3.時戻りの代償
あの日から一年後、リリミアは王都に帰還した。
心痛が無くなったせいか晴れやかな表情の彼女は頬に赤みが差し、荒れかけた唇もつやつや。
食が細くなっていたが体型は元通り。
髪の手入れも怠らずサラサラになり女性としての魅力に溢れていた。
婚約は解消されず、リリミアは学園復帰して一年後に卒業する。
それからマクルドと結婚する事になっているのだ。
王都に戻ったリリミアとはほぼ交流できなかった。
長期休暇すら彼女は領地へ行き、まともに会えたのは三回のみ。
短い時間のお茶会で会話らしい会話も無かった。
手紙を出しても返事は無い。
リリミアからはメイと共にいた二年間と同じ事をきっちりと返された。
違いはマクルドの見える範囲にはリリミアの愛人らしき男がいない事。
周辺をあたってみたがそれらしき人物もおらず、結局杞憂だったと胸を撫で下ろした。
だから、結婚してから誠心誠意尽くそうと決めていた。
つまり婚約中に、彼は何もしなかったのだ。
「リリミア夫人……、いや、まだ令嬢だったな。
何だか一皮剥けたように美しくなったな」
ランスロットがマクルドに呟くと、マクルドはきっと彼を睨んだ。
メイは亡くなったとはいえランスロットが魅了の魔法の封印を解いた事は変わりなく、独断でそのような事をしたため廃太子となっていたが、王子であるゆえ身分はまだランスロットが上。
それもお構いなしにマクルドはランスロットを牽制した。
「リリミアは本来なら美しくて優しい女性なんだ」
「前回はそんな彼女を蔑ろにしたけどな」
ランスロットの言葉にマクルドは唇を引き結んだ。
魅了されていたせいだ、とメイのせいにしたかったが、それだけではないというのは誰しもが思う事。
結局リリミアの愛に胡座をかき、与え続けられるものを享受するだけで返したりはしなかったのだから。
最後に見たリリミアは地味なドレスを着て痩せ細り、抱き心地も悪かった。
だがそれでも滾ったのはリリミアを愛していたから。
(ああ、けれど)
マクルドの中で燻る欲はリリミアへの愛を凌駕する。
だがそれを満たす事はもう無い。
それでも今度こそリリミアを愛したい、幸せにしなければ。
相反する想いを抑え込み――マクルドはリリミアを深く想った。
「今度こそは絶対に幸せにしてみせる。
その為に……」
メイの産んだ子の行方は分からない。
だが今掴んだとて再びリリミアに離縁を言われかねないとそのままにしている。
リリミアの愛を取り戻し、無事マキナを産んでもらい、その後落ち着いてから迎えても良いだろう。
マクルドは未だ諦めていない。
時戻りの前にエクスから言われた事は頭の奥で引っ掛かってはいるが、メイの忘れ形見でもあるのだ。
忘れられるはずが無い。
――あんなに幸せだった――
マクルドは己の内に湧いた感情に背筋が凍った。
魅了されていただけだと思っていたが、メイと過ごすうちに情でも湧いたのだろうかと頭を振った。
メイは死んだ。
前回は処刑された。そして今回は呆気なく。
魔塔に幽閉されている間、メイを助けたい気持ちは治療により無くなったはずだった。
リリミアが亡くなり喪失感でいっぱいになりメイへの気持ちは断ち切ったはずなのに、彼の中に執拗くメイの残骸がこびりついているようでマクルドはイライラしていた。
「……なあ、ランスロット」
「なんだ」
「魅了は……解けたんだよな」
マクルドは胸を押さえたままイライラをやり過ごしていた。
「……そのはずだ」
問われたランスロットも、眉をひそめ答えた。
「だが」
ランスロットは目を細め、表情を歪めた。
「どうしてだろうな。
愛していたはずのレッティより、メイを欲してしまう」
その言葉にマクルドは息を呑んだ。
時戻りの対価として、ランスロットは妻だったヴィアレットへの愛を捧げた。
時戻りから覚醒した時、ヴィアレットへの愛しい気持ちはさっぱり消え、その消えた場所へ大きくメイが入り込んでいたのだ。
だからランスロットは婚姻前にメイを抱いた。
既に妊娠していたメイは新たに妊娠する事は無い。
知っていたから抱けたし、処刑する前に若い時のメイを好きにしたかった。
最後だと思うと燃え上がり、また一対一という事もあり、いつも以上に激しくなった。
マクルドたちが覚醒するまで、彼は何度もメイを好きにしていたのだ。
だがヴィアレットへの愛は消えても子どもたちへの愛はあった。
子どもたちの為にもヴィアレットとの婚姻は必須。
だからランスロットはメイを切り捨てた。
けれど。
いなくなれば惜しいもの。
二度と会えないと思えば余計に欲しくなるもの。
妻への愛の代わりに、メイへの慕情が湧き大きくなっていた。
「メイはいないしレッティと結婚して子を儲けねば子どもたちに会えない。
会えなければ身勝手に時戻りした俺はあの子たちの未来を奪う事になる」
彼らとて一応父親だった。
子どもへの愛情は残っている。
親として、生まれていたはずの存在を失くした責任は再び生む事で償いたい。
それには子を生む女性と結婚しなければならないのだ。
――妻への愛が無くても。
亡くなった女性を想っていても。
「ランスロット殿下、貴方の献身、無駄には致しません。今生ではリリミアを幸せにします。
時を戻して後悔しない為にも。良かったと言えるように。
私はこれからリリミアに尽くしていきます。
御身を離れる事をお許し下さい」
マクルドはリリミアに接する時間を作ろうと、ランスロットの側近を辞める事にした。
王太子でなくなった彼は執務は減っている。マクルドが抜けたところでダメージは少ない。
「夫人を大切にしろ」
マクルドは頷き、丁寧に辞去の一礼をした。
その後ランスロットはヴィアレットと結婚した。
特にメイとの事を言われなかったから婚約はそのまま継続され、彼の思惑通り事が進んだ。
「王太子でなくなっても、貴方を愛しているのです」
ヴィアレットは微笑んだがランスロットは何も感じなかった。
時戻りの前は愛しいと感じていたはずだ。
彼女で良かったと結婚してからも思っていた。
メイと刺激的な夜を過ごしても、あくまでも愛しているのはヴィアレットで子どもたちだった。
メイで発散させるから妻に優しくできたし、惜しみなく愛を注げたのだ。
だが。
今のランスロットにはヴィアレットへの愛は生まれない。
時戻りで彼女への愛を捧げた後、その空いた穴をうめるようにメイを愛してしまったから。
その愛に上書きはできない。
だからヴィアレットを再び愛せない。
けれど子どもは産んで貰わねばならない。
ランスロットはヴィアレットへ極力優しく接した。
しかし――
二人の間に、子どもは一人しか授からなかった。
理由は簡単。
ヴィアレットを愛せないランスロットは、メイの代わりを他に求めた。
妻が妊娠中、愛妾を囲い出したのだ。
しかしメイではない。メイには敵わない。
奔放で、身体の相性も良く、焦らし、応え、満足させてくれるメイと比べ満足できない。
失ったものを求めるように次から次へと愛妾を取っ替え引っ替え、さすがのヴィアレットも愛想を尽かした。
嫡男が生まれる頃にはランスロットとの離縁を申請したが、彼はこれを拒否した。
あと二人産んで貰わねばならないと言い、ヴィアレットの気持ちを無視した。
それがどんな結末を招くかなんて、ランスロットには分からない。
ただ、時戻りの代償は彼を幸せには導かなった。