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85、子守歌

「どうしてお前ばかりそんな目に……」


 僕の話を全て聞き終えたレイは、青白い顔でソファの背にもたれて呟いた。それもそのはずで、彼は僕が話している間に3回は吐いていた。家族が経験した話として聞くには残酷すぎたのかもしれない。放心している彼の視線は虚空を漂っていた。

 僕自身は精神の治療を受けたから、凄惨なその内容を話しても心は冷静なままだ。一方的にレイを言葉で追い詰めただけのような気がして、申し訳なく思った。


「ごめんね……」


「謝るな。話して欲しいと言ったのは俺だ」


 レイは体を起こし、真っ直ぐに僕を見た。顔に少し生気が戻っていた。


「救いようのない話だったが、希望が全くないわけじゃない。お前の兄弟の存在とかな。この先、きっと支えになるだろうから」


 そう言って弱々しく微笑んだ。


「ハーパーのこと?」


「それももちろんだけど、双子の兄のジョエルも。お前にとって何よりも大切な存在だろう。ガレット家のジョエルと同じ名前というのは、不思議な縁だよ」


「そうだね。二人とも、向こうで仲良くやっているかもしれない」


 僕も微笑んだ。二人のジョエルが僕を見守ってくれているのだとしたら、こんなに心強いことはない。レイは優しい顔で頷き、ふと真顔に戻った。


「ベネディクト、お前はこの話を他の家族にもするつもりなのか?」


「うん。ヒューゴとトニーには大まかなことしか伝えないけど」


「そうだな。しかし、言葉を選ばないと母さんとアリッサとシェリーは間違いなく気絶する。俺だってこの有様(ありさま)なんだから」


 レイはため息を吐く。確かに今は言葉を選ばず、事実をありのままに話してしまった。生きたまま火に焼かれる僕を鮮明に想像したら、彼の言う通り母も姉もきっと失神する。今日、街で彼に捕まったのは幸いだったかもしれない。言葉は悪いが予行練習が出来たのだ。


「……でも、嘘は吐きたくないんだ。レイ、どう伝えればいいか一緒に考えてくれる?」


「もちろん。血は繋がっていなくても、俺はお前の兄だからな」


 レイは言った。そこに少し意地のようなものを感じて、僕は尋ねてみる。


「ちょっとハーパーに嫉妬してるでしょう」


「そりゃ、()くだろ。突然出て来てお前と仲良くしていたら。しかもその綺麗な目の色が一緒だなんて、羨ましい限りだよ」


 ()ねたように言うのが面白かった。初めて見る彼の一面だ。


「でもまあ、お前の兄弟なら俺の兄弟も同然か。弟が一人増えたと思えばいい」


「すごい極論だね。でも、ハーパーも喜ぶと思う。一人っ子だから」


 僕は笑った。きっとガレットの家族はハーパーを大歓迎するだろう。彼の身分など関係なしに、僕の兄として。そしてレイのような極論を言い出すに違いない。

 レイはじっと僕の目を見て、優しく笑った。


「良かったな、ようやく実の兄に会えて。お前が幸せなら俺たちも幸せだ。それを覚えておいてくれればいい」


 その言葉に胸が熱くなる。思わず涙ぐんでいると、部屋の外から騒がしい声が聞こえてきた。


「帰ってきたみたいだな」


 レイがドアに顔を向ける。外出していた彼の妻と娘たちが帰宅したのだろう。いつも聴かせてもらっている姪たちの歌声が、楽しそうに廊下に響いていた。


「もう5時か。久しぶりに夕飯、食べていくだろう?」


 レイが僕を見て言った。もちろんと答え、僕は彼らと賑やかな食卓を囲んだ。食後に姪たちが歌ってくれたのは、ガベリアに古くから伝わるという子守歌だった。


 おやすみデイジー

 泣くのをおやめ かわいい子

 夜も狼もこわくない

 小さな小さな白い花

 いつもあなたの横にいて

 歌の翼で守ってあげよう

 デイジー デイジー

 私のいとしい子


 それを聴くと、母親の腕に抱かれて眠る赤子の姿がぼんやりと頭に浮かんだ。優しい声と眼差しに包まれて、その子は幸せそうに眠っているのだ。これは僕と母の姿なのだろうか。何も覚えていないはずなのに、しかもガベリアの歌なのに、懐かしくて仕方がない。

 歌い終えた姪たちは、その曲を最初から繰り返す。僕は目を閉じ、その歌声に耳を傾けた。目蓋の裏でさっきの光景がより鮮明になる。赤子を抱く女性の緩くウェーブした髪は淡い色、我が子を見つめるその目は灰色がかった青……間違いなく母の姿だった。歌声に合わせてその口は動いている。


 いつもあなたの横にいて

 歌の翼で守ってあげよう


 覚えていないはずの母の声が聴こえてくる。少し高めの柔らかい声だ。鼻の奥がつんと痛んで、目頭が熱くなった。

 母の声は続けて、こう歌った。


 ミシェル ミシェル

 私のいとしい子


 母に名前を呼ばれたいという僕の願望が、こんな幻聴に形を変えたのだろうか。それとも母の埋葬が終わった安堵からくるものなのか?

 しかし理由はどちらでも、例え幻聴でも構わなかった。僕は確かに聴いたし、今までにない幸せを感じている。それだけで十分だ。

 僕の頬を、温かいものが静かに伝っていった。



 レイと話してから2週間が経った日曜日、僕は早朝から寮室で準備をしていた。今日、スタミシアの実家に帰って家族に真実を話すのだ。


「緊張してるんだろ」


 相変わらず早起きのキースが、机で課題をやりながら顔だけを僕に向けた。


「見て分かる?」


「空気だけで分かる。俺も着いて行こうか?」


「過保護だよ。それに、今日はハーパーも一緒だし」


 僕は笑った。キースのはもちろん冗談だろう。


「運び屋で行くんだっけ。流石、金持ちは違うな」


 キースは感心したように言った。確かにキペルからスタミシアまで運び屋を使うと、学生には到底払えないような金額になる。費用は祖父のキッシャーが持つという。僕は出来れば甘えたくなかったが、距離と時間的に今回ばかりは頼ることにした。


「汽車とか使ってたら、門限に間に合わないよ」


「それもそうか。早く帰ってこいよ。気を揉みながら待つ時間は、長い」


 キースはそう言って苦笑し、課題に戻った。どの口が、と思った。失踪して散々僕の気を揉ませたのは誰だったか。


「君も少しくらい胃が痛い思いをしてくれ」


 そう返して、僕は机の引き出しからレイの手紙を取り出した。僕らはあれから何度か手紙でやり取りをして、家族にどう真実を話すのか考えた。結果的に、要点だけを出来るだけ簡潔にということで落ち着いた。家族はやはり、僕が受けた苦痛に対して一番に心を痛めるだろうというのが僕らの共通認識だ。

 朝食を終え、僕は寮を出た。ハーパーとは街中にある運び屋の店で待ち合わせをしている。こじんまりとしたその店に入ると、彼は三つ揃いのきっちりしたスーツ姿で僕を待っていた。


「おはよう、兄さん。……その格好だと、スタミシアの田舎じゃ浮くよ?」


「ベスの家族に会うのにふざけた格好は出来ないだろう。一応、僕は君に危害を加えたキルデの息子なんだ」


 ハーパーは気難しい顔で言った。気負いすぎて、僕より緊張しているに違いない。


「僕の家族、誰もそんなふうには思わないよ。もっと楽にして大丈夫」


 僕が笑うと、彼も少しは肩の力が抜けたようだ。


「情けない兄で悪いね。……じゃあ、行こうか」


 こうして僕らはスタミシアの実家に向かった。嬉しい客人を連れて、地獄みたいな真実を知らせに。

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