8.エクスクロスとガラハド
国王の退位とマリウスの立太子、そしてカリバー公爵家の失墜が決まった数日後、ランスロットの自室にガラハドとクロスは二人、ソファに腰掛けていた。
「マリウス叔父上が母上に求婚し許可を得られたようです。
結局元々の婚約者の血筋に王位が渡るわけですからおかしなものですね」
国王の側妃は幼い頃からの婚約者で当時の彼の不貞に心を痛めていた。
それでも政略結婚だった為結婚し、――即座に側妃に落とされたのだ。
王太子は離縁ができない。それを逆手に取り国王は離縁せずに仕事のできる側妃と愛しの正妃を手に入れた。
だが所詮、正妃とは不貞から始まった関係。
手中にし裏切りの背徳感も薄れてくればフィルタは外れ相手の本性が見えてくるというものだ。
ランスロットを授かって暫くは良かったが、後ろ盾も無いのに贅沢だけはする正妃は次第に夫に依存するようになった。彼女の中で夫の寵愛だけが頼りだったのだが、鬱陶しくなった国王は己の力で世を渡る側妃に傾いていったのだ。
やがて側妃が子を授かると状況は悪化、結局正妃が側妃を殺害未遂で自滅、公爵夫人も庇えず幽閉された。
一度目で辺境伯がクーデターの主なメンバーだったのも側妃の実家だから。
国王がした事は自身の不実により国の混乱を招いただけだった。
「あとは魅了の男爵令嬢だけですが」
「こっちを先に解決すべきでしたね」
「……まさかクイン男爵家が行方をくらますとは思いませんでした……」
メイの実家クイン男爵家は、時戻り後約二週間の間に姿をくらました。
二人がこれからの事を相談している隙だったから油断したのは否めない。
ランスロットとマクルドはそれぞれ引き継ぎが済み次第廃籍が決まっている。なので二人が自由に体を動かし、個人で探せる期間は短い。
「殿下は幽閉になりますから、その後は私が探しましょう」
「先に確保しておくべきでした。先読みが甘かった。私は為政者の器では無かったのでしょうね」
そんな事は無い、とクロスは思う。
父親の脳裏にあった記憶から祖父母の罪を暴き権力を削ぎ落とした。
ランスロットとマクルド、そして国王と公爵は身分の高さから生まれた時から思い通りに生きてきた。それが許される立場で、誰も咎めない。諌めても聞く耳を持たない。
彼らに巻き込まれた女性も決して幸福を得られない。むしろ迷惑を蒙り不幸になった。
彼らに反省という言葉は見当たらないがガラハドは己の事を顧みる事ができる分、為政者に向いていると感じていた。
「何となく、殿下は生まれ変わっても殿下のような気がします」
「そうか?」
「生まれ変わっても、王太子殿下と呼ばれる存在になって、いずれ世の中を変えていきそうです」
クロスに言われ、むず痒いような照れくさいような。ガラハドは初めて年相応の顔を見せた。
「叔父上に待ってるって言われたけど断った。
この体と同じ血が流れるのが嫌なんだよ。
だから生まれるなら別の国がいいや」
「隣のティンダとかは?」
「えー、合法愛人とか正気じゃない法案の国とかやだよ。政略結婚ばかりで恨みも沢山買ってそうだし」
「正気じゃない法案を無くす王太子になればいいんじゃない?」
クロスの言葉にガラハドは目を瞬き、口に手を当て考え込んだ。
「将来的に、カメロンを吸収するもありか?」
ぼそりと呟いた言葉にクロスはゾクリとした。
敵に回してはいけない人なのでは、と冷や汗が垂れる。
「盤面ひっくり返すのも楽しそうだ。魔女に頼んでみよう」
ガラハドはニヤリと笑うと目を輝かせた。
「その前に、魅了女だ。母たちを苦しめる原因になったやつ」
「騎士団動かすか」
「行方不明の少女を探しに動くかな?」
「アレが記憶持って野放しにされてたらそこら中の男共が食い散らかされるだろう」
顔を顰めながら言うと、クロスは苦笑いした。
「……ごめん。一応きみの生みの親だったね」
「いいよ、父の記憶見てるだけで気持ち悪いくらい男好きって言うのがよく分かる。
それに、僕が母と呼ぶのは一人だけだよ」
今はもう母と呼ぶ事も叶わない。
思い出すのは優しい笑みばかり。
二回目の時は弱音も吐かずただ凛として立ち、クロスの前では「母」の顔を崩さなかった。
「今はもう別の人と婚約したんだっけ」
「うん」
「……辛くないの?」
クロスはティーカップを持とうとして止まった。
「いらないモノは、魔女さんにあげた。
母上にとって、父上はもう悪でしかない。
そんな父に似ている僕から恋心を寄せられても迷惑でしかないからね。今はもう母としてしか見てないよ」
彼にこの想いが芽生えたのはマクルドの遺伝子の成せるものだったのか。
あの日、初めて謝罪した時、真っ直ぐエクスを見据えてきた瞳の鋭さに惹かれたのだ。
だが自覚をする事なく二回目を迎え、母に見てほしい一心で二回目を過ごした。この時は母と呼べるのがただ嬉しかったのだ。
マクルドが夫としてリリミアを尊重し愛していたなら魔女の庵でも気付かずいたかもしれない。
けれど自分の存在意義を確かなものにしてくれた女性へのモノは、これから先邪魔になるだけだからと魔女に差し出した。
「……俺たちってさ、生まれた意味、あったのかな」
不意にガラハドは不安そうに呟いた。
確かにいたはずなのに、時が戻る事により存在を失くしてしまった。
何の為に生まれ、生きたのか、この生に意味はあったのか、と考えると不安になる。
「二回目の人生で、デウスが……母上の本当の子が『誰かと誰かが出会うのは意味がある』って言ってました。
きっと僕たちも意味があってここにいるんだと思います。
現に王国の膿を出して正道に導いたじゃないですか」
ガラハドとエクスが出会い国を導き、母たちの安寧を手に入れた。
この先母の子として生まれなくても、確かにいた事は残せたはずだ。
「……ちゃんと、言っとけば良かったな」
ガラハドは寂しそうに呟いた。
「母上に、ちゃんと、好きだよ、って」
王族貴族の子育ては殆どが乳母に任される。
だからガラハドは母親と接する機会は少なかったが、それでも幸せだった時は両親の事が好きだった。
『母上、今日は周辺国の言葉を習いました。教師の方から発音が良いと褒められたんです』
『ガラハドの言葉は聞き取りやすいものね』
『私がお前くらいの年齢では苦労していたな。やるじゃないか』
『お兄様すごいです!』
『しゅごー!』
ガラハドの中では朧気になっている記憶。
だがランスロットの中では鮮明な記憶。
確かに子どもたちへの愛はあったのだろう。
それより優先するものがあっただけだ。
それがガラハドの父への気持ちを憎悪に変えた。
『父上遅いですね』
『視察に行かれてるんだ。おいで、お兄様が絵本を読んであげるよ』
『ちちがいいー』
弟妹たちの純粋な気持ちを踏み躙るランスロットとメイを、許せない気持ちに変わった。
「言葉って大事だね。次言えばいいや、じゃ遅いんだ。……僕も、言えば良かったな」
クロスも母へ『好き』と言えなかった。
言ってしまえば何かが終わりそうな予感があったのかもしれない。
「今更だな……。母上たちはこれから俺たちがいない人生を歩むんだから」
きつく目を閉じると長く息を吐く。
再び目を開いた時にはガラハドは王太子然とした表情になっていた。
この半年後、引き継ぎを終えた国王とランスロットは罪人の塔に幽閉された。
そしてマリウスが立太子、後即位し、辺境伯と婚約者の実家であるギネモード公爵家が後ろ盾となり執務のサポートをする事になった。
引き継ぎの際ガラハドがくれぐれも頼んでいたのは男爵令嬢メイ・クインの捜査。
騎士団を投じ捜索に当たらせたがクイン男爵家は取り潰され、男爵夫妻は依然として行方不明。
とはいえ騎士団も他の任務がある為人員を割けず見つからないままイタズラに時は流れ、とうとう学園に入学する年齢になってもメイ・クインは現れなかった。
「もう、いいのか?」
ガラハドは何もない空間に問い掛ける。
そろそろ、という予感はあった。
マクルドに手紙をしたため、検閲を経てから渡すように手配すると、ガラハドは目を閉じる。
もう一度目を開くと、門番に伝えマリウスとスタンを呼ぶように伝えた。
その後、ランスロットが罪人の塔から抜け出して魔塔に侵入し、禁忌の魔法の封印を解いたと連絡を受けた国王マリウスは、スタンに協力を要請しランスロットを直ちに捕らえて一般牢に押し込めた。
「待ってくれ、俺の意思じゃない! これは陰謀だ! 頼む、話を聞いてくれ!」
牢の鉄格子をガシャガシャと叩きながらランスロットは叫ぶ。その姿を見てマリウスは「ガラハドはいなくなったんだな」と呟いた。
「兄上、皆が一度目の記憶を持っている中再び禁忌魔法の封印を解くとは浅はかすぎます。塔を抜け出したのも。……残念です」
「マリウス、違う、俺じゃないんだ! 気付いたらここにいた。
今までの俺は俺じゃないんだ!!」
「兄上の処刑が決まりましたら追ってお知らせ致します。断頭台の準備もありますので」
マリウスはそれだけを言うと踵を返す。
断頭台という言葉にランスロットは表情を強張らせ、頭を抱えて蹲った。
「やめろ……いやだ、やめてくれ……いやだ、痛い、痛い、首が……首……」
錯乱したままランスロットは床に突っ伏した。
自身の首がある事を確かめながら、頭を掻き毟る。
「せっかくあの地獄から戻ったのに…………」
ランスロットの呟きは誰にも届かず、虚しく地下牢に響いた。