81、埋葬
キルデの埋葬から2週間ほど経ち、9月に入った。勉強は相変わらず忙しいが、日々は穏やかに流れ、外に出て秋の匂いを感じるくらいの余裕はあった。学院の中庭にある広葉樹も夏の青々とした葉の色をくすませ始めている。
放課後、僕はオレンジ色に照らされる廊下でぼんやりと窓の外を眺めながら、グレーン乳児院跡地にある巨大な楡の木のことを考えた。あの木の下で眠るジョエルは、色付く葉も澄んだ秋の風も知らずに人生を終えたのか……。不意に胸が苦しくなる。
「こんなところで考え事か?」
不意に声を掛けられてびくりとする。キースだった。
「……ぼーっとしてただけ。秋だなぁと思ってさ」
深く考え出す前に彼が来てくれて良かったと思う。危うく泣くところだった。
「感傷に浸ってたわけか。俺たちの卒業も近いしな」
キースはそう言って窓の外を眺めた。リスカスでは1月が卒業の季節だ。残りの時間も恐らくあっという間に過ぎるのだろう。
「ベスのおかげで無事に医務官になれそうだよ。感謝してる」
視線を外に向けたまま彼は言うのだった。今さら照れくさいのか。僕はくすりと笑ってこう返した。
「今の時点でそう言い切れるの、君ぐらいだぜ。まだ第二、第三試験が残ってるのに」
「俺は大丈夫。心配なのはベスだよ。まだ、何もかもすっきり解決とはいかないんだろ?」
キースは心配そうに僕を見る。実際彼の言う通りで、僕にはまだやるべきことが二つ残っていた。母の埋葬と、ガレットの家族に真実を話すことだ。
埋葬についてはキッシャーからの連絡を待っている。こちらはそう遠くない日に解決するだろう。問題は家族のことだった。
「うん。卒業までには、キルデのことを家族にちゃんと話したいんだ。ただ……みんな優しいから、泣くだろうなって。僕にとってはそれが一番辛い」
「ベスも優しいからな。でも、大切なことをずっと隠されているよりはいい。君が一人で抱え込むことの方が家族にとっては辛いと思う」
キースはきっぱりと言い切るのだった。
「そうかな?」
「そうだろ。俺も君も、色んな事件を通して身に染みて分かっていると思うけど。お互い、秘密を抱え込まずにさっさと話しておけば良かったし、話して欲しかったって」
「あ……」
言われてみればそうだった。経験しておいてそれを忘れるとは、僕も案外抜けているようだ。
「うん、そうだね。話す勇気が出てきた。ありがとう」
僕が笑ってみせると、彼も微笑んだ。
「礼なんていい。ほら、行こう。首席になりたいならこんなところで突っ立っている暇はない」
そう言って颯爽と歩いていく背中を、僕も追い掛けたのだった。
それから数日後、キッシャーからの手紙が届いた。墓地の場所はキペルの北1区、埋葬は次の日曜の10時に決まったそうだ。管理人もいて、よく整備された綺麗な場所だと。学院や自警団本部がある中央1区からはそう遠くない。今後、僕がいつでも行けるようにキッシャーが配慮してくれたのかもしれない。
そして母の埋葬当日になった。運良く空は快晴だ。僕はまたキースに借りた黒い外套と帽子の喪服で墓地に来ていた。その入口には鉄製の立派な門があり、まだ青く繁る芝生は綺麗に刈り込まれて、墓石はそこに整然と列を成している。キルデを埋葬したあの薄暗い墓地とは真逆の印象だった。
管理人に案内されて母の墓へと向かう。通り過ぎるほとんどの墓の前には花が供えてあり、ここを訪れる人の多さを物語っていた。故人は皆、家族や友人に愛されていたに違いない。
奥にある白い墓石の前に、喪服姿のハーパーとキッシャー、そして彼の執事が立っていた。執事はこれから墓穴に投げ入れるための花を、ハーパーは黒い布に包まれた箱――僕の母の遺骨を大切に抱えている。
「久しぶり、ベス。今朝、自警団へ君のお母さんを迎えに行ってきたんだ。……本当に僕らで良かったの?」
ハーパーが心配そうに言った。遺骨の引き取りの話だ。
「うん。感謝しています」
本当は自分が引き取りに行って、ここまで連れてきたかった。しかし、僕にはどうしようもなく辛いことなのだ。母の遺骨を手に墓地まで向かうというのは。それに普通ならあり得ない状況だし、人の目を気にせずにはいられない。だから二人に引き取りを頼んであった。
ハーパーは何も言わず頷き、僕に近付いて包みを差し出した。
「埋葬の前にお別れを」
「ありがとう、兄さん」
僕はそれを慎重に受け取る。手に持ったのは今が初めてだが、その重みに驚いた。思えば大人しそうなあの少女の顔も、幼い僕らを抱いてくれたはずの腕も、頭を撫でた手も、その体の全てが骨となってここに納まっているのだ。重くないはずがない。
「……っ」
覚悟はしていたし、もう大丈夫だと自分の口で母に言ったのに、今さらになって僕は悲しいのだろうか。視界が曇り、黒いその包みに点々と染みが出来ていった。
「ベス……」
ハーパーが優しく僕の背中に手を置いた。
「我慢しなくていいんだよ。君の大切なお母さんだもの。辛くて当たり前だ」
彼は背を撫でながらそう言ってくれるのだった。温かいその手を背中に感じながら、ようやく気が付いた。僕は今、寂しさが極限に達したのだ。
声も顔も覚えていない、けれど僕を愛してくれた母。どれほど願っても叶わないと理解しているが、せめて母が付けてくれた僕の名前……ミシェルと呼ぶ声だけでも、記憶に残っていて欲しかった。
「お母さん。お母さん……」
震えた声で呼ぶと、腕の中の重みが更に増したようだった。もう僕には抱えきれないくらいに。
僕は包みを抱いたまま膝から崩れ落ち、箍が外れたように声を上げて泣いた。
ひとしきり泣いて、何とか埋葬を終えた。母の白い墓石は燦々と射す陽を受け、静かにそこに佇んでいる。全体に美しい花模様が彫られ、中央にロエナ・エヴィングの名と『慈愛に満ちた母』の碑文が刻まれていた。
憎いくらいの空の青さも相まって、僕の心は冷静さを取り戻していた。これでようやく母も落ち着いて眠ることが出来るのだ。すっと肩の荷が下りたような気がした。
「落ち着いたかい、ベス。ああ、そんなに目蓋を腫らして……」
キッシャーが何か悲惨なものを見るように僕を見た。確かに、まばたきもし辛いくらいに腫れているのが自分でも分かる。
「大丈夫です。前が見えにくいですけど」
僕が冗談を言って笑うと、キッシャーは安心したようだった。
「ベス、これから寮に帰るの?」
ハーパーが尋ねた。
「うん。少し街をふらついてからね。この顔じゃみんなを心配させるから」
「そっか。本当なら家に呼びたいけど――」
「それは無理」
僕は未だに、エヴィングの屋敷に近付きたいとは思わない。ハーパーは苦笑して言った。
「だよね、分かってる。そういえば君のお母さんが読んでいた本、届いたかな?」
以前、母の部屋にあった本を送ってもらう約束をしていたのだ。届いたのは小説が20冊ほどだった。ぱっと見たところ、純文学から推理物、恋愛物まで様々な種類があった。
「届いたけど、忙しくてまだ読めてないんだ。試験が終わったらじっくり目を通すつもり。……兄さんも今月から復学したんだっけ?」
「うん、毎日忙しいよ。でもベスには負けていられないから」
ハーパーはそう言って笑う。充実した日々を送れているようだ。僕らは少しずつ確実に、キルデに奪われたものを取り戻している。それは何よりも嬉しいことだった。
僕は今一度母の墓前で祈りを捧げ、ハーパーたちと別れた。そして少し不謹慎かと思いつつ、広い墓地の中を散策する。ここはどこよりも静かで心が落ち着くのだ。
端の方まで行くと、そこにある墓の前に一人の男性の姿があった。私服姿で一瞬分からなかったが、よく見ればカイだ。彼は墓石の前に片膝を着き、そこに刻まれた文字に指先でそっと触れた。それからしばらく動かず、やがて小さく息を吐いて立ち上がった。
僕の気配にぱっと振り返り、カイは少し決まりが悪そうな顔をして言った。
「ベスか。……そういえば今日だったな、お母さんの埋葬」
遺骨の引き取りについて僕がやり取りをしたのは第二隊員だったが、カイにも情報は回っていたらしい。
「はい。先ほど無事に終わりました。自警団の方には大変お世話に――」
「堅い、堅い。相変わらず真面目だな」
僕の言葉を遮って彼は笑った。
「こんなときに無理するな。その顔を見れば君の心は分かるよ」
「……酷いですか?」
「まあ、泣いたなとはっきり分かるくらいには。治療の魔術が使えれば治してやれるんだが、生憎、俺にそっちの資質はゼロだ」
彼は小さく肩を竦めた。
「大丈夫です。どこかで時間を潰して、もう少しましになってから寮に戻るので」
「それなら、一つ提案がある」
「何でしょう……?」
恐る恐る尋ねると、彼はにこりと笑った。
「俺の家に来ないか。前に来てもらったとき、話の途中で放置してしまっただろう。いつか埋め合わせはしたいと思っていたんだ」
確かにそんなことがあった。話の途中で自警団からのナシルンが来て、カイはすぐに行ってしまったのだ。
「でも……」
「安心してくれ。流石に今日は君を走らせたりしない」
それならいいかと思ってしまう僕も僕だが、沈んだ気分のときに一人で過ごさなくていいのは嬉しい。こうして僕はカイの家に向かうことになった。
カイは墓の前を離れる際、名残惜しそうにそこへ視線を留めていた。誰の墓なのだろう。もしかして、クーデターで亡くなった彼の父親……?
あからさまに見るのは失礼な気がして、僕はこっそりと墓石を見た。『誇り高き息子、忘れ難き友』の碑文と共に、オーサン・メイの名があった。




