91、実力と覚悟
12月に入り、ついに第三試験が行われた。魔術と剣術の実技で、魔術の方は問題なく終えることが出来たが、想定外だったのは剣術だ。
試験官は外部の魔導師で、例年自警団の誰かがその役を務めていた。今回も確かに自警団の人ではあったのだが、僕は試験場に立つその人物の姿に驚いてしまった。
以前、学院を訪れていた第九隊のルース隊長だったのだ。チェス教官が試験官を打診していたが、まさか隊長クラスの人が引き受けるとは思わなかった。
「久しぶりだね、ベス。僕のことは覚えているかな」
ルースは僕を見て、その美しい顔で微笑んだ。
「覚えています。あの……どうしてルース隊長が試験官を?」
「今年から試験方法が変わっただろう。合格の条件に『試験終了時に受験者の身体が無傷であること』が加わった」
彼が言うように、以前は生徒が試験官の手足に結んだリボンのどれか一つでも切れれば合格だった。言うなれば試験官は守るだけで、生徒に対して攻撃はしない。それが今回は攻撃してくるということなのだ。
「はい」
「試験官を担う隊員は他に決まっていたんだけど、やはり生徒を攻撃出来る気がしないと辞退してね。僕に話が回ってきたんだ」
彼はにこやかにそう話し、すぐ真顔に戻った。
「学生であることは考慮するけど、手加減はしないよ。無駄死にする可能性がある生徒を卒業させるわけにはいかないから」
「無駄死にって……」
あまりに強い言葉に思わず声が出た。
「実力も覚悟もないまま現場で死ぬことは無駄死に以外の何物でもない。実力は今後伸びるとして……覚悟の有無は僕が今から見定めさせてもらう。準備を」
ルースは流れるような所作でサーベルを抜き放つ。彼の目は一瞬で獲物を狙う猛禽類のように変わった。緊張で全身が粟立つようだ。
「よろしくお願いします」
ごくりと唾を飲んでから、僕もサーベルを抜いた。覚悟の決め方も剣術も、チェス教官に全て教わった。今はそれを出し切るだけだ。僕は柄を握る手に力を込め、ルースを見据えた。
「始めよう」
ルースが一歩踏み込むのと同時に、僕も地面を蹴った。
死闘、というのが僕の中では適当な表現だった。息も絶え絶えで地面に膝を着く僕の眼前には、白いリボンの切れ端が落ちている。制服は所々、すっぱりと裂けて肌が覗いていた。
「ベス、立って」
ルースは涼しい表情で僕の前に立っている。額にはうっすら汗が見えるが、それだけだ。僕が指示に従って立ち上がると、彼は制服の裂けた部分を念入りに観察した。
「……皮膚は無傷だね。合格だよ、ベス・ガレット」
そう言ってにこりと僕に笑い掛ける。しかしそれを喜ぶ余裕はなく、膝の力が抜けて座り込んでしまった。疲れというよりも怖かったのだ。ルースが本気で僕を切ろうとしてくるのを感じたから。あれは紛れも無い殺気だった。
「あ、ありがとうございます……」
情けない声で答えると、ルースはふふっと笑うのだった。
「君の覚悟は感じた。僕もやりがいがあったよ。……医務教官、お願いします」
彼は隅で待機していた女性の医務教官に声を掛け、颯爽と試験場を出て行った。医務教官が側へ来て僕を助け起こしながら、驚きの表情でその背中を見ていた。
「隊長クラスになると、ほんとに化け物だね……」
「え?」
「だって、君がこの試験最後の生徒なんですよ、ベス。ルース隊長、既に14人と戦った上でこれですから。私が見る限り全て本気でしたし。恐ろしい恐ろしい」
そう呟きながら僕を医務室に連れて行くのだった。医務室には試験を終えた監察科の生徒たちが、驚いたことに全員いた。ベッドに寝てこそいないが、皆表情がぐったりしている。
「ベス!」
マックの声で全員の視線が僕に向いた。彼らは何故か僕の顔よりも全身を見ているようだ。
「……少なっ! それだけで済んだなんて、すごいな」
マックが言った。
「何が……?」
「切られた箇所だよ。俺らの見てみろ」
彼はそう言って両腕を広げて見せる。制服がまんべんなくズタボロになっていた。確かに僕よりひどい。他の生徒たちも結構なやられようだった。
「私なんて、ほら。足の指無くなるところだった」
キアラが右足を差し出してみせる。靴の爪先がすっぱりと切り取られ、指が覗いていた。当然かもしれないが、ルースは女子だろうと手加減しなかったようだ。
「……誰も怪我してない?」
僕は恐る恐る聞いた。怪我をした、それはつまり不合格ということだ。
「全員無傷ですよ。私の出番が無くて何より」
医務教官が答え、部屋の中は笑いで満たされた。暗い顔をしている人は誰もいない。
「じゃあみんな、リボンも切れたの?」
「もちろんだ。ベスは?」
マックの問いで一瞬、空気が緊張する。
「切れたよ」
そう答えると、わっと場が沸いた。
「だよなー! よっしゃ、これで全員卒業決まりだ!」
「まだ魔術の試験結果が出ていませんけど」
医務教官が冷静に言い、部屋はしんと静かになった。魔術の試験は昨日だったが、確かにその場では合否を伝えられていなかったのだ。
打ち沈んだ空気の中、誰かがドアをノックした。医務教官が答えると、入ってきたのはチェス教官だった。
「おや……。君たち、そんなボロ雑巾にされたんですか」
彼女は僕らを見て開口一番にそう言った。少し笑っているような気もする。
「全員合格だと、先ほど試験官のルースから報告を受けました。おめでとう。昨日の試験結果も合わせて伝えます」
不意打ちで緊張の一瞬が訪れた。
「こちらも全員合格です。これで君たちは卒業資格を手にしたことになりますが、素行不良があれば取り消されますから、重々注意して生活するように」
チェス教官は淡々と話すが、表情は今までで一番穏やかな気もする。すっと背を向けて出て行こうとする彼女を、僕は呼び止めた。
「チェス教官。僕たち、教官のおかげでここまで来られました。ありがとうございます」
ありがとうございます、と全員が声を揃えた。彼女は微笑み、こう言った。
「君たち、何を卒業した気になっているんですか。まだ試験結果を元にしたおさらいが残っています。来週から徹底的にやるのでそのつもりでいて下さい。特に剣術。私は切りますよ、君たちの皮膚を」
そして真顔に戻り、部屋を出て行った。生徒の気の緩みは許さない彼女らしい台詞だ。
「ははっ、今度こそ私の出番ですねぇ」
医務教官は笑うが、疲労も相まって僕らはすっかり気分が沈んでいたのだった。
1月に入り、街は夜な夜な積もる雪で真っ白に染まっていた。新年の休暇もそこそこに、僕らは卒業に向けて不足している技術の補習に勤しんでいた。僕は剣術の補習で毎度のように切り傷と青痣だらけなり、キースに治してもらう日々だった。
「練習台が増えて助かる。もっと怪我してくれていいんだけど」
消灯前の部屋で、キースはそんなことを言いながら僕の傷を治すのだった。医療科の生徒たちはもちろん全員試験に受かっていて、こうして治療技術を高める毎日だ。
「最低なこと言うな。でも、本当にあと少しなんだな、卒業」
僕は窓の外にちらつく雪を眺めながら言った。街の雪が全て溶ける頃には、もう自警団で働いている。しかし自分があの紺制服を着ている姿なんて、未だに想像が付かない。あえて言うなら、不安しかないのだ。
「……蜥蜴のこと、その後何か聞いたことある?」
キースに尋ねると、彼は首を横に振った。
「いや。新聞もチェックしてるけど、関連がありそうなことは何も。でも、勢力が増してるのは確実だな。監察科の試験が厳しくなったのもそのせいだろう」
「うん。世情を鑑みて、ってチェス教官が言ってたけど、きっとそういうことだよ」
「医療科の試験も、銃創と欠損部の再生について結構細かく見られたし」
「銃創と……何て?」
思わず聞き返した。
「欠損部の再生。爆発とかで手足を失った患者に対する処置だよ。範囲によっては魔術で再生出来るんだ。蜥蜴は爆弾を使ったりするから、その関係だと思う」
恐ろしい話だが、実際に起こっていることなのだろう。僕は自分の手足が飛ばされた場面なんて見たら、失神してしまいそうだ。冷静に処置が出来る医務官を尊敬する。
「範囲って?」
「あまりに大きい欠損は治せない。例えば腕で言うと、肩から先とか。レナ院長みたいに経験豊富なら何とかなるかもしれないけど。だからベスも気を付けてくれよ。医務官が治してくれるから、なんて無茶は絶対にしないでくれ」
キースは真剣に言った。
「僕はそんなに無鉄砲じゃない」
「これでか?」
彼は僕の腕に出来た青痣をわざと指で押した。
「痛っ! おい、やめろ」
「前言撤回だ。練習台になってくれなくていいから、あんまり怪我するなよ」
キースはくすりと笑い、痣を消してくれた。何だかんだで優しいのだ。
「……君と初めて会った頃はそんなこと言う人だと思わなかったな。素直になれるって、いいね」
僕がからかうと、彼はじっと僕の目を見た後、別の青痣を指で押してきたのだった。




