4.四面楚歌
頼みの綱であった友人の王太子妃に裏切られたリリミアは、縋るようにマクルドの両親のもとへ相談しに訪れた。
「リリミアさん、いらっしゃい」
「お義母様ご無沙汰しております」
「リリミア、マキナはどうした? 一緒じゃないのか?」
「お義父様……。すみません、今日は大切なお話があって来たのでマキナは置いてきました」
切羽詰まったような義娘の様子にマクルドの両親――現カリバー公爵夫妻は互いを見合わせた。
立ち話もなんなので、と応接間に案内された。
夫妻の後ろを歩くリリミアは顔色悪く顔を俯け、良い状態ではないのは見て取れた。
「それで、大切なお話ってどうしたの?」
応接間のふかふかのソファに座り、リリミアは出されたお茶を一口飲んだ。
そしてひと呼吸置いて、公爵夫妻に向き直った。
「公爵様方は……御存知でしたか?」
気を抜けば震えそうになる声を振り絞り、リリミアは口にした。
公爵夫人は怪訝そうにリリミアを見つめる。
なんの事かは思い当たるふしが――無いわけではなかった。
「マクルド様に婚姻前のお子様がいらっしゃる事、お義母様たちは御存知でしたか……?」
リリミアの問いに夫人は自身の左手に右手を重ねた。
公爵は眉根を寄せ、怒りの表情を浮かべた。
「あいつ……処分したのでは無かったのか!?」
二人の反応を見て、リリミアは察した。
公爵は知らなかった。
公爵夫人は知っていた。
「不貞相手を妊娠させたのは知っていた。その……結婚すると言っていたのも。
だが相手は不貞するような女性だし、碌なもんじゃない。
だから別れろと言ったし腹の子は堕胎するように言った筈だ」
リリミアは複雑な気持ちになった。
もしもこの時点で公爵が二人を結婚させていれば、まだ傷は浅かったはずだ。
結局二人の結婚には至らず、リリミアを犠牲にして未だに愛を育んでいる。
「先日マクルド様はその方とお子様を離れに連れて来られました。
それからはずっと入り浸りで……マキナも異母兄を慕っていて……」
悲痛な声でリリミアは訴える。
「離縁を申し出ても受け入れて貰えず、どうしたら良いのか……。
王太子妃殿下にも相談しましたが、離れに王太子殿下がいらっしゃる事から……、夫に愛人を引き付けておけと言われて……」
窘めてくれるはずの友人は、自分の夫がメイに傾倒しないようマクルドが囲っておけと言った。
その事はリリミアにヴィアレットへの不信感を抱かせ、以来二人はぎくしゃくしてしまっている。
当たり障りのない社交、どこかよそよそしい空気。
ヴィアレットも謝罪したいが雰囲気がそれを許さず、リリミアも彼女の顔は見たくなかった。
「リリミア、すまない。マクルドにはよくよく言い含めておく」
公爵はリリミアを思いやり、頭を下げた。
その事にリリミアはホッとしたが、公爵夫人は顔を顰めたままだ。
「……あの子は……、エクスはとてもいい子じゃない」
ぽつりと夫人が呟いた言葉に、リリミアは目を見開いた。
「お前……何を言って……」
「私はエクスが生まれた頃から知っているわ。
マクルドに似てとてもかわいくていい子よ」
リリミアは信じられないという目で夫人を見やった。
「まさか、お前……」
「ええ、マクルドから言われたから妊娠したあの子の世話をするように手配したわ。
男の子四人は何もできないから。
あの子は男の子を生んだ。庶子だけど、マクルドにそっくりよ。間違いなくマクルドの子だわ」
あの屋敷に手配された使用人は王太子の采配だった。
だがそれだけでは妊婦の世話は心許ない。
そこへマクルドは母に相談した。
「母上もメイに会えば気に入るから」
最初は渋っていた夫人だったが、実際に会えば華奢な身体に息子の子が宿っていると思うと無碍にはできなかった。
ここでマクルド以外の子が生まれれば、公爵夫人も手を出した事を後悔したかもしれない。
だが生まれたのは息子にそっくりな男の子。
後継にさえなれる男の子。
しかも初孫。
公爵夫人はみるみるうちにエクスの虜になり、夫に内緒で会いに行き可愛がっていたのだ。
何も知らない公爵とリリミアは言葉を失った。
「お前……、バラム伯爵家を何だと思っているんだ……」
力無く項垂れる夫に、夫人は悪びれもせずに言った。
「だって初孫よ? 男の子よ。マクルドにそっくりなの。しかも優しくて学問も優秀だと聞いたわ。
王太子殿下の覚えも目出度い。
リリミアさんは女の子を生んだきり後が続かない。
エクスを迎えられて良いじゃない」
夫人の言葉はリリミアの希望を打ち砕いた。
「お義母様は……あの子をお認めになるのですか……?」
「え? ……ええ、男の子ですもの」
「マクルド様があの子を後継にしようとしても……?」
「それは本当か!?」
公爵は驚きに目を見張った。
対して夫人は表情が明るい。
「ああ、いいわね。あの子はとても優秀だからきっとカリバー公爵家を盛り立ててくれるわ」
「庶子だぞ!?」
「リリミアさんの養子に入れたらいいじゃない。マキナも気に入ってるなら問題無いわ」
「お義母様……」
リリミアはマクルドの両親に話をし、共感を得たかった。
だが公爵夫人はエクスに傾倒し、リリミアを蔑ろにするマクルドと同じ考えのようで落胆した。
むしろエクスの存在を肯定し、知っていながら笑って接していた事に嫌悪感が生まれた。
「すまないリリミア。私達の方で話し合う必要があるようだ。
マクルドとの離縁もできるように動いてみよう。
今日のところは帰ってもらえるかな?」
「……かしこまりました」
リリミアは何も言わずその場を後にした。
(頼みの綱だったご両親にも、助けを求められないわね……)
リリミアはマクルドの両親が好きだった。
ちょっと気弱な公爵、公爵が愛してやまない公爵夫人。
力関係は夫人の方が上だ。
今回公爵が話し合ったとて、最終的に夫人に言いくるめられるだろうと予想した。
だから、もう二人には頼れないと思った。
結婚前に子がいた事を良かったと言える公爵夫人が怖かった。
リリミアと同じ正妻の立場なのに、彼女の気持ちを思いやることの無い夫人に不信感しか無かった。
また一人、二人、味方がいなくなった……と、リリミアは帰りの馬車の中で一人静かに涙した。