7.義息子クロス
クロスが来てから数年が経過した。
一回目の人生ではエクスと名付けられたクロスは、カリバー公爵家に養子として迎えられリリミアを母と慕いすくすくと成長していった。
すんなりと養子となれたのは、リリミアが受け入れたからだ。
前回は拒絶した為突拍子も無い法案を提出する事態となったが、今回リリミアは快くクロスを受け入れ、その日のうちに書類を提出した。
「婚前子は庶子ではありますが、養子となれば後継者として問題ありませんからね。
血が途絶えた家に養子を迎える事はよくありますし」
とびきりの笑顔のリリミアに、公爵夫妻もマクルドも反論する術を持たなかった。
「母上、これは何でしょうか」
「母上、あまり無理されては倒れてしまいますよ」
「母上、今夜は一緒に寝てもよろしいでしょうか」
「母上、……何でもありません。母上が笑ってくれて僕は嬉しいです」
一回目の人生のようにクロスはとても利発で優しく、人の機微に敏感な子だった。
そのせいか年齢よりも大人びて見えるが、血が繋がっていないリリミアにべったりで何かにつけて母を思いやる男の子だった。
「クロスはリリミア様によく似て賢い子ね。
将来が楽しみだわ」
お茶会で挨拶すると、夫人方から可愛がられた。
クロスは母が悪く言われないように礼儀正しく挨拶をし、子どもたちと仲良く遊んだ。
周りの子の仲裁を買って出たり、自分より小さな子と遊んだり。
あまりにも周りを気遣いすぎるのでリリミアは別の意味で心配するくらいだった。
「クロス、あまり気を遣いすぎて疲れない?」
お茶会が終わり、客人を丁重にお見送りした後、クロスは自室で自主的に勉強をしていた。
「大丈夫です、母上。僕は早く一人前になって母上を守りたいのです。
その為の努力を惜しみたくないから」
夫によく似た瞳で言われ、マクルドを愛していた頃の記憶が蘇る。
『リリミア、きみを守る為に俺は強くなるよ』
そう言われたのはいつの頃だったろうか。
今はもう壊れてしまった彼への想いを思い出す事はできない。
「努力をするのは立派な事よ。でもね、その為に無理をして体を壊しては大変よ」
「でも……僕は……。……庶子だから……頑張らなきゃいけないんだ」
「今はカリバー公爵家の養子になったわよ」
それでもクロスは俯いて膝の上で拳を作った。
幼い頃に孤児院から引き取られた事は知っている。
母と慕うリリミアと血が繋がっていない事も、何故か父であるマクルドと血が繋がっている事も。
それがどういう事なのかも、クロスは分かっている。
「僕は母上から生まれたかった。母上が本当の母だったら良かったのに……」
「クロス……」
瞳を潤ませ、けれど溢れさせたくなくて袖で涙を拭う。
それはまるで自分には泣く資格は無いというように。
「僕がいなければ、母上は自分の子を生めて」
「クロス」
クロスはリリミアに抱き締められ、ハッとした。
「私はね、貴方がいてくれて良かったと思っているわ。
だから自分を悪く言っちゃダメよ」
「母上……」
リリミアはクロスの頭をゆっくりと撫で、ぽろりと溢れた涙を掬った。
「確かにクロスとお母様の間に血の繋がりは無いけれど、お母様はクロスを自分の子と思っているわ。
どこに出しても恥ずかしくない自慢の息子よ」
その瞳は母としての慈愛に満ちている。
リリミアはマクルドとの関係を修復はできないが、クロスは別として育てようと決めている。
「そうだわ、クロス。今度、お母様の実家に一緒に行ってみる?」
「母上の実家?」
「ええ。今まではお母様だけだったけど、クロスも一緒にどう?」
リリミアは休暇と称して一人で実家へ行く事が多々あった。
だから初めて母に誘われ、クロスはそわそわとした。
だが母と血の繋がりが無い自分が行っても良いのかと思うと押し黙ってしまった。
「僕が……行っても良いのでしょうか……」
クロスは自分の境遇を知っている。
だから子どもらしく無邪気に「行きたい」とは言えない。
そう思うとリリミアは悲しげな顔をした。
「いいのよ、クロス。お祖父様もお祖母様も、伯父様も、あなたを待っているわ」
「本当ですか?」
リリミアは微笑み頷いた。
「僕、お母様の実家に行ってみたいです」
それからはリリミアが実家に帰省する際は時折クロスと共に行く事になった。
それはまるで、時戻り前にリリミアを労う為、マクルドがマキナを連れ出すかのようだった。
マクルドは特に反対しなかった。
公爵家の事はきちんとこなしているし、実家に帰りたいと言われれば反対はできない。
実家にいるから愛人と会っているなんて発想も無かった。
それから更に年月は過ぎ、今度はリリミアの領地に行こうと言う。
「伯爵領地は自然に囲まれているのよ。クロスもきっと気に入るわ」
クロスはその話を持ち出した母に、少しの違和感を感じた。
「お母様の領地、行ってみたいです」
「そうこなくっちゃ。シヴァル伯父様にあちらの都合を確認してもらってから一緒に行きましょう」
「二人でですか? 父上は?」
「お父様はお仕事が忙しいだろうから二人で行きましょう。護衛は付くけどね」
「あの子もいるんですよね?」
「ええ、勿論よ」
クロスは少し考えた。――父はあの子に会うべきだと、何故かそう思った。
「僕、家族旅行というものをしてみたいです。
だから都合が合えば父上も一緒に行きたいです」
「え……」
上目遣いに見られ、リリミアは戸惑った。
と同時に憎き女性との血の繋がりを感じて、湧き上がるものを心の内で必死に抑えた。
「ではお父様の都合がつけば一緒に行きましょうか」
「ありがとうございます母上!」
お願いが通ったクロスは心底嬉しそうに笑い、早速お願いして来ると父のもとへ行った。
扉が閉まり、リリミアはそちらへ目を向けた。
能面のような表情は決してクロスへは向けられないもの。
(本当に、忌々しい)
時を経てもなおこびり付くような女の影をリリミアは脳内で切り裂いた。
クロスの事は息子としてかわいいと思っている。
それはリリミアの本心だ。
無事に生まれ、孤児院に預けられたと聞いた時は不安も感じたが、問題無く成長していた事に安堵した。
この子がいなければリリミアはマクルドと後継を儲ける為に閨をしないといけない。
だがリリミアはマクルドに抱かれたくなかった。
愛している気持ちを散々に裏切って踏み躙ったマクルドを未だに許せるはずが無かった。
不貞して、他の女性と子を儲けても対処せず、謝罪もしないマクルドと触れ合う事すら鳥肌が立つ思いだった。
子を生すなど以ての外だった。もしクロスがいなければ、リリミアは逃げる事を選んだかもしれない。
だから、クロスがいてくれて本当に良かったと、リリミアは幸運に感謝した。
マクルドとの子がいない分、クロスを愛せた。
憎い女の血を引く子だが、両親に似ず賢く思慮深い子だからリリミアは我が子のように愛情を注いだ。
自分の望む未来の為、誰にも文句を言わせないように次期公爵後継者として大切に育てようと思っていた。
それでも相反するものはふとした時に湧き起こる。
リリミアは一度目を閉じ、深呼吸をし、もう一度脳内で引き裂いた。
「母上、父上も一緒に行けるそうです」
クロスが満面の笑みで知らせを持って来た頃には、母として、淑女としての表情を作れるくらいには平静になっていた。




