り、マクルドではなくこちらを選ぼうとしたのに婚約は解消されなかった。


(俺は何度リリミアに絶望を与えたんだろう)


 マクルドはリリミアといられて幸せだった。

 触れられなくてもそばにいればいつかはまた愛し合えると思っていた。

 けれど、リリミアは違った。

 リリミアが変わったのではない。マクルドが変えたのだ。

 散々無視する事でリリミアを何度も絶望に晒し、苦しみを与えたいと思わせるまでになった。


 クロスを引き取った時も、リリミアは複雑な気持ちだった。


「私の罪の証。けれど、未来への希望にもなる」


 今はもう憎しみの対象となったマクルドの裏切りの証。クロスがいる限りマクルドに仕返しするのだ、とリリミアは己に言い聞かせる。

 けれどクロスは母思いに育った。


(優しくしないで。貴方の両親に似てほしい……)


「母上」


(私は貴方から慕われるような人間ではないわ)


「母上、お辛いですか?」


(どうして貴方が私を思いやってくれるの)


「大丈夫です、僕がついています」


(実の娘すら見捨てた私なのに……)


 クロスが優しさを見せる度、リリミアはクロスを憎いと思えなくなっていく。

 このままではいつしかクロスを通してマクルドを赦し、親子三人で……なんて思ってしまう。

 待ってくれているアーサーとデウスを思い浮かべる。


「それにね、クロス。今回の私には希望があるのよ。それだけで生きていける。

 愛する人と、…………唯一の愛しい息子がいるから」


 自分に言い聞かせなければ湧いてくる気持ちが溢れてきてしまう。

 けれど、けれども。

 クロスは可愛い。どんなに否定しても愛すべき息子。血の繋がりが無いなんて関係ない。

 親が誰かなんて関係ない。

 裏切りの証、罪を彷彿とさせる……そんなもの、既に関係ない。

 母を必死に守ってくれる小さな存在を愛さないなんて誰ができるだろう。


 離縁したい。

 だがクロスを置いて出て行けるのか。

 クロスがいつか愛し合える人を見つけるのを見守りたい。

 その為には親が手本を見せなければならないのではないのか。


「でも……もう、無理なの……」


 クロスはそれさえ許してくれる。

 リリミアの幸せをひたすら願い、その為に動いている。


(ああ、これが……)


 ただ、その人の幸せだけを願う。

 穏やかに、いつも笑顔でいてほしいと願う。


 マクルドに無くて、アーサーやクロスにあるもの。

 魔女の庵でマキナにも芽生えたもの。

 リリミアも最初、マクルドに対して持っていた。


 愛する人の安寧を願い、幸せを祈り、憂い無き道を作る為己が動く。

 それが愛するという事。


 けれどそれを叩き壊したのはマクルド。

 もう二度とマクルドに向けられる事は無い。


(俺がずっと欲しかったもの)


 もう、二度と間違えない。

 今度こそ大切に慈しむ。


 マクルドが決意すると、すう、とリリミアから球体が離れていき、気付けば魔女の庵に戻っていた。


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