12.かつえた愛は露に消え
残酷な描写と気持ち悪い男が出てきます。
苦手な方はお気を付けください。
ガウエンに連れて来られた場所は侯爵家所有の王都から離れた別荘だった。
「ふうん、まあまあね」
内装を物色しながらガウエンのエスコートで部屋に入る。
メイ好みで整えられ、ふかふかのベッドに横になるとうーんと手足を伸ばしてだらんと力を抜いた。
「後で食事を運ばせる」
それだけ言うとガウエンは出て行った。訝しみながらもメイはふかふかの感触に酔いしれ、次第に襲ってきた眠気に身を委ねた。
気付けばもう真夜中で、ふわぁとあくびをしながら体を起こすと足の辺りでカチャリと音がした。
「え」
見れば右足のくるぶし辺りに拘束具が着けられ、延びた鎖は柱に繋がっている。
「起きたか。お腹空いたろう」
暗闇から声がして、思わず心臓が跳ねた。
その方向を見ると、ガウエンがじっとメイを見つめている。
「ガウ……? これは何? どうしてこんな事するの?」
「愛しているからだよ」
さも当たり前のようにガウエンは微笑み、読んでいたらしい本を閉じた。
「ようやく手に入れた。これでお前は俺だけのものだ」
恍惚の表情なのに、瞳は濁りきっている。
メイは冗談じゃないと、ガウエンを睨みつけた。
「これを外して。私を自由にしてよ。貴方だけの私なんてバカじゃない? 私はみんなに愛されてるんだから貴方一人の私にならないわ」
「何故だ……。こんなにも愛しているのに」
「愛しているから何? 私は望んでないわ。愛を押し付けないで」
ガウエンは絶望に曝された。
メイを一途に愛しランスロットらの力が削がれた今ようやく手にする権利がまわってきたのに。
「酷いなぁ……。本当に、酷い」
ゆらりと立ち上がりメイに近付く。その手には剣が握られている。
「……ガウ……? え、なんで? そんな物騒なもの持ってたら危ないじゃない……」
その瞳には何も映さない。
ただ一人と愛した女性でさえ、憎しみの対象になってしまった。
「メイを自由にしたら、また他の男の所に行くじゃないか。そんなの許せるわけがない。
お前は俺と一つになるんだ。混ざり合いドロドロに溶けて一つに」
「やだ、どうしたの、ガウ……、嘘でしょヒッ」
「メイ、俺だけの姫。『私だけの騎士』と言ってくれ。そうしたら俺は世界を敵に回してもお前だけを守り愛するから」
仄暗く薄笑いながらガウエンはじり、とメイに近付いた。
右手に持った剣の煌めきだけが部屋を照らす。
メイの背中に汗が伝う。暑いわけではないのに汗が吹き出、寒いわけではないのに手足が震えた。
「やだ、ねぇ、冗談でしょ? ねぇ、いつものガウに戻ってよ……」
震える唇を動かして、メイは泣き笑いながらガウエンに訴えた。
だがガウエンは薄笑いを浮かべたまま静かに近寄るのみでメイの言葉は届かない。
「なぁメイ、俺はきみの為なら人だって殺せる。時を戻すのを躊躇ったマクルドを殺して願わせたんだ。彼なら夫人への愛を捧げると思った。
自信があるからな。
むしろそれしか無いと思い込んでいた」
ガウエンがメイのいるベッドに上がると、ぎし……、と不気味な音が響いた。
相変わらず右手には剣が握られ、メイの心臓は早鐘を打ち、何とか今を切り抜けられないかと思考を巡らせる。
「マ、マクは私への愛を残してくれてるのね。
マクとランスがいるならそれでいい……」
ザク……
メイが言い終わらぬうちにガウエンは彼女の肩に剣を掠めた。
はらり、とメイの髪が舞う。
何が起きたか分からず、だが痛みに意識が戻り、メイは己の左に目を向けた。
「あ……う、そ、やだ……なんで……」
「あの二人の名前を出すな!! 俺だけがいれば十分だろう!?」
ガウエンの叫びに驚き息をひゅっと鳴らす。
「お前を! 真に愛するのは! 俺しか! いないだろう!?」
言いながらメイに何度も剣を沈ませる。
「やめ、痛い……、ガウ……いた……い……」
「ああ、ごめんよ、メイ。きみがあまりにも俺を蔑ろにするからつい、ね。大丈夫だよ、例え死んでも時戻りすれば全て無かった事になるから」
手に付着したメイの血をうっとりと舐めすすりながら、ガウエンはメイの傷口に口付けた。
「なあ、メイ。早く言えよ。俺がいいって。
『ガウエンだけを愛する』と言ってくれ……」
メイが痛みで意識が薄れゆく中、泣き出しそうな顔をしたガウエンが愛しい人の頬を撫ぜる。
懇願するように、ぎらぎらと目を見開いて、らんらんと輝かせて。
メイは早く治療をしてもらおうと痛みを堪えてガウエンに縋った。
「ガウ……、あなたを愛しているわ。本当よ。だから、これからもずっと一緒よ」
力を振り絞り手を伸ばす。ガウエンは血まみれの手を重ね、自身の頬にあてた。
愛おしくて、嬉しくて、――憎い。
「嘘吐き」
ザクッ……
「メイは俺を愛していない」
ザクッ……
「お前が見ているのはいつもランスロットだった」
ザクッ……
「それでも良かった。ランスロットが望めば、側にいられるから」
ザクッ……
「だがお前はマクルドの子を生んだ」
「その子を盾にマクルドとランスロットを手に入れた」
「お前が俺を見てくれた事など一度も無い」
「いつもそうだ。俺はいつも、ランスロットとマクルドのおこぼれしか貰えない」
「分かっている。分かっているんだ。それでも俺はお前しか愛せない」
ガウエンはボロボロと涙を溢れさせながら何度もメイを貫いた。
彼女の口から懇願も縋りも出なくなっても止まらない。
芯まで魅了された彼はメイの本心が誰を求めていたかなどとっくに見破っていた。
メイはただ身分が高い、見目の良い男たちにちやほやされたかっただけだ。
本当ならばランスロットと結ばれ、ゆくゆくは全ての人間から傅かれたかっただけだ。
だがランスロットはヴィアレットを選び、メイはただの捌け口でしかなかった。
その辺りは割り切っている彼だからこそ、メイは欲しがり、本当に彼だけを愛していたのだ。
ランスロットが手に入らないと知ると、マクルドに狙いを変えた。
公爵という地位が魅力的だったのと、王太子の側近をしているマクルドの妻に納まれば自ずとランスロットに会える機会が増えるからだ。
ガウエンとエールと体を重ねる時は避妊薬を飲んでいた。彼らに言って用意させた。
マクルドは「リリミアさんとする時の練習にしていいわよ」と言うと応じた。「彼女の為よ」とリリミアをダシにすれば心が動いたから。
一度すればなし崩し。「練習だから」と言って何度も求めてきた。
卒業を待って妊娠した。衣食住を確保する為のものだった。
だがマクルドもまた、リリミアを選んだ。
ならばガウエンかエールのどちらかなんて選べなかった。
メイにとってランスロット以外の三人は、ランスロットを繋ぎ止める為だけのものでしかなかったのだ。
ガウエンはそれを正しく理解していた。
二回目の時、ランスロットがメイを抱いたと聞いた時は胸を焼き焦がされながらも祝福した。メイが幸せそうに笑ったから。
だからこそメイを利用しながらも決して愛さないランスロットに腹が立ち、そんなランスロットばかりを追い掛けるメイを愛しながらも憎しみが湧いた。
物言わぬ骸となった塊を見て、ガウエンはそっと口付けた。
「魔女、いるんだろ」
ガウエンの呟きによって姿を現した時戻りの魔女は凄惨な場面に顔を歪めた。
「メイが死んでしまった。だから時を戻さねばならない。もう残りは俺だけだからいいだろう?」
魔女は何も答えず、無表情でガウエンを見下ろしていた。
「メイへの愛を捧げる。もう要らないからな」
魔女は無言で杖をひと振りした。空間がぐにゃりと曲がる。
だが、何も変わらない。
メイは相変わらずガウエンの下で何も言わぬ骸のままだった。
「……魔女、何も戻っていないではないか……」
「いや、確かに戻した。ただ愛はほぼゼロに近い状態だったから戻ったのはほんの一瞬だがな」
「……は……? そんなわけ……」
「お前はメイへの愛を捧げた。お前がその女の代わりに愛したという、二回目の人生の妻を『メイ』と呼んでいただろう?
だからその者への愛を対価としたぞ」
ガウエンは目を見開いた。
「な、にを、違う……、メイは……そっちじゃない。もう一度やり直せ!」
「言ったはずだ。時戻りは一人につき一度まで。
百年でも刹那でもカウントされる。
すまぬな、だがお前は元々メイリアへの想いを捧げる気だったから問題無いだろう?」
魔女に掴みかからん勢いでベッドから降りるが、魔女の体をすり抜けて顔から落ちてしまった。
「頼む、戻してくれ……」
魔女に縋るように床の絨毯を握り締める。
だが時戻りの魔女は冷たい眼差しで見下ろすだけ。
「人を守る為の騎士のくせに、人の命を軽視した報いだ」
魔女はそれだけを言うと煙のように消え去った。
「そんなつもりじゃ、無かったんだ……」
ガウエンは再びメイに覆い被さると、自身の心臓を貫いた。
そうしてどさりとメイの心臓と己の心臓を重ねるようにして倒れ込む。
(今世で結ばれないのなら、来世……。ずっとずっとお前を追い掛ける。
これでもう離れられない……)
ガウエンはニヤリと口角を上げると、意識を手放した。
二人の魂が黒く濁って混ざり合う。
縁の糸もきつく結ばれる。
二度と離れないように、溶けて一つに――。
だがもう一度目覚めたガウエンは再びメイの骸を目にした。
「忘れていた。二度目の妻メイリアと息子のアヴェインがお前への愛を捧げた。
何だ、一瞬だったな」
ガウエンの唇はわなわなと震える。
一度死に、冷静に戻った彼はもう一度自身を貫けない。
「どうもお前は命というものの重みを理解していないようだ。
少しばかり絶望を知れ」
時戻りの魔女はガウエンに何度もメイが生き返り何度も死ぬ幻を見せた。
数日後。
廃人のように「やめてくれ」とぶつぶつ呟くガウエンの姿と、腐りかけたメイの死体が発見された。
発見したのはマクルドから情報を得た騎士団長ソール侯爵。
父として、今度こそガウエンは真面目に更生の道を歩ませたつもりだった。だが所詮つもりだったようだ、と悟った騎士団長は、ガウエンをその場で殺害し、自ら牢屋に入った。
騎士団長に下された刑は辺境で戦う事。
そしてこの事件から約十年後、一度目の人生のように幼子を庇って亡くなった。
その幼子が二度目の人生で孫となっていたメイリアの息子だった事を、ソール侯爵は知らない。
飢えた愛と勝つ得た愛