89、暗雲
日頃の行いが良いのか、結婚パーティー当日は天気に恵まれていた。窓から燦々と注ぐ昼の太陽が、色とりどりの花で飾られた会場の中を明るく照らしている。実家の隣の区にある馴染みのレストランで、他の兄姉たちが結婚したときも毎回ここを貸し切っていた。なんでも、父と母が初めて食事をした思い入れのある場所らしい。
店内には招待客が50名ほど集まっていた。パーティーの開始を待つ客人たちは各々会話に花を咲かせ、雰囲気は非常に和やかだ。ハーパーが樽で差し入れてくれた高級ワインは大いに喜ばれているらしく、ウェイターがせっせと客人の元へグラスを運んでいるのだった。
ふと、何人かの女性客が同じ方向を見てひそひそと話していることに気が付いた。僕もそちらに顔を向けてみると、彼女たちが熱い視線を注ぐ理由に納得がいった。
すらりと背が高い黒髪の美青年が、物憂げな表情で窓の外を眺めている。絵になる光景だし、彼は三つ揃いのスーツ姿も非常に良く似合っていた。
僕が近付いていくと、向こうもこちらに気付いたらしい。彼は振り向き、軽く片手を上げて微笑んだ。
「やあ、ベス。今日はお招きありがとう。招待状をくれたのはバーナードだけどね」
「お久しぶりです、オーブリーさん。また会えて嬉しいです」
彼は僕が高級宿の金雀枝でハーパーと密会した際、ベルボーイに扮してそこへ潜入していた第二隊員だ。姉の夫であるバーナードの同期でもある。
「なんだか、疲れていませんか……?」
近くで彼を見ると、物憂げなのではなく明らかに疲れた顔をしているのだ。
「夜勤明けで駆け付けたところでね。詳しくは言えないが、少々危険な潜入任務だった。エスカ隊長は本当に人遣いが荒い……」
オーブリーはため息を吐く。そんな状態なら普通は休みたいところだろうが、友人のために体に鞭打って来たということか。ポーカーフェイスの第二隊員がこれほど疲れを顔に出すのだから、相当過酷な任務だったらしい。
僕はふと思い付いて、側にいたウェイターに一つ頼み事をした。彼は笑顔で応え、すぐに湯気の上がるカップを運んでくる。僕はそれをオーブリーに差し出した。
「ハニー・シュープスっていう、スタミシアの飲み物です。元気が出るかもしれません」
「変わった匂いだね……」
オーブリーは不思議そうにカップの中を見つめ、一口啜った。好みの分かれる味だから緊張したが、彼は少し驚いたように眉を上げ、それから微笑んだ。
「初めて飲んだけど、なかなか効くかもしれない」
そう言って中を飲み干すと、疲れていた顔に活気が戻ったように見えた。
「ありがとう、ベス。気遣いに感謝するよ。さて、監察部の同期がまだ来ていないんだが……」
彼はレストランの入口に目を遣った。数少ない彼の同期は、ラシャとその妻アシュリーだけだった。どちらも僕がお世話になった隊員だし、事件現場ではないところで会えるのは嬉しい。
「その内来るだろう。ラシャは緊急で任務が入ったなんてこともあり得なくはないけど。ところでベス、バーナードとはもう会ったのかい?」
「はい。昨夜、実家で初めて会いました」
バーナードは大柄で寡黙な人だとシェリーは言っていたが、まさにその通り。上背のあるがっしりとした体躯で無表情に見下ろされ、不機嫌なのかと最初は怯えたが、彼なりに緊張していただけらしい。少し話をしてみると笑顔が出てきたし、あまり多くはない言葉の一つ一つからも優しさを感じられた。
「いい人だなって思いました。姉がバーナードさんを好きになったのも分かる気がします」
「それは良かった。誤解されやすいからね、彼。同期として心配だったけど、君のお姉さんはいい目をお持ちだ」
オーブリーはふふっと楽しそうに笑った。それから入口に顔を向ける。
「来た来た。ラシャ、アシュリー、こっちだ!」
彼が声を掛けると、二人は他の客人の間を縫いながら笑顔でこちらにやってきた。僕は彼らの制服姿しか知らないから、スーツ姿のラシャも、ふんわりとしたワンピース姿のアシュリーも新鮮だった。ラシャはアシュリーの側にぴたりと付いて、彼女が人とぶつからないようエスコートしている。
「ベス、久しぶり。元気そうで何よりだよ」
「素敵なスーツだね! 似合ってる」
彼らが僕に声を掛ける横で、オーブリーは二人を交互に見つめる。それから何も言わずにすっといなくなってしまった。
「……どうしたんでしょう?」
僕が尋ねると、二人とも不思議そうに首を捻った。
「機嫌損ねたのかな?」
アシュリーが言う。
「まさか。急な腹痛に襲われたんだよ。プライドが許さないから言わないだけで」
ラシャが茶化していると、オーブリーが椅子を片手に戻ってきた。
「誰が腹痛だって? ……これ、使うといい。立ちっぱなしは疲れるだろう」
彼は椅子をアシュリーの側に置き、また立ち去った。さすがは第二隊とでもいうのか、全てがそつのない動作だ。しかし理由が分からなかった。アシュリーは具合が悪いわけでもなさそうだ。
「……すごいなぁ、どこで分かったんだろう。せっかくだから座っちゃおう」
アシュリーが感心したように言って椅子に腰掛けると、ラシャが少々照れた顔で僕に説明してくれた。
「実は妊娠中なんだ。オーブリーにはまだ言ってなかったんだけど。彼の観察眼には恐れ入るよ」
つまりオーブリーは、ラシャがアシュリーをエスコートする姿を見て全て察したというわけだ。それを話すラシャがなんとも幸せそうで、僕は嬉しくなった。
「おめでとうございます。いつ頃生まれるんですか?」
「今3ヶ月だから、来年の5月。まだまだ先だよ。お腹も大きくなってないしね」
アシュリーが笑顔で答えた。
「そのせいか普通に現場に出ようとして、仲間に止められたりするんだ」
彼女は冗談めかして言うが、ラシャは険しい顔をしていた。それもそうだろう。僕が列車の爆破事件でアシュリーに命を救ってもらったときといい、現場は危険なことが多過ぎる。
「少しは自覚を持って欲しいな。心配過ぎて任務に集中出来ない」
ラシャは困ったようなため息を漏らすが、アシュリーに向けられる視線は優しい。心配させるような行動をすることも含めて、彼女のことを好きに違いなかった。
過去の傷が癒えた今のラシャなら、きっといい父親になれる。お互いに目を合わせて微笑む二人を見て、僕はパーティーが始まる前に幸せでお腹いっぱいになりそうだった。
とはいえ、新郎新婦が入場し、姉の花嫁姿を見たときの感動といったらなかった。彼女が着ているスタミシアの伝統的なドレスは、白地に色鮮やかな花の刺繍をふんだんにあしらったものだ。このドレスがこんなに似合う人は他にいない、と思うのは僕の色眼鏡だろうか。
ときおり見つめ合っては照れたように笑う彼らの姿にたっぷりと幸せを浴び、次は僕の番だとあちこちで言われながら時間は過ぎていった。僕にとっては初めて心から楽しめたパーティーだったかもしれない。今まではやはり、自分はこの家族の一員ではないという疎外感があったからだ。
「……僕だけこんなに楽しんでいいのかな」
外の空気を吸いに庭へ出て、僕はこっそりとそう呟いた。夕暮れが近付いた冬の空を眺めながら、母とジョエルのことを考えたのだ。精神の治療は受けていても、自分が幸せであればあるほど彼らの残酷な最期を思わずにはいられない。
「あれ、こんなところにいたんだ」
背後の声にびくりと振り向くと、ラシャが立っていた。パーティーも終盤、大抵の招待客はワインを煽って赤い顔をしているのだが、僕に微笑む彼の顔はそうでもなかった。酒に強いのか飲んでいないのか、どちらだろう。
「ラシャさん……。パーティー、楽しんで貰えていますか?」
「もちろん。あんなに楽しそうな顔をしているバーナード、初めて見たから。あの高級ワイン、飲めないのが残念だけど……」
ラシャは少し眉尻を下げた。
「お酒、弱いんですか?」
「いや。普通なんだけどね。任務のことで、ちょっと何があるか分からないから」
彼の表情が急に険しくなる。その時だった。どこからかナシルンが飛んで来て彼の肩に止まる。自警団からの連絡に違いない。
彼は無言でメッセージを聞き取り、疲れた顔で息を吐いた。
「ラシャ!」
店の方からオーブリーが走って来た。
「連絡聞いたか? とか……」
彼は僕を見て言葉を切る。恐らく蜥蜴と言いたかったのだろう。僕は既に知ってしまったが、本来学生には存在を秘されている組織だからだ。
「急ごう。第四隊だけでは手に負えないかもしれない。……ごめんね、ベス。僕らは行くけど、君は最後まで楽しんで」
ラシャは早口に言うと、オーブリーと共に去っていった。こんな日に蜥蜴の名を聞くとは思わなかったが、危険はいつでもすぐ側にあるということなのだろう。最初に会ったとき、オーブリーが疲れていたのもそのせいかもしれない。
「……ベス! そろそろ最後の乾杯だよ!」
店の中からアリッサが僕を呼んだ。胸にもやもやしたものを抱えながら、僕は笑顔を作って中へ入ったのだった。




