10.今も苦しいまま
時戻りをして、リリミアと結婚できたがマキナを授かれず、初夜含め共寝すらできないマクルドは、毎日虚しく一人寝をしていた。
学園時代にメイに魅了されリリミアを蔑ろにしていたからというだけでは彼女の態度は厳し過ぎると、彼は悶々と過ごしていた。
触れる事すらままならないのはマクルドがメイと肉体関係まで進んでいたから。
その証拠にクロスという息子が生まれ、孤児院に預けられたはずがリリミアにより引き取られた。
自分が知らない間に両親まで言いくるめられリリミアとの間には子は儲けない事を念押された。
公爵家はそれで良いかもしれない。
庶子ではあるが公爵家の血を引く子が公爵家を継ぐのだから。
だがバラム伯爵家は納得しているのだろうか。
時戻り前のバラム伯爵はエクスを後継にする、庶子でも後を継げるような法律を整えようとしている事を告げると国が荒れると言った。
あの時のマクルドたち四人はメイに侍り魅了の影響を色濃く受けていた為正常な判断ができない状態ではあった。
メイが上目遣いに瞳を潤ませれば望む物を与えてやり、胸を押し付けてくれば欲望が増幅し四人で代わる代わるメイを抱いた。
冷静になれば異常だと分かる。
男四人で一人の女性を、などとよくもできたものだとマクルドは思い出しては吐き気をもよおし、自己嫌悪に苛まれた。
生来のマクルドはリリミアを婚約者として尊重し、愛人を作るなど以ての外だと思っていたのだ。
だがメイに出会い魅了され若さも手伝いその欲に溺れた。
結婚まで触れるだけの口付けのみに留めていたリリミアとは違い、男としての欲求を悦んで受け入れるメイに夢中になった。
リリミアは正妻として地位があるだけ幸せだ。
メイは美しいのに日陰の身で子どもと二人何も望まず健気に生きている。
それが不憫で何でもしてあげたい、喜ばせたいとばかり思っていた。
そうしてかわいそうだからとメイばかりを優先した結果、公爵領地の経営全てをリリミアに押し付け、それで得た収益も王太子の側近として得た給金も全てメイの為エクスの為に費やした。
遺品整理する時、リリミアのクローゼットの中身を見て愕然としたのは己がしてきた事がどれだけ罪深いか思い知った為。
何年も型落ちした着古したドレスが数着。
リリミアが執務の合間をぬって解れも直していたとメイドは言った。
リリミアが亡くなった時、使用人は全盛期の半分にまで減っていた。
そのうちの1/4がリリミアを監視する為だけの人員。
だから広い公爵邸で手が回らず、リリミア自身でするしかなかったのだと涙ながらに訴えられた。
片や離れにぎゅうぎゅうに押し詰めるようにして収納されたドレスは数え切れない程。
アクセサリーも夜会の度、震える健気な姿で「何もいらないの……」と言われる度に買い与え着飾っていたからそれだけで部屋の一画が埋まる程だった。
メイが来るまでにリリミアに贈った宝石などはほんの一握りしか残っておらず、その行方を執事に聞けばメイに貢ぎ過ぎて経営が圧迫していた為リリミアの私物を売り使用人の給与にしていたと言う。
執務室の隣にある仮眠室で眠るようになり、いつも寝不足で隈ができていたリリミアを省みる事はついぞなかった。
バラム伯爵家から帰って来て、このままではリリミアを失ってしまうとどこかで思っていたのか、社交もメイに任せる口実とばかりに外出を禁止し、実質監禁状態にあったリリミアは実家に頼る事もできず、ずっと独りで苦しみ死なせてしまった。
リリミアが監禁されてからは公爵位もマクルドが無理矢理移譲させた為彼の両親も役には立たなかった。
だから今度こそはと意気込みはしたが、償う機会さえ与えられず、むしろ悪化している事にマクルドは言い知れぬ虚しさを感じていた。
今世ではランスロットは勿論、ガウエンも結婚した。
だがランスロットが王太子ではなくなった事、また一度婚約破棄をしたガウエンとエールが実家から監視されている事もあり、四人で集まる機会は無い。
前回ならば王太子ランスロットの側近であるマクルド、護衛騎士のガウエン、御用達商人エールと集う機会はいくらでもあり――メイを共有していた。
今回はメイもいない、集う機会も無い、両親は露骨に目を逸らし関わりたくないという態度。
マクルドは実質孤独に今を耐えていた。
愛人なんて作れなかった。
愛人を作れば最後、即離縁されるからマクルドは独り耐えるしかなかった。
それに、誰でも良いわけではない。
マクルドはリリミアの愛を取り戻したいのだ。
リリミア以外から愛されても虚しいだけだ。
(時を戻る前のリリミアはこんな気持ちだったのだろうか)
マクルドは、ベッドの上で何度も寝返りを打ち、眠れぬ夜を過ごしている。
バラム伯爵領地邸で用意された客間の寝具の寝心地は何も無ければ快適だろう。
だが彼はどうやっても眠りが来なかった。
その原因は最初に出迎えたアーサーの存在。
リリミアは仲良しの友人と答えた。
近過ぎる距離を指摘すれば、マクルドに裏切られたリリミアがかわいそうだからそばにいるのだと返された。
それはまるで、時戻り前に彼がリリミアに散々言われ、散々言い訳してきたものと同じ言葉だ。
(リリミアは……あの男と過ごしているのだろうか……)
マクルドはがばりと起き上がる。
言い知れぬ不安が襲って来る。
薄暗い廊下をランプを持って足早に急ぐ。
リリミアの泊まる部屋を目指して。
(もしも)
リリミアはマクルドがメイにしていたように自分も好きにすると言っていた。
時戻り前も含めているとしたら。
知らず足が速くなる。
比例するように鼓動も速くなる。
半ばパニックになりながら、マクルドはリリミアの寝ている客間へ足を向けた。
目的の場所に着くとリリミアはいなかった。
ベッドにはデウスとクロスが眠っている。
二人は何の遠慮も無くリリミアと寝れる事にマクルドは思わず顔を歪めた。
夜中の手洗いかと少しの間待ってはみたがリリミアは戻って来ない。
マクルドは音も無く客間から出て、もう少し探して見つからなければ自室に戻る事にした。
月明かりに照らされた廊下は静かで、誰もいない事が怖くもあり心細くあった。
時戻り前、リリミアはこんな夜をいくつ過ごしたのだろう。
独りで夫婦の寝室を使い、愛人のもとへ入り浸る夫を待ち――どれだけ涙を流したのだろう。
もしもリリミアの愛人がアーサーでも、遠くにいるから普段は会う事はできない。
マクルドとメイは離れに来てからは毎日――。
マクルドは思い出しては歯噛みする。
自分がしてきた事はリリミアを傷付けすぎて何をしても許されないのではないかと感じていた。
フラフラと歩いていると、ある部屋の扉が開いており、そこから明かりが漏れていた。
微かだが話し声もする。
止めておけと内なる声がするがマクルドはそちらに歩を進めた。
「デウスは元気いっぱいね」
「ああ。使用人たちに可愛がられてイタズラばかりで手を焼くけどな」
リリミアとアーサーの声だった。
心臓が嫌な音を立てながらマクルドは扉の外で聞き耳を立てる。
「あの子には寂しい思いをさせてしまって申し訳無いわ」
「……来た時に『がんばったね』って頭を撫でてやってくれ」
「本当なら毎日してあげたいわ。だって」
リリミアが発した言葉にマクルドは息を呑んだ。
ドックドックと鼓動は嫌な音を大きくした。
「マクルド様にされた事を返したい。
本当ならあの女にも返したかった。
クロスに罪は無いかもしれないけれど、無害を装った女の生んだ子だと思うと時折苦しめてやりたい気持ちが湧き上がって来るの」
「リリミア……」
「ねえアーサー。それでもあの子は私を母と慕ってくれる。
された事を忘れない為に引き取ったのに……。
あの子がもっと嫌な子だったら良かった。そしたら何の躊躇いもなくただ恨むだけで良かったのに……」
「そうやって悩むのはきみが子どもたちを愛しているからだよ」
リリミアは泣きながらアーサーに抱き締められた。
『された事を忘れない為に』
その一言で、リリミアもやり直している事が分かりマクルドの足は震え出した。
「あの男の顔を見てると辛かった日々を思い出すわ。
離れで愛人と友人たちとしていたおぞましい事も。
私を見つけると勝ち誇ったような笑みを向けるあの女も。
味方になってくれなかったあの男の両親も、友人も、……娘さえ……」
時戻り前、リリミアに味方はいなかった。
そうさせたのはマクルドだった。
実家との連絡を途絶えさせ、マキナも異母兄に奪わせた。
孤独に追いやったくせに、亡くなった時にどうして死んだのか、なんてよくも言えたものだとマクルドは自嘲した。
「苦しい。苦しいままだわ。
あの人を愛していた事も、裏切られた事も、記憶に残ってる。
同じ年、同じ月日が来ると前回はこうだった、ああだった、って記憶が蘇る。
思い出が楽しければ楽しい程、悲しみに染まっていく。
何も知らずに笑っていた自分が許せなくなるの」
リリミアの本音を知り、マクルドはその場に立ち尽くしたまましばらく動けなかったが、室内が静かになり隙間から覗くと、リリミアは未だアーサーの胸で泣いていた。
アーサーの表情がリリミアに対しての愛しさと優しさに満ちていて、リリミアも彼を拒絶する事無く受け入れていた。
それを見て更にショックを受け、マクルドは震える足を窘め引き摺るようにして離れた。
自室に戻りベッドに突っ伏してシーツを掴む。逃げ帰らずに割って入れば良かった、と思ったが再び行くのも憚られた。
リリミアの本音を聞いても、マクルドは彼女を手放したくない。
アーサーに奪われたくない。
あの場所は自分のものだったのに、と歯噛みする。
デウスがリリミアの生んだ子だと知っても。
時戻り前の記憶があり、リリミアがマクルドに復讐をしているのだとしても、彼女と共にありたい。だから。
「苦しいのは俺の方だ……!!」
愛しているのに分かり合えない。
愛しているのに分かってくれない。
マクルドは限界が近付いていた。