99、望み
魔導師になって初めて使用が許可される魔術がいくつかある。代表的なものが追跡の魔術と尋問の魔術だ。
入隊2日目の朝、僕はその尋問の魔術の被験者になっていた。他人に使う前に自分が経験すべし、という鉄則が自警団にあるらしい。
僕はまず、エーゼルに短い言葉が書かれたメモを渡された。次に彼は「何を聞かれても絶対にその言葉を明かすな」と指示してから、僕に尋問の魔術を使った。
心が負の感情に支配されるというのはこれほどに苦しいものなのか。僕はもう、さっさとエーゼルの質問に答えて解放してもらいたいとしか思えなかった。気付けば勝手に口が動いていた。
「どうだ? 最悪の気分だろ」
エーゼルはぐったりと俯いている僕に、コップの水を差し出しながらそう言った。
「尋問の相手がどの程度反抗的かによって、魔術の強さは使い分ける。今のは結構強い方だ」
「……人には使いたくない魔術です」
僕は正直な感想を言った。他人をこんな状態にしてしまうなんて、少し恐ろしさを感じる。エーゼルは軽く頷き、言った。
「それが分かれば十分だよ。相手が誰であれ、俺たちは魔力を持つ自分が優位だと錯覚しないよう注意する必要がある。さ、今度はお前が俺にやってみろ。やり方は説明した通りだ」
そして僕は、罪悪感を持ちながらエーゼルに尋問の魔術を使った。彼は顔を真っ青にし、真実ではなく胃の中身を吐いてしまった。
「お前……、使いたくないと言った割にはかなりの強さでやりやがったな」
おろおろする僕を前に、彼は口元を拭いつつ笑うのだった。
「すみませんでした……」
「いい。最初は誰でもこんなもんだよ。練習あるのみだ。同期とやるのが普通だが、うちの隊長も喜んで練習台になってくれるぞ。魔術が全く効かないから、冷静に分析してくれる」
「効かない、なんて人もいるんですか?」
「ああ。堪えているとかじゃなくて、本当に効かないんだ。治療の魔術も効かないってことだから、諸刃の剣でもあるんだけどな。身近で言うなら、ラシャも効きにくい体質だ」
確かにラシャはそんなことを言っていた。魔術が効きにくいから、精神の治療に時間が掛かっているのだと。とするとそんな彼の腕を治したレナ院長は、相当凄い医務官ということになる。
「さっきの感じだと、ベスは普通だ。魔術が効きやすくも効きにくくもない。どちらにせよ怪我はしないのが一番だよ。医務官がいるからと無茶な真似はするべきじゃない。……ほら、次はナシルンの使い方だ。行くぞ」
エーゼルは明るく言って、僕を部屋から連れ出すのだった。
廊下を歩きながらふと考える。僕はエーゼルについて、30歳という年齢と、新人の頃からずっと第一隊にいるということしか知らない。指導係なのだし、彼について少しくらい聞いてみてもいいだろうか。
「あの……」
「なんだ?」
彼は足を止めずに振り向いた。
「エーゼルさんは、どちらの出身ですか?」
「キペルの南2区だ。都会とも田舎ともいえない、微妙な所だよ」
はは、と彼は笑った。
「そういえば何も話してなかったな。忙しいとお互いを知ることを忘れがちになる。聞きたいことがあるなら今のうちに、どうぞ」
「あ、はい。どうしてエーゼルさんは、僕の指導係に?」
ずっと気になっていたことを尋ねた。ラシャは本人が志願したからだと知っているが、エーゼルはどうなのだろう。経験年数的に、とかだろうか。
彼は軽く肩をすくめて答えた。
「カイ副隊長の命令さ。生意気にも、俺になら安心して任せられるとかなんとか……。困ったことがあるなら遠慮なく俺を頼ってくれよ、ベス。何でも一人で抱え込む癖があるとチェス教官からの報告にあったぞ」
「えっ……」
自警団が新人の配属先を決定する際に使用する調査書があるとは聞いていたが、そんなことまで書いてあるとは。
「結構詳細に書いてあった。ハニー・シュープスが好きなんだろ? それが飲めるバル、知ってるぜ」
「未成年がバルに入ってもいいんですか?」
「あれ、知らないのか。自警団立寄所になっている店で、かつ成人と一緒なら許されるんだ。20時までだし、もちろん酒は禁止だけど。今度、行ってみるか?」
僕は今までの人生でバルに入ったことはないが、もしかして少数派なのだろうか。エーゼルの話を聞いて少しわくわくしていた。
「はい、是非」
「お、乗りがいいね。じゃあ、無事に『地獄行き』を乗り越えたら連れて行ってやる」
彼の口から唐突に不穏な言葉が出てきた。
「地獄行き……?」
「ああ、これは俗称だな。3月から新人に課される訓練のことだよ。かなり厳しいからそんな名前が付いている」
学生時代、先輩が話していた訓練のことだろう。これを乗り越えてようやく自警団の魔導師を名乗れるらしい。
「まあ、既に色々乗り越えてきたお前なら大丈夫だ。地獄行きまでに、俺も教えられることは全て教えるつもりでいるし。第一隊の看板背負って行ってこい」
エーゼルはそう言って僕にプレッシャーを掛け、先を行くのだった。
午後はラシャに追跡の魔術の指導を受けた。今まで他の隊員たちが易易と使っているのを見ていたから、それほど難しくはないのだと高を括っていた。が、それは大きな勘違いだったようだ。
追跡の魔術の初歩は、地面に残された足跡を利用し、追跡対象が現在目にしている光景を覗き見る、というものだった。ラシャは本部の外に出て、水溜りで靴を濡らしてから通路の上を歩く。足跡がそこにはっきりと残る。
「これ、乾いて消えたり、他の人の足跡が重なったりすると追跡の魔術は使えなくなる。後は追跡対象の意識が無い場合も使えない」
彼は足跡を指差して説明した。
「使える場面、結構限られるんですね」
「そう。だから早目に次の段階の技を使えるようになってほしいんだ。じゃ、早速やってみよう」
僕は事前に教わった通り、地面に屈んでラシャの足跡に触れる。本来であれば彼が今見ている光景が僕にも見えるはずだったが、何も見えなかった。
「指先に集中して。尋問の魔術と同じで、そこに相手がいると思ってやってごらん」
助言を受けて再度挑戦する。微かに見えたが、焦点の合わないぼやけた光景だ。これでは対象がどこにいるのかちっとも分からない。
「もう一度。ああ、それと、追跡の魔術を使っていることを相手に気付かれてはいけない。今のだとバレバレだ。気配を消しながらやってみて」
新人の僕には無理難題だが、ラシャの視線は容赦ない。それからみっちり2時間、僕は地面にへばり付いて追跡の魔術を練習していた。足跡が乾き始めるとラシャは何度でも新たなものを付け、真顔で「もう一度」と言うのだ。想像以上のスパルタだった。
そのおかげか、初歩はようやく会得することが出来た。ずっと同じ体勢でいたせいで体中が痛む。立ち上がるのも一苦労だ。
「この短時間で出来るなんてすごいよ、ベス。本当は3日くらい掛けて教えるものだけど、今の第一隊にそんな余裕はない。休憩したら次の段階に行こう。可能ならその次も行きたいね。寝る時間までには終わらせるつもり」
ようやく見せてくれた笑顔で、ラシャは非道なことを言うのだった。
時刻は夜9時を回っていた。ラシャの宣言通り、ずっと追跡の魔術の特訓を受けていたのだ。おかげで第二段階まで進むことが出来た。
第二段階は魔術によって造られた蝶が対象を追うというものだった。それほどスピードはないが、初歩よりは使える場面が増える。段階を踏むごとに速い生物へと変わり、蝶の次は燕、その次は隼になるそうだ。蝶から燕へは割と早く進化するが、隼になるまでにはかなりの鍛錬が必要とのことだった。
僕は取り置きしておいてもらった夕食を薄暗い食堂で掻き込み、シャワーで汗を流し、部屋のベッドに倒れ込む。ものの数秒で意識が飛んだ。
そして夢を見た。僕は鏡の前に立っている。見返してくるのは自警団の制服姿の僕だ。学生時代とはずいぶん見違えるものだなとしばらく眺めていると、ふと違和感を覚えた。僕は視線を動かしているのに、鏡の中の目はじっとこちらを見たまま動かないのだ。
「あ、気付いちゃった」
鏡の僕が笑った。その正体が分かり、嬉しさで目頭が熱くなる。
「……ジョエル?」
「泣かないでよ、ミシェル。せっかく会えたのに」
彼は不満そうに口を尖らせた。表情がころころと変わるところは、僕と反対なのかもしれない。
「でもこれ、夢だろ。都合が良い僕の妄想だ」
震える声で言うと、ジョエルは首を横に振った。
「そこまで自分に厳しくなくてもいいんじゃない? この世には不思議なことだってあるよ。僕が会いたいから、会いに来たんだ」
「だって、死者は歳を取るの……?」
「もちろん。一緒に歳を取りたいと思ってくれる人がいるなら」
ジョエルは僕を指差した。
「ずっと一緒にいるって、グレーン乳児院の跡地で言ってくれたよね」
「聞こえてたんだ……」
「うん。僕はミシェルのことなら何でも知っている。そう、お風呂とかトイレの中まで見てるよ」
「それはちょっと、というか、凄く嫌だ」
思わずそう言うとジョエルは笑い、僕もつられて笑う。そういえば以前に、彼が生きていたら軽口を言って笑い合ったりしていただろうかと考えたことがある。叶わないと思っていたことが不意に実現し、嬉しかった。
ジョエルはひとしきり笑った後、ふうと息を吐いて真面目な顔になった。
「冗談だよ。もう15歳、いや、誕生日が来たから16歳か。それくらい弁えてる。……ねえ、ミシェル」
「なに?」
「僕はもう君の前には現れないよ」
どうして、と咄嗟に口から出た。ジョエルは僕の目を真っ直ぐに見ながらこう言った。
「君はベス・M・ガレットという一人の人間だから。いつまでも僕に囚われていちゃ駄目だ」
「囚われてなんか――」
「僕はそっちの世界には存在しない。魔術も使えないし奇跡も起こせない。命の危険から君を守ることは、もう出来ないんだ」
僕の言葉を遮り、ジョエルはきっぱりと言った。
「この先、君が第一隊で命懸けの任務に当たるとき、僕の存在が油断に繋がることだってある。そうでしょ、ミシェル。生きるか死ぬかの場面で僕に頼ってはいけないよ。その身体は君のもので、その命の責任も君にある」
僕は何も言い返すことが出来なかった。僕の命はあの放火事件の日、ジョエルに救われた命。彼の言葉は痛いほどに理解しているのだ。代わりに溢れた涙が、静かに頬を伝っていた。
ジョエルは優しく微笑み、こう続けた。
「ミシェルはまだまだこっちに来なくていいよ。僕はね、背中を押しに来たんだ。君が君の人生を生きられるように。僕もお母さんもミシェルの幸せだけが望みだから。自分だけ、なんて罪悪感は持たなくていい。前にそう思ったこと、あるでしょ」
シェリーの結婚パーティーのときだ。ジョエルは本当に僕のことを見ていたらしい。
「うん……」
掠れた声で答えると、ジョエルは心配そうに眉尻を下げた。
「君は優し過ぎる。顔は僕と同じだけど、性格の配分は違ったみたいだね」
「ジョエルまでそれを言うんだ。魔導師、向いてないと思う?」
あまりにも言われることだから、少し笑ってしまった。ジョエルもくすりと笑ってこう返した。
「そんなことない。ミシェルの天職だ。たぶん、1年後には君自身もそう思っているはず。僕は一番近くで応援しているよ。それを忘れないで」
そう言ってジョエルがすっと伸ばした手は、鏡面を超えて僕の手に触れた。彼は僕の掌に、指先で星を描く。彼が何をする気なのかはもう分かっている。涙が再び僕の視界を曇らせた。
「しっかり握って。強く生きていけるように」
僕が言われた通りに拳を握ると、ジョエルはそれを両手で優しく包み込んだ。幻ではない温かさがそこにある。これはきっと、僕の妄想なんかではない。
微笑みながら見つめ返してくる彼の目にもまた、涙が光っていた。
「僕はミシェルのことが大好きだよ。生まれた瞬間からずっと」
「知ってる。あの日、命懸けで守ってくれたんだから。ありがとう。僕もジョエルが大好きだよ」
顔は涙でぐしゃぐしゃでも、自然と笑うことが出来た。
「それなら良かった。それじゃ、僕はもう行くからね。目を閉じて」
僕はジョエルの笑顔を目に焼き付けてから、ゆっくりと目蓋を閉じた。僕の拳を包む彼の手に、ぎゅっと力がこもった。
「幸せになーれ」
僕が最も望んだ人の声で、最も欲しかった言葉が、優しく耳に響いていた。
次回、最終話です。




