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84、白状

 カイの家での時間は穏やかに過ぎた。デイジーとセオの仲が元通りになるにはまだ時間が掛かりそうだったが、カイが言うには一歩前進だそうだ。自分はどうしてもセオの立場になってしまうから、君がデイジーの話を聴いてくれて助かったと。

 ナイジェルの服を届けに来ていたステイシーの元気な姿も見られた。以前は薄幸な印象を受けた表情も、今は生き生きとしていた。お針子として日々頑張っているようだ。キースに伝えたらきっと喜ぶだろう。


「また来てくれ。俺より、俺の周りの人間が喜ぶから」


 玄関で僕を見送りながらカイが言った。確かにそうかもしれない。デイジーやナイジェル、それから偶然顔を合わせたデマンの主人も、僕の訪問を喜んでくれていた。

 それからカイは笑って、こう付け加えた。


「もちろん俺だって嬉しいけどな」


「恐縮です。僕も楽しかったです」


 そう笑い返した。今朝は母の埋葬で沈んでいた心も、すっかり明るくなっている。僕はカイに感謝しつつデマン家を後にした。

 寮への帰り道、一人で歩く昼時のキペルの街は賑やかだ。ふと目に入ったカフェの窓越しに、僕は見知った顔を見付ける。リローとジジだった。デートなのか二人とも楽しそうだ。

 こんな平和な日々が続くには、やはり自警団が必要なのだろう。悪が一つも無い世界なんてきっと存在しない。ただ、その悪に巻き込まれるか否かで大いに人生は変わってくる。僕だって巻き込まれずに済んでいたらと考えなくもないが、今更言っても仕方がないことだ。そう開き直れる程度には心が強くなっていた。

 二人はこちらの姿に気付いていないようだったから、そのままカフェの前を通り過ぎた。


「ベネディクト!」


 背後から声がした。僕をそう呼ぶのは一人しかいない。振り返ると、兄のレイが駆けてくるところだった。


「レイ……、久しぶり」


 彼に会うのは、僕がキルデによる監禁後に中央病院へ運ばれたとき以来だ。彼は僕がその後トワリス病院に入院したことも、キルデが殺人犯だったことも知らない。何を言われるのだろうと(にわか)に緊張した。


「久しぶり。ごめんな、忙しくてまともに手紙も出せなくて。実は以前一緒に食事をしたキルデ・エヴィングさん、急に亡くなって……。彼は次期頭取だったし、いくつも取引を抱える有能な行員だったから、本店は相当混乱していた。それが支店の方まで及んでね。ようやく落ち着いてはきたが」


 レイは表情を曇らせる。彼の方からそんな話をされて、心臓がぎゅっと縮んだ。


「そうなんだ……」


 声が掠れたが、レイはその話に衝撃を受けたせいだと思ったらしい。そりゃ驚くよな、と同意を示して続けた。


「俺も驚きしかない。……ところで、脳出血の具合はどうだ? 街に出られるくらいだから、回復した――」


 彼はふと僕の手元に目を遣り、言葉を切る。僕は片手に喪服の黒い外套と帽子を抱えていた。


「今日、誰かの葬儀だったのか?」


 レイは気遣うように尋ねる。


「うん。埋葬だったんだ。ちょっとした知り合いの……」


 実の母、と言う勇気はまだ無かった。レイはじっと僕の目を見ている。僕はそこで自分の発言の齟齬(そご)に気が付いた。リスカスでは一般的に、葬儀後の埋葬にまで立ち会うのは一部の親しい人間だけだ。ちょっとした知り合い程度の人間は立ち会わない。

 完全な嘘というものは僕には難しいらしい。どうしても正直に答えてしまう部分がある。今も、葬儀だと言えば怪しまれなかったはずなのに。


「……ベネディクト、また何か一人で抱え込んでいないか?」


 レイが真剣な表情で言った。


「もしそうなら教えてくれ。お前が苦しんでいると俺たちも苦しいんだ」


「……」


 僕はまだ覚悟が出来ていないのに、よりによってキルデのことで最もダメージを受けそうなレイに捕まってしまうとは。彼に誤魔化しは効かないし、この場を逃げ切るための嘘も思い付かない。無言で彼の目を見つめ返すことしか出来なかった。


「ああ……、こんな往来(おうらい)のど真ん中ではな。家に来るか? 今日は妻も子供たちも出掛けているから」


 レイは優しく言った。僕は未だ覚悟を決められぬまま頷き、彼と共に家へ向かった。



 静かな客間に通され、僕らは向かい合ってソファに座る。この瞬間まで僕はずっと無言だった。必死で考えていたのだ。キルデのことをどう話せばレイが一番傷付かないのかを。


「この前、スタミシアの友達がシュープの粉末を送ってくれてね」


 レイは僕の前に湯気の上がるカップを置いた。赤味がかった液体で、少々刺激的な匂いが鼻に届く。


「ハニー・シュープス……?」


「そう。お前は好きだったろう? どうぞ」


 レイは微笑んで僕にそれを勧めた。カップから一口すすると、胃の中からじんわりと体が温まっていった。

 彼は小さく息を吐き、僕に向き直った。


「話したくないなら無理にとは言わないよ。お前ももう15歳だし、意思は尊重すべきだと思う。でも、俺たちの大事な弟であることも忘れないでほしい。そんな悲しそうな顔をしているのに、放っておくのは無理だ」


「ありがとう、レイ。僕は……」


 彼の優しい言葉に胸を詰まらせながら、言った。


()()を話すことでレイを傷付けたくないんだ。いずれは話さなくちゃいけないと思っていたけど、覚悟が出来なくて」


「ずいぶんと余計なお世話をしてくれる弟だな。お前がずっと家族の中で苦しんでいたこと以上に傷付くことなんて、あるわけないだろう」


 レイは(なか)憤慨(ふんがい)しながら言うのだった。


「お前は子供で俺は大人だ。それなりに人生を経験しているんだから、余計な気を回すな」


 そこまで言うのなら、と僕も覚悟を決めた。


「分かった。じゃあ、僕の名前……本名が分かったから、教えるよ。ミシェル・エヴィングっていうんだ」


「エヴィング……って、まさかソーン銀行一族の?」


 レイは微かに目を見開いた。


「うん。僕の父親はキルデ・エヴィング。母親はその従姉妹で、ロエナ・エヴィング」


 意外にもここまではすらすらと話せた。ただ親の名前を紹介したに過ぎないからだろう。


「待ってくれ。エヴィングさんが、お前の……?」


 レイは混乱しているらしい。口元を押さえ、視線を激しく左右に揺らした。


「こんな近くに……、え、じゃあ彼はもしかして、そのことを知ってお前を食事に誘ったのか?」


「そうだね。僕を()()()()()ために」


 少しずつ不穏さを滲ませておいた方が、この後に来る衝撃を和らげられるはずだ。レイは「手に入れる?」と呟き、そこからしばらく無言で頭を振ったり顎を触ったりしていた。彼なりに心を落ち着けようとしているらしい。

 やがて顔を上げ、険しい表情で言った。


「彼は、お前をガレット家から取り返したかったということか?」


「少し違うかな。彼は僕を『自分のもの』だと言っていたから。所有しておきたかったんだ。……あのね、レイ。信じられないかもしれないけど、キルデ・エヴィングは狂人だよ。レイに……家族のみんなにも言いたくないけど、本当に言いたくないけど、彼が僕にしたことを知ればそれが分かる」


 僕は一気にそう言った。真実を聞くなら、レイにもそれなりの覚悟をしてもらわなければならない。


「信じられないが……、俺は仕事上の付き合いがある人間よりも、大事な弟の言う事を信じる」


 レイは毅然と僕の目を見返した。そういった部分はやはり大人なのだろうか。そしてこういうところは父や母よりも、長兄のモーリスよりも冷静かもしれない。少し安心した。


「ありがとう」


「何度でも言うが余計な気遣いをするな、ベネディクト。……全部話してくれるか? それとも、父さんやモーリスがいた方がいい?」


「いずれはみんなに話すつもりでいるけど、まずはレイだけに話そうと思う。あ、バケツ、用意しておいた方がいいかも」


「バケツ?」


 レイは怪訝な顔をした。


「うん。内容が凄惨すぎて、聞いたら吐くかもしれない」


「まさか、いくらなんでも……」


 そう言いながらも彼は部屋を出て、バケツを手に戻ってくる。そして結果的には、その判断が正しかった。

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