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97、いたずら

「えっ……。つまり、ジョエルの霊態が消えたってことですか?」


 動揺で声が震えた。もしそうだとしたら、もう僕の中にジョエルはいないのか。半身を千切られたくらいの苦しい気分だった。


「それを今から確認する。片手を出して」


 エスカは毅然とした態度だ。僕は指示通り片手を差し出す。彼はそこに自分の手を翳して数秒黙っていたが、やがて手を引っ込め、こう言った。


「……やはり一人分しかない。だが以前に俺が確認した君の霊態でも、ジョエルの霊態でもない。全く新しいものだ」


「どういうことでしょうか?」


「恐らく、二つが融合して一つの新しい霊態になった。そんなところだろう」


 エスカは軽い調子でそう言うのだった。とにかくジョエルが消えたわけではないと分かって、僕は胸を撫で下ろした。


「何かしらきっかけはあったと思う。物凄く必死で魔術を使ったとかな。どうだ?」


 僕は思い返してみる。そんな状態になったのはあの時しかない。


「第三試験の剣術で。ルース隊長に、本当に切られそうになって……」


「なるほどな」


 エスカはくすくすと笑った。


「ルースは本当に殺すつもりで剣術の相手が出来る奴だ。そんな奴は自警団でも数少ないし、俺でも難しい。君はいい経験をしたと思う」


 いいかどうかは別にして、初めての経験ではあった。自分に対しての明確な殺意を感じ、恐怖と同時に生への執着のようなものが湧き上がったのだ。これが試験であることを忘れるほどに必死だった。そのおかげで霊態も変化したのだろう。


「霊態が変わったというのは俺も初めての経験だが、現時点で君がいつも通り魔術を使えているなら、特に問題はないと考える。どうだ?」


「はい、違いは何も感じません」


 普段と何も変わらないからこそ、霊態の変化に気が付かなかったとも言える。


「それなら良い。では、認識票の作製に移ろう。コインをここへ」


 エスカが機械のレバーを押すと、箱状になっていた部分が上下に分離して開き、台座の方にコインをめるための窪みが現れた。指示通りそこに卒業証明のコインを置く。


「次、誓約書を見せてくれ。そこにある氏名を刻印するからな」


 僕が誓約書を渡すと、エスカは署名欄に目を止め、軽く頷いてから僕の顔を見た。


「……なるほど。ではこれで登録するぞ。ベス・M(ミシェル)・ガレット」


「お願いします」


 僕は決意を胸にそう答えた。母が付けてくれた名前であるミシェルを、魔導師として常に名乗りたい。そんな思いから考えた名だ。

 エスカが署名を指先ですっとなぞると、文字が青白く発光しながらふわりと宙に浮き上がった。彼はそれを軽く握り、コインの上で離した。文字はコインに吸い込まれて消えたが、それだけだった。


「あとは自分でレバーを持って動かしてくれ。そうすれば認識票に霊態が埋め込まれる」


 僕は指示された通りにした。レバーは軽い力で動き、コインは機械に挟まれる。もう一度機械を開くと、玉虫色に輝く認識票が完成していた。

 それを手に取って確認してみると、コインよりも薄い円形の板になっており、1ヵ所だけ鎖を通すための穴が開いていた。表面には第一隊を表す『Ⅰ』と『ベス・М・ガレット』の名、裏面には自警団の鷲の印が刻印されている。

 今後はこれを常に身に着けるのだ。そしてこれが自身の証明として役に立つのは、悲惨な死を遂げた時……。改めて魔導師の危険性を感じ、微かに手が震えた。


「反応は二分される」


 エスカは僕を見てそう言った。


「え?」


「初めて認識票を手に取ったときの反応だよ。魔導師になれたと実感して興奮するか、君のように死を思って恐怖するか。どちらも正常な反応だから気にすることはない。俺でも意外と後者だったからな」


 エスカが声を上げて笑ったので、僕は驚いてさっきまでの恐怖を忘れていた。それが彼の狙いだったのかもしれない。


「さて、後は登録簿に記載して終わりだ。一度それを貸して貰おうか」


 そう言われ、僕はエスカに認識票を渡した。彼は机の上で分厚い本を開き、何も書かれていないページの上に認識票を乗せる。すると、一瞬でページの半分を埋めるほどの文字が浮かぶ。僕の名前と、生年月日や出身地、学生時代の成績などが書かれているようだ。


「今後、異動の記録や賞罰などが全てここに記載される。これは全員に言っていることだが、あまりページを汚さないよう己の行動は常に律してほしい。では」


 エスカは本を閉じ、いつの間にか鎖を通してあった認識票を僕に返して微笑んだ。


「明日から君も第一隊の一員だ。あそこでの成長に期待している」



 首に掛けた認識票の重みを感じながら隊長室を出ると、そこにオーブリーがいた。側の壁にもたれていたところを見ると偶然ではなさそうだ。彼に会うのは結婚パーティー以来で、あのときは疲れた顔をしていたが、今はそうでもない。


「オーブリーさん! お久しぶりです」


「やあ。お疲れ様。ここに君がいるって聞いて、少し待ってたんだ」


 彼は微笑んで言った。


「僕に、何か?」


「ラシャが君のことを心配していたから、様子を見て伝えておこうかと」


「ラシャさん……、左腕の調子はどうでしょうか?」


 僕はまずそれが心配になった。少しずつ感覚は戻っているとラシャは言っていたが、どうなったのだろう。


「上々だよ。まだ三角巾で吊っている状態だし、物も掴めないけど、ちゃんと動いている。奇跡的だって医務官も言っていたらしい」


「本当ですか!」


 オーブリーの言葉を聞いて心から嬉しくなった。ただ真面目なラシャのことだから、奇跡だけではなく本人の努力のおかげのような気もする。

 彼は頷き、こう付け足した。


「明日、本人に会って確かめるといい。ラシャも楽しみにしているから。では、元気そうだったと伝えておくよ」


 そして颯爽と去っていった。



 先輩に案内された隊舎の部屋は一人部屋で、それ以外は寮室とそれほど変わらなかった。部屋以外の設備が全て共同なのも同じだ。隊長や副隊長になると部屋にシャワーがあったりして豪華なんだ、と先輩が教えてくれた。

 木箱に入った荷物が二つ、部屋の真ん中に置いてあった。今朝方、寮から送っておいたものだ。その上に制服一式が積まれている。紺色の上下に白いシャツ、黒いブーツ、ベルト、そして外套だ。上着や外套の左胸には、自警団を象徴する(わし)の姿が銀糸で刺繍されていた。今まさに飛び立たんとする勇ましい姿だ。ずっと憧れていた印。本当に自警団に入ったのだと実感し、それだけで気分が高揚する。

 昼食は制服着用の上で食堂に、と指示されていた。着替えてみると、ステイシーの採寸のおかげか身体にぴったりと馴染む大きさに仕立てられている。部屋に鏡がなかったので、仕方なく窓ガラスに映った姿で確認してみた。我ながら中々似合っている気もする。

 不意にドアがノックされ、僕が返事をするより先に制服姿のリローが入ってきた。これじゃ寮にいた頃とほとんど変わらないな、と思わず笑ってしまった。


「なに? リロー」


「……」


 彼は答えず、じっと僕を見たまま動かない。


「どうしたの?」


「いや、一瞬、部屋間違えたのかと思って」


「返事も待たずに入ってくるからだよ」


「そうじゃなくてさ。ベスが別の人に見えたんだよ」


 リローは小さく息を吐き、また僕を眺める。


「制服姿、そんなに見違える?」


「まあ、それもあるけど。なんかこう、見た目は同じなんだけど別人みたいな……」


 リローは説明に苦戦しているが、僕にはピンと来た。それはきっとジョエルだ。いたずらしたんだな、と直感で分かった。


「気のせいだよ」


 僕は笑ったが、リローはまだ不思議そうに僕を見ているのだった。

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