87、満足
僕は食後に弟二人を部屋に呼んだ。まだ幼い彼らには両親や兄姉たちとは別に、凄惨な部分を除いて真実を話す必要があったからだ。素直で傷付きやすい心を持つ二人に、キルデの残忍な所業など話せるはずもない。
そんな僕の配慮はいざ知らず、二人は自分たちだけ外へ遊びに行かされていたことが気に入らなかったのか、不満を浮かべた顔で部屋に入ってきた。開口一番にそれぞれ文句が出てくる。
「俺、もう10歳なんだけど。大人の話に入れてくれたっていいじゃん」
「仲間外れなんてひどいよ」
ヒューゴもトニーも結構なご立腹だったようだ。
「ごめんね、難しい話だったから……。これからちゃんと、分かりやすく話すよ。座ってくれる?」
僕が真剣に言うと、二人は不安そうな顔で椅子に腰掛ける。
「ベス、どこかに行っちゃうとかじゃないよね?」
すかさずトニーが言った。
「どこか、って?」
「別の家。ハーパーはベスの本当のお兄さんなんでしょ? ハーパーの家に行っちゃうの? すごく仲良さそうにしてたし……」
「変なこと言うな、馬鹿。……行くの?」
ヒューゴもそう言って僕を見た。思わず笑ってしまうようなかわいらしい勘違いだが、二人にとっては笑い事ではないのだろう。僕は首を振ってはっきりと否定した。
「まさか。僕の家はここだよ。それは何があっても変わらない」
良かった、と彼らは声を揃えた。それから姿勢を正し、僕の話を最後まで真剣に聞いてくれた。実の両親が見付かったがどちらも既に亡くなっていること、二人は僕を愛してくれていたこと、ハーパーは母親違いの兄であること。僕には病気で亡くなった双子の兄がいて、名前はジョエルだということ。そして、僕の本名はミシェルだということ。
嘘の部分も多いが、弟たちは悲しみつつも納得してくれたようだ。質問攻めにされることを予想していたが、二人は特に何も言わなかった。彼らにとっては僕が引き続き兄であることだけが重要なのかもしれない。
僕の話を聞いて何を思ったのか、トニーは最後にこう呟いた。
「僕も弟か妹、欲しいなぁ」
「なんでだよ」
ヒューゴが突っ込むと、トニーは少しにやけながら言った。
「お兄ちゃんてさぁ……、なんかかっこいいでしょ?」
なんとも曖昧な理由だが、気持ちは分からなくもない。僕もまだこの家の末っ子だった4歳の頃、面倒見が良く何でも器用にこなす兄たちに憧れたものだった。
「それなら、お父さんとお母さんに頼めば。弟か妹、欲しいって」
ヒューゴは軽い調子で言うが、ここから更に兄弟を増やすというのは実際には無理だろう。両親は共に50歳を超えている。その辺の事情を理解するのは、彼らにはまだ難しいだろうか。
「いいね、それ。行こう行こう!」
トニーは目を輝かせ、ヒューゴを連れて止める間もなく出て行ってしまった。両親の困り顔が目に浮かぶ。
二人が出ていくと、部屋は急にしんと静かになる。僕は長く息を吐き、ベッドに寝転がった。これで家族にも真実を伝えられたと思うと、全身の力が抜けていく。ずっと心につっかえていたものがようやく取れたのだ。
思わずうとうとしていると、ノックの音がした。びくりと跳ね起き、ドアから覗く顔を確認する。ハーパーだった。
「兄さん……」
「ごめんね、休んでいた?」
彼は申し訳なさそうに言った。
「いや、大丈夫。もう出る時間?」
僕は時計を見る。時刻は午後2時。帰りもまた運び屋を使うから急ぐ必要はないのだが、僕らにはキペルへ帰る前に寄る場所があったのだ。
「うん。お兄さんお姉さん方もそろそろ帰るみたいだし、ちょうどいいかなって。花屋にも寄るだろう?」
「そうだね。特別、綺麗な花束を用意しないと」
その花束はジョエルのために。僕らはこれから、グレーン乳児院の跡地に向かうのだ。
僕は立ち上がり、部屋を出た。玄関で兄姉をそれぞれに見送り、これまた毎度のことだが、両親と弟たちに今生の別れみたいに惜しまれつつ見送られ、僕らは家を後にした。
「わあ、大きな木……」
グレーン乳児院の跡地に植えられた巨大な楡の木を見上げ、ハーパーは声を漏らした。葉はまだ青々と繁っているが、一部が赤く色付き始めている。秋の澄んだ風が吹き、その葉をざわめかせた。
「事件の後、近所の人たちが贖罪のために植えたんだって」
僕はそう言って、花束を手に石碑の前に屈んだ。この近所に住むワルダー氏がいつものように供えてくれたのか、そこには既に色とりどりの花が置かれている。
「胸が痛むよ……」
ハーパーは落とした視線で石碑の文字を追った。僕がワルダーから聞いた事件当時の話は、彼にも伝えてあった。近所の人間はワルダーの父を除き、誰も乳児院の人々を助けようとしなかったと。
「ここに眠っているんだね。僕の弟は」
彼はそう言って僕の横に屈み、目を閉じて静かに祈りを捧げた。彼は会ったこともない、存在を知ったときには既に土の中だった弟に何を思うのだろう。その頬には、一筋の涙が光っていた。
僕も目を閉じ、以前にレイとここへ来た際の約束を思い出す。
――また来るつもりだよ。今度は花束を持って……出来たら、犯人が捕まったって報告をしに。
そのときは無謀に思えたことだが、今、それを実現出来ている。周囲の人間に恵まれたおかげだろう。僕の心には多少の傷を残したが、やはり自警団の判断を恨む気にはなれなかった。
僕は心の中で語り掛けた。
――ジョエル、それから乳児院のみんな。犯人は捕まったよ。ちゃんと獄所台で裁かれる。安心して眠ってください。
知らず知らず、僕の頬にも涙が伝う。悲しいからではない。ようやく全てが終わったという安堵からだ。
――ねえ、ジョエル。君をここから連れ出すことは出来ないけど、僕はずっと一緒にいるよ。そして、君が導いてくれた道で精一杯生きていく。いつか会える日まで、お母さんと二人で待っていて。
返事が聞こえないことは分かっている。他の人には理解出来ないと思うが、ジョエルはもう、僕自身なのだ。僕が笑えば彼も笑うし、泣けば泣く。鏡に映る姿は僕であり彼でもある。
優しく頬を撫でる風を、いつにも増して爽やかに感じる。僕の心模様そのものだろうか。
「行こうか、兄さん」
僕は目を開け、隣でまだ祈りを捧げているハーパーに声を掛ける。
「えっ、……もういいのかい?」
「うん。ここにあるのはジョエルの体だけだし」
予想通りハーパーは怪訝な顔をしたが、じっと僕の目を見て何か気付いたように言った。
「心はいつも一緒、ということだね。今、一瞬だけど、ベスの中にジョエルを見たような気がしたよ」
僕らは目を合わせて微笑み、もう一度吹いた優しい風に背中を押されるように、グレーン乳児院を後にした。
運び屋のおかげで、日が沈む前に寮へ戻ることが出来た。部屋では相変わらずキースが机に向かって勉強を……していなかった。彼は窓際に立って、ぼーっと外を眺めていたのだ。そんなふうに物思いに耽っているなんて、非常に珍しい光景だった。
「キース……?」
僕の声に彼はぱっと振り返って、いつものように微笑んだ。
「おかえり、ベス。早かったな」
「うん。今、何か考え事してた?」
「何も考えてないことだってあるよ、俺にも。空が綺麗だなって」
キースはそう言って、窓の外を顎でしゃくった。僕も側へ寄って覗いてみる。沈んでいく夕日のオレンジから紫へと色を変えていく雲一つない空は、確かに綺麗で、どこか切なさも感じた。
「今だからそう思える。昔は、こんな空が恐ろしかった。日が沈んだら仕事の始まりだったから」
キースが言っているのは『無垢な労働者』としてメニ草畑で働かされていた頃のことだ。メニ草の収穫は、基本的に夜間に行われる。
鎌を手に自分の背丈と同じくらいのメニ草を収穫するのは、小さな子供にとってかなりの重労働だ。それを鞭を持った栽培人たちに監視されながら、一晩中続けなければならない。まさに地獄だ。
だが、キースの横顔は穏やかだった。
「やっと過去のことになった気がするんだ。こんな日が来るなんて思いもしなかったけど……、世の中、不幸ばかりじゃないんだなって」
「少し前の君に聞かせてやりたいよ、それ」
僕は笑いながら言った。復讐に全てを賭けていた彼は、今の言葉でどんなに救われるだろう。
「聞く耳を持ってないな、少し前の俺だったら」
キースは苦笑した。それはそうかもしれない。
「扱いにくい奴だったもんね。まあ、それも過去のことだ。僕らは先へ進もうよ。やるべきこと、山のようにあるはずだ」
「そうだな。来月は第二試験だし。とりあえず卒業して魔導師にならないと、先へ進むなんて偉そうなことは言えないぜ」
僕らはそれから、空が紺一色に変わるまで窓の外を眺めていた。言葉は交わさず、けれど、とても満ち足りた気分で。




