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82、人間味

「あっ、ベスだ!」


 カイが暮らす屋敷の玄関を(くぐ)った途端、彼の息子のナイジェルが声を上げてこちらへと走ってきた。輝くばかりの笑顔だ。僕の来訪を喜んでくれて嬉しいが、やはり一番は父親なのだろう。彼はまずカイに飛び付いた。


「お父様、おかえりなさい!」


「ただいま。ちゃんといたずらしないで待ってたか?」


 カイはそう言ってナイジェルの頭を撫でる。副隊長として隊員を指揮する時とは違う、優しい父親の顔だ。


「しないよ。デイジーに怒られるもん」


 ナイジェルは唇を尖らせる。デイジーの名を聞いて僕は少しどきりとした。以前にこの家へ来た際、僕は彼女の前でつい感情的になり、泣いている顔を見せてしまった。今思うと恥ずかしい。カイには知られていないことを祈った。


「デイジー、帰ってきているのか?」


 カイが尋ねた。彼女は王立学校の寮に入っていて、週末はたまに帰宅しているという話だったはずだ。


「うん。いっぱい遊んでもらった!」


 ナイジェルは嬉しそうに話す。彼にとってデイジーは姉のような存在なのかもしれない。


「トランプでしょ、輪投げでしょ、あとはかくれんぼもしたし……」


 指折り数えながら報告する姿が微笑ましい。それからナイジェルは僕に期待を込めた顔を向けた。


「ベスも一緒に遊んでくれる?」


「父さんのお客様だぞ、ナイジェル。ほら、セオとおやつでも食べていなさい」


 カイは軽く(たしな)め、広間の向こうに視線を遣る。執事のセオがやって来るところだった。


「ご無沙汰致しております、ベスさん。坊ちゃん、行きますよ。今日はベリーのタルトを用意しています」


 セオは僕に微笑んでから、ナイジェルにそう言った。ナイジェルは僕とセオを交互に見て少し迷っていたようだが、大人しく彼に連れられていった。


「……聞き分けがいいですね。僕の弟たち、あんなに素直じゃありません」


 僕が言うと、カイは苦笑した。


「俺が普段叱ってばかりいるせいだな。冷静に向き合いたいところだが、あの子は想像を超えた危険な真似を平気でするから」


 以前のように、客人の馬車に忍んで一人で街に出たりとかだろう。確かに想像を超えている。カイが心配のあまり本気で叱ってしまうのも分かる気がした。


「さ、行こう。立ち話をさせるのも申し訳ない」


 そう言ってカイは僕を客間に案内した。中に入ると、執事のレンダーが既にお茶と菓子を用意していてくれた。


「ようこそいらっしゃいました、ガレット様」


 レンダーは微笑んで僕に一礼する。こんな学生相手でも相変わらずお客様扱いをしてくれるらしい。彼は優雅な所作でお茶を注いでから部屋を出て行った。


「僕が来ること、先に伝えてあったんですか?」


「いや。ミスター・レンダーは一流の執事だから、窓から君の姿を見た時点で察したのさ。ところで」


 カイはソファの上で姿勢を正した。僕も思わず背筋を伸ばす。


「はい」


「ずっと心配していたんだが、トワリス病院での治療は順調にいっているのか?」


「はい。2ヶ月に1回通ってますけど、順調です。次は半年後で大丈夫と」


 カイが気に掛けてくれていたのは嬉しかった。彼はほっとしたように肩の力を抜き、笑った。


「そうか、良かった。学業にも支障はないか?」


「問題ありません。キースも勉強を見てくれますし。今は第二試験に向けて頑張っているところです」


 僕はそう報告した。


「第一試験は良い結果だったとグルー教官から聞いている。君なら大丈夫さ。()()()第一隊に入るのも夢じゃない」


 少々含みのある言い方だ。僕が怪訝な顔をすると、カイは言った。


「俺は平凡な成績だったが、新人で第一隊配属になった。当時の隊長の特別な配慮だったらしい。だが身の丈に合わない隊に入れられて、それこそ血反吐を吐くような思いをした」


 カイが一瞬遠い目をしたから、僕は自分の目指す第一隊が少し恐ろしくなった。精鋭の集まりと呼ばれるからにはそれなりの厳しい訓練をしているはずだが、入ったらどれほどしごかれるというのだろう。


「でもまあ、当時のグルー教官も含めて上官には恵まれてたから。皆、俺みたいな生意気野郎に真剣に向き合ってくれたから今がある。……ベスがもし第一隊に入ってもきっと同じだよ。そもそも君は生意気じゃないしな」


 カイは笑った。僕が第一隊志望ということはチェス教官やグルー教官、あるいはラシャから聞いているのだろう。目指す隊の副隊長直々にその話をされるのは、なんだか妙に恥ずかしかった。


「そんなに簡単に入れるとは思っていません……」


 声が尻すぼみになるが、カイはこう言ってくれた。


「自信を持て。君の経験は全て魔導師としての土台になるはずだ。人の痛みが分かる人間は強い」


「……でも優しすぎて魔導師には向いてないと、以前ラシャさんに言われました」


 そう呟くと、カイはぷっと吹き出した。


「巡り巡って君にか。最初は俺が友人にそう言われて、俺はラシャに言った。で、ラシャはベスに言ったというわけだ。君もいずれ誰かに言うことになるのかもな」


 その友人とはもしかして、と僕が考えていると、カイは顔に少しだけ寂しさを滲ませて言った。


「今日、俺が墓参りしていたのはその友人だ。オーサンっていうんだけど」


クシュ・エテイリ(崇高なる人)の……」


 ブロルが書いた記録を読ませて貰ったから、カイとオーサンが同期かつ友人であったことは知っている。ガベリア再生のため尊い犠牲となったオーサンに対しては、リスカスでの最大の名誉、勲一等の称号が与えられたのだ。


「ああ。公式の場で発言するときはいちいちその称号を付けないといけないから、地味に面倒なんだけどな」


 カイは本来なら相当不敬なことを言うのだった。


「俺にとってオーサンはオーサンだから。畏敬(いけい)の念を抱くような人物ではなくて、軽口を叩き合える友人。あいつの言葉、今でもはっきり覚えている」


 ――いつも思うけど、お前って優しすぎるよな。あんまり魔導師に向いてないんじゃねーの。


 カイはそれを言ってから、静かに微笑んで紅茶のカップに口を付ける。過去を思い出して悲しんでいるわけではなさそうだ。

 僕も彼に(なら)って紅茶をすすり、こう尋ねた。


「よく行くんですか、彼のお墓に」


「そうだな。あいつに、ふと話を聞いてもらいたくなることがあるんだ。弱音がほとんどだけど。都合良く相手になってもらっている」


 カイはそう言った。


「副隊長ほどの方でも、弱音を吐きたくなることがあるんですか?」


「他の隊長や副隊長は知らないが、俺はある。実際、君にも吐いただろう。忘れてくれていいんだが」


 キース失踪事件のときだろう。メニ草畑をいくら潰しても一向に無垢な労働者をゼロに出来ない現実に対して、カイは弱音を吐いていた。何も変わっていないんじゃないか、と。

 彼一人の責任ではないのにそれほど思い悩むのは、やはり優しすぎるからだろう。魔導師に向いてないんじゃねーの、と彼に言ったオーサンの気持ちが分からなくもなかった。


「僕は人間味のある人の方が好きです。実の父親があんな人でなしだったので」


 僕としては軽口だったのだが、カイは少しぎょっとした顔をしたのだった。

 不意に廊下の方が騒がしくなり、ばたばた走る足音と声が聞こえてきた。なんだか以前にもこんなことがあった気がする。


「待ってナイジェル、お邪魔しては駄目よ!」

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