3.人身御供
リリミアは王城に手紙を出した。
忙しい事は分かってはいるが、一番の友人に聞いてほしかった。
それは王太子妃ヴィアレット。
メイの事で二人で相談し、慰め合ううちにいつしか意気投合し今では無二の親友となったのだ。
数日後、ヴィアレットとの面会叶いリリミアは登城した。
「よく来たわね」
「お忙しい中お時間を作って頂きありがとうございます」
「堅苦しい挨拶はいいわ。私と貴女の仲だもの」
王太子妃となっても、学園にいた頃から変わらない柔らかな笑みを浮かべるヴィアレットに、リリミアもつられて柔らかな笑みを浮かべた。
「それで、相談というのは?」
リリミアは何から話せば良いのか躊躇い、顔を俯けた。
夫に隠し子がいた事、離れに愛人とその子を住まわせる事、娘を差し置いて隠し子を後継ぎに据えようとしている事。
社交界で醜聞になる話題だからおいそれとは口にできない。
これが罷り通るなら国が荒れるのは必定。
正妻の権利すら脅かされるものだ。
そう思い、リリミアはヴィアレットに向き直った。
「メイ・クイン男爵令嬢を覚えてる?」
その名前にヴィアレットはピクリと反応し、持っていたカップを微かに揺らした。
「……ええ。忘れたくても忘れられない、忌々しい名前だわ」
カップをソーサーに戻し、ヴィアレットは口にするのもおぞましいと言わんばかりに顔をしかめた。
今更聞きたくもない名前が出た事に気楽な話では無いと察し、ヴィアレットは使用人を下がらせた。
「彼女が今公爵邸の離れにいるわ」
リリミアの言葉にヴィアレットは目を見開き、みるみるうちに眉を釣り上げた。
「どういう事よ……。彼女は……国外に、行ったと……!!」
王太子ランスロットとヴィアレットは政略結婚だ。
だがヴィアレットはランスロットを愛していた。
だから学園に通っていた時、ランスロットがメイを侍らせている事にずっと心を痛めていたのだ。
婚約を解消し、メイをランスロットの妃にした方が良いと身を引こうとした事もある。
だがその度に仲が良かった頃の思い出に縋り、またランスロットも謝罪し甘く囁き続けた為最終的に結婚に頷いたのだ。
「メイは二人の子息を婚約破棄に追い込んでしまったからね。反省の意味も込めて国外追放刑が下されたよ。
もうきみを煩わせるものは何も無い」
ランスロットはそう言ってヴィアレットを抱き締めた。
彼女はそれを信じていたのだ。
結婚してからというもの、ランスロットとの仲は良好で、三人の子にも恵まれている。
リリミアから見ても二人の仲は愛し合う夫婦そのものだと思っていた。
友人としても、臣下としても、尊敬していた。
「それでね、レット。……言いにくいのだけれど、王太子殿下が……先日うちにいらっしゃったわ。勿論、離れにね……」
「……そん、な……」
最近ランスロットがカリバー公爵家に泊まった日があった事をヴィアレットはすぐに思い至った。
そこに憎き相手がいる事を思えば何をするかなど容易に想像できる。
ヴィアレットは思わずハンカチを取り出し口元を覆った。
「……ずっと、騙されていたのね……」
悲痛に歪められた顔に、リリミアは目を伏せ少し温くなったお茶を口に含んだ。
「それでね、……夫とメイ・クインの間には子どもまでいたの。
結婚前にできた子どもよ。夫はその子を後継にすると言っているわ」
「……まさか!? 正気なの?」
「正気ではないのかもしれないわ。
でも、それを唆したのは王太子殿下なのよ」
ヴィアレットの瞳が驚愕で見開いていく。
婚外子を後継にする。
正妻の権利を無視した考えが公になれば、どれだけ社交界から反発があるか分からない。
それを先導するのが王家など、あってはならない問題だ。
「……何を考えているのあの方は……」
ヴィアレットは思わず頭を抱え、溜息を吐いた。
「レット、私は夫と離縁したいと考えているわ」
リリミアの言葉にヴィアレットは顔を上げた。
その瞳には決意が宿る。
「マキナは……どうするの……」
その言葉にリリミアは悲しげに微笑んだ。
「……私が隠し子の存在を知る前に、マキナはその子の事を知っていたの。
今では兄と慕って離れに入り浸っているわ」
ヴィアレットは言葉を失った。
その言葉だけでリリミアが夫に裏切られただけでなく、娘すらも奪われてしまった絶望に晒されているのが分かったからだ。
「あの子に弟妹を作ってあげられなかった。
でも、可愛がってくれる兄ができたのよ。
無邪気に兄と呼んで……とても慕っているわ」
夫が愛人に夢中になり、娘だけはリリミアの味方でいるはずだったがそれすら奪われて。
「だから、離縁できたらあの子は置いていくつもりよ」
その決断が母としてどれだけ辛いかヴィアレットは自分の事のように苦しくなった。
そして――離縁できるリリミアが羨ましかった。
王太子の離縁は認められていない。
夫が嘘を吐き現在も裏切っていようが、ランスロットとヴィアレットは離縁できない。
王太子でなければ話は別だが。
今まで良き夫で、三人の父で、愛する男が、裏では自分を裏切りかつて自分を惨めな気持ちにさせた女性と共に過ごしていると知っても。
だから、離縁したいと望み、おそらくそのとおりになるだろう彼女が妬ましかった。
けれど、我が子を手放す事は同じ女性として、母として、辛い事が痛い程理解できる。
それ程まで苦しんでいるのだと思えば、自分が離縁できない事などちっぽけに思えた。
ヴィアレットには子どもたちがいる。
例え夫の愛が他に向いても、彼女を母と慕う子どもたちがいるのだ。
「王太子殿下と話してみるわ。社交界への影響も含めて。
どれだけ愚かしい事をしようとしているのか、説得してみる」
「レット……。ありがとう……」
けれど、ヴィアレットの説得は何の役にも立たなかった。
メイの事を責め立てればランスロットは開き直り、メイを庇ったのだ。
「彼女はかわいそうな身なんだ。きみは恵まれているから分からないだろうが、このまま日陰の身で良いわけがない」
「だから彼女がそれを望んだのでしょう?
何故貴方が庇う必要があるの?」
「メイは慎ましいだけなんだ。何も贅沢を望むわけではない」
「人の家庭を壊しかけておいて何が慎ましいと言うの」
「公爵家がどうにかなったわけじゃないだろう?」
「リリミアは離縁したいそうよ」
そこまで言うとランスロットは眉間にシワを寄せた。
「……王太子の側近の夫人が愛人がいるくらいで離縁したいなんて外聞が悪い。
離縁は認められないだろう」
「そんな……」
ヴィアレットは絶句した。
側近の家庭に介入し、外聞が悪いというだけで離縁を認めないと言う王太子に失望した。
「リリミアの気持ちは誰が汲むと言うの……」
「マクルドも正妻はリリミア夫人しかいないと言っている。俺だってそうだ。
王妃になるのはきみしかいないと思っているから結婚したんだ」
そうして抱き締められ、口付けられる。
ヴィアレットは疑問に思いながらもそれを受け入れた。
結局未だにメイと繋がっていることへの謝罪も無く、裏切っている事への説明もただ「彼女がかわいそうだから」というだけで終わった。
けれど、夫が頻繁に公爵邸へ行き、帰城が深夜になる事が増えた。
それがヴィアレットの心を疲弊させていく。
「ねえ、ちゃんとメイを貴方の夫に捕まえさせておいてよ……」
リリミアに放った一言がどれだけ彼女の心を抉ったのかも、自分で気付かないくらいにヴィアレットもまた、追い詰められていったのだ。