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76、力加減

 艶のある小豆色の外壁に、凝った装飾が施された大きな玄関。その建物は中央1区の一等地に堂々と鎮座し、出入りする人々もそれに相応しい品のある雰囲気を纏っていた。

 ハーパーとの約束の時刻、僕はその高級宿『金雀枝えにしだ』の前に緊張しながら立っていた。それなりに身形(みなり)は整えて来たが、やはり学生の分際では場違いに感じてしまう。

 玄関扉の側に立つドアマンが挙動不審な僕に目を止めた。辛うじて客人だと認識してくれたのか、彼は僕に微笑んで会釈をする。


「あの……人と会う約束があって来たのですが」


 僕がおずおずと近寄って話すと、ドアマンは微笑みを崩さずにこう言った。


「お名前をお聞かせ願えますでしょうか?」


「ベネディクト・テディ・ヘイデン・ガレットです」


「ガレット様ですね。伺っております、どうぞ」


 ドアマンは流れるような動作で扉を開け、僕を中へ案内した。ちょうど夕食の時刻ということもあって、大きなシャンデリアに照らされたその広間に客人の姿は(まば)らだ。皆、部屋やレストランで優雅な時間を過ごしているのだろう。

 僕はといえば寮の食堂で二、三口スープを飲んだだけだった。緊張のせいで食欲がなかったのだ。こればかりはどうしようもない体質だが、胃が痛くないだけ今までよりましかもしれない。

 肩身の狭い思いで突っ立っている僕の存在に気付いたのか、広間に待機していたベルボーイの一人が側へ寄ってきた。20代くらいで黒髪の美青年だ。流石は高級宿と言うべきか、他にも数人いるベルボーイは全員容姿端麗だった。


「お待ちしておりました。お荷物を……」


 彼は僕の手元を見る。鞄くらい持ってくるべきだったろうか。何も考えず手ぶらで来てしまったから、妙に恥ずかしくなった。


「失礼致しました。こちらへどうぞ」


 彼は微笑んで、奥の受付に僕を案内する。そしてそこにいる女性に小声でこう伝えた。


「ガレット様です。開演前の待ち合わせで」


 宿のすぐ隣には劇場があるが、ハーパーから観劇の話は聞いていない。とすると、密会のような意味の隠語だろうか。キルデのことは公表されていないとはいえ、彼は人の視線に敏感になっているのかもしれない。


「お待ちしておりました、ガレット様。お部屋は4階です」


 女性が微笑んでベルボーイに目配せすると、彼は僕を伴って颯爽と広間中央の階段を上り始める。


「階段で少し息が切れるかもしれませんが……、魔術学院の生徒なら何のことはないね」


 二階まで上ったところで、ベルボーイが急に言葉を崩して話し掛けてきた。顔は前方に向けたままだ。


「えっ」


「驚くことはないよ、ベス・ガレット君。僕は自警団の第二隊員だ。オーブリー・ワット、君が良く知るラシャの同期さ」


 彼は立ち止まって振り向き、魅惑的な笑みを浮かべた。


「そうでしたか……」


 驚きよりも安堵の方が大きかった。もし仮にハーパーが僕に何かしようとしても、すぐに助けて貰えるということだ。それにラシャの同期なら、他の魔導師よりは話しやすくもある。


「オーブリーさんはこの宿に潜入しているということですか?」


「そうなるね。上流階級の情報収集にはもってこいだし、これも任務の一環。もしここで事件や事故が起きてもすぐに対応出来る。でも常に礼儀正しさを求められるから疲れるよ。早く本部に戻して欲しい」


 彼は苦笑して、また階段を上る。僕は後を追いながらこう尋ねた。


「他のベルボーイの方もみんな第二隊員ですか?」


「ベルボーイは僕以外に全部で10人いるんだけど、その内3人が隊員だ。広間に1人いたけど、誰が隊員か分かった?」


「いえ、全く……」


 見た目や雰囲気で見分けるのは不可能だったと思う。オーブリーだって、彼の方から明かされなければ僕も分からなかった。その場や役割に完璧に馴染むのが第二隊員の特性であり、能力なのだろう。


「それは良かった。簡単に見抜かれると僕らの面目丸潰れだからね。さて、この階だよ」


 いつの間にか4階に着いていた。ホールから長い廊下が伸び、左右に部屋のドアが並ぶ。薄暗いその廊下には人の気配が無く、この階には宿泊客が誰もいないのかと思うほどしんと静まり返っていた。


「安心していい。ワンフロア貸切になっているだけだ」


 不安げな僕にオーブリーが説明した。そんなことをすればかなり高額になるはずだったから、僕は驚いてしまった。


「全部の部屋、ハーパーさんが取ってあるんですか?」


「ああ。よほど周囲を警戒していらっしゃるようだね。珍しいことではないよ。安全のためなら金に糸目は付けない、それが真のお金持ちってことさ」


 彼はそう言って廊下を進んでいく。405号室の前で立ち止まり、ドアをゆっくり2回、素早く3回ノックした。ハーパーと取り決めた合図らしい。


「失礼いたします。ガレット様がご到着なさいました」


 オーブリーの言葉にややあって返事が聞こえ、ドアに足音が近付いてくる。緊張しながらも少し安心したのは、その声がキルデとは似ていなかったからだ。もし似ていたら、僕は踵を返して逃げていたかもしれない。

 ドアがゆっくりと開き、ハーパーが顔を覗かせた。彼は細面(ほそおもて)で焦茶色の髪をした青年だった。顔もキルデとは似ていない。憂いなのか疲労なのか表情はとても暗く、常に溌剌はつらつとしていたキルデとは真逆だった。


「あの……君が……」


 ハーパーの灰色がかった青い目が僕を見つめた。不思議なことに僕と同じ色をしている。よく考えれば彼と僕の曾祖父母は一緒なのだから、あり得ないことではないのかもしれない。

 彼はごくりと唾を飲んだ後、ドアを大きく開いた。


「来てくれてありがとう。中へどうぞ」


 緊張のせいか声が少し震えている。オーブリーは空気を読み、一礼してすっとその場を離れた。


「……失礼します」


 僕は彼に着いて部屋に入った。入ってすぐ、二人で話をするには広すぎるくらいのリビングルームがある。天井のシャンデリアの明かりは控えめで、上品なソファやテーブル、調度品の揃った落ち着く空間だった。


「どうぞ掛けて下さい。ベネディクト君、紅茶に砂糖は……」


 ハーパーはテーブルに準備されたティーセットでお茶を()れようとするが、その手は震えていた。見ていて可哀想なくらいだ。


「いりません。飲み物が甘いっていうのは、どうも苦手で」


 ソファに腰を下ろしながら出来るだけ明るく言うと、彼は手元を見たまま言った。


「僕も。一緒ですね」


 その言葉に嬉しそうな響きがある。緊張が(ほぐ)れたのか、手の震えは止まったようだ。それから彼は僕の前にお茶を置き、自分も向かいに腰掛けて小さく息を吐いた。

 彼はようやく視線を上げ、僕を真っすぐに見た。


「ハーパー・エヴィングです。今日は来てくれてありがとう、ベネディクト君」


「そんなに改まらないで下さい。あと、ベスでいいです。みんなそう呼びますから」


「ベス……。僕もその()()()に加えてくれるのかい」


 震えた声でそう言う彼の目が、微かに潤んでいた。


「君を苦しめた人間の息子なのに」


「ハーパーさんがそこまで背負う必要はないと思うんですが」


 思ったままのことを口に出した。最初こそ彼が僕を丸め込むために演技しているのではと疑ってもいたが、実際に会って話してみて分かった。彼は僕に対して心から誠実であろうとしている。もし僕がここで「責任を取って窓から飛び降りろ」と言ったら、迷わずそうしてしまいそうな危うさも含んで。

 僕は弟として彼を救ってあげなければと思った。キルデの被害者同士だからか、それとも半分血が繋がっているからか、僕には彼が最も求めているものが分かるような気がしたのだ。

 僕は立ち上がり、静かに涙を流しているハーパーの側に寄った。


「僕らは同じ父親に苦しめられただけなんです。あなたにも僕にも罪はない。今回みたいな事件が起きなければ僕らは出会うこともなかったけど……、会えて良かったと思います。ずっと寂しい思いをして生きていくよりは」


「寂しい……?」


 ハーパーが呟いた。


「はい。寂しいんだと思います、僕もあなたも。自分に一番近い人をキルデに奪われたから。でも今、こうやって会えました」


 自分の声も震えていた。しかし、彼の前で取り繕う必要も感じなかった。


「僕のことをベスと呼んで下さい。それで……僕もあなたを、兄さんと呼んでいいですか?」


 ハーパーは弾かれたように立ち上がると、腕を伸ばして僕を抱き寄せた。頭の後ろで何度か嗚咽が聞こえ、それから彼はこう言った。


「君が生きていてくれて良かった。ありがとう、ベス。本当にありがとう」


 僕の存在が希望になると言ってくれたのは誰だったか。それは間違いなかったのだと、僕を抱き締めるハーパーの腕の強さから感じるのだった。


「……兄さん、ちょっと苦しい」


 僕が言うと、ハーパーは慌てて腕を離した。


「ごめん。今まで自分が誰かをハグしたことなんてないから、加減が分からなくて……」


 彼は申し訳なさそうに言って、涙に濡れた目元を拭うのだった。彼がどんなに孤独に生きてきたのか、その言葉で分かるような気がした。


「じゃあ、僕が練習相手になります」


 僕が笑うとハーパーも笑った。初めて見たが、とても優しい笑顔だ。一気に緊張が解けたせいか、僕のお腹の音が笑い声を押しのけて部屋に響いたのだった。

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