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86、我が兄弟

 運び屋は一回で客を運べる距離に限界があるらしく、実家のあるスタミシア北6区に着くまで3回に分けて移動した。とはいえ、汽車を使うと4時間は掛かる距離がほんの数分にまで短縮されている。高い料金を取るわけだ。


「ほら、あそこの茶色い屋根。あれが僕の家」


 家が点在する長閑(のどか)な住宅地を歩きながら、僕が実家を指差した。ハーパーがごくりと唾を飲む。


「……玄関前にいらっしゃるのは?」


「使用人のデンバス。乳母でもあって、僕も小さい頃からお世話になってるんだ」


 デンバスは玄関へ続く通路を念入りに箒で掃いていた。家族には事前に、大切な話があるということと、僕と血の繋がった兄を連れて行くということだけ手紙で伝えてあった。彼女はそれを聞いて、恐らく家中を綺麗にしたに違いない。


「まあ、ベス坊や! 思ったより早く着いて……」


 デンバスが僕に気付いて駆け寄って来た。そしてハーパーの上等な身形(みなり)を見て、顔に少し緊張を滲ませた。


「ようこそいらっしゃいました。中へどうぞ、ええと、お名前は……」


「ハーパー・エヴィングと申します」


「エヴィング様ですね。とんだご無礼を」


 デンバスが(かしこ)まった態度で接するから、ハーパーは余計に緊張したようだ。表情が硬い。


「もっと砕けた感じにしてよ、デンバス。兄さん、ただでさえ緊張してるんだから。みんな家の中でわいわいやってるんでしょ?」


 僕が口を挟むと、彼女は言った。


「ええ。大事な話の内容よりも、ベス坊やのお兄様の方が気になるみたいで。楽しみなんでしょうね。奥様、今までにないご馳走の数を用意してらっしゃいますよ。旦那様は何年も着ていないスーツを引っ張り出して、シェリーの婚約者の方が家にいらした時よりもそわそわして……」


 そう言ってくすくすと笑いを漏らすのだった。予想通り、僕の家族はハーパーの訪問を心待ちにしているらしい。


「ね? そんなに気負わなくて大丈夫だよ」


 ハーパーに顔を向けると、彼はようやく笑顔を見せて頷いてくれた。

 デンバスに続いて僕らが玄関をくぐると、なんと、家族全員がそこに大集合していた。ハーパーが驚きに目を(しばた)いているのを見て、見慣れないスーツ姿の父は声を上げて笑った。


「はっは! 驚いたろう、うちは見ての通り大所帯で。よく来てくれたね。私がベスの父、ティム・ガレットだ」


 そう言ってにこやかに握手の手を差し出す。


「ハーパー・エヴィングです」


 顔にはまだ緊張があるが、声はしっかりしていた。彼が差し出した手を父はがっしりと握り、こう言った。


「ハーパー、君がベスの兄ということはつまり、俺の息子ということだ。違うか? 遠慮なくお父さんと呼んでくれ。はっはっは」


 それこそ極論も極論だが、ハーパーは嬉しかったらしい。微かに赤みが差した頬で笑っていた。他の家族も我先にとハーパーに話し掛け、彼を連れてわいわいと嵐のように居間に入っていく。廊下にはレイと僕だけが残された。


「悪いな。みんな、あまりにも楽しみにしていたから止めようがなかった」


 レイが申し訳なさそうに言った。


「大丈夫。ハーパーも嬉しそうだったし。……この後にあの話をするの、気が引けるよ」


 真実を話せば、この幸せな空気に包まれた家族を一気に地獄に落とすことになる。胃がきりきりと痛むような気がした。


「それはそうだろうな。でも、ああ見えてみんな、お前が何の話をするのか気にしているんだよ。先延ばしにすれば余計な心配を掛けるだけだ。覚悟を決めろ」


 レイは意外にも厳しく言い、こう付け加えた。


「お前が話しさえしてくれれば、後は俺が何とかするから」


 なんと頼もしい兄だろう。僕は大きく頷き、彼が言うように覚悟を決めた。ハーパーだって非難されるのを覚悟で一緒に来てくれたのだから、ここで逃げるわけにはいかないのだ。


「分かった。もういっそ、最初に話してしまうよ。昼食の前に」


 皆の食欲が失せて母のご馳走が無駄になってしまう可能性もあるが、それでも今は出来るだけ早く話したかった。レイに発破をかけられて、気付いたのだ。


「僕はたぶん……話して楽になりたかったんだ、ずっと。抱え込むのは得意だと思っていたけど」


「そんな能力、この家族の中では発揮してほしくないね。さ、行くか。盛り上がり過ぎると黙らせるだけで一苦労だ」


 レイは僕の肩を叩いて笑う。僕は頷き、既に盛り上がり過ぎている居間に二人で入っていった。



 沈黙、そして涙。僕の話を聞いた家族の反応はそれだった。泣き方に差こそあれ、全員が涙を流している。予想通り僕が受けてきた苦痛を思って。

 弟たちは外へ遊びに行かされていた。彼らには後で話をするが、もしこの場にいたら、家族全員が泣いているという異様な光景に戸惑っていただろう。


「……知れて良かったけど、うぅ、今の話、全部嘘ならいいのにって思っちゃうよ」


 シェリーがしゃくり上げながらそう言った。家族の中で一番激しく泣いていたのは彼女だ。


「その、キルデ・エヴィングなんて、死刑になっちゃえばいいのに」


 その言葉にハーパーが苦い顔をし、それに気付いたシェリーは慌てて言った。


「ごめんなさい。あなたのお父様に向かって……」


「気にしないで下さい。僕もそう思っていますから」


 ハーパーは視線を落としてそう言った。


「本来なら僕は、こちらの敷居を跨ぐ権利すら――」


「細かいことはいいよ。真面目なところまでヘイデンと似てるんだな」


 口を挟んだのは三男のチェスターだった。兄弟で一番楽観的な人物だ。楽観的だが、軽薄というわけではない。いつも人の気持ちを考えた上で発言している。


「俺たちが君を責めているように見えるか? そんなわけないだろう。みんな、ただ弟可愛さに泣いてるだけさ。あ、弟ってのは君も含めてね」


 そう言いながら彼も、目に滲んでいた涙をさっと拭った。


「そうそう。そんなに自分を責めてくれるな、我が兄弟。こんなのが兄じゃ嫌かもしれないがな」


 モーリスが笑い、アリッサが言葉を継いだ。


「あなたもベスを弟として大切に思ってくれてるんでしょう? それと同じだよ。私たちもあなたが大切。幸せに生きていってくれたら嬉しいんだけど」


 ハーパーは顔を上げ、涙を浮かべて彼らを見る。僕も散々言われてきた兄姉たちの愛情深い言葉だが、今まで孤独に生きてきたハーパーには余計に響いたのかもしれない。

 僕の正面に座るレイは何か言いたそうだったが、テーブルの上で指を組んだまま黙っていた。それに気付いたチェスターが突っ込む。


「レイも何か言えよ。最初から黙りっぱなしでさ。まさか、ハーパーを恨んだり――」


「馬鹿を言うな。自分の立場を考えていたんだよ」


 レイがしかめ面で答えた。


「立場?」


「俺の職場がどこか知らないのか」


「ソーン銀行の支店だろ? それが……あっ」


 チェスターは口を開けたままハーパーを見た。ハーパーが頭取の孫だということは、先ほど彼の口から全員に話してあったのだ。


「君、もしかして将来はソーン銀行の偉い人?」


「どうでしょうか。いつかお祖父様の右腕になれればとは思っていますが……」


 ハーパーが謙遜しながら答えると、今度は父が口を開いた。


「それなら確かに下手なことは言えないな、レイ。お前の首根っこは彼に掴まれている。失言は命取りだ。はっは」


 その言葉に他の家族は笑ったが、レイは真顔のままだった。地位というものの厄介さを理解している彼には、それが冗談には聞こえなかったのだろう。


「僕に従業員の方たちをどうこうする力などありません。そもそも個人の感情で人事に手を加えることを、お祖父様は良しとしないでしょうし。安心して下さい、お兄さん」


 ハーパーが微笑みかけると、レイは気まずそうに目を逸らしたのだった。


「……それはどうも」


「態度悪いなぁ。左遷(させん)されちゃうよ?」


 僕がそう言ってみると、家族とハーパーはどっと笑い、レイも遅れて笑ったのだった。地獄のような話をした後で沈んでいた空気も、その笑い声で一掃されたような気がした。


「それは大変。美味しい食事で勘弁して下さいね、ハーパー。さ、お昼にしましょう!」


 母が明るく言って立ち上がり、台所へと向かう。どうやらご馳走は無駄にならずに済みそうだ。そこへ遊びから帰ってきた弟たちも加わり、家の中はしばし喧騒に包まれたのだった。

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